まどかとの真剣勝負
「石塚優綺ちゃんだっけ。こっち来ていいよ」
「は、はい!」
誰の目にも緊張している優綺が小走りに寄ってくる。
だがそれは仕方ない。良治からすれば気の許せる友人だが優綺からすれば白神会のトップに近い雲の上の人物だ。それも生ける伝説と言っても過言ではないレベルの。
「優綺、ここに来るまで誰かに会った?」
「あ、いえ。どなたにも会ってませんけど……?」
「了解。ならいいや」
「はい……?」
優綺は不思議そうな表情で答える。さすがに良治の質問の意図はわからなかったようだ。
和弥と良治は真ん中を空けてそこに座るように促して座らせる。
「ん、ありがと」
「え? ……あ」
和弥が礼を言った先には温かいお茶の入った湯呑みが置かれていた。
優綺はきょろきょろと周囲を見るが誰も見つけることは出来ない。気配も音もない、完全にプロの仕事だった。
誰が行ったことなのか。そんなことは男二人は理解している。だがあえて口にはしなかった。
(相変わらず手際がいいなぁ)
間違いなく今も見守っている義妹に想いを馳せる。
彼女は今この場に結界を張っていて余計な邪魔が入らないようにしてくれているのだ。それは彼らが大きな声を上げて話していても注意されていないことからもわかる。
「なぁ。声とか聞こえて来たのか?」
「いえ、なんとなく起きてしまって。それで、その……良治さんがいないことに気付いて」
少なくとも優綺には聞こえていない。
こんな誰もが寝静まった夜、耳を澄ませばかなりの距離まで聞こえるであろう声が届いていない。それはおかしなことだ。
そして良治は和弥と話している最中結界に気付いていた。
普通結界は中に居れば違和感でわかるものなのだが、それがほとんどない。
違和感をほぼゼロにする、この気配遮断の結界に気付けたのは良治自身も気配遮断の結界を使用できるからに他ならなかった。
この結界は外部への気配も遮断する。白神会内部で結界が張られれば緊張感を持つ人間はいるだろう。その為の対策だろうと良治は判断した。
もちろん一緒に飲んでいた和弥もわかっていただろう。もしわかっていなくても和弥は直感が鋭い。結界には気付いているはずだ。
「いやー、優綺ちゃんとは話してみたかったんだ。特にリョージのことを」
「リョージ……?」
「ああ、優綺、それは俺のことだ。もう面倒だから訂正とかしないけど」
「あ、読み方」
和弥は高校生時代初めて会った時からリョージと呼んでいる。
昔はその都度訂正していたのだがもういいかと諦めていた。
「そういうこと。で、リョージのことどう思う?」
「え、あの……」
「バカズヤやめろ」
「だって気になるだろう。この先何人彼女が増えるのか」
酔っているせいかケラケラと笑う友人をどつきたくなる。
「あの、とても素晴らしい退魔士だと」
「うん、そうだな。リョージは凄腕の退魔士だ。じゃあ一人の男としては――ってぇ!?」
「よ、良治さん!」
我慢できなくなって頭を叩いてしまったが後悔はない。
むしろ頭を押さえる和弥を見て溜飲が下がる。
「何すんだよリョージぃ」
「まだ中学生の女の子にする質問じゃない。俺の可愛い弟子に何てこと聞くんだお前は」
「かわいい……!」
違うところに反応している優綺をスルーして和弥をジト目で見つめる。酔っているとはいえ駄目なものは駄目だ。
「まったく……でもまぁこの反応見れば大体わかるからいいや。楽しみにしてるよ」
「まさかお前に見透かされるような日が来ようとはな」
「俺だって成長してるんだよ。なんなら――やるか?」
立ち上がった和弥が裸足で庭に出ていく。
悠然と太い二本の足で大地を踏みつけ、帯に隠してあった白い石――転魔石を発動させた。
そして現れた木刀を肩に乗せ、和弥が挑戦的な笑みを浮かべる。
「やるなら、いいぜ」
その言葉の瞬間、空気がざわめいた。
空間が止まったような感覚、しかし同時に強烈な闘気がこちらにむかって打ち付けられる感覚。
これが良治が姿を消していた五年間に彼が身に付けた、辿り着いた領域。
今までこの相手には勝てない。勝利の道筋が見えないということは度々あった。それは隼人だったり、違う組織の長だったりする。だが――
だが、まさか親友とも言える和弥から感じることになろうとは思ってもみなかった。
(これほどまでか……!)
以前冗談めかして言った、もう和弥は隼人と同じクラスにいるんじゃないかという言葉。それは間違っていなかった。それを知ってしまった。
「……やらねぇよ。理由がない」
「なんだ、残念だ」
ふっと力を抜いて木刀をあっさりと転魔石で戻す。
冗談だったとは思えない。きっと良治が了承していたら本当に戦闘になっていただろう。
まるで隼人を相手にしたような、嫌な汗と緊張感だった。
(五年、か)
戻ってから一番時間の流れを痛感した。
並んでいた友人に追い越されていた事実。その間何もしていなかったので当然なのだが、追いつくことが難しいところまで行ってしまっていた焦燥感。
「和弥」
「ん、やっぱやるか?」
「違う。むしろやりすぎだ。……優綺、大丈夫か」
「あ、はい……」
和弥に気圧された優綺は意識が虚ろになっていて、軽く肩を叩きながら声をかけてようやく目の焦点が合い始める。
「うお、すまん」
「酔っ払いが。ちゃんと状況を確認してからやるか、俺だけに向けてやれっての」
「う、その通りだな。悪い。優綺ちゃんもすまなかった」
「いえ……もう、大丈夫ですから」
気丈に言うが顔は血の気が引いている。
良治でさえ一瞬呑まれかけたのだ。実戦経験もなく、一人前にもなっていない優綺には耐えられないことだ。
会話は出来るようだが、このままにはさせておけない。
「じゃあそろそろでお開きだな。まったく、今ので酔いが醒めちまったじゃないか」
「ぐ、すまん」
「まぁいいさ」
謝りっぱなしの和弥に苦笑しながら優綺に肩を貸して立ち上がる。
しかし身長差のせいで不格好になって上手くいかない。
「……はぁ。和弥」
「なんだ」
「今度また旨い日本酒を頼むぞ」
「任された」
「え、あのっ」
和弥に注文をつけると良治は動きの鈍い優綺を背負う。俗に言うおんぶだ。
優綺の文句は聞かない。自分で歩けるような状態ならそもそもおんぶされるのを躱せたはずだ。
「文句は聞かないぞ」
「リョージ、きっと優綺ちゃんの言いたいことはおんぶじゃなくてお姫様抱っこの方がいいってことじゃ」
「なるほど。どっちがいいのか聞くのを忘れてたな。優綺はどっちが――」
「いいです、このままでいいです! は、恥ずかしいので早く行ってください……!」
「了解。じゃあな和弥」
「おう。またな」
顔を背中に埋めたまま言う優綺をからかうことをやめて友人に別れを告げる。
またいつか会う機会もあるだろう。その時にまた飲みながら話せばいい。それだけのことだ。
背中でぎゅっと掴まったままの優綺の温かさを感じながら、今日はよく眠れそうだなと思いながら良治は部屋へと歩き出した。
「今日はまどかか」
「不満なの?」
「いや不満とかそういうんじゃないんだけどさ」
「ならいいじゃない」
「まぁ、そうだけど」
雪のちらつく上野公園。
そこには白い溜め息を吐く良治と機嫌の良さそうなまどか、そして熱心に棒術の型の練習をする優綺がいた。
新年会も無事に終わり、東京に戻ってからこの二週間、良治は少しずつ新たな支部創設の為に動き出していた。
と言っても具体的な行動はまだほとんどしていない。ある程度の支部を置く地域を絞った程度だ。正直乗り気ではないし、期限を決められているわけでもないのでゆっくりでも問題ないはずだ。
なのでいつものとある美術館脇の通路で優綺の訓練に付き合っているだが、何故かまどかが一緒にいる。
別に居心地が悪いとか嫌だとか、そういうことではない。
だが逆に言えば彼女がここにいる理由がない。そのことに良治は疑問を持っていた。
初回、そしてクリスマスの日は結那が訓練に付き合っていた。今日は仕事の為来れないと言っていたので、てっきり優綺と良治だけだと思っていたのだが当然のようにまどかがこの場所で待っていたというわけだ。
別に優綺にアドバイスをするわけでも、結界を張っているわけでもない。単純に、ただそこに、一緒の空間にいるだけだ。
(……まさか本当に俺と一緒に居たいだけ、とか?)
実は良治のこの予想は当たっている。
それもそうだろう、考えてみれば二人は他にもいるとはいえ恋人同士だ。一緒にいる理由を他に探すこと自体がおかしなことだ。
ただ良治は自分が独占欲があまりないこともあって、他の者がそこまで強い独占欲を持っていると考えていない。
特に今は訓練だがある意味仕事中のようなものだ。真剣具合は変わらない。
仕事中はまず私情を挟まない良治の考え方からは、まどかの思考は少し読み難かった。
「よし、休憩」
「は……はい」
型の練習が終わったのを見計らって休憩にする。
優綺の課題の一つにスタミナ不足があるのは明白で、それを女子中学生に求めるのは酷かもしれないが退魔士になるには必要なことだ。
「まどかはあの頃もっと体力あったもんなぁ」
「ん、そうね。でも身長も十cmくらい違うし仕方ないんじゃない?」
まどかの言うように優綺は彼女に比べて身長が低い。
優綺よりも身長の低かった綾華も体力には不安があったのでその影響の可能性はある。これ以上の体力は求めない方がいいのかもしれない。
「あの、私、頑張ります、からっ」
「そんな息も絶え絶えで言われても」
「成長期なので、大丈夫ですっ」
「はい、タオル。じゃあ保留で」
「ありがとうございます!」
受け取ったタオルで額の汗を拭う。冬だというのに額に髪が張り付くくらい汗びっしょりになるのでタオルは欠かせない。それほど本人は本気で訓練に取り組んでいるという証拠でもある。
その努力と向上心を知っている良治としては、簡単に可能性を打ち切っていいものか悩むところでもあった。
「ね、良治。寒くない?」
「ん、まぁ雪降ってるし寒いと言えば寒いけど、力を巡らせればあんまり――」
「寒いわよね?」
「……そうだな」
有無を言わせないまどかの口調に同意してしまう。笑顔が怖い。
寒いからくっつこうとでも言うつもりなのだろうか。
そんな予想をしたのだが、まどかの口から出た言葉は聞き覚えのある、違うものだった。
「――ね、久し振りに手合わせしましょ。身体温まるわよ」
「それこの間結那からも聞いたんだけど」
「うん、知ってるわ。だからかな」
にこにこと笑顔のままのまどかは引くつもりはないようだ。
結那もやったのだから自分もやりたい。まさか断ることはないよね、とも聞こえてきそうだ。
「……仕方ない。わかったよ」
「ん、ありがと」
正直まったく乗り気ではない。だが折れる気がなさそうなまどかに意地を張ったところで時間の無駄だろう。
それに結那とは手合わせをしているので、これを断るのは若干の後ろめたさもある。
最終的には行うことになりそうだと判断して良治は立ち上がった。
溶けた雪で濡れたアスファルトを足で確認する。まだ雪は降ってはいるが、周囲を見ても水たまりや雪が積もっている個所はない。ただアスファルトがその色を濃くしているだけだ。立ち回りには影響しない。
「本気でいく?」
「手加減は最後だけのつもりだけどどうするよ」
「本気の本気とか出したいけど、それは無理なのよね?」
「……ああ。俺相手には無理だよ」
まどかの言う本気の本気とは魔族との契約者としての力のことだ。
だが残念ながら当の契約元である良治相手には使用できない力だ。契約違反をすれば何が起こるかわからない。最悪その場で死亡して魂を奪われる可能性もある。さすがにそんな危険なことはさせられない。
「ん……これくらいの距離でいい?」
「ああ。……優綺、合図を頼む。合図したらすぐに離れて。流れ矢は危ないから」
「あ、はいっ」
良治とまどかの距離はおよそ十五M。真っ直ぐに飛び込むには一歩では足りない距離だ。
まどかは転魔石で愛用の弓・雷迅を取り出す。雷精の加護を得た一級品の弓だ。彼女の得意属性とも相性ばっちりでその貫通力は凄まじい。
今は亡き彼女の師匠から譲り受けた思い入れのあるものでもある。
そんな彼女の武器に比べて良治の喚び出した刀は数段落ちる。
結局村雨やその後使っていた小太刀のようなレベルの武器は見つからず、東京支部に保管されていた日本刀を借りることになっていた。
切れ味よりも武器自体に込めた力の影響が高い霊体、悪霊などにはこれでも平気だが、相手が魔獣になるとやや心許ない。魔族ともなれば力不足だろう。
隼人に言われてあった鍛冶師の源三郎のところで新たな刀を貰うことも可能だったが、一度東京に戻ってしまうとなかなかタイミングがなく行きそびれてしまっていた。
当座の武器がすぐに手に入ったこともあり後回しになっていることに、良治はほんの少しだけ不安を感じていた。
「はじめっ」
優綺が開始を告げ、良治は刀を鞘から抜き放ち走り出す。
まどかは既に腰に下げた矢筒から矢を手にし、射撃態勢に――と良治が思った瞬間それは放たれた。
「ッ!」
まだ半分も距離を詰められていない。昔よりも速いその射撃にゾッとした。
良治の右上半身を狙った矢は蒼い雷を纏わせて飛んでくる。まどかの放つ矢の貫通力は並ではない。まともに受ければ怪我どころでは済まない。
これが彼女が《蒼雷の射手》と呼ばれる由縁である。
見切りの得意な良治だが、この矢を紙一重で躱すことは出来ない。矢は普通のものだが纏った雷の影響範囲は考えているものよりも広い。そしてその範囲内に身体が触れれば痛みと痺れが走り、一瞬だが動きが止まることは否めない。
普段よりもやや距離を取りながら矢を躱す。だがその分前進する勢いは弱まり、更に若干だが体勢が崩れる。
(――二本目!)
立て直すのと同時に右足を踏み出そうと前を見た瞬間、二の矢が番えられているのが見えて迷いが生まれる。
前進か後退か。はたまた流れる身体のまま左に行くか。選択肢は三つ。
「――フッ!」
まどかの短い声と同時に飛んできた矢の狙いは、良治の三つの選択肢を捨てさせるものだった。
ヘッドショット。明らかに首から上を狙ったそれを躱すために良治は地面に這いつくばるように身を屈める。
ここからもう一度走り出す。そう決めた彼はまたも戦慄した。
(三本目!?)
この段階で良治は、二本目の矢は一本目の矢を取り出すと同時に持っていたことに気付いていた。
だが三本目。あれは矢筒から今、二本目を放ってから抜き出したものだ。
今ここに、良治はまどかの五年間の成長を見た。
「――フッ!」
三本目の矢が良治目がけて飛来する。
その矢は今までの二本同様狙いは正確。この三本目で仕留めるという戦略だ。
だが――
「嘘っ!?」
悲鳴を上げたのはまどか。
ここまで完璧に見えた戦略が破られた驚愕の叫び。
「あ、くっ!」
「――遅い」
我に返ったまどかが四本目の矢を番えようとした瞬間、良治の左手が彼女の身体に触れた。
そして左脇腹からゆっくりと手を放す。弓矢をメインに使うまどかにとって近接戦闘は死地以外の何物でもない。
「……負けちゃった」
身体から力が抜けてだらんと手を下に伸ばすまどかに、良治頭をぽんぽんとしたあと軽く撫でた。
「まさかここまでとは思わなかったよ。強くなったよ、本当に」
「うー……完璧だったと思ったのにぃ」
「狙い自体は完璧だったと思うよ。だけど詰めが甘かったな」
最後の三本目。
向かってきたその矢を良治は――手に持った刀で打ち落としたのだ。
一本目のように全力に近い矢はその勢いに負けてとてもそんなことは出来ない。二本目も難しかった。
だが速射を繰り返すにつれて、狙いはともかく矢に込めた力が衰えていっていた。
だから良治に迎撃という選択肢が生まれ、まどかは想定外の出来事に一瞬硬直してしまった。
「まだまだかぁ……」
「いや十分だろうに」
「ううん。だって、良治のこと、私は守れるよって、そう言いたかったの」
まどかの表情はとても残念そうで、泣きそうにも見えた。
ずっと守られていたから、今度は守りたかった。そういうことなのだろう。
「何言ってんだ。昔も、今でもずっと支えてくれるじゃないか。いつも守られて、助けてくれてるよ。――ずっと感謝し続けてるから」
「……もう、そういうことあんまり言ってくれないんだもん。不安になるんだからね」
「ごめんな」
良治は特別口数が多い方ではない。もちろん必要な時には必要なだけ言葉を紡ぐが、逆に必要でない場面では黙っていることも少なくない。
雑談なども少なく、誰かが話しかけてくるのに対応して話すことがほとんどだ。
特に親しい仲の者にはそれが顕著で、特に密接なコミュニケーションを取らずとも理解し合えるという良治の甘えが発生する。
それを理解はしているが、それでも言葉にしてほしいという想いがまどかの中にはあった。
「……まぁ、なんだ」
「なに、良治……?」
甘えた口調で胸に顔を擦り付けるまどか。まるで猫のようだ。
「優綺」
「あ」
遠目で恥ずかしそうに目を逸らしたりこちらを見たりする女子中学生の姿が見えた。
涙目でもじもじしている。先輩同士のこんな光景を見て、どうしたらいいかわからないのだろう。
良治も同じ立場ならわからない。
「あ、えっと……あはははは」
「その、気にしないでください……」
「後輩に気を遣わせるな、まどか」
「う……ごめんなさい」
一つのことに集中すると他がまったく見えなくなるのは変わっていないようだ。
そのことに良治は少しだけ嬉しくなって、小さく笑った。
【雷迅】―らいじん―
《蒼雷の射手》柚木まどかの愛弓。師匠である弓の名手、今は亡き阿波松三から修行を終える際に貰い受けたもの。
耐久性に優れ、どんな状況でも頼りになるまどかの相棒。
余談だが貰ってからしばらくは抱き締めながら寝ていたらしい。




