彼女の幸せ
「本当にもうどうしたらいいか困っていたので、良治くんが来てくれて助かったわ。そのうち来るとは聞いていたけど、連絡があった当日に来てくれるなんて」
「はは、それは喜んでくれて何よりです……」
福島支部の廊下を歩きながら感謝の言葉を紡ぐ眞子に良治は乾いた声で返事をした。
思っていた以上にまず状況のようだ。手詰まり感に溢れている。まるで死地だ。
「私と加奈で話もしてたんだけど、いい考えは浮かばなくて。……ってもう事情は知ってるのよね?」
「ええ、一応。葵さんからは加奈さまと祥太郎が結婚すること、佑奈さんの結婚相手をどうするのか協議中、そのくらいは」
「そう……」
眞子が残念そうに落ち込むが、ぴたりと足を止めるとくるっと回ってこちらを見る。何かを期待してそうな目だ。
「ね、良治くん。今彼女って――」
「います」
「……そうよね。そうじゃなくてもあの娘たちもいるし最初から無理だったかな……」
ダメ元で聞いたらしくそこまでではないがまた落ち込む眞子。もしかしたら最後の手段だったのかもしれない。
「現実的な話をしましょうよ。白神会には結構独身男性いるじゃないですか」
「そうかもしれないけど、その中でも佑奈ちゃんに相応しい相手ってなるとね」
蓮岡家当主の妹、そしてこれから当主になる者の旦那ともなれば、周囲を納得させることのできる者でないと今後の蓮岡家が傾くことになる可能性もある。慎重に考えるのも当然だ。
「それを聞くと例え俺に彼女がいなくても釣り合わない気がするんですが」
「そんなことないわよ? たぶん貴方は自分で考えてるよりも周囲の評価は高いわ。単純な白神会への貢献で言ったら相当上位よ。それくらいなんだから、もう少し自信持たなきゃ」
「まぁそういう見方もあるかもしれませんが、俺は勝手に出て行って勝手に戻ってきた身勝手な人間ですから」
「それを差し引いても、よ。……さ、入って」
福島支部の最奥の部屋。ここは代々の当主の部屋で通される者は少ないと言われている部屋だ。ここに案内されたということは、ある程度良治は信用されていると思っていいだろう。
(分不相応だと思うけど)
自分の望んだものとはかけ離れた生活になってきていて気が遠くなりそうだ。
良治は東京支部で手の足りない時に魔獣や悪霊を倒す、そんな生活を予想していた。
しかし現実はそんなことを許さず、まるで外交官や調整役のように西へ東へ北へと飛ばされている。そのうち南にある東京の諸島部にでも行かされそうだ。
眞子がノックをすると部屋から返事があり、そのまま彼女が扉を開く。
中は完全にプライベートの空間で、薄いブルーをメインにベッドや家具が整えられていた。中央の電灯から落ちている紐についた小さな青い熊の編みぐるみが可愛らしい。
福島支部は昔ながらの日本家屋だが、ここだけはファンシーさを感じさせまるで別の空間だ。
「ようこそ、柊さん」
「どうも加奈さま、お久し振りです」
「はい。この度は来てくださってありがとうございます。どうぞお座りください」
「はい」
勧められるままに青い熊が描かれた、小さな丸いテーブルにつく。さっき見た編みぐるみと同じキャラなようで、どうやら彼女の趣味のようだ。加奈の新たな一面の垣間見て微笑みが零れそうだったが、さすがに失礼だと思ってなんとか堪える。
用意されていたクッションの上に座り加奈と向かい合う。眞子は良治の左側、二人の間に腰を下ろした。
「コーヒーでいいですか?」
「はい」
「お砂糖とミルクは?」
「そのままで」
「ではどうぞ」
「いただきます」
出されたコーヒーをそのままいただく。見てみれば出してくれた当人である加奈もコーヒーだ。福島支部ではずっとお茶しか出されたことがないので、きっとこれは彼女の趣味だ。この部屋、このフィールドでは全て彼女の嗜好が反映されているはずだ。
ここでやっとこの部屋に招かれる者が少ないことの理由を理解した。
「そんな顔をしないでください。私にもプライベートというものはあるんですから」
「失礼。……いつもお疲れ様です」
「ありがとうございます。でも、仕方ないことですから」
蓮岡家の当主として求められる立ち振る舞いと、一人の女性――いや継いだ当時はまだ女の子という年齢だった――との差。この空間は蓮岡家当主・蒼月流継承者ではなく、ただの蓮岡加奈の部屋だ。
彼女が蓮岡家を継いだのはまだ中学生の頃だったはずだ。それからずっと当主の重責を果たしてきたことは評価に値する。並大抵のプレッシャーではなく、人並み外れた努力の成果なのだから。
(俺には真似できないことだ)
一つの場所でずっと頑張り続ける。良治はきっとそんなことは出来ないだろう。継続は力なりとはよく言ったものだ。
自分に出来ないことを努力することでここまで来た加奈を、良治は素直に尊敬していた。
「それで柊さん。眞子さんから聞いたとは思うのですが……佑奈と結婚するつもりはありますか?」
「申し訳ありません。お断りさせていただきます」
「そう、ですか。残念です」
初めから答えは決まっていたが、食い気味に即答するのはさすがに失礼なのでちゃんと言葉が終わってからきちんと答える。
加奈の表情はやや疲れたようなものから変わらない。最初から望み薄だったのは知っていたようだ。
「良治くん、彼女いるって」
「まぁそうでしょうね。ちなみにどなたですか?」
「それは今回の話には関係ないと思いますが」
まさか三人いるとは言えない。
隠せることなら隠しておきたい。それが例え無駄な抵抗であってもだ。
当の三人がそこまで隠すつもりがなさそうなので、きっとそう遠くないうちに噂は広まるだろう。それまでは嘘をつかないで適当に答えておきたい。
「そうですね。……一つ、一般論としてお聞きしたいのですが、佑奈のことをどう思いますか?」
「どう、とは?」
「一人の女の子として、です」
加奈の言葉に少し悩む。何か言質を取られそうだなと感じたが、周囲に人の気配はない。録音の可能性はあるが、それはあくまで一般論としての話で突っぱねればいい。
そこまで来て、これは本当に一般論を聞いていて他意はないのだと思えた。
相手の裏を読もうとしてしまうのは、良治の良いところでもあり悪いところでもある。
「うーん……大人しくて庇護欲をそそられる可愛い女の子、といった感じでしょうか」
「さすが柊さん、わかってらっしゃる」
「わかってくれて嬉しいわ良治くん」
「……とりあえずお二人が佑奈さんを溺愛していることは理解しました」
そしてきっとそれも大きな要因の一つだろう。今まで佑奈が男性を接する機会が少なかったことの。
「こほん。それで、何か良い考えはありませんか? 私としては、このまま何もしないままでいて、佑奈が望まない結婚をすることは喜ばしいことではありません。少なくとも何かしらの出会いをと思うのですが」
「えーと、そうですね。葵さんと話した時に出た話なんですが――」
先日葵に呼び出された時に話したことを繰り返す。
白神会の独身男性を集めてのお見合い、あとは一応剣技大会のことも話す。最後に加奈と祥太郎の第二子以降の養子案も付け加えた。
真面目な話、良治もこれが良い案だとは思っていない。しかし他に、と問われても特に思いつかない。いつも名案を思いつくわけなどないのだ。
「お見合いに剣技大会……やはりたくさんの人を集めて、ということでしょうか」
「まぁそういうことです」
人が多ければ多いほど好みの人物が見つかる可能性は大きくなる。あとはその機会をどうやって作るかだ。
「剣技大会となると魔術型の人間は出場が難しくなりますね。それなら普通に武芸大会とかにしたほうが裾野が広がるかもしれません。もちろん何らかの規定は必要になるでしょうが」
「確かに。そうすれば参加員数は増えますね。でも、本気でやるなら優勝したら佑奈さんと、というのはなしにしたほうが無難ですね」
「色々問題にもなりそうだしね」
大々的にやるのなら問題は出てくる。優勝者が既婚者だったり女性だったりしたら裁定が難しくなる。
個人的にちょっと良治も出たくなってきたのでその辺の事情は分けて考えたくなったということもある。
「それはそれで別にしましょう。この企画を上にあげる方向にはしますが、佑奈さんとの件とは別件で。今からだと実際に開催するのに結構な時間が必要でしょうし。そこで佑奈さんが観戦して、出会いがあればラッキー、くらいに思っておきましょう」
「その辺が妥当でしょうかね」
「うーん、そうなると今ここで何か出来ることってないのかしらね。加奈の子供を養子にするのも何年後かわからないし」
「最後の手段ですね、それは」
時間がかかる上に乗り気ではないのだろう。加奈の口調は重く表情も優れない。
ここでもこの空間が彼女の素などだと感じた。きっと普段なら無表情を貫き通す。良治としては何だか気まずく、居心地が悪い。
「加奈さまたちの最も望む形はどんなものなんですか。上から三つくらい挙げてくれると助かります。現実味があるかどうかは関係なく」
「上から三つ……まずは柊さんが婿入りしてくれること。次に佑奈が好きな人を見つけて結婚してくれること。最後に少なくとも佑奈が嫌いではない人が婿入りしてくれること、ですかね」
「了解しました」
最初の一つは除いて、現在は二番目の選択肢をどうするか、それが議題に上がっているということだ。見合いにしても大会にしても、大人数を集めて祐奈が気に入りそうな人物との出会わせたい。それが目的なのだ。
「話せば話すほど、今すぐに解決できる名案はないように思えますね」
「実際そうでしょう。加奈さまたちが結婚することは――というかすいません。遅れましたがご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます。以前から決まっていたようなことなので気にしなくても大丈夫ですよ」
「いやいや。失礼しました」
佑奈の件で訪れたとはいえまずは結婚を祝福する言葉から入るべきだった。佑奈の問題で頭がいっぱいだったせいだが、それでも失礼なことには変わりない。
「話が進んだような、そうでないような」
「眞子さん、そんなこと言わないで。ちゃんと話し合いをして現状の確認も出来たし、今後の方向性も見えたじゃない」
「そうだけど……」
眞子は少し不満そうだ。きっと良治に期待をしていたのだろう。さすがに結婚することに納得するとは思っていなかっただろうが。
「あの、いいですか」
「遠慮なく」
「では。先程の続きですが、たぶん加奈さまは御結婚のため福島を離れなければならない、それで離れる前になんとか佑奈さんのことを解決しておきたい。そう考えていませんか?」
「……はい。年内には長野へ行くことが決まってますから」
「加奈さまは焦ってるんですよ。部外者なので言いますが、加奈さまが佑奈さんを大事にしていて幸せを願っているのはわかります。でもそれは時間がないからと言って焦って用意するものじゃないと、俺はそう思います。
心残りがあるのはわかりますけど、ここはゆっくり時間をかけて見守りませんか。武芸大会と養子の件を考えつつ、待ちましょう。
――だって幸せは誰かに与えられるものではなく、自分で掴むものなのですから」
自分に残された時間が少なくなり、短い時間でどうにか心残りを解決したい。それはとても理解できることだ。
良治も自分の命の終わりが見えてきた時は果てしない焦燥感に駆られたことがある。命のある間に復讐を。それしか考えられなかった時期が確かに存在していた。
経験したからこそ、そして今だからこそわかることがあった。
「……柊さんの言う通りかもしれません。いえ、きっとそうなのでしょうね」
沈黙ののち、呟いた加奈の表情は自嘲気味だった。
キツい言い方だったかもしれない。厳しい意見だったかもしれない。
「私は焦っていたのでしょう。佑奈の為と言いながら、私の為だった。酷い姉です。――でも、間違えたなら直せばいいと、私はそう思います」
「加奈……」
言ったことを後悔しそうになった瞬間に紡がれた言葉は前向きなものだった。
瞳が力を失ったのは一瞬のことだった。今はもう以前よりも強い輝きに満ちているようにも見えた。
「柊さん、ありがとうございます。きっと眞子さんと自分だけではわからなかったと思います」
「差し出がましいこと言って申し訳ありませんでした」
「いいんですよ。やはり閉じた場所にいると視界が狭まってしまいがちですね。本当にありがとうございます。……これで、決まりましたから」
頭を下げた加奈は顔を上げてると、静かな、穏やかな表情で良治と眞子に告げた。
「しばらくはこのままでいきましょう。武芸大会の企画を進めながら、いつか佑奈が自分で幸せを掴む日を待ちます。眞子さんには負担をかけると思うけど、私も出来る限りのことはするから」
「うん、わかったわ。サポートは任せて」
「柊さんも本当にありがとうございました。貴方がいなければこの結論には至れなかったと思います」
「別に大したことはしてませんよ。あとはもう大丈夫ですよね。……では俺はこれで」
問題は解決しなかったが、答えは得た。
きっとこれからまた福島支部は進んでいけるだろう。
加奈がいなくなっても佑奈と補佐の眞子が残る。悪いようにはならないはずだ。
もしも悩み事がまた出来たなら、その時は再度話し合えばいい。それだけのことだ。
「玄関までお見送りを」
「そうね」
「いやいや、大丈夫ですよ。迷ったりは――あ」
「……え?」
加奈の部屋を出て見送りを断っている最中、背後からか細い声が聞こえた。小さな声だったのに、それは確かに良治の耳に届いた。
「佑奈さん……」
長い黒髪、目を隠しそうなほどの前髪。儚げな雰囲気の少女。
驚愕に彩られた彼女の瞳は、間違いなく良治に注がれていた。
冷静に考えてみれば当たり前のことだ。福島支部には蓮岡家の者が住んでいる。当然佑奈もだ。
そんな当たり前のことが、頭からすっぽりと抜けてしまっていた。
「あ、あの……っ!」
彼女の目には彼一人しか映っていない。切羽詰まった、涙ぐんだその瞳に囚われて身動きが取れない。
この先を言わせてはいけない。そう思ったのは彼女が次の言葉を言い出した直後だった。
「わ、私……良治さんのことが、好きです……っ!」
【武芸大会】―ぶげいたいかい―
良治と葵の話から出てきた思いつき。剣技に限定することをやめたことで多くの者の参加を募れるように。
開催は未定だが、白神会としてもメリットのある話でもあるので開催の可能性は高い。
企画者の一人も乗り気なのだが、それは実際に参加したいからである。
なお、優勝賞品はまだ確定していない模様。それが一番の問題だ。




