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蓮岡家の家庭の事情

 優綺の適正武器を試した日から一週間後、良治は東京支部を再訪していた。


 こんな頻度で来るつもりはなかったのだが、支部長である葵の呼び出しならば応じざるを得ない。電話ではちょっとと言われれば尚更だ。ついでに優綺の様子を見て帰れば損にはならない――そんな軽い気持ちで支部を訪れたのだが。


「――ああ、やっとですか。めでたいことですね」

「そうなのよ。でも一つだけ問題があって」

「後継者問題ですか。蓮岡家の」

「正解」


 葵の私室で炬燵に入りながら温かい緑茶をすすりながら話す。まるで世間話だ。

 葵の息子のいさみは炬燵の横に敷かれた布団ですやすやと眠っている。なので二人ともそれほど大きな声ではない。


 蓮岡家の後継者問題。それはもう数年前から言われていた問題だ。


 本来であれば現当主の蓮岡加奈が婿を取るだけの話なのだが、彼女と結婚するのは玖珂くが祥太郎しょうたろう。つまり玖珂家の当主だ。

 四流派の蒼月そうげつ流の蓮岡家と、紅牙こうが流の玖珂家との結婚。それは良いことなのだが、それがそれぞれの当主同士だと少し問題が出てきてしまう。

 今回加奈が玖珂家に嫁入りする予定なので蓮岡家の当主が空白となる。そうなると次の候補は一人しかいない。


佑奈ゆうなさん以外いないじゃないですか。何か問題でも?」

「問題はないの。二人の交際が発覚してからそれは既定路線だし。だけど、佑奈ちゃん男性とお付き合いしたことないらしくて。これを機に結婚話が持ち上がってるのよ」

「ああ、そういう話ですか。でもまぁ仕方ないんじゃないですか? そうそう蓮岡家の令嬢に声かけるような男はいませんよ」

「あの娘、結構な人見知りだしねぇ。福島支部でそんな暴挙に出たら他の支部に左遷させとばされるわね」

「特に加奈さんも眞子さんも大事に接してましたからね。それくらいはしそうですね」


 脳裏に佑奈の姿を思い出しながら苦笑する。

 あの目を隠しそうなくらいの前髪とおどおどした態度の少女に恋人。まるで冗談のようだ。もう少女という年齢ではないはずだったが。先日京都で見た一覧では現在十九だ。


「それもあって加奈ちゃんも悩んで、なんとかしようとしたらしいの」

「なんとかって、どうしたんですか」

「白神会の独身男性全員集めてお見合いとか、剣技大会を開いて優勝者には佑奈ちゃんと結婚できる権利とか」

「まるでお姫様ですね。いやまぁそこまで違いませんけど」


 お姫様は言い過ぎだが四流派の令嬢となれば貴族と言ってもいいかもしれない。なら剣技大会もあり得る手段か。ただ優勝者が彼女の好みに合うか、それが問題だ。


「結局加奈ちゃんと眞子さんが意見を出して、それを佑奈ちゃんに聞いたの。色々手段とか方法はあるけど、祐奈ちゃん自身はどうしたいのかって」

「妥当ですね。本人の意思が一番重要ですから」


 本人が乗り気でなければ成立しない話だ。蓮岡家の人間は彼女たち姉妹しかもういないからと言って、本意ではない結婚は可能な限り避けるべきだと良治も思う。


「それで、この中から案を選ぶか、何か佑奈ちゃんの納得する方法があるかを尋ねたら……」

「尋ねたら?」

「なんと気になる男性の名前が出てきたのよ」

「おお、完璧に、完全無欠に解決したじゃないですか。一応聞きますけど、その人って既婚者とかもう亡くなった方とかじゃないですよね?」


 さすがにそれだと無理難題だ。かぐや姫レベルと言える無茶振りだ。


「両方とも違うわ。ただ問題がちょっとだけあって」

「つまり俺が呼ばれた理由はそこですね。あまり便利屋扱いされるのも嫌ですが、他ならぬ佑奈さんの為なら問題解決に手を貸しましょう」


 佑奈には霊媒師同盟の件で世話になった。移動中の車内で応援してくれて元気も貰った。その恩を今こそ返すべきだ。

 良治にしては珍しくやる気になれる仕事だ。


「やる気になってくれて嬉しいわ」

「で、その問題ってのは」

「うん。どうやら最近そのお気に入りの男性に彼女が三人出来――」

「お疲れさまでした。帰ります」


 良治はすっと澱みのない動作で炬燵を抜けた。


「待って! 最後まで話を聞いてっ!」

「勇くん起きちゃいますから大きな声を出さない」

「あ、うんそうね――ってだから帰ろうとしないでっ」


 葵の話を最後まで聞いてはいけない気がして立ち上がったのだが、袖を掴まれてこれ以上動けない。

 ぐっすり眠っていて、騒いで起こすのも悪いので不承不承ながら良治は元の位置に座り直した。


「お茶のおかわりください」

「あ、ちょっと待って」

「はい。……えーと、そうですね。加奈さまたちの第二子以降の子供を養子に取るのはどうですか。きっとそれが一番ですよ」

「はい、おかわりどうぞ。それも悪くないけどまだまだ時間かかるし、確実に出来る保証もないし。そうじゃなくて、さっきの続きだけど名前は」

「ああ、正吾ですね。そっかー彼女が三人も。正吾すごいなー、年齢的にもお似合いなのにー」

「棒読みで現実逃避しないの。確かに正吾にも彼女出来たけど、もちろん一人だけだから」

「え、ホントですか!?」


 冗談で言ったことがヒットして驚く。お茶を噴きそうになった。

 確か三つほど年下だったはずなので何も驚くことではないのだが、それでも良治の知る限り初めてのことなのでどうしても驚きが先に立ってしまう。


 浅川正吾に――春が来ていた。


「本当よ。襲撃事件で会った、長野支部の小笠原さん。この間遊びにも来てくれたし」

「あの結界士の……眼鏡してた人ですね」

「そうそう、眼鏡でおさげの娘。礼儀正しい良い娘だったわ」

「いやぁ喜ばしいですね。じゃあ正吾にはおめでとうと伝えておいてください」

「ええ、わかったわ――ってそのまままた帰らないで! 私が怒られちゃう!」


 再度立ち上がって今度は部屋の襖を開いたところで裾を掴まれる。あと一歩が足りなかった。

 掴んだ葵は泣きそうだ。既婚者で子持ちとは思えない。


「ちなみに誰に?」

「綾華ちゃんよっ」

「自分で伝えるの嫌がって葵さんに頼んだな……じゃあそういうことで」


 綾華も良治とまどかたちの事情は知っている。

 佑奈の件を直接連絡手段のある良治に伝えずに葵を挟んだのは、間違いなく良治が断るからだ。ほんの少し前に一つ大きな仕事を頼んだことも言い出しづらかったことに影響しているかもしれない。


 そしておそらくだが、きっと綾華は福島支部側の加奈や眞子に良治のことを話していない。

 言っていたらいたで少し腹が立つが、彼女の立場なら良治の現状を話してその話を止めることも出来たはずだ。

 それをしなかったのは話題が話題だけに、佑奈を傷つけることを恐れたから。そして良治なら許してくれるかもしれないという甘えだ。

 この件は後日つついて、何らかの形で賠償が欲しいところだ。例えば完全休養一週間くらい。


「待ってって!」

「俺は体調不良で話の途中で帰ったことにしてください」

「ええええ、ちょっとぉ!」

「あ、起きちゃいましたね。それじゃ」

「え、あーごめんねぇ、起こしちゃって――」


 子供をあやす声を聞きながら襖を閉じてスタスタと歩き出し、後ろを一度も振り返らないまま東京支部を出た。

 最初に予定していた優綺の様子見はまた今度だ。さすがにこれ以上滞在は出来ない。


「はぁ……どうすっかねぇ」


 正式な命令ではないので別にこのまま放置でいいのだが、気になることは気になってしまう。


 だが良治は葵から明確な名前を聞かずに出てきた。これなら逃げ場もあるし、もしかしたら良治の自意識過剰かもしれない。


「よし。それでいこう」


 あえて言葉にして、良治は思考を冬の空に投げた。












「おはよう良治」

「おはよ、いらっしゃい。どうぞ」

「お邪魔しますー」


 東京支部から逃げ帰った三日後の夕方、自宅を訪れたのはまどかだった。

 以前のようにアポなしということもなく、きちんと事前連絡をしてからの来訪だ。結那は基本的に突然来るので本当に連絡はありがたい。


 あれから三日間、家で掃除をしたり趣味である麻雀をしに出掛けたりしていたのだが向こうから連絡はなかった。

 今日来たまどかは昨夜連絡があってのことだ。会いたいと言われれば断る理由もない。大切な彼女の一人なのだから。


 リビングに案内してコーヒーを出す。砂糖とミルクは二杯ずつ。少し甘めが彼女の好みだ。

 自分の分は何も入れずに、椅子に座ってまどかと向き合う。今日もポニーテールが似合っている。


「はい、封筒。この前東京支部こっちに来てたみたいだけど、何かあったの?」

「いや、色々あって最後まで話を聞いてないからわからない。……葵さんから何か聞いたのか?」


 手渡された大きな封筒を受け取りながら探りを入れる。

 後ろめたいことはないはずなのだが、どうしても彼女の一人であるまどかには言いにくい。断るつもりなので何も悪いことはないのだが。


「聞いてないわよ。――で、結婚するの?」


 鋏を使って封を開けだしたのだが、その手が止まる。そこで座ってから初めてまどかの顔を見た。

 笑顔のはずなのに、どことなく機嫌が悪そうに感じてしまう。いや実際そうなのだろう。


「……しないよ。それで誰から?」

「綾華から」

「あの人は……」


 確かに葵から聞いてはいないのだろう。しかし別の人から聞いていた。まどかは嘘をついていない。ちなみに良治も嘘はついていない。

 それはいい。いいのだが、問題は綾華だ。


「昨日電話あって聞いたの。で、それ」

「……はっはっは。これは俺は怒っていいのか?」


 促されて封筒から出した書類。そこには福島支部出張の指示が書かれていた。


 あまりこんな風に頭ごなしに命令されるのは好きじゃない。知り合いじゃなかったら無視しているところだ。


「怒らないでほしいな。向こうも今大変だし、今まで綾華頑張ってたから少しは楽させてあげたいの」

「そりゃそうかもしれないけどさ。……あー、もう」


 綾華から直接話が来たのなら即断っていた。それを葵を通じて失敗し、次はまどかに説得を頼んだ。それ自体は頭の回る人間なら当然の行為だ。失敗する可能性を避け、出来るだけ成功率の高い方法を取る。失敗したら次の手を打つのもわかる。

 しかし良治としてみればそこまで理解できてしまうので、そのやり方が気に入らない。


 綾華もきっと良治の不満は理解している。だがそれは葵やまどかで緩和できる範囲と思っているようだ。

 だからこそ良治はその予想を外したくなってくる。


 綾華の現状は理解しているつもりだ。

 多くの仕事をこなし、体力的に厳しい状態だ。そして現在妊娠中でもある。誰かが助けにならないという状況はわかる。だからこそ良治も前回の陰陽陣独立運動の会の件は素直に従ったのだ。


「えっと、どうするの?」

「……綾華さんに言っておけ。次からは自分で説得しろって」

「……やっぱり優しいね。結婚は?」

「しない。断ってくる。まどか、このあと空いてるか?」

「良かった。うん、今日は特に何もないけど」


 安心した表情のまどかに苦笑しながら席を立つ。

 綾華に不満もあるが、今回は従うことにした。白神会を出ることはいつでもできるが、今はその時ではない。まどかたち三人のこともあるし、何よりも優綺の指導が残っている。それを放り出すことは出来ない。


「よし、じゃあ今から飲みに行くぞ。付き合ってくれ」

「あ、なるほどね。うん、いこ」


 ストレスが溜まったときはアルコールで忘れてしまえばいい。

 ダメな大人になって来たなと思ったが、ダメなのはもうずっと前からで、今更気にすることではない。


「えへへ、嬉しいなっ」


 そんな良治のストレスとは関係なく喜ぶまどかの姿を見て、まぁいいかと思いながら良治はいつものコートに袖を通した。











 良治はタクシーから降り立ち、空を見上げる。

 鈍色の曇天模様からは白く美しい結晶が舞い降りてきていた。


 タクシーが去ったあとに残された良治は木製の大きな扉を、こちらもまた見上げる。さすがは三大支部の一つ福島支部だ。前回来たときは落ち着いて眺めることなど出来なかった。今はもう戦闘の痕は外からは見られない。


 昨夜は意気込みとは裏腹に、行った居酒屋には一時間ほどしか滞在せずに帰宅していた。主にまどかの影響だ。

 自分が飲みたいと強く思ってしまったばかりに彼女の酒の弱さをすとんと忘れてしまい、彼女は二杯目に口をつけたところで顔を真っ赤にしてしてふらふらになってしまった。


 結局飲み続けるわけにもいかず、自宅に戻ってから自分だけ飲みなおすことになった。まどかはすぐに眠ってしまい、タクシーの中で受けた連絡だと起きたのは今さっきらしい。相変わらずの寝坊助だ。


 良治が起きたのは午前八時。ぐっすりと眠っていたまどかに一声だけかけたが起きなかったので、書置きと入居時に貰った合鍵を置いて出ることにした。

 結那なら勝手にコピーしたり、天音ならコピーしてから事後承諾を取りに来たりするのが考えられるが、まどかならその心配も少ない。


「さて、と」


 正直に言えば来たくなかった。しかし後回しにしても問題は解決しない。もしかしたらするかもしれないが、それには時間がかかるだろう。

 それならさっさと終わらせるに限る。

 更に言うなら、相手がいる場合は先手を取って主導権まで握りたい。


 決意と後押しの意味を込めて声を出し、備え付けのインターホンを鳴らした。


 間を置いて返事があり、名前と要件を伝えるとすんなりと脇にある通用口から入るように案内される。どうやら残念ながら話は通っていたようだ。間違いなく綾華からだ。


 建物に入り、見覚えのある支部員に連れられて和室に入る。

 なんとなく支部内が慌ただしく感じるが、きっとそれは加奈の結婚の影響だと見当をつけた。


 遠くから声や物音が聞こえる中、出された熱いお茶をすすりながら考える。

 ――どうやって断るか。向こうはどう出てくるのか。それもまだ考えていなかった。


 おそらく当主である加奈と補佐役の眞子はあちら側だろう――と思ったところで本当にそうだろうかと考え直す。

 あの二人はそこまで良治の評価は高くない気がする。特に女性関連については。

 三人とというか、彼女がいることは知らないかもしれないが、まどかや結那、天音と親しくしていることは知っている。それならこんな男に大切な妹を任せることなどしないのではないか。


(よし、決まったな)


 これを柱に話を進め、もしも乗り気ならはっきりと彼女がいることを言って断る。


「ああ、良治くん、来てくれて良かったわ……」

「え、どういうことですか眞子さん」


 考えを纏めたところで部屋を訪れたのは肩まで伸ばした黒髪の女性、伊藤眞子だ。

 眞子はとても疲れた顔をしており、せっかくの綺麗な顔が台無しだ。彼女にしては珍しく挨拶すらない。


「どうしたらいいのか、もうわかんなくて……とりあえず加奈に会って。お願い」

「……はい」


 こんな眞子は見たことがない。支部外の良治の前で加奈をさま付けしていないことにも気づいていない。

 逃げ出したくなったがもう手遅れだ。


(今日来たの、早まったか……?)


 苦笑しながら良治は彼女についていくことにした。



【お気に入りの男性に彼女が三人出来】―おきにいりのだんせいにかのじょがさんにんでき―

普通の生活をしていればまず聞くことのない文脈。

モテる男性には更に女性が寄ってくるという例。大概の場合男性は優しさという八方美人な面を持っている。

なお周囲に女性が増えるにつれて刺される可能性が高まるので要注意。

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