採点結果
ふと目が覚めた彼女はぼやけた視界の中、自分が今居る場所に混乱した。
(……あ)
知らない天井から視線を横に向けると、そこには憧れの人が難しい顔で何かを考え込んでいた。やや童顔なせいかあまり似合っていない。
理知的で気遣いの出来る優しい人。それでいて退魔士としても誰からも頼られる立派で素敵な人。
最初に名前を聞いたのは確か三年くらい前。東京支部で指導してくれていたポニーテールの先輩から。
彼女から聞く彼の話はとても魅力的で、そんな人が本当にいるのかと思うくらい。でも他の人からも似たような活躍の話を聞いてそれが実在した人だと理解した。
それから彼女は話の彼を少しずつ想うようになり――ついに出会ってしまった。
彼は自分の想像していた姿よりも背が低く小柄で、少し頼りないようにも見えた。
でも直接触れ合ううちに彼が話の通りの人物だと、誰一人美化などしていないことに気付いてしまった。
誰にでも優しく、頼られ、穏やかな年上の男性。
仄かな憧れは出会いによってそれ以上に変化してしまった。
もしかしたら周囲の気持ちに当てられてしまったのかもしれない。そんなことを思ったりもした。
彼をずっと待っていた人たち、尊敬すべき先輩たちの気持ちと比べたら自分の気持ちなど微々たるものだ。
だから、こんな自分の気持ちはずっと奥底にしまい込んで、いつしかなくなるのを待つしかないのだ。
――そう、思っていた。
そう思っていたのに、二人で泊りがけの仕事に出掛けることになるなんて。想像もしていなかったことだ。それも直接自分を選んでくれたという。嬉しすぎてどうにかなりそうだった。
どうしたらいいかわからず、すぐに先輩に電話することにした。
『きっと身になることが多いと思うから頑張ってね。それと良治は厳しいこと言うかもしれないけど、それはそれだけ信頼されてるからだから気にしなくて大丈夫だからね』
このアドバイスはとても心強かった。実際に冷たい言い方をすれば突き放すようなことを言われている。自分で見て考えろと。
きっとお客様扱いだったらちゃんと解説してくれていたと思う。
それがなくなったことがとても嬉しく思えた。
『なんだかんだ無駄を省きたがるからそこは考えておいた方がいいかもね。即断即決することも多いから置いて行かれないように。良治について行くのは大変よ?』
次に電話をした鮮やかな黒髪の先輩はそんなことを言っていた。
確かについて行くので精一杯だ。行動は身軽で早い。そして何よりその行動よりも早いのは思考スピードだ。思い付きに見えてもちゃんと考えてからの行動だと、その迷いのない態度が示している。
『そうですね。良治さんは努力している人は見捨てません。だから全力で頑張ることを勧めします。いつか良治さんに頼られる、そんな光景を夢見てもいいと思いますよ』
最後に電話をしたのは少し茶色の混じったクセッ毛の先輩だ。三人の中で一番落ち着きのある、そしてたぶんあの人と一番考え方が似ている先輩。
報われたいから頑張る、なんてことはしていない。でも頑張ったら報われたいものだ。
あの人から頼られるなんて夢みたいな話。でも――夢くらいは見たい。
三人の先輩から色々聞いて頑張ることにしたのだ。
あの人に頼られるような一人前の退魔士、いや一流の退魔士になろうと。
ただ示し合わせたように電話の切り際に三人が言っていたことが頭の片隅から離れない。
『好きになっちゃうのはしょうがないけど、その時はちゃんと言ってね?』
『何かしたりされたりしたら報告だけはするのよ?』
『どうしても気持ちが抑えきれなくなったら仕方ありません。ただ事後報告で良いので連絡だけはお願いしますね』
なんだか誰も怒らないことに不安を覚えて、しかしそれでも自分の気持ちには素直であろうと――優綺は決意した。
「あ、起きたか」
「はい……おはようございます」
「ん、おはよう。顔を洗ってくるといい」
「はい、ちょっといってきます」
壁を背に座っていた良治の前をとてとてと優綺が歩いていく。表情と足取りを見るに寝起きは良い方のようだ。良治の知るどの女性よりも。
「あ、あの……今何時ですか」
ひょこっと顔を出して気まずそうに言う。それはそうだろう、窓から見える景色はもう夕焼けを通り越して暗闇に染まっている。
「そろそろ八時かな」
「ああああご、ごめんなさいっ!」
「別にいいよ。時間までに起きてくれたし」
「いえそんな……! こんなミスをするなんて、しかも寝坊だなんて恥ずかしい……!」
三時から十時までの時間に交代で仮眠を取る予定、だった。なので少々寝すぎたと言ってもいい。
恥ずかしさに真っ赤になる彼女に良治は笑顔を浮かべた。
「大丈夫。たぶん寝るときに手を握ることに比べればそんな大したことじゃないって」
「ああああそれもどうか忘れてくださいっ!」
洗面所に引っ込んでしまった彼女を微笑ましく思いながら最後の準備を始める。
ちなみに今のはフォローではなくただの意地悪で、可愛い女の子をいじめたくなる心理だ。
小学生の男子染みた行為だが、頻度とタイミングさえ間違っていなければ悪くないコミュニケーションだと良治は思っている。
「あの、何をしているんですか」
「結界。今から張るから違和感があったら言って」
「あ、はい」
備え付けのタオルで顔を拭きながら出てきた優綺にそう言ってから、良治は彼女が眠っていた間に配置しておいた黒い石の場所を確認して手を触れた。
指で摘まめるくらいの黒い石は部屋を囲うように置かれ、天井にも幾つかテープで張り付けられている。その数は全部で十個ほどだ。
手に触れた石から力が伝わり、結界が張られる。
「結界、張ったんですよね……?」
「うん、確かに張ったよ。感じられないかな」
「石に何かの力が伝わったのはわかったんですけど……」
伝わったのはわかったが結界が張られたかわからないということだ。
つまりそれは良治の結界が上手く起動していることの証拠。
「了解。それなら上出来ってことだな。
今この部屋には結界が張られている。条件は防音、対衝撃、それと気配遮断だ」
「気配遮断って、結界自体のってことですか? 結界がそこにあるのかがわからないっていう……!」
「その通り。知っててくれると説明が省けて助かるよ」
「でもなんで……あ、これも考えるんですよね」
「うんうん。わかってきたじゃないか。先生は嬉しいよ」
「あ、ありがとうございますっ」
頭をぽんぽんして褒める。厳しいことを言うよりも褒めて伸ばすのが良治の教育方針だ。もちろん人それぞれだとは思っているが。
気配遮断は本来の結界の使用方法とは違う。本来は相手を逃がさず、無関係の者を危険な場所に立ち入れさせないものだ。
だがこれはその場所に結界とわからず招き込む罠のようなものだ。使い道が限定されるので身に付ける者は少ない。結界専門の結界士くらいなものだろう。
良治は一つの道を極めるよりも広く浅く学び、出来る限りの状況に対応することを好む性格故に覚えていただけに過ぎない。
本人としても実際に役立つ場面は初めてで、ちゃんと効果があるか心配ではあった。
「さてこれで準備はお終いだ。悪いけど少しだけ寝かせて貰うよ」
寝なくても大丈夫だとは思うがまだ少しは時間がある。眠れる時に眠っておくことは重要だ。良治は昔の撤退戦の経験からそう考えるようになり、食事と睡眠、休息は決して疎かにしないよう心掛けていた。コンディションを保つのは戦闘では非常に大事なことだ。
「わかりました。あの、本当にごめんなさい……」
「いいよ。十時には起きるつもりだけど、もし起きなかったら起こして。それじゃ」
「あ……」
「ん?」
「あ、いえ。なんでもないです。おやすみなさい、です」
優綺が何かを言いたげにしていたが、結局言うことはなく黙ってしまった。
疑問には思ったがそこまで気にする必要はないだろう。良治は敷いてあった布団に潜り込んで目蓋を閉じた。
(……なるほど)
僅かに目を開けて見ると、こっそりだったのに関わらず目が合ってしまった。
「っ!」
そのまま背を向けてしまう優綺に苦笑してしまう。
良治は彼女を退魔士として扱っているが、同時に年頃の女の子でもある。
微かに布団から香る匂いが恥ずかしいのだと、布団に入ってから気付いたのだが今ここで出て行けば彼女はとても傷付くだろう。それくらいは言われなくてもわかる。
そして女子中学生の寝ていた布団で寝るというこの状況になんとも言えない気持ちになったが、それを意識したらダメな気がして考えを放棄した。
(だんだん意識してきてる自分がどうかと思うな……)
全ての思考を投げ出し、良治はほんの少しだけ楽園に旅立った。
「あの、良治さん……」
「静かに。ほら、動かないで」
「んっ……あ、息が、かかって」
「……ごめん。でもそろそろ本気で黙ろう」
「……はい」
時刻は深夜一時。暗く狭い場所にその男女は触れ合っていた。
腕が触れ、吐息がかかる距離。冬だというのに熱が籠った空間で彼女の顔は上気していた。
何かいかがわしいことをしているわけでも、していたわけでもない。
良治立案の立派な作戦だ。下心はない。
彼らの潜む押入れからほんの少しだけ襖を開けて部屋の様子を盗み見る。視界にあるのは人型に見えるように偽装した布団だ。中身は余っていた布団と椅子にあった座布団でそれらしく見える。
――不意に風が流れた。
ピクリと優綺の身体が動く。彼女もほぼ同時に気付けたことに良治は頬が緩んだ。
窓が動く音の後に畳を擦る僅かな足音。暗殺者としては一流とは言えない。
その程度の力量ならば問題はない。あとはその人数だ。
(三人……いや四人か)
気配遮断の結界の最も有利な条件、それは結界と知られずに結界内に誘導できるということだ。そして結界を張った当人ならその内部に入り込んだ人数もおおよそ把握できる。
大きな結界なら大体の人数だが、今回のような小規模の結界なら間違えることはない。現在の居場所も正確に理解できていた。
既に転魔石で良治の両手には二本の小太刀が握られている。いつでも飛び出せる態勢だ。
布団を覗き込もうとする者が一名。布団に刃物を向けて刺そうとしている者が二名。もう一人は侵入した窓の付近にいる。万が一に備えて脱出経路の確保だろう。そこまで頭は悪くないようだ。
「――」
「がっ!?」
「ぐえっ!」
合図を受けて静かに優綺が襖を開け、その瞬間良治は低い体勢のまままず背を向けていた刃物持ち一人の後頭部を殴る。そして叫び声に反応したもう一人の腹に思い切り小太刀の柄を叩き込んだ。
「な、なん――がはっ!?」
そして驚いて硬直した、布団を覗き込もうとしていた者に側頭部へと回し蹴り。意識を刈り取ることに成功する。
「なんでバレたっ!? く、くそっ!」
窓際に残った最後の一人が逃げようと走り出す。
(やはり二流か)
迂闊にも背後を晒した襲撃者に良治は小太刀を投げつけた。
「があっ……」
月明かりすらない暗闇の中、小太刀の柄が正確に背中を打つ。これも結界内で位置を把握できている恩恵の一つだ。
良治なら結界外でも当てる程度は出来るだろうが背中の中央は中々難しい芸当だ。
最後の一人は勢いのまま窓から下に落ちていくが、外は木々が生い茂っていたので死にはしないだろう。死んでいてもそれは自業自得だ。良治が気に病むことではない。
投げた小太刀はこちら側に残っているので探しに下に行く必要もない。
「さて」
良治は部屋の結界を解き、次の瞬間宿全体を包み込む規模の結界を張り、そしてすぐに消した。
気付ける者は気付ける。これで誰かが来るだろう。
「もう、大丈夫ですか」
「ああ。電気をつけて。まだ警戒は解かないように」
「わかりましたっ」
押入れから出てきた優綺に指示を出し、電気のついた状態で倒れている三人に近付く。
どうやら本当に気絶しているようで触れても反応はない。天井に黒い石を張った時に使ったテープで全員後ろ手にぐるぐる巻きにする。
ついでに足も巻いておく。念には念を入れるべきだ。退魔士なら簡単に引きちぎれるが、テープを強化しておけば少なくとも一瞬の枷にはなる。
「――これは」
「速かったですね高遠さん」
「柊さん……彼らは独立運動の会の?」
「それはそちらで直接聞いてみてください。まぁ間違いなくそうでしょうけど」
走ってきたのは高遠、そして髪を解いている相坂だ。
二人とも衣服は外出着のように見える。何かしら起こってもすぐに対応出来るように準備だけはしていたのだろう。
(伝えてなかったのにさすがだな)
疑っている訳ではないが、それでも何処から情報が洩れるかわからない。
この場で彼が信用しているのは優綺ただ一人だ。
「私もそう思います。……未亜、人を呼んできてくれ。この者たちを調べる」
「はい」
「ああ、あと一人窓から落ちてるからそっちもよろしくお願いします」
「全員で四人と?」
「はい。それと一応他の部屋を用意してもらえませんか? さすがにここで眠るのは」
よく見ると窓の鍵の部分が壊されている。退魔士が二人いるので危険はまずないが気持ち的にはここで眠りたいとは思えない。優綺も嫌だろう。
「まぁそうですよね。《黒衣の騎士》でも冷気の入る部屋は嫌ですか」
「どちらかと言うと……いえその通りです。寒いの嫌いなんで」
「……相変わらず優しいようで」
「気のせいですよ。それでは後のことはお任せします。詳しいことは明日にでも。どうせ全部片付きますから」
独立運動の会所属と思われる者が白神会の使者を襲撃した。
それが何を示すかなど誰にだってわかることだ。
「優綺は大丈夫?」
「はい、何もしてないので」
「それで、ここまで俺が何を考えてたかわかったかな?」
考える時間は十分にあったはずだ。
(ここでどの程度の答えが出せるか、それで今後を決めよう)
そんなことをおくびにも出さず尋ねた。
「……昨日のあれは挑発して暴走させるため、結界は襲撃させやすくするための罠、ですよね」
「うん、正解。良かったよ見込んだ通りで」
百点満点の答えだ。
きちんと得られる情報だけで答えを導き出せたその資質に良治は自分の見る目が正しかったと胸を張って言える。新しい才能に出会えたことが喜ばしい。
「あ、あと一つ」
「ん、なんだ?」
「あと――あの人たちの言い分が嫌いで容赦をしなかった、ですよね」
自信に満ちた表情の優綺に、良治も口角を上げて笑った。頭を撫でるのも忘れない。
「はは、そうだな。その通りだよ優綺。――今後が楽しみだ」
良治の採点は間違っていたようだ。
――百二十点。
【押入れ】―おしいれ―
本来は布団などを仕舞っておく場所。
しかし何故かそこで眠ったり、プラネタリウムにしてみたり、男女で閉じ込められたりしてしまう場所。
男の子が一度は憧れる秘密基地の一つ。決して誰かを連れ込むところではない。




