お前を愛することはないと言われたので、姑をハニトラに引っ掛けて婚家を内側から崩壊させます
「ケリナ。お前を愛することはない」
物語みたいなことってあるんだ、とわたくしが思ったのも束の間、夫となったエガンティ伯爵の横から恰幅のいいキツめの顔の女性が顔を出し、そうよそうよと声を上げます。夫の母、つまりわたくしの義母である前エガンティ伯爵夫人です。無駄にくるくると巻いた金髪を少女のように二つにまとめています。今流行りの悪役令嬢みたいな髪型ですが、似合っていません。
「ジュリアンちゃまはね、とっても格好良くてとってもスタイルが良くて学園での成績も優秀、このエレガンスなエガンティ伯爵家の当主様でしょう? だから、あなたみたいなちっぽけな子爵令嬢が独占していい男じゃないのよ」
キッとわたくしを睨みつけながら、そう言います。確かにジュリアン様は整った顔立ちで学園での成績も優秀でしたが……。この結婚は子爵家が伯爵家を支援することを国に命じられた結婚……つまり、王命です。前伯爵が亡くなってから、若くして伯爵となった、わたくしの夫、ジュリアン様の経営がうまく行かず、資産豊かな我が家が目をつけられたという……。この人たちはこの結婚の意味を理解しているのでしょうか?
「はぁ」
わたくしが思わず気の抜けた返答をすると、イラついたように足で床をトントンと叩きながら、ジュリアン様が続けます。
「お前みたいの不細工の血を、我がエガンティ伯爵家に入れたくない。だから、私がお前を愛することもないし、我がエガンティ伯爵家の後継は別の女に産んでもらう」
「かっこいいわ! ジュリアンちゃま!」
きゃっきゃとはしゃぐ義母とカッコつけた表情をしている夫……ジュリアン様に呆れ返りながら、わたくしは粛々と頭を下げます。
「ジュリアン様のおっしゃる通りに」
まだ、反旗を翻すときじゃない。従順だと思わせて、油断させないと。結婚に備えて領地経営の知識も、この家の現状も調べ上げてきている。
「ねぇ? そこの不細工なあなた。見た目は悪くても多少の頭はあるのでしょう? ジュリアンちゃまに頼まれたんだけど、お茶会の時間が迫っているのよ。やっておいてちょうだい」
「かしこまりました、お義母様」
誰が不細工だ、この肥満ドレス布5倍サイズ化粧でケバくしているだけの気持ち悪いババア、と思いながら、わたくしは満面の笑みで書類を受け取ります。日々嫌がらせのように押し付けられる書類に、嫌がらせとしてベッドがビチャビチャにされていたり(わたくしは実家から持ち込んだ最新技術のスプリングの利いた長椅子でいつも寝ているから無傷だが)、部屋の前に汚物がばら撒かれていたり(部屋の外に出る予定もなかったから、そのままにしておいたら臭いに耐えられなくなったのか騒ぎながら片付けさせていたが)、わたくしのドレスを切り刻んであったり(型が古くなってもう捨てようかと思っていたものだったから、そちらは捨てて他のドレスは保管場所を変えたが)、そんな小さな嫌がらせは毎日のように続いた。わたくしは、すべて笑顔で従順に受け流していた。
徐々に、わたくしに任せる書類の重要度が上がり、執事たちもわたくしの方が書類の処理が早く、正確だと気がつき始め、わたくしの元に書類が集まるようになった。夫もその状況に気がついたのか、わたくしに書類を押し付けて外泊する頻度が上がった。
ここまできたら、もう少しだ。夫を家から追い出したなら、あとはうるさい義母を追い出したら少しはマシになるだろう。
何かと理由をつけて、この家の人事権を握り、不要な侍女や使用人は排除したから、皆わたくしに嫌がらせすることなく従うようになった。
「セバス。この手紙を、今日お義母様がお会いになるスタンリー伯爵夫人にお渡しして」
「かしこまりました」
実家から呼び寄せたセバスは、この家の執事としてよく働いてくれている。執事の手が足りないが、人件費がもったいないから実家から援助という形で執事を借りたいと言ったが、疑いもせず受け入れるジュリアン様の経営術が心配になる。……こんな杜撰な管理だからこそ、我が家と縁組されたのだろうけど。
「戻ったわよ! あの不細工はまだ出迎えにこないの? お義母様が帰ったというのに!」
「あら、お義母様。お早いお戻りですね。何かあったのですか?」
「ちょっとあなた! あなたの実家で経営している劇場が今大人気だっていうじゃない! 今日スタンリーに自慢されちゃったわ! あなたが義母であるわたくしに薦めないから、恥を掻いたじゃないの!」
義母がコートを脱ぎ捨てるのを受け取りながら、わたくしは必死に笑みを押し殺す。なんと単純な人だろう。ここまで時間をかけなくても、すぐに罠にかかったかもしれない。でも、下手すると我が家が罪に問われることだ。慎重に慎重に、少しずつ進めていこう。
「申し訳ございません、お義母様。お義母様はご興味がないかと……」
「ふん! あなたの実家の弱小劇場なんて興味ないわよ! でも、嫁の家の事業を知らないなんて、恥をかくじゃない!」
ぶつぶつと文句を言う義母に、わたくしは困った表情を浮かべて言った。
「一回目はご招待という形を取れますが、二回目以降はご自身で代金を支払ってもらわないといけませんが……ご招待してもよろしいですか?」
「あなたの家の劇場なんて、一回行けば満足よ!」
言質はとった。わたくしは笑みを浮かべて了承しました。
「かしこまりました。では、来週の劇を押さえておきますね」
「結構先ね。まあいいわ。わたくし、あなたと違って忙しいから」
「お義母様。こちらがわたくしの実家フライダ子爵家の経営するフライダ劇場です」
「そのまんまの名前ね。もっとセンスのある名前をつけなさいよ。ふん、でも、外観だけはましなようね」
貴族夫人をメインターゲットにしている我が劇場は、外観・内装ともに夫人たちに人気のブランドのデザインを利用しています。義母もお気に入りのブランドだからか、気に入ったようにきょろきょろと周りを見渡しています。
「お義母様。一番いい席を押さえておきました。個室ですわ。こちらへ」
「あなたみたいな辛気臭い女とじゃなくて、ジュリアンちゃまと来たかったけど、仕方ないわね。女性専用なんでしょう?」
「はい。心ゆくままご鑑賞いただくために、女性専用としております」
ドリンクを持ってくるように指示し、わたくしは義母を座らせました。さぁ。観劇の開始です。
「まぁ、あなたの実家の弱小子爵家にしては、よかったじゃない。あの主演俳優……ダニエルって言ったかしら? うちのジュリアンちゃまの次に格好良かったわ」
「ご満足いただけたようでなによりです。お義母様……。会員制で紹介制なので、本来ご案内できないのですが……併設のカフェにもお立ち寄りになりますか? スタンリー伯爵夫人もまだご利用されていないのですが……。経営が実家と別なので、本日はわたくしの奢りにさせていただきますが、次回以降は劇場とは別で利用料がかかってきます」
「あのスタンリーがまだですって!? もちろん行くわ! どうせそんなカフェも今日しか行かないわよ! さっさと案内なさい!」
かかった。わたくしは笑みを深めてセバスを呼びます。カフェを利用する旨を伝えて、義母を劇場横のカフェへと案内します。
「こちらのカフェでは、劇に出ている俳優たちと食事をすることができます。劇中に出てくるセリフを使って接客をしてもらえるので、会員制と言っても大人気なのですよ」
主演俳優のダニエルは、今日の利用時間中ずっといてもらえるように押さえてあります。ダニエルが笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってきます。
「なんて美しい女性なんだ! あなたの名を知る栄誉を僕に与えてくださいませんか?」
「え、な、」
顔を赤く染めてダニエルを見上げる義母の耳元で囁きます。
「お義母様。お名前を教えて差し上げてください」
「ぜ、前エガンティ伯爵夫人よ……」
義母の言葉に、顔を曇らせたダニエルが言います。
「僕に……君の名前は教えてもらえないのかな」
「え、エスデルよ……」
「なんと美しい名前だろう。美しい貴女によく似合っている。エスデルとダニエル。響きが似ている……。偶然の出会いとは思えないな」
ダニエルが義母の手を取って口付け、エスコートします。照れたようにチラチラとダニエルを見上げる義母の後ろに、わたくしも続きます。もうわたくしは必要ないかもしれませんが、一応、ね。
「エスデル。君は誰かと婚約しているのかい?」
「こ、婚約!? いえ。夫はすでに亡くして。息子が」
「息子!? こんな美しい女性に子供がいるのか!? 本当に!? 信じられない! 何歳なんだい?」
大袈裟に驚いているように見えるが、ダニエルの演技力は本物だ。本気でそう思っているように見える。義母は頬を染めて顔の前で手を振った。
「もう成人している息子がいるわ」
「せ、成人だって!? じゃあ、その息子が羨ましいよ。エスデルのように美しい母がいるなんて。きっと息子もエスデルのことを宝物のように思っているのだろうね」
わたくしに対して横暴な夫だが、実は義母にも結構アレな対応をしている。だからこそ、義母は夫の機嫌を取ろうと必死で可愛がっているのだ。
「た、ただのうるさい母親としか思ってないわ」
ぽろりと溢れる義母の本音に少々驚く。しかしもう劇は始まっている。止めることはできない。
「エスデル……君は息子思いで美しくて、なんて素晴らしい女性なんだ。……でも、可哀想に。エスデル、君は自分が主役の、本当の人生を歩けていないんだね。君にはその価値があるのに」
目を丸くした義母の肩を抱きしめ、ダニエルが言う。
「僕は、そんな君を輝かせてあげたい。一緒に僕と新しい世界を見せてあげたい。そう思うよ」
途中からはダニエルに言われるがままお酒を飲み、ダニエルとの別れを惜しむ義母を宥めて連れ帰り、わたくしは部屋へと戻った。
「……お義母様も寂しいお方なのね。プランAはやりすぎかしら?」
「ちょっと! 不細工! さっさと来なさいよ! 使えないわね!」
わたくしのそんな思いは、次の瞬間消えていたが。
「不細工! わたくしは出かけてくるから、しっかり家のことやっておきなさいよ!」
「かしこまりました、お義母様」
せっせとおめかしして出かける義母を見送り、わたくしは手に取ったチラシをそっと義母の部屋に紛れ込ませる。カフェとの共同イベントの知らせだ。カフェではなく、ホテルのレストランで俳優とディナーをとれる特別イベントだ。選ばれた人しか案内されない。料金はその分高額だが、ダニエルに夢中の義母なら、きっと申し込むだろう。
義母が家を出る時間は日に日に増えていって、わたくしの自由時間も増えた。夫も滅多に帰ってこない。
「お義母様。支払いが滞っていると聞きましたわ。ダニエルが困っておりましたよ」
「……なんでダニエルが? このわたくしが売上に貢献してあげているのに」
驚いた様子の義母に、わたくしはため息をついて説明する。
「あのカフェの代金を客が払わなかったら、接客した担当者の損害になるんですよ」
「な、なんですって!?」
慌てた様子の義母にわたくしは困ったように頬に手を当てて言う。
「とは言っても、お義母様はそんな高額の未払いがあるわけではございませんのでしょう? 領地の一部を担保に入れたりしたら、ダニエルも責められる可能性が下がるのじゃないでしょうか?」
「領地……」
義母が伯爵代理の印鑑を持って出かけたのを見た。ダニエルからの報告は受けていないが、順調と言うことだろう。
今日も誰もいなくなった屋敷で、わたくしは戸棚を漁ります。
「あった……! やっと見つけたわ。証拠を」
巧妙に隠された裏帳簿。これで婚家ともおさらばです。
「どういうことだ! 爵位が君に移っていると連絡を受けたが!」
久しぶりに帰ってきた夫の姿に、わたくしは笑みを深めた。ここまで長かった。手に持っていた紅茶を机に戻し、小首を傾げました。
「ええ。エガンティ伯爵家のわたくしへの債務が超過したから、担保として預かっていた領地と爵位を頂戴しましたの。実務はすでにほとんどわたくしが担っておりますし、当主が誰であれエガンティ伯爵家が存続するのであれば、問題ないと王家から回答を受けておりますわ。それに、エガンティ家の横領も発見して王家に書類を提出済みですわ。こんな事態が明らかになったらお取りつぶしの予定だったが、当主の交代で済んでよかったとおっしゃっていましたわよ」
ぴらっと書類を差し出すと、奪うように取って夫はそれを読んだ。そして、わたくしを睨みつけながら言った。
「どういうつもりだ。実権を奪って偉くなったつもりか! 嫁のくせに」
「ふふ、嫁?」
思わず笑ったわたくしの様子に、夫……いえ、元夫が眉間に皺を寄せます。
「もう離縁は成立しておりますのよ? 元旦那様」
白い結婚が三年継続している、その証拠を出せばすぐに承認された。その言葉を聞いて表情を変えた元夫にわたくしは微笑みかけます。
「元エガンティ伯爵様……。いえ、今は爵位も何もない平民ね。でも、あなたには愛してくれる女性がたくさんいるのでしょう? 彼女たちを頼ったらいいじゃない」
舌打ちをして、屋敷を出ようと後ろを向いたジュリアン様を圧倒する勢いで、義母がドタバタと音を立てて部屋に飛び込んできた。
「ちょっと! ダニエルが! ダニエルが!!」
「あら? どうなさいまして? お義母様」
わたくしが首を傾げると、ジュリアン様に目もくれず、わたくしの元に義母が駆け寄ってきます。
「ダニエルが! いないの! 辞めたって! わたくしのことを! 愛していると言ったのに」
「あらあら。困りましたね」
ダニエルには愛しているなどは言わないようにマニュアルを渡してありましたのに。……まぁ、自分を特別な客だと思い込んだ義母の傍若無人な振る舞いは、カフェ内のお客様の間でも有名でした。例え、ダニエルがマニュアル違反をしていても、誰も信じず義母の勘違いを疑うでしょう。例え義母が騒いだところで、わたくしの経営するカフェには、何一つ影響が出ないでしょう。きっとダニエルはそういう証拠を残すタイプでないから。
「ダニエルからは、自分探しの旅に出るから辞めたいと聞いていましたの。……本当に大切なお方でいらしたら、ご一緒に誘われたでしょうに」
わたくしの言葉に叫びながら崩れ落ちる義母を見て、ジュリアン様が一歩引いて口を開きます。
「だ、誰だ……ダニエルって」
「お義母様の推し……でしょうか?」
「うわぁぁぁぁ!」
泣き叫んでいるお義母様の鞄を拾い、中を改めます。
「悲しんでいらっしゃるところごめんなさいね。お義母様。こちらの印鑑を回収いたしますわ」
鞄から、伯爵代理の印鑑を回収します。ジュリアン様は義母を代理として認めていらっしゃいましたが、わたくしは認めません。わたくしの手の中にある印鑑を見て、目を見開いたジュリアン様が、義母の胸ぐらを掴みます。
「おい! お前がやったのか! この伯爵家を!」
「う、うえ、ジュリアンちゃま……? うわーん! わたくしには、わたくしには、やっぱりジュリアンちゃまだけだわぁ!」
「うっせえ、ばばあ! 説明しろよ!」
揉めるお二人に、手を二度叩いて止めます。扉の外で待機していた衛兵たちが、わたくしのその合図で部屋の中に入ってきました。
「お二人とも、続きは敷地外でお願いしますわ。……えーと、ジュリアン様とお義母…、じゃなかった。エスデル様」
追い出される二人を見ながら、わたくしは思ったのです。最初からわたくしを嫁として尊重してくださっていれば、こんなことにならなかったのに、と。
その後、恋人たちに次々と振られたジュリアン様は平民として働くこともできず、貧民街でその日暮らしをしていると噂で聞きました。ジュリアン様を頼ったエスデル様はあっさりと捨てられ、不慣れながらも必死で食堂で働いている姿を馬車で通りかかった時にお見かけしました。
お家乗っ取りと言われたわたくしは、王家からの正式な任命を受けて、誰も異議を申し立てられなくなりました。
国王のお言葉によると、元々、この結婚がうまくいかなかったら、我が実家に伯爵家を吸収させる予定だったそうです。国内で伯爵家を建て直す財力があるのは我が家くらいでしたから。……結局、例えうまく行っても、わたくしの産んだ子供たちが伯爵家を取り仕切ることになっておりましたがね。
そんなことを考えながら、わたくしは紅茶を飲むのでした。
時は戻り、ダニエルという偽名を使っていた男が一人、この国を出て振り返る。
「さーてと。この国もこれで大丈夫そうだし、お父上への恩返しも終わり。次の雇い主を探さないとね」
そう言って、小さなリュック一つに、無精髭を生やした記憶に残らない顔立ちの男は歩き出すのだった。




