88.「彼」
レオンとサラがギルバートを倒したその頃――。
アイリスはギルバートの魔力反応が消失したことを確認し、安堵の息を漏らしていた。
そして、アイリスに魔法で拘束された「魅惑のゾーイ」は、自分の敗北を受け入れられないのか、こちらをギロリと睨みつけている。
「どういうことなのよ……どうしてあたしが人間ごときに負けるのよ……!?」
「あなたのことは師匠から聞かされていたから、あなたがどういう魔法を使うのか知ってたのよ。名が通ってるってのも考えものね」
ゾーイが主に使うのは精神操作系の「魅了魔法」だ。相手を魅了し攻撃できなくさせてから、自ら手を下したり、味方同士で殺し合わせるといった戦法を取る。しかし、それが事前にわかっていれば対処は容易だった。
するとゾーイは、理解できないという風に再び口を開く。
「だからって……どうしてあんたに私の魔法が効かなかったのよ……! あんたの魔力量は、あたしよりもずっと少ないじゃない!」
ゾーイの魅了魔法には弱点がある。彼女より魔力量の多い相手には効かないのだ。
アイリスは彼女の魔力量を見た時点で、勝ちを確信していた。ゾーイを連れて場所を移した後、レオンに魅了魔法をかけられる前に一発で勝負を決めたのだ。彼女は魅了魔法以外の攻撃手段を特に持たなかったようで、勝つのは容易だった。
「あなたの目に映っている私の魔力量は、本来の半分以下よ。あなたの魔力量が魔族の中では随分と少ない方みたいで助かったわ」
「……は? 魔力を制限してるってこと? なんの意味があってそんなこと……」
ゾーイはアイリスの言葉を聞いて、信じられないというように目を見開いていた。
「そんなことよりも、こちらの質問に答えてくれる? 十年前、この国の王だった人を殺したのはあなた?」
ゾーイとの会話を切り上げて、アイリスは険しい声で彼女に問い詰めた。紫髪のツインテールに二本のツノを持つ彼女は、ローレンの家族を殺した魔族の特徴と一致している。
「さあ、覚えてないわね。人間なんて、山程殺してきたもの」
こちらの質問に、ゾーイはニヤリと笑いながらそう答えた。
自白させる魔法でも使えればよかったのだが、アイリスはあいにく精神操作系の魔法がそれほど得意ではなかった。使えるのは幻影魔法などの簡単なもののみだ。
だが、この反応は恐らくクロだと、アイリスはそう確信した。人の命をなんとも思わない彼女に、怒りがこみ上げてくる。そして、ローレンを孤独に追いやった犯人を、到底許すことはできなかった。
「どうして……どうしてそんなことができるの……?!」
「人間がだ〜い嫌いだから。以上」
睨みつけるアイリスに、ゾーイは何ら悪びれる様子もなくそう答えた。
これ以上この話題について彼女と話しても、こちらの心が乱されるばかりだ。どうせアベルに確認してもらえば犯人かどうか特定できるので、アイリスは別のことを尋ねることにした。彼女に聞きたいことは山ほどある。
「じゃあ、質問を変えるわ。今年の夏頃、ドラゴンをこの国に転移させたり、魔法学校の教師を操ったりしたのはあなた?」
精神操作系の魔法を使うゾーイは、ドラゴン誘拐事件の際にドミニクに接触した教員と何か関係があるかもしれないと思ったのだ。
しかしゾーイは、この問いには怪訝そうに眉を顰めていた。この様子からすると、おそらく彼女は本当に無関係なのだろう。
「何よそれ? 知らないわよ。そもそも誰かを操る魔法を使える奴なんて――」
ゾーイはそこまで口にしたところで、急に頭を押さえて苦しそうに悶え始めた。
「い、痛い……! 頭が割れる……!!」
彼女はそう言うと、痛みに耐えかねて雪の上に倒れ込んだ。アイリスはゾーイのあからさまな異変に動揺しつつも、彼女に駆け寄って声をかける。
「ちょっと、どうしたの!?」
しかしゾーイは、こちらの呼びかけには応じず、目を見開きながら絶叫した。
「痛い、痛い! クソッ、あの引きこもりの陰キャ野郎!! ふざけんなッ!! あたしの記憶を根こそぎ消すつもりか!?」
そう叫び切ったところで、ゾーイは意識を失ってしまった。アイリスが慌てて彼女の呼吸と脈拍を確認すると、どちらも無事正常だった。
ひとまずは生きている事に安堵し、アイリスがホッと息を吐き出したとき、ゾーイが徐にむくりと起き上がった。
「ったく、どいつもこいつも役立たずだな。ギルバートの野郎も死んじまったのか」
明らかに先ほどまでのゾーイとは異なる様子に、アイリスは飛び退いて杖を構えた。本能が、この相手は危険だと伝えている。
するとゾーイの見た目をした「何か」は、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらアイリスに声をかけてきた。
「よお。まあ、そんな警戒すんなよ」
「……あなた、ゾーイじゃないわね?」
「ああ。なに、こいつの体をちょいと借りてるだけだ」
(体を操ってる? 遠隔で!? 本体はどこ?!)
慌てて周囲を警戒するが、それらしき魔力反応は見当たらない。その時点でアイリスは、ドラゴン誘拐事件の時に教員を操っていたのはこいつだと確信した。
遠隔でゾーイほどの魔族を操れる者など、相当な精神操作系魔法の使い手だ。魔法学校の教員とはいえ、たかが人間を操るなど容易なはずだろう。
そしてこれまでの口ぶりから、おそらくゾーイの体を乗っ取ったこの人物が、アイリスを捕えようとしている「彼」なのだろう。
「あなたは……誰なの……?」
「それは言えねえなあ」
こちらの問いに、彼はニヤリと笑ってそう返すと、アイリスが施していた拘束魔法をいとも容易く解いてしまった。
その光景にアイリスは目を見開き、慌てて臨戦態勢に入る。
「ああ、待て待て。攻撃なんてしねえから安心しろ? こいつの体じゃ、どうせお前には勝てねえ」
彼はそう言うと、雪の上にドカッと座り直した。彼からは殺意は感じず、どうやら本当に攻撃する気はないらしい。
自分が誰かを操って戦う場合、その強さは操られている人物の魔力量に依存する。ゾーイの魔力量では、本気のアイリスに勝てないと踏んだのだろう。
アイリスは警戒を続けたまま、山のようにある質問を一つずつ聞いていく。
「ヴァーリア魔法学校の教員を操ったのはあなたね? ドラゴンをこの国に転移させたのも」
「おいおい、人聞きが悪いな。それは俺がやったことじゃない」
アイリスの質問に、彼は眉間にシワを寄せながらそう返してきた。言葉では否定しているが、どこまで本当かはわからない。
「じゃあ、剣神グランヴィルに私のことを教えたのは?」
「ああ、それは俺だ。でもグランヴィルには、あんたのことをちょこーっと教えただけだ。別に殺してくれとか頼んだわけじゃねえ。まさかお前のことを殺しに行くとはなあ……いやあ、悪いことしたな」
彼は、今度は心底申し訳無さそうな顔を浮かべてそう答えた。なんとも表情がコロコロ変わる人物だ。彼にそこはかとない胡散臭さを感じつつ、アイリスは質問を続けた。
「どうして仮面の魔法師の正体を知ってるの? 私を狙う理由は?」
「おいおいおい、質問ばっかりだな。そんなことより、もうちょい楽しい話をしようぜ? 今日はあんたに話があって来たんだよ」
そう言って、彼はとうとうこちらの質問には答えなくなってしまった。目を眇めながらニヤリと笑う彼に、アイリスは怪訝そうな顔を向ける。
「……話?」
「ああ。まあ、平たく言えば、お前を勧誘しに来たんだ。なあ、お前、俺に力を貸してくれないか?」
彼のその言葉に、これはあまりいい話ではなさそうだと直感的に思った。アイリスは、彼に鋭い視線を向けながら即答する。
「嫌よ」
「まあ、そう答えるわな。じゃあ、こっからは俺の独り言だ」
すると彼は、ニヤニヤとした表情を浮かべながら続きを話し出した。




