87.背中を預けられる人
(爪での攻撃が面倒だな……奴の攻撃魔法だけでも、かなり厄介なのに)
ギルバートと間合いを保ちながら、サラは自らの仇であるこの魔族をどう攻略しようか考えあぐねていた。
奴は鋭い爪での攻撃と、炎属性の攻撃魔法を織り交ぜた戦い方をしてくる。何度か距離を詰めて斬りかかろうと試みたが、その二つの攻撃を同時に処理することがなかなかに難しく、攻めきることができなかった。
アイリスが言うには、ギルバートが使う魔法は、炎を放つのものではなく、対象物を『発火』させるものらしい。つまり、喰らったら即死だ。奴の魔法は、何が何でも避けるか斬らなければならなかった。
サラが所有する剣には魔抗石が埋め込まれているため、魔法を斬って無効化することができる。そのため、ギルバートと距離を保ち攻撃魔法を斬り続けてさえいれば負けることはない。しかし、サラの身体強化は魔力が切れれば終わりだ。あまり戦いを長引かせるのは得策ではない。
一方で、戦闘開始早々、ギルバートが辺りの雪を溶かしてくれたのは幸いだった。本人も足場が悪いと戦いにくかったのだろうが、こちらも雪の上では実力を出しきれないので助かった。
サラがしばらく次の一手を見いだせないでいると、ギルバートが唐突に話しかけてきた。
「君、随分と人間離れした動きをするよね。そういえば殺した里の奴らもそうだったなあ」
ギルバートは余裕そうにニコニコと笑いながらそう言った。そして彼は、ふと疑問が浮かんだように、首を傾げながらこう尋ねてくる。
「でも、里の奴らは簡単に殺せたのに、君はとてもしぶといね。どうしてだろう?」
「……何が言いたい?」
わざとらしいギルバートの言い方に、サラは苛立ちを覚えた。激しく睨みつけていると、ギルバートは何か閃いたように、またわざとらしくポンと手を打った。
「ああ! 君にはその厄介な剣があるからか! その剣があれば、君の一族の皆も死なずに済んだかもしれないのになあ。あの時、君はどこにいたのかな?」
「………………」
その言葉に、サラは里が滅んだ時の光景を思い出した。すべてが不自然に燃えていた、その光景を。
そしてギルバートは、追い打ちをかけるように憐れみの言葉をかけてくる。
「君のせいで、里の皆が死んだんだね。可哀想に」
(私があの時、里を離れたせいで……)
サラが持つ剣は、一族で最も強い剣の使い手に与えられるものだった。
一族の男は皆、暗殺業という職業柄、基本的に魔法戦を想定していない。そのため、魔法に対する手立てを持っていたのはサラだけだった。
里の者たちも、ただの炎属性魔法なら対処できたかもしれない。だが、ギルバートが使うのは、喰らえば即死の『発火する魔法』だ。里をこの男から救えたのは、サラだけだったのだ。
「ああ、その絶望した顔。たまらないなあ。人間のその顔を見るときが、僕は一番幸せなんだ」
集中力が削がれた一瞬の隙をつかれ、気づけばギルバートが眼の前まで迫っていた。そして、鋭い爪がサラに向かって振り下ろされる。
(――…………っ!!)
サラはなんとか爪での攻撃を剣で受け止めた。が、剣がふさがれた今、奴の攻撃魔法に対処する術は残されていない。
(しまった――)
ギルバートから『発火する魔法』が放たれたその時、ここにいるはずのない、聞き慣れた人物の声が耳に入ってきた。
「もうへばってんのか? 相棒!」
「レオン!?」
まさかの声に驚き隣を見ると、ちょうどレオンがギルバートの魔法を斬ったところだった。そして、突然のレオンの登場にギルバートも驚き、一旦二人から距離を取る。
サラは、レオンが普通に魔法を斬っていた事実に頭が追いつかず、目を丸くしながら言葉を漏らす。
「あんた今、魔法を斬って……」
「へへっ、良いだろ! アイリス様に斬れるようにしてもらった!」
レオンはそう言うと、自慢気に剣を見せびらかしてきた。
アイリスが剣に強化魔法を施したのだろうが、魔法を斬れるようにしてもらったところで、実際にできる奴などそうそういない。サラが攻撃魔法の速度に反応できているのは、身体強化のギフトを使っているからだ。
レオンの並外れた身体能力と剣の技術に、サラは改めて驚かされた。
「あんたほんとに……とんでもない奴だな……」
サラはそうこぼした後、ようやく今の事態に頭が追いつき、何よりも先に懸念すべき点があることに気がついた。
「というか、アイリスの護衛はどうしたの!?」
「あっちはもう片付いた!」
「片付いた……? まだ十分も経ってないのに?」
「すごいんだぜ、アイリス様! 一瞬で倒しちゃってさ! 俺の出る幕なし!」
レオンの言葉にまたもや驚かされたサラは、唖然として目を丸くしていた。アイリスもアイリスで、とんでもない奴だ。大魔族をたった一瞬で倒せる人間など、あの子くらいしかいないのではないだろうか。
「で、こいつはどう攻める?」
呆気に取られていたサラは、剣を構えたレオンからの言葉によって、ようやく思考を戻された。今は眼の前の敵を倒すのが先だ。
「私が奴の魔法を斬るから、レオンは爪の攻撃を対処してくれる?」
「了解!」
たったそれだけの指示で、レオンはサラが戦いやすいようにうまく立ち回ってくれた。
暗殺者時代にも一族の者と共闘したことはあったが、レオンほど共に戦いやすい奴を他に知らない。彼はそれほどまでに優秀な剣士だった。
レオンが爪の攻撃を押さえ、サラが魔法を斬る。それを繰り返すうちに、何度かギルバートの隙を突けるようになってきた。
「……何なんだ、お前たちは」
ジワジワと形勢が逆転する中で、ギルバートにも次第に焦りの色が滲んでいった。しかし、サラの魔力も残りわずかだ。あまり時間は残されていない。
すると、それを見計らったかのようにレオンから声が飛んできた。
「サラ、一気に畳み掛けるぞ!」
「了解!」
その言葉と共に、レオンとサラは猛攻を仕掛けた。その凄まじい連撃にギルバートは受けに回る一方で、少し、また少しとその体に傷が増えていく。
「行け、サラ!」
サラはレオンの掛け声と共にギルバートの懐に潜り込むと、最後の力を振り絞り奴の首に目掛けて剣を振り上げた。ギルバートの両腕はレオンの剣を受け止めるのに精一杯で、サラの剣を防ぐ手立ては残されていない。
「くっそ、この……サルどもがあああ!!!」
「…………取った」
ギルバートが最期の叫び声を上げたと同時に、サラの剣がその首をはねた。
そして、首がボトリと落ちるのと同時に、サラもその場に倒れこんだ。
「サラ! 大丈夫か!?」
レオンが慌てて駆け寄ると、サラは疲れ切ったような声を発した。
「……大丈夫じゃない。魔力切れ。動けない」
「なんだ魔力切れか……怪我したのかと思ってヒヤッとしたぜ」
サラの返事に、レオンは安堵の息を吐き出した。そして彼は、徐にサラを横抱きにして抱え上げる。
「さ、アイリス様の元に戻ろうぜ」
にこやかにそう言うレオンの顔が今までにないほど近く、サラは慌てて彼の暴挙を止めた。
「おいおい待て待て待て!」
「ん?」
サラの慌てぶりに、レオンは怪訝そうな顔になる。そう言えばこの男は人との距離感がおかしいのだったと思い出し、サラは疲れた表情を浮かべながら彼に懇願した。
「お願いだから、せめておんぶにして」
「なんで? おんぶってしがみつく必要があるから、しんどくないか?」
「……なんでもだよ」
じとりとした視線をレオンに向けると、彼は仕方ないというように一度サラをゆっくりと下ろした。そしてレオンは自分の背にサラを乗せると、おぶったままアイリスの元へと歩き出す。
雪道を進む中、レオンの背中が思ったよりも温かくて、サラは少し心が緩んでしまった。そのせいで、いつもなら絶対に言わない弱音をふと吐いてしまった。
「…………里の皆が死んだのは、私のせいらしい」
「ギルバートの野郎が言ってたことか? バカ言え。んなもん、殺したやつが悪いに決まってる。お前のせいなんてことは、一ミリもねえよ」
そう言うレオンは、少し怒っているように見えた。
サラも頭では理解している。自分が里を離れたせいで皆が死んでしまったというのは、ただの結果論だと。でも、きっと誰かに許してほしかったのだろう。
だからまた、レオンに言葉を求めてしまう。
「…………そうかな?」
「そうだよ。お前のせいだって言うやつがいたら、俺がぶん殴ってやる」
「ふふっ。頼もしいね」
レオンの力強い言葉に、サラは思わず笑みをこぼした。すると今度は、彼が穏やかな声で尋ねてくる。
「どうだ? 仇を倒して、少しは前に進めそうか?」
「うーん……仇討ちができて、自分の中で区切りはついたんだけど……目的を失って道に迷ってる気分」
「そっか。じゃあ、ちょっとは前進したってことだな」
サラの答えに、レオンは明るい声でそう返してきた。
この男は、こちらの身の上を聞いても一切同情せず、何も変わらずに接してくれた。そして、何があっても明るく背中を押してくれる。それがサラにとっては非常にありがたく、隣りにいてとても心地いいものだった。
そんなことを考えながら少し顔をほころばせていると、レオンが続けて尋ねてくる。
「これからどうするんだ? 王城から出ていくのか?」
「どうしようね。やりたいこともないし……フラッと放浪の旅でもしようかな」
「じゃあ、やりたいこと見つかるまで俺の隣にいろよ」
唐突にそんなことを言ってくるレオンに、サラは驚いて開いた口が塞がらなかった。他意はないんだろうが、聞く人が聞けば誤解しかねない言葉だ。
「あんたね……そういうこと、誰彼構わず言っちゃダメだよ」
「は? 言う訳ねえだろ。俺が背中を預けていいと思える奴は、お前くらいだ」
サラの言葉に、レオンは眉を顰めながら、何言ってんだこいつ、と言わんばかりにそう答えた。
なんだか以前にも似たようなやり取りをしたことを思い出し、サラは思わず笑みをこぼしながら素直な言葉を口にする。
「ハハッ。それは私もだよ、レオン」




