82.売られた喧嘩は買いましょう
「これはこれは、アベル殿下。仮面の魔法師と一緒にいるだなんて珍しいですな」
声をかけてきたのは、宮廷魔法師団長でありアベル派閥の筆頭でもあるギデオン・ランスと、その息子のトーマス・ランスだった。
トーマスは昨年ヴァーリア魔法学校を首席で卒業し、そのまま宮廷魔法師団に入団したと聞いたことがある。年齢は確か十九歳だったはずだ。
彼も父親と同じくアベル派閥の人間であり、国王お抱えである仮面の魔法師をあからさまに嫌っていた。アイリスが宮廷魔法師団に指導をつけていると何かにつけて嫌味を言ってくるのだが、自分が同じ魔法学校を首席で卒業しているというプライドもあるのだろう。
すると、声をかけられたアベルがにこやかに言葉を返す。
「おや、ランス師団長とトーマス君。今日はアイビーさんが娘に魔法を教えてくれましてね」
アベルの言葉に、ランス師団長は思いっきり眉を顰めた。
「なんと! そういうことであれば、今後は私にお申し付けください。彼女に頼むと、良からぬことを吹き込まれるかもしれませんからな。宮廷魔法師団の面々に、魔族は善き者だと吹聴して回っているそうで、こちらとしても困っているのですよ」
彼はアイリスの方を横目でチラチラと見ながらそう言った。この人物は実力は確かなのだが、なんとも嫌味な人間なのだ。
すると、父親の発言に乗っかるように、息子のトーマスも苦言を呈した。
「そうですよ、アベル殿下。彼女は他より多少使える魔法が多いようですが、魔力量だけ見れば私よりも劣って見えます。国王陛下お抱えの魔法師がこれでは、国の威厳に関わりますね」
トーマスもトーマスで、アイリスに嘲笑混じりの言葉をぶつけてきた。本当に似た者親子だ。
こういうことは言われ慣れているので全く気にしてはいないのだが、物陰で護衛をしてくれているレオンはいつも彼らにブチギレている。そのため、後でレオンをなだめるほうが大変なのだ。今は聞こえる距離にいないので助かった。
すると、今度はまたランス師団長のほうが嫌味な発言をしてくる。
「いやその通り。全く、陛下も困った方です。急に身元もよく知れない仮面の魔法師をそばに置き、ドラゴン誘拐事件解決の英雄扱いなどと。本当に彼女が解決したのかも怪しいというのに……英雄に仕立て上げるなら、もっと相応しい人物がいたでしょう。やはり陛下は、王になるにはちと幼すぎましたな。陛下が掲げている夢といい、随分と血迷ったことをなされている」
(………………は?)
アイリスは、自分への誹謗中傷なら全く構わなかった。だが、その対象がローレンであれば話は別だ。
すると、アベルも険しい顔を二人に向けた。流石に今の発言は看過できなかったのだろう。
「二人とも。口が過ぎますよ」
「おや、これは失礼いたしました」
主君に注意され、ランス師団長は困ったように眉を下げていた。
そして、先程の発言でとうとうキレたアイリスは、トーマスに向かって一つ尋ねる。
「トーマス様。つかぬことをお伺いしますが、魔法闘技大会には出場されますか?」
「え? ああ、もちろん。連覇を狙っているからね」
どうやらトーマスは昨年の優勝者らしく、得意げに腕組みをしながらそう答えた。そんな彼に、アイリスはにっこりと笑顔を作る。仮面を付けているので、彼からは口元しか見えないだろうが。
「そうですか。では、せっかくですし、私も出場しようかと思います」
「へえ? 僕に負けたら、国王お抱え魔法師としての面目丸潰れだね。せいぜい僕と当たるまで、負けないでくれよ」
「決勝でお会いしましょう、トーマス様。それではアベル殿下、私はこれにて失礼いたします」
ランス親子とこれ以上話したくなかったアイリスは、アベルに一礼すると、足早にその場を後にするのだった。
***
「陛下。お願いがあります」
その日の夜、アイリスは夫婦の寝室で開口一番にそう告げた。アイリスのいつもと違う雰囲気に、ローレンは少し戸惑った表情を見せている。
「アイリス、どうした……?」
「私、仮面の魔法師として魔法闘技大会に出場したいのですが。あと、本気で戦ってもよろしいですか?」
「…………」
怒気をはらんだアイリスの顔と声に、ローレンは驚いたように目を見開いていた。アイリスがそのような態度を彼に向けたことはこれまで一度もなかったからだ。
「お前は王妃として会場にいる必要があるから、少し難しいとは思うが……一旦落ち着け、何があった」
ローレンにそうなだめられ、アイリスは大きく深呼吸をした。そして、ランス親子との出来事を彼に説明するうちに、アイリスは改めて腸が煮えくり返る思いがした。
「私のことを悪く言われるのは良いんです。でも、陛下のこととなれば話は別です。それはもう頭に来てしまって」
「……俺としては、お前のことを悪く言われる方が腹立たしいんだがな」
事情を把握したローレンは、眉根を寄せながらそう言った。
そして、彼はひとつ溜息をつくと、穏やかな表情をアイリスに向け優しく頭を撫でてくれた。
「だが、お前の気持ちは受け取っておく。俺のために怒ってくれて、ありがとな」
ローレンにそう言われ、アイリスの怒りはようやく少し落ち着いた。しかし、魔法闘技大会のことはなんとしても許可をもらわなければならない。国王お抱え魔法師としての実力をランス親子に見せつけて、ローレンを侮辱したことを後悔させないと気が済まないのだ。
「陛下、御前試合である闘技大会に王妃が居なければならないのは理解しております。なので、私が出場している間だけ、会場にいる全員に幻影魔法でもかけておこうかと」
「アイリス……お前な……」
アイリスの突飛な提案に、ローレンは眉を顰めていた。そして彼はしばらく考え込む様子を見せた後、仕方ないという風にこう言った。
「わかった。魔法闘技大会中は、サラに変装でもさせて俺の隣に座らせておこう。その辺りはルーイが得意だから、あいつに変装を手伝わせれば問題ないだろう。ただし、午前の剣術闘技大会の方は王妃として出席しておいてくれ」
「ありがとうございます、陛下!」
ローレンからの許可が下り、アイリスは目を輝かせながら礼を言った。すると、彼が目を眇めて片側の口角を上げる。
「でもまあ、お前の本気が見られるのは、少し楽しみだな」
「お任せを! もう誰にも王位の簒奪なんて馬鹿なこと、考えられなくして差し上げます!!」
「……ほどほどにな」
アイリスが意気揚々と宣言すると、ローレンは苦笑しながらそう答えたのだった。




