81.アベルの思い
その後、ルーイの笑いがようやく収まった頃、アベルが娘を迎えにやって来た。彼の後ろには、妹のマイアが隠れている。
「すみません、お待たせしてしまって。エリー、帰るよ」
「ええっ!? もう少し遊んでいきたいわ、お父様! こんなに広い芝生を独り占めできるんですもの!」
エリーのわがままに、アベルはまたもや困った様子だ。すると、ルーイがすかさずエリーにニコリと微笑みかける。
「じゃあ、少しだけ遊んでから帰りましょうか、エリー様! マイア様も一緒に!」
「やった! そうしましょう! 行くわよ、マイア!」
「う、うん……!」
父親の返事も待たず、エリーはマイアの手を取り駆け出した。
「全く……最近は全然言うことを聞いてくれなくなってしまって、毎日困っています」
娘たちを見つめながら、アベルは苦笑いを浮かべていた。
そうしてルーイ、エリー、マイアの三人は、訓練場の芝生の上で走り回ったり、追いかけっこをしたりと、しばらくの間のびのびと遊んでいた。
一方のアイリスは、エリーたちが遊んでいるのを見守りながら、アベルと立ち話をしていた。
「エリー様の魔法の才能は、目を見張るものがございますね。とても飲み込みが早い方です」
「本当は、魔法なんて学んで欲しくないんですけどね。危ないので」
アイリスからの賞賛の言葉に、アベルは少し表情を暗くしてそう答えた。
この国では魔法師の数がそれほど多くないので、エリーのように魔法の才能を持つ者は貴重だ。父親としては娘の才能は喜ばしいものだろうと思っていたのだが、なんとも意外な反応が返ってきた。
「ですがエリー様は、アベル殿下をお支えするために魔法を学びたいと仰っていましたよ」
「その気持ちは嬉しいのですが、魔法師になれば、きっと危険な地に赴くことも増えるでしょう? 万が一、魔族にでも遭遇したらと思うと、怖いのですよ」
そう言うアベルは、わずかながらに眉根を寄せている。魔族に兄を殺されたアベルにとって、魔族は忌避する対象なのだろう。
アベル本人からも十年前の出来事について聞いておきたくなったアイリスは、あえて答えがわかりきった質問をした。
「魔族のことが、お嫌いですか?」
「……兄が、殺されましたからね」
そう答えたアベルの顔には、悲しみと悔恨の感情が滲んでいる。エリーが言っていた通り、兄を死なせてしまった強い後悔を抱いているようだ。
そして彼は、遠い目をしながら自らのことを語りだした。
「十年前、兄夫婦が魔族に殺されてから、すべてが変わってしまった気がします。私とローレンとの関係も、昔のようにはいかなくなってしまった」
やはりローレンとの関係に亀裂が入ったのは、十年前の事件がきっかけだったようだ。当時まだ八歳の幼いローレンの周りで『首謀者はアベル殿下かもしれない』などと噂されていれば、嫌でも関係性は変わってしまうだろう。
「ローレンも、今でこそ魔族との共存を目指していますが、昔は私と同じく魔族に対して強い憎悪の念を抱いていたんです。しかし、あの子は変わりました。魔族に命を救われてから」
「四年前のこと、ご存知だったんですね……」
「ええ。詳細までは聞かされていませんがね」
四年前、ローレンは暗殺されかけたところを一人の魔族に救われた。その事をきっかけに、ローレンは魔族との共存を目指し始めたのだ。甥のローレンが魔族に救われたことで、アベルの心境に変化はなかったのだろうか。
アイリスがそんなことを考えていると、アベルは複雑そうな表情で続きを話した。
「もちろん、ローレンの命を救った魔族や、アイビーさんの師匠のように、良い魔族もいるのでしょう。でも、僕はローレンのようには割り切れなかった。……兄を、心から敬愛していたから」
アベルはそう言うと、酷く苦しそうに顔を歪め、わずかに俯いた。
「兄は私なんかより、ずっと優れた人物でした。あの時……兄ではなく、私が死ぬべきだったんです」
「アベル殿下……」
アベルの言葉は、アイリスへ語るものというよりは、自分自身を責めるもの、あるいは神への懺悔のように聞こえた。彼は十年前から、兄の墓の前でこんな風に自分を責め続けているのかもしれない。
するとアベルは、はたと気づいたように顔を上げ、苦笑を漏らした。
「すみません、こんな話をしてしまって。忘れてください」
「いえ。お話しいただいて、ありがとうございます」
ローレンがアベルの思いをどこまで知っているかはわからない。もし何も知らないのであれば、誤解を解くことで二人の関係を修復することもできるかもしれない。だが――。
(こればかりは、私から陛下に伝えてもあまり意味がない気がするわ)
アイリスはそう思い、アベルに率直な質問をぶつける。
「陛下には、ご自身のお気持ちをお伝えにならないのですか?」
その問いに、アベルは苦笑しながら答えた。
「ここまで関係が拗れてしまっていると、今さら腹を割って話すというのもなかなか難しいのですよ」
そう言われてしまうと、アイリスは口をつぐむしかなかった。下手に動いて、二人の関係を悪化させるわけにもいかない。
そこからしばらく沈黙が続いたが、アイリスはその間、ある事をアベルに聞こうか聞くまいかずっと悩んでいた。しかし、この機会を逃せば次はないような気がして、アイリスは思い切って彼に尋ねてみた。
「アベル殿下、その……思い出したくないことだとは思うのですが……陛下のご家族を殺した魔族が、どんな見た目だったか覚えていらっしゃいますか? どういう魔法を使っていたか、とか」
ローレンから聞いた話によると、十年前アベルたちが魔族に襲われたのはこの国の領地内だった。わざわざ人族の国内に来てまでそんな犯行をするのは、反人族派の魔族の中でも過激派くらいだろう。過激派の動きが活発になっている今、どこかで犯人に出くわすかもしれないとアイリスは思ったのだ。
するとアベルは、こちらの問いに少し驚きながらも、当時のことを思い出しながら詳細に教えてくれた。
「どんな魔法を使っていたのかは……早々に兄に逃されたのでわかりません。ですが、見た目ははっきりと覚えています。紫色の髪をツインテールにした、小柄な少女でした。頭には、二本のツノが生えています」
「ありがとうございます、アベル殿下。申し訳ございません、つらいことを思い出させてしまって……」
「いいえ、構いません。そんなことを聞いたということは、仇討ちでもしていただけるのですか?」
アベルは少しおどけた様子でそう言った。彼のその言葉に、アイリスは真剣な声音で返事をする。
「ええ。もしその魔族と出会ったら、絶対に捕まえてみせます」
アベルとの一連の会話が終わり、またしばらくの沈黙が続いた。すると、こちらに声をかけてくる人物がいた。




