79.一日家庭教師
アイリスは今日、仮面の魔法師として宮廷魔法師団に魔法の指導をつけていた。
しかしこの日は、ちょっと変わったことがあったのだ。
いつものように王城の訓練場で団員に指導をしていたところ、可愛らしい少女の声が聞こえてきた。そして、聞き覚えのある男性の声も。
「見て、お父様! 本物の仮面の魔法師よ!!」
「待ちなさい、エリー!」
声の方を振り返ると、美しい金色の髪をなびかせた少女がアイリスの元へ駆け寄ってきていた。その後ろには、ローレンの叔父であるアベル・バーネットと、彼の後ろに隠れながらついてくるもう一人の幼い少女がいた。
どうやら訓練場に現れたのは、アベルとその娘たちのようだ。突然のアベルの来訪に、宮廷魔法師たちには妙な緊張感が漂っていた。
「はじめまして、仮面の魔法師様! わたくし、エリー・バーネットと申します。わたくしにも魔法を教えてくださらない!?」
アイリスの元までやってきたエリーは、大きな瞳を輝かせながら興奮気味にそう言った。
彼女の瞳は、父親に似た淡い碧色をしている。切れ長の大きな瞳とハキハキした口調が相まって、ハツラツとした印象を与えていた。
そんなエリーに、アイリスは少しかがんで視線を合わせると、優しい声で言葉をかけた。
「はじめまして、エリー様。私のことはぜひアイビーとお呼びください。エリー様はどんな魔法を学びたいのですか?」
「ええとね、回復魔法に防御魔法でしょ、あとは、攻撃魔法も知りたいわ!」
「ふふっ。たくさんございますね」
小さな指を折りながら知りたい魔法を列挙するエリーがなんとも可愛らしくて、アイリスは思わず顔をほころばせた。
すると、娘に追いついたアベルがこちらに声をかけてくる。
「すみません、アイビーさん。ご迷惑をおかけしてしまって。こら、エリー。お仕事の邪魔をしてはいけないよ」
「大丈夫ですよ、アベル殿下」
アベルとは、既に仮面の魔法師として何度か挨拶を交わしたことがあった。ローレンのお抱えである仮面の魔法師に対しても、アベルは友好的に接してくれている。
そしてアイリスは、アベルの後ろに隠れている幼い少女にも声をかけた。
「はじめまして、お嬢様。私はアイビーと申します。お名前を伺っても?」
「わ……わたくしは……マイア、と申します……」
そう名乗った少女は、もじもじと父親の後ろに隠れている。姉のエリーと違って、マイアは恥ずかしがり屋らしい。
すると、父親に話を遮られむくれていたエリーが、アベルに向かって文句を垂れた。
「お父様! わたくしだって、アイビーから魔法を教わりたいわ! いいでしょう? お願い!」
「だめだよ、エリー。アイビーさんはお仕事で忙しいんだから」
「どうして!? だって、家庭教師は一向に魔法の実践練習をさせてくれないんだもの! ずーっと座学ばっかり! もう理論は完璧に頭に叩き込んでいるわ!」
父親に窘められたエリーは、さらに頬を膨らませてそう言った。
どうやらエリーは全く引き下がるつもりはないようで、怒ったように自分の父親を睨みつけている。当のアベルは、どうしたものかと困り果てていた。この国で絶大な権力を有するアベルも、かわいい愛娘には勝てないようだ。
そんな彼に、アイリスが助け舟を出す。
「構いませんよ、アベル殿下。今日はもう、他に予定もございませんので」
「すみません、うちの娘が……」
アイリスの言葉に、アベルは眉を下げながら礼を言った。そしてアイリスは、エリーの前で屈みながら優しく言葉をかける。
「ではエリー様。今日の午後、私と特別レッスンをいたしませんか? 確か午後は訓練場も空いていたはずですし、のびのびと魔法の実践練習をしてみましょう」
「いいの!? やる! 絶対やる!!」
アイリスの提案を聞いたエリーは、その瞳を輝かせ飛び跳ねんばかりに喜んでいた。
そういうわけでアイリスは、一日だけエリーの家庭教師をすることになったのだった。
***
そして午後、再び訓練場を訪れたアイリスは、そこでエリーたちの到着を待っていた。すると、思いがけない人物がエリーを連れてきたのだ。
「やあ、お嬢さん」
「ルーイ! なんで!?」
エリーと手をつなぎ訓練場にやってきたのは、アベルの側近の姿をしたルーイだった。
側近のときの彼は髪色がブルーアッシュなのだが、正直どれが本当の姿なのかアイリスも知らない。ただし、どの姿の時も切れ長の黒い瞳は変わらずだった。
すると、アイリスとルーイの様子を見ていたエリーが、不思議そうに尋ねてくる。
「二人は知り合いなの?」
「ええ、そうですよエリー様。俺のお友達です」
「アイビーとお友達だったの!? どうして早く言ってくれなかったのよ、ルーイ!」
相変わらずニコニコと胡散臭い笑顔を浮かべるルーイに、エリーは興奮気味に詰め寄っていた。
アイリスは思いがけないルーイの登場に頭を抱えつつ、ちょいちょいと手招きして彼と小声で話をする。
「ルーイ、どうしてここに?」
「エリー様の子守だよ。あと、仮面の魔法師の正体を探れって、殿下に言われててさ。それもある」
「なるほどね……。で、私はどういう体であなたと接すればいいの?」
「殿下は俺が学校で仮面の魔法師と会ってるの知ってるし、学友かつ王城関係者として接してくれれば大丈夫だよ」
こちらに笑顔を向けながらそう言うルーイに、アイリスはコクリと頷いた。こういうときに急に接触されると、どういう体で彼と話せば良いのかわからなくて困るのだ。
「ねえ、アイビー! 早く特訓を初めましょう!!」
エリーにそう急かされ、アイリスは早速彼女へ魔法の指導を始めた。教えて欲しいと言われた魔法はいろいろとあったが、一日ですべてを習得するのは流石に難しいので、まずは防御魔法の基礎から教えることにした。
エリーが言っていた通り、魔法の基礎理論はしっかりと理解しているようなので、随分とスムーズに教えることができた。どうやら彼女は魔法の才能がかなりあるらしく、アイリスの言ったことをスルスルと吸収していった。
そして、小一時間ほど魔法の稽古をつけた後には、防御魔法の基礎を一通り扱えるようになっていた。
「さて、今日はここまでにいたしましょうか」
「えー!? もう終わり!?」
「何事も急いてはいけませんよ。疲れが溜まり集中力が落ちると、思わぬ事故に繋がりますから。今日習ったことを忘れず、しっかり復習してくださいね」
「ええ、わかったわ!」
そうして稽古を終えると、しばし訓練場で彼女の話し相手をすることになった。どうやらこの後、アベルが迎えに来ることになっているらしい。
アイリスはエリーと共に訓練場の芝生の上に座ると、彼女と何を話したものかと考えを巡らせていた。一方のルーイはというと、二人の邪魔をしないよう少し離れたところで見守ってくれている。
アイリスには弟や妹がいなかったため、幼い子どもと何を話せばいいのか悩んでしまった。あまりいい話題が思いつかなかったので、率直に聞きたいことを尋ねることにする。
「エリー様は、どうして魔法を勉強なさりたいのですか?」
「わたくしね、お父様のお役に立ちたいの!」
アイリスの問いかけに、エリーは大きな瞳をこちらに向けながらそう答えた。そして彼女は、少し悲しそうな表情になってこう続けたのだ。




