78.優しい先生、優しい友人
北部地方から帰還した翌日、アイリスは朝早くから学校へと赴いていた。
『仮面の魔法師を狙う魔族が学校に襲撃してきた』という知らせがアイビー宛に届いていたからだ。
そしてアイリスは今、校長室のソファに腰掛けていた。眼の前には、校長のホーキングと担任のマクラレンが座っている。
「この度は、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」
アイリスは深々と頭を下げ二人に謝罪した。
襲撃に居合わせたマクラレンがその場を収めてくれたみたいだが、一歩間違えれば負傷者が出かねない事態だったのだ。自分のせいで学校の人々を危険にさらしてしまったことに、アイリスは大きな罪悪感を抱えていた。
「いやいや、君は何も悪いことはしとらんじゃろう? 謝る必要はない」
アイリスの謝罪に、ホーキングは穏やかな表情でそう返してくれた。彼の寛大な言葉はとてもありがたいのだが、魔族襲撃の原因が自分であることに変わりはない。
そしてアイリスは、ライラから聞いた情報を二人にも説明した。
「どうやら近頃、反人族派の魔族の中でも、過激派の動きが活発になっているようです。今回の一件も、それが関係しているかもしれません」
「なるほどなるほど……でも、アイビーさんが狙われた理由がよくわかりませんねえ……」
アイリスの話を聞いたマクラレンは、そう言って顎をつまみながら考え込んでいる。
捕らえられた魔族は王城に引き渡され、現在取り調べが行われている。しかし、一向に口を割る気配がなく、調査が難航しているらしい。だが、アイリスには思い当たる理由があった。
「私が、陛下の掲げる夢――魔族との共存に、助力しているからだと思います」
反人族派の魔族からすれば、人族と魔族の共存などという夢を実現しようとするローレンやアイリスは、非常に厄介な存在だろう。彼らが仮面の魔法師を狙うには、十分な理由だ。
アイリスは少し俯くと、昨日からずっと考えていたことを口にした。
「私、学校を辞めようと思います。また似たようなことが起こるかもしれませんし、これ以上ご迷惑をおかけするわけには――」
「アイビーさん」
途中でマクラレンに優しく呼び止められ、アイリスはハッと顔を上げた。彼はとても優しい微笑を浮かべてこちらを見つめている。
「アイビーさんが負い目を感じることは何もありません。悪いのは襲ってきた魔族であって、決して君ではないんです」
「ですが……」
「もし同じようなことが起こっても、また僕が対処するので大丈夫ですよ。他にも強い先生はたくさんいますしね。生徒を守るのが、教師の役目ですから」
マクラレンはそう言うと、アイリスにニッコリと笑いかけた。そして、彼の隣に座っているホーキングも、同調するようにこちらに言葉をかけてくる。
「マクラレン先生の言う通りじゃよ、アイビー。君が学校を去る必要は一切ない。安心して通い続けたまえ」
「先生……」
二人から背中を押されたアイリスは、ようやく学校に残る決心ができた。
優しく心強い先生たちに囲まれ、自分はとても恵まれていると感じる。この学校に通って、本当に良かったとも。
「ありがとうございます、ホーキング先生、マクラレン先生。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、これからもよろしくお願いします」
「学生なんて、迷惑かけてなんぼですよ。僕なんて学生の頃、しょっちゅう先生方に迷惑かけてましたから」
「マクラレン先生が学生だった頃は……いろいろと大変じゃったのう……」
マクラレンとホーキングがそんなことを言うものだから、アイリスはなんだかおかしくて思わず笑みをこぼしてしまった。
「ふふっ。先生の昔話も、いつか聞いてみたいですね」
「いやあ、アイビーさんにお話できるようなことは何も。でも、学校に残ってくれるようで良かったです」
マクラレンにそう言われたが、アイリスには一つだけ懸念していることがあった。
「その……今回のことで、魔族への反感が強まったりとかは……」
一般人と比べると、この学校の生徒や教師、研究員たちは、魔族に対してさほど偏見を持っていない。魔族に対する正しい知識を有しているためだ。だが、実際に自分たちが狙われれば話は別だろう。
「一応クラスのみんなには言って聞かせましたが……そもそもそんな必要すらなさそうでした。みんなに会えばわかると思いますが」
アイリスの心配事に、マクラレンは思案顔でそう答えた後、ニコリと笑ってこう提案してくれた。
「まあ、とりあえず教室に行ってみんなと話してきたらどうですか? それでアイビーさんの不安も払拭されると思いますよ」
***
その後アイリスは、マクラレンに言われた通りホームルーム前の教室へと向かった。
しかし、教室の前まで来たものの、扉を開けるのが少し怖くて思わず立ち止まる。中からは賑やかな話し声が聞こえてきていた。
そしてアイリスは覚悟を決めると、ひとつ深呼吸をしてからガラリと扉を開けた。
「お、おはよう……」
教室に入り恐る恐る挨拶の声をかけると、クラスメイトたちはいつも通りにこやかに挨拶を返してくれた。そして、自分の席につくと、エディとリザが興奮気味にアイリスに話しかけてくる。
「おはようございます、アイビー。聞いてくださいよ! マクラレン先生、想像以上にヤバい人でしたよ!!」
「おはよ、アイビー! ちょっと聞いてよ! この前、マクラレン先生がすごかったんだから!!」
「え……あ……そうなんだ……?」
もっと批判的な声を浴びせられるかと思っていたアイリスは、なんだか拍子抜けしてしまった。そんなアイリスの様子を見て、リザが怪訝そうな顔を向けてくる。
「どうしたの、アイビー?」
「え……あの、私のせいで、皆に迷惑かけちゃって、もっと皆、怒ってるかと思って……。魔族にも、みんな偏見持っちゃったかな、とか……」
ボソボソとそう話すアイリスに、リザもエディも眉根を寄せながら言葉を返してくる。
「何言ってるの? あれはアイビーのせいじゃないでしょ? 悪いのは襲ってきたやつよ!」
「そうですよ、アイビー。あ、それでなんか気まずそうに教室に入ってきたんですか?」
「う、うん……」
二人の言葉にアイリスがしおしおと返事をすると、リザとエディはこちらの心配を笑い飛ばしてくれた。
「大丈夫よ。あの一件でアイビーのこと嫌いになったやつなんて一人もいないから!」
「そうですよ。別に魔族に偏見を持ったとかもありませんしね。今回襲ってきた奴みたいに悪い魔族もいれば、アイビーの師匠のようにいい魔族もいます。皆わかってますよ」
「ありがとう、二人とも……」
二人の温かい言葉に、アイリスはようやく安堵することができた。友人にも恵まれて、本当にありがたい限りだ。
そして、二人が話を冒頭に戻す。
「というか魔族よりも、マクラレン先生の方がずっとずっと怖かったんですよね……多分クラスの全員、同じこと思ってますよ。あの先生は怒らせるとヤバいってことがわかったんで、アイビーも気をつけたほうがいいです」
「そうそう。もう、すごかったんだから! 先生がギフトの力を使ってるところ、初めて見たわ。重力魔法もかっこよかったの。余裕で襲ってきた魔族を倒しちゃってさ!」
皆が今回の襲撃をさほど気にしていないのは、どうやら魔族に対する恐怖よりもマクラレンに対する畏怖の方が上回ったからのようだ。そうとわかり、アイリスは心の中でマクラレンに深く感謝した。
その後、リザもエディもそれはそれは興奮しながら事件当時のことを事細かに語ってくれた。そして、マクラレンはどうやら無詠唱魔法も使えること、体術の心得もあること、重力魔法を極めていること、キレたら相当怖いことなどを聞いた。
「あんなに怒ってるマクラレン先生、初めて見ましたよね。めちゃくちゃ怖かったです」
「うん。先生が終始笑顔なもんだから、なおさら恐怖が倍増してたわ」
「そうなの? ちょっと見てみたかったかも」
当時を思い出しながら語る二人に、アイリスはその場に居合わせられなかったことがちょっと残念にさえ思えた。
事件の話題について一通り話し終えると、リザが違う話題を持ち出してきた。
「そういえば、アイビーって魔法闘技大会の出場はどうするの?」
「魔法闘技大会……?」
初めて聞く言葉に、アイリスは首を傾げながら尋ね返す。すると、エディが詳しく説明してくれた。
「二十五歳以下の若手魔法師が集う御前試合ですよ。年齢さえクリアしていれば誰でも参加できるので、国中から参加者が集まるんです。闘技大会で実力が認められて、宮廷魔法師に引き抜かれることだってあるんですよ」
「へえ……!」
「剣術にも同じように大会があって、毎年、午前に剣術、午後に魔法の大会が行われます」
エディの説明に、アイリスは思わず心躍らせた。随分と楽しそうな催しだ。いろんな魔法師の技が見られるなんて、そうある機会ではない。
そんなことを思っていると、リザが改めてアイリスに尋ねてくる。
「で、アイビーはどうするの? アイビーなら優勝間違いなしでしょ!」
「二人は出場するの?」
「私はパス。戦闘は得意じゃないからね」
アイリスの問いに、リザはそう答えた。彼女は回復魔法や支援系魔法を得意とするため、確かに大会とは相性が悪いのかも知れない。
「僕は出場したかったんですが、大会の日にどうしても外せない用事があって……」
そう言うエディは、酷く残念そうな表情を浮かべていた。
エディの戦闘能力は一年生の中でも群を抜いているので、もし出場していたら良いところまで行くのではないだろうか。彼が出場しないのは、アイリスとしても少し残念だった。
(でも、御前試合なら私も王妃としての仕事があるだろうし、流石に出場は無理そうね)
「私も、今のところ出るつもりはないかな」
「そっかあ、残念。でも、もし気が変わったら教えて! 応援に行くわ!」
「その時はアイビーの活躍を事細かに教えて下さいね、リザ!」
そんな会話をしていると、ホームルームを告げるチャイムが鳴り、マクラレンがガラッと扉を開けて教室に入って来た。
その後、久々の学校生活を満喫したアイリスは、満たされた気持ちで王城へと帰ったのであった。




