77.怖い先生
マクラレンは、魔族の青年から生徒たちを庇うように前に出ると、ニコニコとした表情に戻しながら彼に話しかけた。
「ええと、どちら様でしょうか?」
そう尋ねられた魔族は、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながらこう言った。
「仮面を付けた魔法師を出せ」
その言葉を聞いた途端、生徒たちが一斉にざわめき出した。どうやらこの魔族の目当ては、クラスメイトのアイビーらしい。この様子からして、あまりいい用件ではなさそうだ。
ちなみに、王都に張られた結界は対魔物用で、魔族には適用されない。魔族は生物学上、人族と近いので、魔族が入れない結界を作ってしまうと人間も入れなくなるからだ。
すると、魔族の青年の言葉に、マクラレンは困ったような笑顔を浮かべながら返事をした。
「ああ……すみません。残念ながら、彼女は本日欠席しておりまして。用があるなら、僕が代わりに伝えておきますが」
「さっさと出せっつってんだろ! 居ねえならどうにかしてここに呼んでこい!!」
マクラレンの回答に苛立った魔族は、声を荒らげてそう叫んだ。今にも襲いかかってきそうな勢いに、生徒たちの中には怯えた表情を浮かべる者もいた。
荒ぶる魔族を見て、マクラレンはまた困ったように言葉を返す。
「あのー、ここは穏便にいきませんか? 僕も暴力は嫌いなので――」
その瞬間、バシャン! という音が辺りに響き渡った。
今の音は、魔族が放った水魔法が防御魔法によって弾かれた時に生じたもののようだった。
生徒たちを取り囲むように張られた防御魔法は、どうやらマクラレンが無詠唱で展開したものらしい。
わずか一瞬の出来事に、生徒たちはみな目を丸くしていた。そして、驚いたエディが小声でリザに話しかける。
「リザ! マクラレン先生って無詠唱魔法使えるんですか!?」
「そんなの私も初耳よ!!」
学校の噂には人一倍詳しいリザも、このことは知らなかったらしい。
当のマクラレンは、なぜか防御魔法の外にいた。攻撃は避けたものの眼鏡にかすってしまったのか、割れた眼鏡が地面に転がっている。
「あーあー。この眼鏡、特注品なんですよ? 全く……修理代いくらかかるかなあ。労災が下りるといいんだけど」
マクラレンはやれやれという風にそう言いながら、地面に落ちていた眼鏡を拾い上げ、白衣のポケットに仕舞った。そして彼はニコリとした笑顔を作ると、ボソッとこうつぶやいた。
「まあでも、これで正当防衛ってことにできますよね?」
((――目が笑ってない……))
マクラレンの笑顔を見た生徒一同は、突如現れた魔族よりも、自分たちの担任の方がよほど恐ろしく思えた。
「よーし、皆さん! 実戦演習です! 各自、防御魔法を展開しましょう!」
マクラレンが明るい声でそう言いながらパチンと手を叩くと、生徒たちを覆っていた防御魔法が消えてしまった。自分たちを守っていた壁が消えて焦った生徒たちは、言われた通りに防御魔法を発動させる。
今はこの先生に逆らってはいけない……生徒たちは全員、心の内でそんなことを思っていた。
「おい……なに舐めた真似してやがる……!!」
マクラレンのヘラヘラした様子に苛立ちを隠せない魔族は、再びこちらに向けて水魔法を放ってきた。鋭い水の槍が勢いよく飛んで来る。
――が、その槍はマクラレンに届く前にただの水となってパシャンと地面に散らばった。
生徒たちはもちろん、魔法を放った当の本人も、理解できないという風に口をあんぐりと開けている。そして一拍おいてから、魔族が大声を発した。
「どういうことだ!? てめえ、何しやがった!?」
「残念ながら、僕には魔法は通用しません。ええと……もしまだ戦うなら、殴り合いとかに切り替えた方がいいですよ? それでも負ける気はしませんが」
そう言うマクラレンは、ニコニコした笑みを浮かべながら拳をポキポキと鳴らしている。
((え……? 殴り合いもいけるの、この人……??))
マクラレンの発言を聞いた生徒一同は、自分たちの担任の底知れなさに戦々恐々としていた。
すると、驚き顔のエディがまたもや小声でリザに話しかける。
「リ、リザ。さっきのが、先生のギフトの力ですか……?」
「恐らくね……攻撃魔法をあんな簡単に無効化するなんて、無茶苦茶な力だわ……」
「先生って、喧嘩も強いんですか……?」
「……そういえば、体術の心得もあるって聞いたことがあるわね。学生時代、喧嘩を売ってきた相手を魔法も使わずボコボコにしたとか……」
それを聞いたエディは、ヤバい人を見る目でマクラレンを見つめていた。
「てめえ……舐めやがって……!」
すると、完全にキレた魔族は、天に手をかざし巨大な水球を創り出した。あんな巨大な水球をぶつけられたりしたら、普通の人間ならひとたまりもないだろう。魔力量が膨大な魔族ならではの力技だ。
しかし、マクラレンはそれを見ても全く動じておらず、むしろこんなことを言い出す始末だ。
「皆さん、今から重力魔法の応用を実演してみせるので、ちゃんと見ててくださいね〜」
「クソがっ! 押しつぶされろ!!」
そう言って魔族が投球の仕草をすると、巨大な水球がマクラレンに向かって飛び出した。すると、マクラレンは少しだけ目を見開き、ポツリと詠唱を唱えた。
「《開け、漆黒の虚空》」
マクラレンが唱え終わった途端、その場に突如として黒い渦が現れた。そしてこちらに向かってきていた水球は、その黒い渦の中に吸い込まれ跡形もなく消えてしまったのだ。
マクラレンはあの巨大な水球を無効化してこの場にばら撒いてしまうと、一帯が水浸しになってまずいと思ったのだろう。しかし、突然の最上級重力魔法の実演に、生徒一同は唖然とした様子でポカンと口を開けていた。しかもマクラレンは、本来はもっとずっと長い詠唱を、かなり短縮して使用していたのだ。
「ふ、ふざけやがって……!」
どんな魔法も通じない相手とわかったのか、魔族にも流石に焦りの色が浮かんでいる。
すると、マクラレンはその場で魔族を指さし、クイッと下におろす動作をした。その途端、魔族は何かに押しつぶされるように勢いよく地面に倒れ、そのまま身動きを封じられてしまった。恐らくマクラレンが無詠唱による重力魔法を使ったのだろう。
「なんと言いますか……意気揚々と出てきた割に、随分と弱いですねえ……」
マクラレンはゆっくりと魔族に近づきながら、自分が倒した相手に残念そうな視線を向けていた。重力魔法で押しつぶされている魔族は、随分と呼吸がしづらそうだ。
「く、そっ、この……人間、風情が……!」
マクラレンは息絶え絶えに悪態をついている魔族の前まで行くと、その場にしゃがみ込んだ。そして、生徒の前では決して見せない鋭い瞳を魔族に向け、こう言った。
「……あんまり人間舐めない方がいいですよ? 僕のかわいい生徒に手ぇ出したら、ただじゃおかないんで」
生徒たちの位置からはマクラレンの表情を伺うことはできなかったが、きっと鬼のような顔をしているのだろうと全員が思っていた。
すると、マクラレンはスッと立ち上がり、少し困ったような笑顔で生徒たちに呼びかける。
「誰か拘束魔法を使える人いませんか〜? いたら挙手をお願いします〜! 僕、拘束魔法使えないんで、このままだと押しつぶすしかなくなっちゃうんですよ〜」
「あ、はい! 僕、使えます!」
「お、エディ君、流石ですね〜! じゃあ、お願いします〜」
マクラレンの呼びかけに挙手したエディが、魔族に寄っていき拘束魔法をかけた。
すると、既に泡を吹きながら気を失っていた魔族に向かって、マクラレンはニコニコと微笑みながら言葉をかける。
「良かったですねえ、拘束魔法を使える子がいて。じゃなかったら、今頃ペシャンコでしたよ、君」
((つっっよ!! そして、こっっわ!!))
この日、この場にいた生徒全員が、この先生には何があっても絶対に逆らわないでおこうと心に誓ったのだった。




