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【完結】愚鈍で無能な氷姫ですが、国取りを開始します 〜さっさと陛下と離婚したいので、隠してた「魔法の力」使いますね?〜  作者: 雨野 雫
第三章

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74.迷い


 湯浴みを済ませたアイリスは、サラに抱えられ夫婦の寝室へと運ばれた。そして、ゆっくりと寝台に下ろされる。魔力切れで体が動かせないアイリスは、ただなされるがままだった。


「ごめんね、サラ。ありがとう」

「いいよ。ゆっくり休んで、しっかり魔力を回復させな。今、王様を呼んでくるから」


 そう言ってサラが部屋から出ていくと、程なくしてローレンがやって来た。


 彼は苦しげな表情を浮かべながら、寝台の横に椅子を持ってきて座った。そしてアイリスの手を握ると、低くかすれた声で言葉を発する。


「……お前を危険にさらしてしまって、本当にすまない」


 そう言い終わると、ローレンは唇を強く噛み締めていた。彼のこんな姿を見るのは初めてだ。彼の表情には、怒りと悔恨、そしてどこか迷いも混じっているように見えた。


 そんな彼に、アイリスは穏やかな瞳を向けながら言葉をかける。


「いいえ。決して陛下が謝られるようなことではありません。グランヴィルの狙いは、私個人でしたので」


 アイリスがそう言うと、ローレンはわずかに手を握る力を強めた。そして彼は、迷いの色を濃くしながらポツリと言葉をこぼす。


「……俺が進もうとしている道は、間違っているのかもしれないな」


 その言葉に、アイリスは思わず表情をムッとさせ、不満気な声音でローレンに抗議した。


「陛下。もし今回のことで夢を諦めたりしたら、流石に怒りますよ?」

「…………」


 眉根を寄せながら沈黙するローレンに、アイリスはひとつ息を吐いてから尋ねる。


「ライラから、事情はどこまで伺ってますか?」

「お前が剣神グランヴィルに殺されそうになり、恵みのライラが助けた、ということだけだ。グランヴィルがなぜお前を狙ったかまでは聞いていない」

「彼は『黒髪緋眼』に恨みを持っていて、それで私を狙ったようでした。だから、陛下が負い目を感じるようなことは何もございません。どうか、ご自分の目指す道に迷いを抱かないでください」


 アイリスが力強くそう言うも、ローレンは険しい顔で沈黙したままだ。

 彼の様子にどうしたものかと困ってしまったアイリスは、今回の事の顛末と入手した情報を全て説明することにした。朗報を早く彼に伝えたかったのだ。


 グランヴィルが『黒髪緋眼』を恨む理由と、おそらくそれには誤解があるということ。グランヴィルにアイリスの居場所を教えた魔族がいて、その魔族は仮面の魔法師の正体に気づいていること。そして、ライラに調査の助力を得られること。


「四大魔族であるライラと協力関係を築けたんですよ! これは陛下の夢が大きく前進したのではありませんか!?」


 アイリスは瞳をキラキラと輝かせながらそう言ったが、一方のローレンは顔を歪め苦しさを露わにした。


「お前は……もっと自分の心配をしろ」


 そして彼は、アイリスの手を両手で包み込み、その手を己の額に当てた。まるで、神に祈っているかのようだ。


「俺の為に何かしようとしなくていいから……頼むから……死ぬな」


 アイリスの位置からでは俯くローレンの表情は見えなかったが、懇願するその声は酷く苦しそうに聞こえた。何かに怯えたようにも見える彼に、アイリスは心が締め付けられる思いがする。


「ごめんなさい……怖かった、ですよね」


 十年前に家族を失い、四年前に友を失った彼。身近な人を失う恐怖を、彼は嫌と言うほど味わってきたのだ。今回もしアイリスが死んでいれば、彼をまた孤独にさせるところだった。


 彼の頭を優しく撫でてあげたいのに、体が言うことを聞かないのがもどかしかった。体が動かないのならと、アイリスは優しく穏やかな声でローレンに言葉をかける。彼が、少しでも安心できるように。


「大丈夫ですよ。私、ちゃんと生きてますから。手、あったかいでしょう?」

「…………ああ」

 

 アイリスの言葉に、ローレンは短くそう返事をした。

 そして、しばらくしてローレンが顔を上げると、彼からはすでに先程までの悲痛な表情は消えており、今度は瞳に鋭さが宿った険しい顔になっていた。どうやら今から怒られるらしい。


「だが、魔力切れを起こすまで戦うな。身の危険を感じたなら、転移魔法でもなんでも使って全力で逃げろ」

「ああっ! 違います! これは、戦闘で魔力切れになったわけではなく……!」


 ローレンの叱責に、アイリスは慌てて訂正を入れた。そして、ライラに魔力を吸われた時のことを思い出し、思わず苦笑しながら説明を続ける。


「命を助けてもらったお礼がしたいとライラに言ったら、私の魔力を所望されまして……それで魔力切れになっただけなんです。まさか全部持ってかれると思いませんでしたが」

「…………事情はわかった」


 アイリスの言葉に、ローレンは酷く微妙な顔をしていた。そして彼は、依然として眉根を寄せたまま、心配そうに言葉をかけてくる。


「回復にはどれくらいかかりそうだ?」

「魔力切れを起こしたのは初めてなのでなんとも言えませんが……四、五日も寝ていればそのうち回復するかと」

「そうか」


 ローレンはそう言うと、徐に寝台に上がりアイリスに覆いかぶさる姿勢を取った。彼はアイリスの頭の横に両手をつき、その美しい顔をこちらの眼の前まで近づけている。


 彼の行動の意図が全く理解できず、アイリスは戸惑いながら尋ねる。


「あ、あの、陛下……?」

「俺の魔力をやる」

 

 ローレンの答えに、アイリスはとても嫌な予感がした。自分の予想が外れていることを心から祈りつつ、恐る恐る彼に尋ねてみる。


「まさかとは思いますが、その…………口移しで?」

「ああ」


 ローレンはなんてこともないように、短くそう返してきた。予感が的中してしまったことに内心頭を抱えつつ、アイリスは慌てて彼を制止する。


「お、お待ちを! 手からでも良いのでは……?」

「それだと少しずつしか渡せんだろう。お前がある程度動けるようになるには、かなりの魔力が必要なはずだ。日が暮れるぞ」


 魔力の授受というのは、ローレンの言う通り経口で行うのが最も効率的だ。経皮でも可能だが、確かに経口よりは時間がかかる。アイリスが動けるようになるまで回復するには、経皮ではかなりの時間がかかりそうだ。


 しかし、経口という手段は滅多に使われない。方法が方法というのもあるが、普通の魔法師なら経皮で十分だからだ。経口での魔力授受が必要な場合は、魔力切れで体が一切動かせず、かつ、すぐに体を動かす必要がある、といった緊急事態くらいである。


 今は緊急事態でも何でもない。寝て魔力を回復すればいいだけだ。


 問題なのは、アイリスの魔力量が人族の中でずば抜けているせいで、普通の人間なら一晩で回復するところ、何日も眠り続けなければならない、ということだ。


(でも――)


 魔力を受け取るには、受け手が相手の魔力の流れを感じ取り、意識的に吸い取ろうとしなければならない。ライラがアイリスの魔力を吸い取った時のように、与える側が何かするわけではないのだ。


 口づけをした状態でローレンの魔力に集中できる自信が全く持てず、アイリスは眼の前の彼に懸命に訴えた。


「緊張して魔力を受け取れる自信がありません!」

「なんとか集中しろ。救命行為だと思え」

「そもそも魔力をいただかなくても、数日寝ていれば回復しますから!」

「その間、体を動かせないなら、ろくに食事も取れんだろうが」


 アイリスがいくら言い返しても、ローレンは険しい顔のまま一歩も引いてはくれなかった。

 そしてとうとう、彼は有無を言わさずアイリスに唇を重ねた。

 

「ん……!」


 唇に当たる柔らかな感触に、アイリスはぎゅっと目を閉じた。

 思ったとおりだが、心臓が高鳴って魔力をもらうどころではない。だが、このままではただこの状況が長引くだけだ。


(集中……集中……! 魔法の修行を思い出すのよ、アイリス……!)


 心のなかでそう唱えながらなんとか集中すると、ようやく彼の魔力を少し吸い取ることができた。そして、唇が離れた一瞬の隙にすかさず主張する。


「もう結構で――」

「まだだ」

「んんっ」


 ローレンに再び口を塞がれ何も言えなくなってしまったアイリスは、またなんとか集中して少しずつ彼の魔力を吸い取っていく。そんなことが数回繰り返され、アイリスの顔は恥ずかしさでとんでもなく熱くなっていた。


 そしてようやく少し体が動かせるようにり、アイリスはローレンの唇が離れた瞬間を見計らって、彼の口を手のひらでパシッと覆った。


「も……大丈夫、です」


 若干涙目になりながらそう訴えると、ずっと険しかったローレンの表情にようやく安堵の色が浮かんだ。そして、彼は優しくアイリスの手を口元からどけると、気遣わしげな声で尋ねてくる。


「どうだ? 少しは動けそうか?」

「はい……この通り……」


 アイリスはそう返事をしながら、手のひらを閉じたり開いたりしてみせた。全身に酷くだるさが残るものの、なんとか体を動かせるまでには回復したようだ。


 ローレンは安堵した様子を見せるも、すぐに眉根を寄せてアイリスに懇願した。


「これに懲りたら、もう二度と命を危険にさらすような真似はしないでくれ。頼むから」


 そう言う彼は、またわずかに怯えているようにも見える。


「ごめんなさい、陛下。怖い思いをさせてしまって。今度はちゃんと、命を優先して動きますから」


 アイリスはそう言うと、ニコリと微笑みながら、動くようになった手で彼の頭を優しく撫でた。


「安心してください。私、魔族並みに魔力量が多いので、絶対陛下よりも寿命長いですよ」

「……ああ、そうだな」


 急に頭を撫でられたローレンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな表情を浮かべ短くそう答えたのだった。そんな彼の表情からは、もう怯えの色は消えていた。


 その後アイリスは、ローレンに手伝ってもらいながら食事を取った後、まだ日も暮れないうちに眠りについたのだった。


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