73.王妃と騎士
ライラが言っていた通り、程なくしてレオンが馬に乗って迎えに来てくれた。
「アイリス様!!」
レオンは馬から飛び降りアイリスの元へ駆け寄ると、背に腕を通し抱き起こしてくれた。そして、アイリスの服についた大量の血を見て、レオンが悲痛な表情を浮かべる。
「アイリス様、血が……! 早く手当を……!」
「傷はもう塞がってるから大丈夫よ。魔力切れで動けないだけ。心配かけてごめんね」
アイリスが苦笑しながらそう言うと、レオンは怒っているような、でも酷く苦しそうな表情をした。
「どうして……どうして俺たちだけ逃がすようなこと……!」
非難めいたレオンの言葉に、アイリスはなんと答えればいいか迷ってしまった。そして、眉を下げ困ったように言葉を返す。
「あのまま二人が戦ってたら、確実に殺されていたわ……。私のせいで、二人を死なせたくなかったの。彼が狙ってたのは、私ひとりだったから」
アイリスがそう答えると、レオンは今にも泣き出しそうに顔を歪めた。彼のこんな表情を見るのは、初めてのことだった。
「……騎士は、何があっても主君を守るのが仕事です。だからもう二度と……二度とこんな真似しないでください……!」
苦しそうに吐き出されたレオンの言葉に、アイリスは酷く心を痛めた。しかし、もう一度同じ場面に遭遇した時、自分が同じことをしない自信がなかった。自分のせいで誰かが死ぬなんて、きっと耐えられない。
「……ごめんね、レオン」
答えに困ったアイリスは、ただそうとだけ彼に返事をした。二度としないとは、どうしても約束できなかった。
その返事を聞いたレオンは大きく溜息をつくと、アイリスの上から自分のコートをかけ、血の付いた部分を隠してくれた。そして、左腕だけでアイリスを抱きかかえると、器用に馬に乗ってそのまま進みだした。
レオンは馬に乗っている間、終始無言だった。アイリスが彼の顔を見上げると、怒っているような、でもどこか苦々しい表情をしていた。そんな彼にアイリスも何も言えず、ただただ黙って馬に揺られていた。
そして、王家の別邸に到着すると、眉間に深い皺を寄せたローレンが玄関前に立っていた。今日はちょうど視察の中日で、彼は別邸で公務を行っていたのだ。
ローレンはレオンから馬上のアイリスを受け取り抱きかかえると、そのまま屋敷の中に連れて行った。
彼も彼で、怒っているような、でもどこか苦しそうな表情でその美しい顔を歪めていた。アイリスに何も聞いてこないところを見ると、どうやらライラの言っていた通りすでに彼女から大まかな事情は聞き及んでいるようだ。
「ごめんなさい……流石に四大魔族には勝てませんでした」
「何も言うな」
アイリスの謝罪に、ローレンは低い声で短くそう返すだけだった。そしてアイリスは、彼に抱えられたまま自室に連れて行かれる。
部屋の中には、湯の張られた浴槽が用意されていた。その傍らには、かなり機嫌の悪そうなサラが佇んでいる。
「まずは血を落とせ。サラ、湯浴みが済んだら呼べ」
「了解、王様」
ローレンはアイリスをサラに託すと部屋を後にした。
そしてサラは、体が動かせないアイリスに入浴の介助をしてくれた。アイリスの白い肌には固まった血が至る所にこびりついており、それを見たサラは酷く眉を顰めていた。そんな彼女は終始一言も発さないので、アイリスも何も言えずにいた。
血が洗い流されると、アイリスの左胸には傷跡ひとつ残っていないことが確認できた。治療してくれたライラに感謝しつつアイリスが安堵の吐息を漏らすと、サラが険しい声で言葉をかけてきた。
「あれは、やっちゃいけないことだったと思うよ」
『あれ』というのが、二人を逃がしたことを指しているということはすぐに理解できた。サラの説教に何も返せないでいると、彼女はさらにこう続けた。
「私たちを死なせたくなかったアイリスの気持ちもわかるけど、流石にレオンが可哀想だと思ったよ」
「二人の力を信用してなかったわけじゃないの。でも、あの相手では……」
アイリスが俯きながらそう返すと、サラは少し溜息をついてから続けた。
「アイリスに転移させられてこの屋敷に着いた時、あいつ、この世の終わりみたいな顔してたよ。あいつのあんな顔は、正直もう二度と見たくない」
顔を顰めながら言うサラの言葉に、アイリスは胸が締め付けられる思いがした。レオンを酷く傷つけてしまったことに後悔するものの、あの状況で自分がどうすればよかったのかわからない。
「……でも、自分勝手かもしれないけど、自分のせいで誰かが死ぬなんて、絶対に嫌なのよ」
「確かに自分勝手だね。アイリスがレオンを死なせたくないように、レオンもアイリスに死んで欲しくないって思ってることくらい、わかってるでしょ」
サラの言うとおりだ。自分のことは軽んじるくせに、他人の犠牲は許さない。これは、ただの自分勝手なわがままだ。頭では理解しているが、どうしても気持ちの整理がつかないアイリスは、途方に暮れたようにつぶやく。
「わかってる。わかってるけど……どうしたら良かったのかな……」
「これは私個人の意見だけど、アイリスは王妃として覚悟を決めるべきだと思うよ。王妃を守るために散っていく命もあるってことを、ちゃんと理解すべきだ」
サラの言葉は、何も間違ってはいなかった。王妃として受け止めるべき、正しい言葉だ。でも、どうしても心が拒否する。
「ま、頭ではわかっても、気持ちが追いつかないよね」
アイリスの心の内をすべて理解しているかのように、サラが声音を少し軽くしながらそう言った。
そして彼女は、穏やかな優しい表情をアイリスに向け、こう続ける。
「誰も死なせたくないなら、自分で守れるようになれば良いんじゃない? 逃がすんじゃなく、一緒に戦うって形でさ。アイリスには、それだけの力があると思うよ」
「一緒に、戦う……」
「そ。魔物討伐でもだいぶ連携取れてきてるし、どんな強い奴が相手だろうが、負けないくらい強くなれば良いんじゃない? 三人でさ」
「三人で……」
アイリスは目から鱗が落ちたような気分で、ただただ彼女の言葉を復唱していた。なんだか、眼の前がパッと開けたような気がした。
それからアイリスは、決意のこもった瞳をサラに向けた。
「……うん。強くなる、三人で! ありがとう、サラ!」
「どういたしまして」
穏やかに微笑むサラを見て、アイリスも思わず顔を綻ばせた。ずっと張り詰めていた気持ちが、やっと緩んだ気がした。
「ふふっ。サラって、なんだかお姉ちゃんみたい」
「それは……随分と面倒な兄妹を持っちゃったね」
アイリスの言葉に、サラがおどけたように肩をすくめてそう言うと、二人は顔を見合わせて微笑みあった。




