62.寂しがりな王様
翌朝、アイリスは夜が明け始めた頃に目を覚ました。
(――そうだ。昨日はドラゴンの誘拐事件を解決して……疲れて、陛下よりも先に眠ったんだった)
ぼんやりとした頭で昨日のことを思い出していると、自分の背中が妙に温かいことに気がついた。そしてアイリスの体に、誰かの腕が回されていることにも。
(――う、後ろから陛下に抱きしめられてる……!? なんで!?)
そう気づいた途端、アイリスの鼓動は今までにないほど激しくなった。ローレンが呼吸をするたび自分の首筋に吐息がかかり、もう気が気ではない。
このままでは心臓が保ちそうにないので、アイリスは脱出を試みようと、ローレンの腕をそーっと持ち上げた。しかし――。
「ん……」
耳元でローレンのかすかな声が聞こえ、アイリスはそこで固まってしまった。
(これ以上動いたら陛下を起こしちゃう……!!)
アイリスは頑張って今の体勢を保とうとしたが、ローレンの腕をずっと持ち上げておくことも出来ず、仕方なくまたそーっと下ろすことにした。
しかし、着地には無事成功したものの、後ろの彼がモゾモゾと動き出してしまった。まずいと思ったが、アイリスはどうすることもできず、ただただ息を殺してじっとするしかなかった。
そして、そんなアイリスの努力も虚しく、彼はとうとう起きてしまったようだ。
「……アイリス、起きたのか?」
ローレンはアイリスを抱きしめたまま、まだ眠そうな声でそう言った。耳元で響く彼のかすれた声が、またアイリスの鼓動を早くする。
「起こしてしまって申し訳ありません、陛下。あの……これは一体……」
アイリスが今の状況について尋ねると、ローレンはなぜか抱きしめる力を強めた。
「……もう一人で勝手にどこかへ行くな」
その言葉に、アイリスはマーシャから聞いた伝言のことを思い出した。昨日の早朝、ローレンに何も告げず学校に向かったのを怒られたのだ。
「その節は……何も言わずに出て行ってすみませんでした……」
疲れているローレンを起こしたくなくて、書き置きだけして出ていってしまったが、彼を起こしてでもちゃんと状況を説明するのが正解だったのだろう。
しかし、ローレンから返ってきたのは予想外の言葉だった。
「目が覚めた時、隣にお前がいないのは落ち着かない」
「…………!!」
てっきり龍王の件についてきちんと報告しなかったことを怒られたと思っていたので、なんとも拍子抜けしてしまった。
そしてアイリスは、思ったことをそのまま口にしていた。
「陛下って、意外と寂しがり屋ですよね」
国王に対して失礼極まりないことを言ってしまった気もするが、今は後ろにいる彼がただの年相応の青年に思えて、アイリスは思わず笑みをこぼした。
すると、少し間が空いた後、ローレンは機嫌が悪そうな声で返事をした。
「……うるさい」
「ふふっ。否定なさらないんですね」
そう言ってさらに揶揄うと、唐突に脇腹をくすぐられてしまった。アイリスは思わず身をよじり、笑い声を上げる。
「あはは! やっ、やめっ……! それは卑怯ですよ、陛下!」
アイリスが笑いながらなんとか抗議の声を上げると、ローレンはとても楽しそうに笑っていた。
いつも気難しい顔をしている彼がこんなにも笑っているところを、アイリスは見たことがなかった。
(――離婚しても、陛下に会いに行こう。友人としてでも、なんでも良い。彼が、独りじゃなくなるまで)
彼の心からの笑顔を見て、そう決意するアイリスだった。
***
後日、今回の事件の処罰が決定された。
キメラの研究で数々の命を奪ったドミニクは死罪となり、密かに学校から姿を消した。生徒たちには一身上の都合で退学したと説明され、特に混乱は起きなかったそうだ。ドミニクの凶行を未然に防げなかったとして、現在学校では内部調査が行われている。
また、ドミニクの父であるコネリー伯爵は、責任を取って爵位を返上すると申し出たらしい。しかし、領民からの信頼も厚く、領地経営の実績も十分なことを考慮し、『責任を感じるなら今まで以上の働きを見せろ』とローレンが告げたそうだ。
そして、地下室の檻に囚われていた二人の生徒は、無事学校に戻ったようだった。彼らは過激な反魔族派であることを理由に、ドミニクに良いように騙されたのだという。失踪した際に『家出する』という書き置きが残されていたのは、生徒自らがドミニクについて行ったからだった。
一方で、ドミニクと共に、一人の教員がひっそりと学校から消えていた。
ドミニクの証言によると、学校の地下室のことやドラゴンの出現場所に関しては、とある教員が教えてくれたのだという。しかし当の教員は、そんな記憶は全くないという証言をしたそうだ。ローレンが実際に二人に尋問したらしいが、不思議なことに両者とも嘘はついていなかったらしい。
ドラゴンを転移させた魔族も特定はできず、何ともスッキリしない顛末だ。
「でも不思議ですよね。自分のしたことの記憶がないなんて」
自室で護衛をしてくれているレオンが、今回の事件の結末について感想を漏らした。
今日はアイリスが自室に籠もり論文を執筆する日なので、専属護衛の二人もそばにいてくれている。
「うーん……精神操作系の魔法かもしれないわね」
「記憶が消されたってこと?」
アイリスの立てた説に、今度はサラが質問してきた。
「その可能性もあるし、操られていた可能性もあるわね」
精神操作系の魔法は、基本的に人族には扱えないものだ。アイリスも幻影魔法などの簡単なものしか扱えず、魔族の中でも使える者が限られるほどに難易度の高い魔法である。
ドラゴンを転移させた魔族が教師を操ってドミニクに接触した説も考えたが、わざわざそんなことをする理由がわからない。反人族派の魔族なら、そんな周りくどいことをせずにさっさと攻め込んで来たほうが早いだろう。
アイリスがそんなことをグルグル考えていると、レオンが思い出したように声を上げた。
「あ、そう言えば。アイリス様、新聞見ました?」
「え? 新聞?」
「これ、見出し一面。おめでとう」
サラが渡してくれた新聞の見出しには、「仮面の魔法師、龍王と盟友の契を交わす」とあった。
そして本文には、次のような内容が書かれていた。
王都に颯爽と現れた『仮面の魔法師』が、レッドウルフを見事に討伐したのは記憶に新しいだろう。
しかし、今回彼女は、ドラゴン誘拐事件を見事解決し、なんと大魔族である龍王ヘルシングから盟友の証を受け取ったのだ。
龍王との戦争を回避し、盟友の契まで交わした彼女は、まさに国を救った英雄と言えよう。
そしてどうやら、『仮面の魔法師』は国王陛下お抱えの魔法師のようだ。彼女を迎えた国王陛下の布陣は盤石と言えるだろう。
「国を救った英雄って……ちょっとこれ、盛り過ぎじゃない!?」
記事を読んだアイリスは、驚きと焦りで思わず声を上げたが、護衛二人はむしろ記事の内容に喜んでいるようだった。
「いいんじゃない? 嘘はついてないんだし」
「この新聞のおかげもあって、『仮面の魔法師』の評判、すげえ上がってるみたいですよ! それに、少しずつですが魔族への偏見も減りつつあるようです。良かったですね、アイリス様!!」
(魔族への偏見が減るのはとても喜ばしいことだし、仮面の魔法師の評判が上がるのも良いことだけれど……なんだか、書き方が大仰すぎないかしら……)
アイリスが冷や汗をかきながら新聞を見返していると、ローレンの側近のエドモントが自室に訪ねてきた。
そして、珍しく一人で執務室まで来るようにと言われ、アイリスはエドモントに連れられローレンの元へと向かうのだった。




