60.師匠
「というか、なんだあ? その格好は?」
ヘルシングにそう指摘され、アイリスは自分が今『仮面の魔法師』の格好のままであることに気がついた。彼とは夢の中ではアイリス本来の姿で会っているため、不思議に思ったのだろう。
「ああ、これ……ちょっと正体を隠さなきゃいけなくてね」
アイリスは、念の為周囲に人がいないことを確認してから仮面を外した。
すると、そんなアイリスの姿を見て、ヘルシングは少し顔をほころばせながらポツリと言葉をこぼした。
「やっぱ、面影が似てるな」
「似てる? 誰に?」
「前に会った『黒髪緋眼』に」
「!!」
先代の『黒髪緋眼』は百年ほど前に亡くなっているので、当然だがアイリスは他の黒髪緋眼と会ったことはない。歴代の黒髪緋眼については史実として記録されているのでどういう人物がいたか知ってはいるが、実際に黒髪緋眼と会ったことのある人物から話を聞くのは初めてだった。
アイリスは単純に興味があり、ヘルシングにいろいろと尋ねてみることにした。
「その人、名前は?」
「エマだ」
(エマ・アトラス――先代の『黒髪緋眼』ね)
「どんな人だった?」
「あいつは、そりゃあイイ女だったな。強く、気高く、勇ましく、それでいて聡明で美しい女だった。まあ、俺の嫁には負けるがな」
アイリスの問いかけに、ヘルシングは遠い目をして答えた後、最後は鼻の下をこすりながら自分の奥さんを嬉しそうに自慢していた。このままでは奥さんの自慢話が延々と続きそうだったので、アイリスはすかさず先代のことを尋ねた。
「エマって人、強かった?」
「ああ、お前よりもずっとな。俺でもアイツに勝てるかどうか、怪しかったくらいだ。でも、お前の方が不気味だな。見た目の魔力量と隙の無さが釣り合ってねえ」
目を眇めながらこちらをジロジロと見て値踏みするヘルシングに、アイリスは思わず苦笑してしまった。魔力の制限を解いてどちらが強いか見てみて欲しい気持ちもあったが、ここは街からも近い。万が一の可能性を考えて、止めておいたほうがいいだろう。
そしてアイリスは、先代の『黒髪緋眼』に関して最も知りたかったことを尋ねた。
「そのエマって人、どうして死んだか知ってる?」
自分が『黒髪緋眼』ということもあり、歴代の黒髪緋眼に関する記録は全て読み漁った。大体が戦死や病死などであったのに対し、先代の黒髪緋眼についてだけは死因の記録が残されていなかったのだ。
アイリスの問いに、ヘルシングは眉を顰めながらこう答えた。
「ああ? お前、子孫なのに知らねえのか? あれだよあれ、グランヴィルと戦って死んだんだよ」
「!!」
予想外の回答に、アイリスは思わず息を呑んだ。
確かにアトラス王国の北部全域は、剣神グランヴィルが治める領地と隣接している。過去にグランヴィルといざこざがあったのかもしれないが、そうであれば何故記録が漏れていたのだろうか。そんな隠すような内容にも思えない。
しかし、王国と無関係なヘルシングに尋ねても答えが返ってこないことはわかりきっていたので、一旦先代のことは頭の片隅に置いておくことにした。
そしてアイリスは、先程ヘルシングの魔力を測った時に浮かんだ、とある説を確かめることにした。しかしいざ聞こうとすると、自分の鼓動がいつもより早くなり、わずかに緊張しているのを自覚する。
「ねえ、ヘルシング。オズって魔族のこと知らない? 私の魔法の師匠なの」
「オズ? いや、知らねえなあ。ってかお前、魔族に魔法習ってたのかよ!!」
そう言って驚くヘルシングに、アイリスは構わず質問を続ける。
「じゃあ、魔王オズウェルドの特徴を教えて欲しいんだけど」
「オズウェルドの特徴だあ? そうだな……長身、灰色の髪、金色の目、あとは……二本のツノ」
半ば予想通りの答えに、アイリスは静かに息を吐き緊張を解いた。
(――やっぱり私の師匠は、魔王オズウェルドだったのね)
ヘルシングが挙げた特徴は、完全に師匠のそれと一致していた。
アイリスは、先程初めてヘルシングの魔力を見た時、師匠よりも弱いと思ったのだ。ということは、師匠は大魔族よりも上の存在――四大魔族しかあり得ない。
当時はオズという名前しか知らなかった上、まさか自分の師匠が四大魔族とは夢にも思っていなかった。今さら知ったところでどうということではないのだが、一つだけ困ることがあった。
(師匠には――オズには、陛下と離婚してからじゃないと会いに行けないわね……)
オズウェルドが治める領地は、バーネット王国と隣接している。今は休戦状態にあるとは言え、彼はこの国と対立する立場だ。この国の王妃である今、たとえ師匠に会いに行けたとしても彼を困らせてしまうだけだろう。
しばらく考え込んでいると、アイリスの質問から察したのか、ヘルシングが眉を顰めながら尋ねてくる。
「まさか……お前の師匠って、オズウェルドのことか……?」
「どうやらそのようね」
ヘルシングの質問にアイリスが苦笑してそう答えると、彼は唖然とした表情を浮かべていた。
「まじかよ……あいつ、人間の弟子なんかとってたのか……それも『黒髪緋眼』をか……」
そしてアイリスは、まだしばらく師匠に会えないことを悟り、ヘルシングに伝言をお願いすることにした。
「オズウェルドに会ったら伝えてくれない? あなたの弟子は元気に暮らしてるから、心配しないでって。……あと、小鳥を死なせてしまって、本当にごめんなさいって」
「自分で伝えろよ、って言いたいところだが、王妃だったら立場上微妙か。わかった、次会ったら伝える」
「ありがとう」
師匠に会いに行けないのは残念だが、むしろ事前に気付けて良かったと、アイリスはそう思うことにした。どうせ三年もすれば、離婚して自由に会いに行けるようになるのだから。
「あ、そうだ。お前にこれをやる」
「――鱗?」
ヘルシングが思い出したように手渡してきたのは、綺麗な鱗があしらわれた首飾りだった。
「ドラゴンとの盟友の証だ。困ったことがあれば、その鱗に魔力を込めろ。貸せる範囲で手を貸してやる」
「えっ、いいの!? そんな大切なもの」
「ああ。俺達一族は義理堅いんだ。今回世話になった礼とでも思ってくれ」
大魔族である龍王との盟友の証――。これはきっと、人族と魔族の橋渡しになるものだ。魔族との共存というローレンの夢の実現に、大きく一歩踏み出したのではないだろうか。
そう思うとアイリスは嬉しさで胸が一杯になり、瞳を輝かせながらヘルシングに礼を言った。
「ありがとう……! 大事にするわね」
すると、嬉しそうなアイリスを見て、ヘルシングはなぜか苦笑した。そして彼は、少しばかりの愚痴をこぼしたのだ。
「そりゃ良かった。昔、エマにやるっつったら、『私はお前に助けを求めることはないだろうから、次に会う黒髪緋眼に渡してやってくれ』って言いやがったんだ。今思うと、ほんと生意気なやつだったな」
「ふふっ、そうだったの?」
そのエピソードに、アイリスも釣られて苦笑してしまった。先代の『黒髪緋眼』は、大魔族に対しても随分と強気な人物だったらしい。
「じゃあな、アイリス。またどこかで」
「ええ、またね」
ヘルシングはアイリスに別れの言葉を告げると、息子たちと共にドラゴンの里へと帰っていった。




