59.親と子と
「殺しちゃ、だめだ」
怒りの感情に支配されていたアイリスは、ルーイに腕を掴まれそう言われたところで、ようやく冷静さを取り戻した。
そしてその反動で、学友を失った悲しみとやるせない気持ちが心の中に一気に溢れ出し、思わず顔が歪んでしまった。今の表情をルーイに見られたくなくて、アイリスは少し俯いて言葉を返した。
「殺しはしないわ。ただの幻覚魔法よ。証言が取れないと困るもの」
すると、ルーイはこちらの顔を覗き込み、気遣わしげな表情を浮かべた。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
「ええ。不安にさせてごめんなさい。もう大丈夫だから」
そう言ってルーイから顔をそむけると、キメラが入れられた檻の前にしゃがみこんだ。そしてアイリスは、苦しげな表情を浮かべながら謝罪した。
「ごめんなさい。今の私では、あなたを助けることはできない……。一度混ざってしまった魂を元に戻す方法は、まだ確立されてないの」
「ア……リ……ガ……ト……。オネ……チャ……ン」
感謝の言葉が返ってきたことに、アイリスはさらに顔を歪めた。なんとも救いようのないこの状況に、苦しさのあまり唇を噛み締める。
そして、アイリスは静かな溜息を吐くと、立ち上がってルーイに振り向いた。いくら苦しい感情に苛まれようとも、今はやるべきこと成さねばならない。
「ルーイ。あなた達を転移魔法で地上まで送るわ。私は龍王の息子とドラゴンの子を返しに行くから、こっちは任せていいかしら?」
「ああ、わかった」
アイリスの指示に、ルーイは真剣な表情で返事をした。そんな彼の瞳をアイリスは仮面越しに見据え、心からのお願いを伝える。
「ルーイ、一つだけお願い。キメラの子は保護して、必ず人間として扱ってあげて」
「安心して、お嬢さん。必ず守るよ」
「ありがとう」
ルーイが力強い言葉を返してくれたおかげで、アイリスは少しだけ表情を緩めることができた。
***
その後アイリスは、龍王の息子とドラゴンの子をイオールの街外れの泉まで転移させた。
まだそれほど日は高く昇っていない時間帯だったが、流石に地下室よりはだいぶ明るい。急に屋外に出たせいで明るさに目が慣れておらず、アイリスは眩しさで思わず目を細めた。
するとすぐに、アイリスの元にドラゴンの番が寄ってきた。
『ありがとう、人間の子。息子を見つけてきてくれたんだね』
『よかった……本当に、よかった……!!』
雄のドラゴンが礼を言い、雌のドラゴンはその目に涙を溜めながら安堵していた。
『おまたせ、二人とも。特に問題はなかった?』
『ああ、君がかけてくれた魔法のおかげで、人間に見つかることもなかったよ』
『良かった。一旦、不可視の光を解くわね』
アイリスが魔法を解いたちょうどその時、ようやくドラゴンの子が目を覚ましたようだった。寝ぼけ眼を自分の両親に向けている。
『パパ……? ママ……?』
『無事で良かった。一緒に帰ろう』
『うわああん! パパ! ママ! 怖かったよう!!』
両親と再会できてよほど安心したのか、ドラゴンの子は声をあげて泣き出した。ドラゴンの番は、自分の子供を抱きしめながら、よしよしとあやしている。
すると、ドラゴンの泣き声で龍王の息子も目を覚ましたようだった。ハッとした様子で辺りを見渡しアイリスを見つけると、ドラゴンたちの前で両手を広げてこちらを牽制してくる。
「出たな悪者め! ドラゴンには指一本触れさせないぞ! 成敗してやる!!」
「ま、待って。私は、あなた達を助けに来たの」
「嘘をつけ!」
「嘘じゃないわ。あなたのお父さんも、とても心配していたのよ。あなたを探すために、これを貸してくれたの」
アイリスはそう言うと、龍王から借りた上掛けを彼に渡してやった。すると彼は、急に不安げな表情を浮かべオロオロとしだした。
「父様……。どうしよう、僕、父様にたくさん迷惑かけちゃった……。きっと、すごく怒ってるよね……?」
「大丈夫。それでお父さんがあなたのことを嫌いになったりなんかしないわ。もし怒られたとしても、あなたのことが心配だったからよ」
そう言って龍王の子の頭を撫でながら落ち着かせていると、唐突に人族ではあり得ない膨大な魔力を感じた。その魔力の大きさにアイリスは無意識に身構えるも、すぐに聞こえてきた声に警戒を解いた。
「無事連れ戻してくれてありがとな、嬢ちゃん」
そこにいたのは、龍王ヘルシングだった。どうやら息子たちを迎えに来たようだ。
アイリスは真正面から龍王の魔力を観察し、思わず目を見開いた。夢で会った時は実体ではなかったので、正確な力量を測るのはこれが初めてだ。
(師匠以外の魔族に会うのはこれが初めてだけど、この魔力量は……)
アイリスの思考が他のことに奪われていると、龍王の子がヘルシングの方へ駆け寄り、自分の父親に思いっきり抱きついた。
「うわああん! ごめんなさい、父様! 僕、どうしても父様のお役に立ちたくて……。うっ、うわああん!!」
「あー、よしよし! よくドラゴンを守ろうとしたな。流石は俺の息子だ!」
ヘルシングは、そう言って息子を強く抱きしめながら、優しく頭を撫でていた。
微笑ましい光景ながらも、アイリスは複雑な感情を抱いていた。脳裏には、父親に愛されながらも道を踏み外してしまったドミニクの姿が浮かんでいる。
(彼らの明暗を分けたのは、なんだったのかしらね)
アイリスがそんなことを考えていると、ヘルシングがこちらに向き直って尋ねてきた。
「そう言えば、お前の名をまだ聞いてなかったな」
「申し遅れたわね。私はアイリス・バーネット。今は、この国の王妃よ」
アイリスがそう名乗ると、ヘルシングはあからさまに驚いた顔を見せた。
「王妃様だったか……! アイリス、約束を守ってくれてありがとな。改めて礼を言う」
「いいえ。元はと言えば、人族が起こした騒動よ。本当にごめんなさい」
「いや。そもそもは、ドラゴンの親子を転移させた野郎が悪い。今回のことは、そいつから守れなかった俺の落ち度でもある」
ヘルシングのその言葉に、アイリスはハッとした。
ドラゴンの里は、魔王オズウェルドが治める領地の北西に位置しており、人族ではまずたどり着けないはずだ。そもそも、転移魔法自体が人族にはそうそう扱えないものだと考えると、今回の騒動の犯人は魔族でほぼ確定だろう。
「犯人に心当たりがあるの?」
「んー、何人か思い当たる奴はいるが……。まあ、反人族派の魔族の中でも、過激派の仕業だろうな」
魔族と人族は、長きに渡って戦争を続けてきた。そのため、人族をよく思っていない反人族派も多くいると師匠から聞かされたことがある。そして、その反人族派の中でも、自分たちの領地を侵さなければ見逃す穏健派と、積極的に人族を殺そうとする過激派がいるらしい。
(過激派の魔族がドラゴンを転移させたのは、人族と龍王ヘルシングとの間に軋轢を生じさせるため……? 随分と回りくどくないかしら?)
何かの策略が隠れているように感じ、アイリスは以前にも事件の裏に魔族の影を感じることがあったのを思い出した。ローレンの自室の結界を、たった十日で解いた人物――。もしかしたら、今回の事件とも繋がっているかもしれない。
「思い当たる魔族の名前は?」
「そうだな……不死身のランゲルド、道化のエリオット、業火のギルバート、魅惑のゾーイ、あとは、風神雷神兄弟あたりか」
(どれも、以前師匠から聞いたことのある大魔族の名前ばかりだわ――)
背後に大魔族が潜んでいる可能性に冷や汗が流れる。そしてアイリスは、最も関わっていて欲しくない人物の名前を挙げた。
「剣神グランヴィルは?」
大陸北部を治める剣神グランヴィルは人間嫌いで有名で、四大魔族の中で最も人族を敵視している人物だった。もし彼が事件に関わっているとしたら、たとえアイリスと言えど対処するのは極めて困難だ。
すると、ヘルシングは眉を顰めながらアイリスの問いに答えた。
「あいつはそんなコソコソした真似しねえよ。殺したいやつがいればその場で殺す。そういう奴だ」
ヘルシングの回答に、アイリスは安堵の溜息を漏らす。どうやら最悪のシナリオからは逃れたらしい。
(今回ドラゴンを転移させた犯人と、陛下の自室の結界を解いた犯人は同一人物? でも、結界の件は明らかに人間が首謀者だったはずよ。反人族派の魔族が人間と共謀なんてするかしら?)
そこまで考えたところで、アイリスは今回の事件でおかしな点があることに気がついた。
(というか、そもそもドミニクは、どうしてドラゴンの出現場所がわかったの? そういえば、あの人のおかげ、とか言ってた気が……)
しばらくアイリスが考え込んでいると、ヘルシングが訝しげな顔で尋ねてきた。




