56.密かな冒険
地下室への階段を降りきると、しばらく土壁の細い通路が続いた。人工的に掘られたもののようだが照明はないので、ルーイが携帯用のランタンで辺りを照らしてくれている。
ひたすら歩き続けるのが暇だったのか、前を歩いていたルーイが唐突に雑談を始めた。
「そういえば、お嬢さん。なんで "愚鈍で無能な氷姫" なんて言われてるんだい? 本物の『黒髪緋眼』なのに、力まで隠して」
「アベル殿下に情報収集しろって言われてるの?」
アイリスがそう聞き返すと、ルーイは苦笑を漏らした。
「違う違う。興味本位の質問。それに、何を聞いても殿下には報告しないって、前に言ったろ?」
自分の正体がバレている以上、特に隠すことでもないかと思い、アイリスはルーイの雑談に乗ることにした。
「実は、母国をどうしても出たくて、無能を演じてたの。どこかに嫁ぐしか、価値がないと思わせるためにね」
「そりゃまた……でも、なんでそんなに母国を出たかったんだ?」
「うーん、そうね……。いろいろあって、あの国にいるのが辛かったからっていうのもあるけど……一番は、自由になりたかったから、かな」
魔法の力を隠さなければならない、感情を隠さなければならない、城から出てはいけない、そして、国を出れば命を落とす。自分に纏わりつく全ての不自由さが、アイリスにとっては耐え難いものだった。
すると、アイリスの答えを聞いたルーイが疑問を口にする。
「でも、この国に来たら来たで、王妃として縛られた生活だ。自由とは程遠い」
「確かにね。でも、母国よりはだいぶ自由にさせてもらってるわ」
「…………俺が攫ってあげよっか?」
少し間が開いた後、悪戯っぽくそう言ってきたルーイに、アイリスは思わず笑ってしまった。
「ふふっ。ううん、大丈夫。もし本当にこの国から出て行きたくなったら、自分一人の力で出て行けるもの」
アイリスがそう返すと、ルーイは再び質問を投げかけてきた。
「じゃあ、今この国に留まっているのはなんで?」
「私を母国から出してくれた陛下に、恩返しがしたいのよ」
「へえ。意外と義理堅いんだねえ」
「『意外と』は余計よ」
ルーイの失礼な発言を窘めると、彼はハハッといつものように楽しそうに笑っていた。
そんな話をしながら歩いていると、どこからともなくゴロゴロと音が聞こえてきた。なんだか段々とこちらに近づいている気がする。
「ねえ、ルーイ。嫌な予感がするんだけど」
「奇遇だね。俺もだ」
道の先は暗くて何も見えないのだが、良くないものが近づいているという気がしてならなかった。
「走れ、お嬢さん! 岩だ!!」
ルーイがそう叫んだ時、道を塞ぐほどの大きな岩がゴロゴロとこちらに近づいてきているのがアイリスにもわかった。今来た道を全速力で戻り始めたルーイに続きながら、アイリスは魔法で岩を破壊しようと試みる。
しかし、魔法を構築しようとした時、魔力が分散してうまく発動出来なかった。
「ちょっと待って、魔法が使えない!!」
「魔抗石だ! 壁に埋まってる!!」
ルーイの言葉に壁をよく見てみると、所々に魔抗石が埋められているのがわかった。体力に自信のないアイリスは走り続けるにつれ息が切れ、段々とルーイとの距離が離れていく。
アイリスの遅れに気づいたルーイは、一旦引き返してアイリスを肩に担ぎ上げた。
「きゃっ!」
「ちょっと我慢しててくれ、お嬢さん!」
そう言うと、ルーイはアイリスを担いだまま再び走り出した。
アイリスはルーイの肩に腹が圧迫されて少し息苦しかったが、一番しんどいのは彼本人だろう。先程よりも流石に速度が落ちている。
後ろ向きに担がれているアイリスは、だんだんと差し迫る巨大な岩を見て、大声でルーイに訴えた。
「ルーイ、このままじゃぶつかる! 私のことはいいから下ろして!!」
しかし、アイリスの叫びにルーイは答えず、ひたすら走り続けている。そして、巨大な岩との距離は縮まる一方だった。
(ぶつかる――!)
とうとう岩に追いつかれそうになり、アイリスがきゅっと目を瞑った時、体が急に揺さぶられる感覚があった。そして浮遊感を覚えた直後、地面に落ちたような衝撃を体に受けた。しかし、不思議と痛みはない。
恐る恐る目を開けると、ルーイがアイリスの下敷きになっていた。どうやら脇道に逃げ入ったと同時に、バランスを崩し倒れ込んだようだ。そして、ルーイはアイリスが地面に叩きつけられないように、受け止めてくれていたのだ。
「ごめん、ルーイ! 大丈夫!?」
「アッハハ! 間一髪だったねえ! お嬢さん!」
アイリスが急いでルーイの上から飛びのくと、彼は楽しそうに笑いながらそう言った。しかしアイリスは、自分を受け止めた衝撃で彼が怪我をしていないか心配になる。
「ルーイ、怪我はない?」
「ああ、大丈夫だよ」
ルーイはなんともないようにそう言うが、完全に足手まといになっていたことに、アイリスは不甲斐ない気持ちでいっぱいになった。魔法が使えないと何も出来ないのだと、改めて実感する。
「ごめんね……ありがとう」
「良いってことさ」
ルーイはそう言うと、落ち込んだように俯くアイリスの頭をポンポンと叩いた。そして立ち上がり、微笑を浮かべながらアイリスに手を差し出す。
「さあ、探検を続けよう。お嬢さん」
「……うん!」
アイリスはルーイの手を取り立ち上がると、気を取り直して再び地下道を進んだ。
そしてまたしばらく進むと、その先に開けた空間が見えてきた。壁も床もレンガできた、立方体の空間だ。
二人はその部屋に踏み入る前で、一度立ち止まった。部屋の中は明かりで照らされており中を伺うことができたが、そこはだだっ広い何もない空間で、向こう側に扉が一枚あるだけだった。
しかし、先程の岩のトラップのことを考えると、この部屋にも何か仕掛けがあるのは間違いなさそうだ。すると、部屋の中をジロジロと観察していたルーイが、ニヤリと笑いながら言葉をこぼした。
「この部屋、トラップまみれだ。この奥に余程やましい物が隠されていると見える」
「どうする? 防御魔法をかけてから、浮遊魔法で強行突破する?」
ここには魔抗石は見当たらず、先程試しに魔法を使ってみたが通常どおり使用できた。仮にトラップが発動しても、防御魔法を施しておけば身の危険はないはずだ。
しかし、アイリスの提案にルーイは渋い顔をした。
「いや、無理やり進んで向こうの扉が開かなくなっても困る。ちっと時間はかかるが、正攻法でいこう」
ルーイはそう言うと、どこからともなくジャラジャラとピッキングツールのようなものを取り出した。そして部屋の壁や床をじっくりと観察しながら、一つひとつトラップを解いていく。この地下室への扉を開けた時もそうだが、諜報員ということもあってこういう作業には慣れているようだった。
アイリスは手持ち無沙汰になってしまったので、今度はこちらから雑談を持ちかけることにした。
「さっき私を助けてくれたってことは、アベル殿下は陛下暗殺の黒幕ではないと思っていいのかしら?」
「ハハッ! 随分とストレートに聞くねえ、お嬢さん!」
ルーイはアベルの側近だ。アベルがもしローレンを暗殺しようとしているなら、ルーイがここでアイリスを助ける理由はないはずだった。
するとルーイは、アイリスに背を向け作業を続けたまま答えた。
「さあ、どうだろうねえ」
「本当の答えがどうであれ、そこは普通否定するところでしょう……」
少しからかうようなルーイの回答に、アイリスは半ば呆れたように溜息をついた。背中越しでも、彼が楽しそうに笑っていることが容易に想像できる。
すると今度は、ルーイが思い出したようにアイリスに尋ねてきた。
「そういえば、自由になったら何がしたいんだい? お嬢さん」
突然尋ねられたアイリスは、うーん、としばらく考え込んでから答えた。
「そうね……何よりもまずは、魔法の師匠に会いに行きたいわね。もうずっと会ってないから」
「じゃあその時は、俺も旅のお供として連れてってよ。一人旅ってのも、味気ないだろ?」
思わぬルーイからの提案に、アイリスは少し驚いて目を見開いた後、微笑をこぼしながら返事をした。
「ふふっ。それも良いかも。考えとく」
そうしてしばらく雑談を続けていると、作業を全て完了させたルーイが、アイリスの方に向き直って言葉をかけてきた。
「お嬢さん、完了だ! 扉の奥へ行こう!」




