54.強力な助っ人
人気のない学校で、アイリスはひとり焦っていた。
(手掛かりの上掛けに残されていた魔力で、龍王の子が学校棟にいるところまでは絞れたけど……他の人間の魔力の残滓が多すぎて、これ以上はよくわからないわ)
ローレンが先に遣わした部下たちと協力して、学校棟の隅々まで探し回っているが、なかなか見つかる気配がない。
(やっぱり、彼女の到着を待つしか……)
約束の時間まで猶予がない中で、アイリスの焦りは募る一方だった。
すると廊下に、コツコツという靴音が響いてきた。音の主は曲がった先にいるのか、まだ姿は見えない。
夜が明け始めたばかりのこんな時間に、一体誰だろうか。こんなわざとらしい靴音、ローレンの部下ではないはずだ。
(徹夜の研究員? 犯人の可能性もあるわ。念の為警戒を……)
アイリスが警戒態勢に入った時、廊下の曲がり角からとある人物が現れた。
黒い切れ長の瞳をした彼は、目を細めて笑いながらこちらに向かって手を振っている。
「やあ、お嬢さん」
「ルーイ!?」
靴音の主は、制服姿のルーイだった。驚いて大声を上げたアイリスに、彼は人差し指を唇に当てながら窘める。
「しぃー、声が大きい。それに、今の俺はルーカスだよ、お嬢さん」
ルーイの指摘に、アイリスは慌てて両手を口に当てた。彼はその様子を見て、また少し笑いながら続ける。
「それにしても、わざと靴音を立てて近づいて正解だったな。無音で近づいたら、危うくお嬢さんに攻撃されるところだった」
「それはなんと言うか……ごめんなさい」
「いいよ、いいよ」
あのタイミングで背後から音もなく近づかれていたら絶対に攻撃していた自信のあるアイリスは、ただただ彼に謝るしかなかった。
すると、彼は笑顔を引っ込ませ、珍しく真面目な顔をして尋ねてくる。
「それにしても、王城の人間が急に増えたね。何か探し物かい?」
(この人、学校に寝泊まりでもしてるのかしら……。陛下の部下が送り込まれたのは、昨夜のはずよね)
訝しんだアイリスは、声を落としてルーイに尋ねる。
「こんな早朝に、どうしてここに?」
「アハハ、怪しんでるねえ、お嬢さん。大丈夫、大丈夫。俺がこんな時間にここにいるのは、例の魔法師失踪事件を調べてただけだから」
アイリスの問いに、ルーイはいつもの胡散臭い笑顔を浮かべながらそう答えた。
怪しさが一切拭えないルーイの表情に、アイリスは思わず彼の制服を確認する。しかし、制服のボタンは一つも欠けず、ちゃんと全て付いていた。
(裏にアベル殿下が動いていて――ってことは、あんまり考えられないわね。わざわざ龍王と衝突する理由がないもの)
胡散臭いこの人物に話していいものか迷ったが、彼が犯人である可能性は低いと見て、事情を説明することにした。しばらくここで調査をしているなら、この学校のこともそれなりに詳しいはずだ。彼にしかない視点が聞けるかもしれない。
そして、アイリスが一通り説明を終えると、ルーイは少し眉を顰めながら言った。
「なるほど、そりゃ大変だ。俺も手伝うよ」
「ありがとう、助かるわ。学校棟にいるのは確かなんだけど、探しても探しても一向に見つからないの。どこか探してない場所があるはずなんだけど……」
アイリスが困り果てたようにそう言うと、ルーイは目を眇めながらとある噂話を口にした。
「お嬢さん、知ってるかい? この学校の七不思議」
「七不思議?」
「そ。この学校には、秘密の地下室があるって噂だよ」
(地下室!? もし本当にあるなら、隠すには絶好の場所じゃない!)
ルーイの話に食いついたアイリスは、彼に詰め寄って尋ねた。
「それってどこにあるの!?」
「そりゃあ、七不思議の一つになるくらいなんだから、誰も知らないよ」
「何よそれ……」
何とも期待ハズレな話に、アイリスが半ば呆れ顔でルーイを見遣ると、彼はニヤリと笑い返してきた。
「だからさ、いくら探しても見つからないなら、隠し部屋があるかもって話だよ、お嬢さん」
「隠し部屋……」
本当に隠し部屋が存在するなら、これだけ探し回って見つからないのも納得だ。しかし、その部屋がどこにあるのかわからなければ、結局意味のない机上の空論に過ぎない。
すると、行き詰まったアイリスのもとに、パタパタと廊下を駆けながら声をかけてくる人物がいた。
「アイビーさん!」
待ち望んだその声に、アイリスはパアッと表情を明るくする。
「マーシャさん!」
そう。アイリスが到着を待っていたのは、この学校の研究員であり公爵令嬢でもあるマーシャ・ルーズヴェルトだ。ローレンの暗殺に関わる例の事件の後、マーシャとは度々言葉を交わす関係になっていた。
マーシャはアイリスの前で立ち止まると、少し息を整えてから申し訳無さそうに謝罪した。
「ごめんなさい。ちょうど用事で実家に帰っていて。陛下から、至急あなたを手伝うよう要請が来たので、急いで戻ってきたんです」
実は、アイリスは夜明け前の学校に到着すると、まず第一にマーシャの元を尋ねていた。しかし、彼女の研究室や寮に行っても残念ながら不在だったのだ。念の為ローレンへの置き手紙に、マーシャへ連絡を取ってもらうよう書いておいて正解だった。
「事情は陛下から聞き及んでいます。私にできることはありますか?」
「ありがとうございます、マーシャさん。この持ち主がどこにいるかわかりますか?」
息を切らしながら急いで駆けつけてくれたマーシャに感謝しつつ、アイリスは龍王から借りた上掛けを彼女に渡した。
彼女のギフトは、人より圧倒的に優れた魔力探知能力だ。その力があれば、龍王の息子のところまで辿り着けるとアイリスは踏んでいた。
「ええ、任せてください」
マーシャは力強くそう言うと、一度目を閉じ、意識を集中し始めた。そして程なくして再び目を開けると、彼女はこちらに微笑みかけながら言った。
「わかりましたよ、アイビーさん。付いて来てください」
「ほんとですか!? ありがとうございます!!」
「まじか。すげえな」
アイリスはマーシャに感謝しつつ、心の中で深く安堵した。これで約束の期限内に龍王の子たちを見つけ出せる可能性が大幅に高まったはずだ。一方のルーイは、マーシャの能力にただただ目を大きく見開き驚いていた。
マーシャの案内に付いて行きながら廊下を歩いている途中、アイリスはふと気になったことを口にした。
「そういえば、マーシャさんとルーカスは知り合いなんですか? 初対面って感じに見えなくて」
「ええ。ルーカスさんは、この学校ではわりと有名人ですから」
マーシャは、なぜか少し苦笑しながらそう答えた。すると、ルーイが目を眇めてこちらを見ながら説明を加える。
「『万年二年生のルーカス』。俺の二つ名」
この学校は進級試験が難しく、留年する者も多くいると聞く。ルーイはきっと、諜報活動のために敢えて二年生のまま留年し続けているのだろう。
「なんて不名誉な二つ名なの……」
ルーイの言葉に、アイリスは半ば呆れ気味に彼を見遣った。まあ、"愚鈍で無能な氷姫" の二つ名を持つアイリスに言えたことではないのだが。
(そして一体いつからこの学校にいるのよ……。今回の事件以前にも、何度も潜入調査してるんでしょうね……)
アイリスがそんな事を考えていると、マーシャが思い出したように口を開いた。
「ああ、あと、陛下からアイビーさんに伝言があったのですが……」
「何でしょう?」
「ええと……」
アイリスが聞き返すと、マーシャはどこか言いにくそうに口ごもっていた。その反応を不思議に思っていると、彼女が予想外のことを口にした。
「その……何も言わずに勝手に出ていくな馬鹿者、と……」
「へ……?」
伝言のまさかの内容にアイリスが目を丸くしていると、隣にいたルーイが盛大に吹き出した。
「ブッ、アッハハ! お嬢さん、黙って出て来たのかい? それは流石に陛下が可哀想だよ!!」
(だって、陛下の睡眠の邪魔したくなかったんだもの……!! でも、ちゃんと口頭で説明してから行くのが正解だったのね……)
仮面の魔法師の正体を知らないマーシャは、何ともいえない表情でこちらを見ている。
そしてアイリスは、腹を抱えて笑うルーイを睨みつけてから、マーシャに向かって気まずそうに言葉を返した。
「城に戻ったら、陛下に謝っておきます……」




