53.龍王ヘルシング
王城に帰還後、廊下を歩いていたアイリスたちに声をかけてくる人物がいた。
「陛下、よくぞご無事で」
中肉中背のこの初老の男性は、アベル陣営の一人、宮廷魔法師団長のギデオン・ランスだ。
「いやはやしかし、魔物討伐に行った先で野盗の集団に出くわすとは、誠に災難でしたなあ」
国王を気遣うような言葉を吐きながら、眼の前の男は薄ら笑いを浮かべている。
ローレンに対しあからさまな敵意を向けるこの人物を、アイリスはかなり苦手としていた。隣りにいるレオンも、不快感が表に出ないよう必死に我慢しているようだった。
一方のローレンは、ランスの態度を気にする様子もなく淡々と言葉を返していた。
「ああ、全くだ。あの程度の刺客を寄越すとは、俺を殺したい奴も随分と半端なことをする」
「はは、誠にその通りですな。ああ、そういえば、魔物討伐ではあの『仮面の魔法師』に助けられたというではありませんか。彼女は確か王城の関係者でしたかな? 最初から彼女に頼めば良かったものを――」
「ランス師団長」
オースティンは鋭い声でランスの名を呼ぶと、ギロリと睨みつけながら彼の言葉を遮った。
「言いたいことはそれだけか? 陛下は疲れておいでだ。戯言ならまた今度にしろ」
オースティンの制止に、ランスは苦々しい表情を露わにした。
「これは失礼いたしました。では陛下、ごゆっくりお休みください」
そうしてランスが去ると、アイリスたちは再び廊下を進み始めた。
すると、しばらく歩いてから、サラがこっそりとアイリスに耳打ちしてくる。
「ねえ、アイリス。さっきの奴、殺しておいた方がいい? 今、『さっさとくたばれば良いものを』って言ってたよ」
「サラ、よく聞こえたわね……もう姿も見えないのに」
アイリスが驚くと、サラは自分の耳のあたりをトントンと叩いた。
「耳も強化できるからね。聞こうと思えば、王城内の会話なら大体わかるよ」
サラの能力に改めて驚きながらも、アイリスは先程の彼女の言葉に頭を抱えた。
(ランス師団長が、野盗を差し向けた張本人? 一連の黒幕のこともまだわかってないし、ああ、もう、やることが多すぎるわ)
アイリスは小さく溜息をつくと、サラに小声で言葉を返した。
「報告ありがとう。でも、流石に宮廷魔術師団長に手を出すのはまずいわ。陛下には、私から伝えておくわね」
「了解」
その後、アイリスは自室に戻り早々に寝支度を済ませると、夫婦の寝室で仮眠を取ったのだった。
***
アイリスが次に目を開けると、そこには真っ青な空が広がっていた。しかも、寝台ではなく、緑の上に寝転がっている。
起き上がって辺りを見回すと、どうやらここは渓谷のようだった。切り立った山々がそびえ立ち、その間に美しい川が流れている。そして、空には何匹ものドラゴンが飛び交っていた。
(ここは恐らくドラゴンの里ね……。これは、夢……?)
あり得ない状況なのに、妙に冷静な自分がいる。そのまま歩きだすと、素足の裏に感じる草の感触が、少しこそばゆかった。
すると、アイリスに声をかけてくる人物がいた。
「よお」
振り返ると、そこには深緑色の髪をした長身の男が立っていた。見た目は二十代後半くらいだろうか。鋭い眼光を持つ彼の皮膚は、ところどころ鱗に覆われている。
「あなた……もしかして、龍王ヘルシング?」
アイリスは直感的にそう思い、眼の前の男に思わずそう尋ねていた。
「ああ、そうだ。悪いがお前には、俺の夢の中に来てもらった。少し話がしたくてな」
(呼び出されたのは、絶対にドラゴンの失踪の件ね……)
夢の中なのに、アイリスは背中に冷や汗が流れる感覚を覚えた。
するとヘルシングは、訝しげな顔でこちらに尋ねてくる。
「でも、なんで俺が龍王だとすぐにわかった?」
「昔、魔法の師匠から、あなたやドラゴンのことについて教えてもらったことがあったの。ここはドラゴンの里ね」
「ほおん? 随分と物知りな師匠だな。……ん? お前、よく見たら『黒髪緋眼』か?」
そう言いながらヘルシングは、ずい、とアイリスに顔を近づけてきた。急に目の前に龍王の顔が来たものだから、アイリスは思わず半歩ほど身を引いた。
「……『黒髪緋眼』のこと、知ってるの?」
「ああ。魔族の中では結構有名だぜ」
そう言うと、ヘルシングはアイリスに近づけていた顔を離し、腕組みしながら話を続けた。
「まあ、んな事はどうでもいい。それよりも、随分と大口を叩いたもんだな。ドラゴンの子供を絶対に見つけ出す、だって?」
「……手出しは不要と伝えたはずだけど。てっきりあなたは静観しているものだと思っていたわ」
「初めはそのつもりだったんだがな。が、事情が変わった。実は、俺の息子も消息がわからなくなってな。いなくなったドラゴンの子を探しに行くと書き置きがあったんだ」
「なっ!?」
ヘルシングの言葉に、アイリスは驚きのあまり目を見開いた。そして、頭からサーッと血の気が引いていく。
(もし龍王の子供に何かあれば、彼との戦争は避けられないわ……!!)
「俺の息子とドラゴンの子は一緒にいる可能性が高いとみてる。今すぐお前らの国に攻め入って探し出しても良いんだが、事を荒立てて息子たちに何かあっても困る」
ヘルシングはそこで一度言葉を切ると、鋭い眼光でアイリスを見据えてから続けた。
「そこで、だ。お前を見込んで猶予をやる。今日中に、俺の息子とドラゴンの子を見つけてこい」
ヘルシングのその発言に、アイリスは慌てて言葉を返す。
「ま、待って。流石に一日じゃ無理よ! 七日……いや、五日でいいわ!」
「だめだ、そんなに待てん」
「せめて三日!」
「二日だ。これ以上は譲歩できん」
「…………わかったわ」
これ以上の交渉は出来ないと悟ったアイリスは、ヘルシングの条件を渋々承諾した。そして、眼の前の彼は表情をさらに険しくすると、鋭い眼光でアイリスを睨みつけながら言った。
「いいか。もし息子に傷一つ付いてたら、お前たちの国を滅ぼしに行くからな」
「……申し訳ないけれど、その時は力ずくであなたを止めなきゃならないわ」
「ハッ。言ってくれるな。じゃあ、そん時は、まずお前から殺してやる」
アイリスが睨み返しながら放った言葉に、ヘルシングは嘲笑を浮かべながらそう言った。
そうして少しの間、睨み合いが続いた後、自然と二人の視線が外れる。
「じゃあ、約束は守れよ」
そう言ってこの場を立ち去ろうと背を向けるヘルシングを、アイリスは慌てて呼び止めた。
「待って。何か情報をちょうだい。息子さんは、どんな見た目?」
「息子がどんな見た目だって……?」
アイリスの言葉にヘルシングは立ち止まり、再びこちらに向き直った。そしてなんと、満面の笑みを浮かべながらこう話し出したのだ。
「それはもう、超ーーー絶、可愛い! まだ、こーんなに小さくてな? 俺に似て凛々しい顔立ちなんだが、笑った顔は嫁そっくりで――」
それからアイリスは、ヘルシングから息子についての話を延々と聞かされた。嬉しそうに語る彼の様子に、アイリスは思わず笑みをこぼす。
(師匠から聞いてた通り、本当に親バカなのね)
なかなか止まらないヘルシングの話が一旦落ち着いたところで、アイリスはすかさず口を挟んだ。
「じゃあ、何か手掛かりになる物を貸してくれない? 息子さんの魔力が宿ってそうな物――例えば、いつも肌身離さず持ってる物とか」
「え? あー、ちょっと待っとけ? ええと……ああ、あったあった」
ヘルシングから手渡されたのは、一枚の布切れだった。
「息子が赤ん坊の時から使ってる上掛けだ。ちゃんと返せよ?」
「ええ、もちろん。ありがとう」
その後アイリスが夢から目を覚ますと、ヘルシングから受け取った上掛けが自分の手に握られていることに気がついた。長年使われているせいか随分とくたびれてはいるが、その生地は一級品で、元はかなりの上物だったことが伺える。
そして隣を見ると、ローレンが静かに眠っていた。昨日の疲れもあってか、アイリスが多少動いても起きる様子はない。今ローレンを起こして龍王の事を報告するか悩んだが、あと数刻もすれば夜明けだ。
(……陛下には、書き置きして行きましょう)
そうして袖机に書き置きを残したアイリスは、こっそりと自室に戻った。そして、いつもの制服と仮面を身に着け、まだ夜明け前の学校に向かうのだった。




