25.夕方の学校探検
「んー、終わったー!」
アイリスの隣に座るリザが、そう言いながら大きく伸びをした。午後の授業が終わり、各々帰宅の準備を始めている。
「じゃあ行きましょうか、アイビー。まずは、今いる学校棟から案内するわね」
「ありがとう。よろしくね、リザ」
アイリスが立ち上がると、前に座っていたエディがこちらを振り返り、残念そうな口調で言った。
「本当は僕も一緒に行きたかったんですが、用事があるので今日は帰りますね。ではまた、アイビー、リザ」
「ええ、またね。エディ」
エディと別れた後、アイリスはリザに連れられ、学校棟にある教室や実習室、図書室などを案内してもらった。学校棟は、生徒だけでなく教員や研究員も各施設を利用するため、面接の際に訪れた教員棟よりもかなり広い造りになっている。
「さて、次はどの棟に行こうかしらね。アイビーは寮に行くこともないだろうから、パスするとして……」
学校棟を一通り説明し終えたリザが、腕組みしながら次に案内する場所を考えてくれていた。『寮』と聞いて、アイリスは気になっていたことをリザに尋ねてみた。
「そう言えば、リザは寮に住んでるの? 留学生って言ってたけど」
「ええ、そうよ。留学生は基本、寮に住んでるんじゃないかしら」
「そうなんだ。リザはどうしてこの国に留学しようと思ったの? フリューゲル王国にも魔法学校はあったと思うけど」
他国からわざわざ留学してくる学生はごく少数だ。アイリスは、単身で他国に魔法を勉強しに来ているリザの行動力を尊敬していた。
「あるにはあるんだけど、母国の魔法学校よりここのほうがレベルが高くて。ほら、うちの国はライラ様に頼り切りだから、魔法に対する向上心がそこまで高くないのよ」
この国の南東に位置するフリューゲル王国は、小国ではあるが、とても豊かな国であると聞く。それは、国の南部一帯が四大魔族である『恵みのライラ』の領地と接しており、ライラと共存関係にあるかららしかった。
ライラは、魔族には珍しく人族との良好な関係を望み、人族が供物を捧げる代わりに何らかの恵みをもたらすと言われている。共存と言うよりは、ある種の信仰に近いのかもしれない。
「本当は、魔法の聖地であるアトラス王国の学校に行きたかったんだけど……ほら、あの国って閉鎖的でしょ? 留学生の受け入れとかしてなくて……」
「そ、そうなんだ……」
思いがけず母国の名前が出てきて、アイリスは一瞬顔が引きつりそうになった。アイリスは自分の国について学ぶことがあまりなかったため、閉鎖的だということもよく知らなかった。だが、国外に出たら死ぬ呪いを『黒髪緋眼』にかけるほどだ。あの国が自国の魔法研究に関する情報の流出を嫌がるのは、容易に想像ができた。
アイリスは、一旦アトラス王国のことを頭の隅に置き、魔法師捜査のための情報収集に移った。まずは、この学校の有力者の聞き込みからだ。
「ねえ、リザ。この学校で実力のある人って誰なの?」
「え!? なに、アイビー。道場破りでもするつもり?? あなたなら、この学校の関係者みんな倒せるかもしれないけど……」
リザの突拍子もない勘違いに、アイリスは思わず苦笑した。
「違う違う。ただ単に、興味本位の質問よ」
アイリスの返答に安心した様子のリザは、顎をつまみながら思案顔で答える。
「んーそうね……やっぱり強さで言ったら、校長のホーキング先生かな。元宮廷魔法師で、実力もトップクラスだったとか。あとは、魔法史のノエル先生と、防御魔法学のスコット先生でしょ……? あ、担任のマクラレン先生も、すごく強いって聞いたことがあるわ!」
「そうなの?」
「うん。マクラレン先生もここの卒業生なんだけど、学生時代はすごく暴れてたって噂よ」
「へえ。なんだか意外ね」
まだそれほど話したわけではないが、マクラレンは総じて穏やかな印象だった。にこやかに話す彼が暴れている姿は、あまり想像できない。
「才能で言うと、エディはすごいわね。若干十四歳でこの学校に入学して、今は学年一位の成績だもの。なんでも、代々宮廷魔法師を輩出する名門貴族の出身らしいわ。お父君は宮廷魔法師としてアベル殿下に仕えていて、エディもたまにお仕事を手伝ったりしているみたいよ。今日もその関係で早く帰ったんじゃないかしら」
「そうなの……」
突然アベルの名前が出てきて、アイリスは思わず身構えてしまった。先日アベルと会話をした限りでは、彼は白ではないかと感じたが、確証はない。念の為エディにも探りを入れる必要がありそうだ。
「あと、研究所でたくさん功績を挙げてるのは、グレネル教授とモーガン教授かな。若手だと、グレネル教授のところで研究してるフォックスさんも優秀と聞くわ」
「ありがとう、リザ。なんでも知ってるわね」
「へへ、まあね」
アイリスが褒めると、リザは得意げに鼻の下を擦った。
(ひとまず、教えてもらった人物を当たってみましょうかね。あとは、過去の論文を探して、結界の無効化に関するものがないか調べましょう。……早くしないと、陛下に先を越されるかもしれないし、急いで調査しないと)
アイリスは、今日一日学校で過ごしていて、ローレンが遣わしたらしき部下たちをチラホラ見かけた。各々変装はしていたが、アイリスは一度相手の魔力を見れば姿を変えても同一人物か判別できるので、変装した部下を見かけた時すぐにわかったのだ。
アイリスだけに任せるのは心許ないので、ローレンはローレンで調査を進めているのだろう。
その後アイリスは、リザに連れられ教員棟と研究棟も簡単に案内してもらった。必要最低限の場所は教えてもらったので、これで校内で迷うことはなさそうだ。
そろそろ日も暮れてきたので、今日のところは一旦解散ということになった。しかしアイリスは別れ際に、リザからとんでもないことを尋ねられた。
「ねえねえ、ずっと気になってたんだけど、アイビーって恋人いるの?」
「ふぇっ!?」
アイリスは予想だにしない質問に、思わず声が裏返ってしまった。恋人どころか夫がいるとは流石に言えない。
「その反応は、いるわね!?」
「え、えーっと……ど、どうしてそう思ったの……?」
「だって、そのネックレス! 贈り物でしょ!?」
リザはニヤニヤしながら、アイリスの胸元を指差した。
アイリスは、昨日ローレンからもらったダイヤのネックレスを早速身につけていたのだ。制服でほとんど隠れていると思っていたが、リザは目ざとく見つけたらしかった。
「う、うん……」
「この国で一粒ダイヤを贈る意味! それは『一生君を守る』!! きゃー!! 素敵ね!!!」
「え!? そうなの!?」
そんな意味があるとは全く知らなかったアイリスは、思わず顔を赤らめた。そんなアイリスを見て、リザは興奮気味に両手で頬を抑えている。
しかし、アイリスはすぐに冷静になり、少し表情を暗くした。
「…………でも、本人にそういう意図はなかったと思うわ」
いずれ離婚をする妻に、『一生君を守る』という意味合いを込めて贈ったとは到底思えない。別に、ローレンに守って欲しいと思っているわけではないのに、なぜだか心が沈んでいくのを感じた。
すると、リザはやれやれという風に両手を腰に当てながら言った。
「それは、本人に聞いてみないとわからなくない? 憶測で相手の気持ちを決めつけちゃだめよ! 数ある物の中から一粒ダイヤを選んだのなら、何らかの意味があるはずだと思うけどなあ。それに、重要なのは、アイビーが彼のことをどう思ってるかよ!」
「私が、どう思ってるか……」
(私は、陛下のことをどう思っているんだろう……。母国から連れ出してくれた恩人? 一緒に政権を奪還する同士? それとも…………)
「自分でも、よくわからないわ」
考えた末、アイリスは困り顔でリザにそう答えた。いろいろな感情が複雑に絡み合い、これを言語化するのは難しそうだった。
「そっか。でも、もしアイビーが彼との関係を進めたいと思うなら、全力で応援するわ! 何かあったら、いつでも相談してね!」
「ありがとう、リザ」
その後リザと別れると、アイリスは校門を出て少し離れたところで転移魔法を使い、王城にある自室へと戻った。
こうして、アイリスの登校初日は終了していった。




