後日譚2ー3.新しい魔法
フレイヤに『知らない魔法を見せてくれたら結婚を考える』という条件を提示してから、彼女はぱったりと魔王城に来なくなった。
求婚を諦めたのかとも思ったのだが、どうやらそうではないらしい。アイリスからの手紙によると、研究室に籠もってひたすら新しい魔法の開発に取り組んでいるそうだ。
そして、彼女が魔王城に来なくなって、五年が過ぎた。
最初は仕事を邪魔されずに済んで清々したとすら思っていたが、次第にフレイヤがいないことへの寂しさが募るようになっていった。毎日のように彼女のことを思い出し、そして気付いた。自分がいかに彼女に惹かれていたのかを。もうとっくに惚れていたのだ。
しかし条件を出した手前、こちらから会いに行くのは気が引けた。条件を取りやめて求婚を受け入れるのも、やはり勇気が出ない。彼女と共に生きた末に彼女の死を見届ける覚悟が、どうしてもできなかった。
結婚する覚悟ができない一方で、離れている間にフレイヤの心が変わってしまうのではないかと不安に駆られた。でもそのたびに、身勝手な自分に嫌気がさした。
離れてみて初めて自分の気持ちに気づくとは、本当に愚かだ。ローレンやアイリスからは『いつでも会いに来い』と言われていたが、今さらフレイヤに合わせる顔がなかった。
心に靄を抱えたまま、張り合いのない日々を過ごしていたある日。
彼女は昔と変わらず、バーンと勢いよく執務室の扉を開けて登場した。
「オズウェルド! できたわ!!」
「フレイヤ……」
二十歳になった彼女は、より美しく、可憐になっていた。しかし、彼女の煌々と輝く瞳やハツラツとした話し方は昔のままだ。
オズウェルドは思わず駆け寄り、そのままフレイヤを抱きしめた。
たった五年。たった五年だ。魔族からしたら一瞬の時間のはずなのに、随分と長い間彼女に会っていなかった気がする。この時を、どれほど待ち望んだかわからない。
すると彼女は、胸の中で驚いたように声を上げる。
「どうしたの……? もしかして、私がいなくて寂しかった……?」
「ああ……すごく、すごく寂しかったよ」
そう絞り出した声は、自分でも驚くほどにかすれていた。喉の奥が苦しくて、我慢しないと目の前が滲んでしまいそうだった。
「ごめんね。早くオズウェルドと結婚したくて毎日研究室に籠もってたから、全然会いに来れなくて」
その言葉に、オズウェルドは深く安堵する。彼女の気持ちは何も変わっていないようだ。ずっと自分のことを想ってくれていたことに、言いようもない嬉しさが込み上げてくる。
「でも、寂しいって思ってくれて、嬉しい」
こちらを見上げながら花が咲いたように笑う彼女を、オズウェルドは愛おしげな表情で優しく撫でた。そして、穏やかな声で尋ねる。
「今日は、どうして来てくれたんだ?」
その問いに、フレイヤはパッと目を輝かせる。
「聞いて! 私ね、すごい魔法を発明したのよ! 絶対にオズウェルドも知らないわ!!」
「ああ、聞こう。聞かせてくれ」
「死んだ人と話せる魔法!」
その言葉に、オズウェルドは目を見開いた。そんな魔法、見たことも聞いたこともない。あらゆる魔法を知り尽くした魔王ですら、知らない魔法だ。
「この世に存在する、故人のありとあらゆる記憶や記録をかき集めて、その人の意識を復元するの!」
「……すごいな。そんなことができるのか」
心から出た感嘆の言葉だった。彼女の魔法開発の才能は、本当にずば抜けているようだ。
師匠に褒められたフレイヤは、とてもうれしそうに笑った後、少し眉を下げながらこう言ってきた。
「オズウェルド、ずっと後悔してたでしょう? お師匠様を死なせちゃったこと。だから、会わせてあげたかったの」
まさか自分のために開発してくれた魔法だとは夢にも思わず、オズウェルドはまた驚いて目を見開いた。フレイヤの思い遣りに、愛しさが溢れてくる。
「……ありがとう。ありがとう、フレイヤ」
そう言いながら、オズウェルドはもう一度彼女をぎゅっと抱きしめた。すると彼女も、笑いながらぎゅっと抱きしめ返してくれる。
「ふふっ。今日はオズウェルドが素直でとっても嬉しいわ」
フレイヤにそう言われ、オズウェルドはバツが悪くなり思わず苦笑する。彼女には何もかもお見通しなのかもしれない。
そして彼女は、なぜか少し言いにくそうに眉を下げながら口を開いた。
「あのね、早速魔法を披露したいところなんだけれど、いくつか必要なものがあって……」
「なんだ? すぐに準備しよう」
「故人の血縁者の血液……は、私がいるからいいとして、エマさんの遺品が必要で……」
そこまで言うと、フレイヤはとても申し訳無さそうにこちらを見上げてくる。
「それだけどうしても用意出来なくて。お母様に聞いても持ってないって言ってたから、最悪アトラス王国に借りに行く……とかになるかも……」
「ああ、それなら問題ない。少しここで待っていてくれ」
不安げな彼女に優しくそう声をかけると、オズウェルドは急いで自室に戻った。そして、金庫から緋色の宝石がついた首飾りを取り出し、再び執務室へと戻る。
この首飾りは、エマと最後に会ったときに彼女から渡された物だ。『何のご利益もないが、無くさずにずっと持っていると良いことがある』と言われて授かったお守りである。エマはきっと、この時のことを見越して渡してくたのだろう。
フレイヤにそのお守りを渡すと、彼女は美しい宝石に目を奪われていた。
「うわあ……とっても綺麗な首飾りね! こんな高価そうなもの、お借りしていいの?」
「ああ。問題ない」
「わかったわ! じゃあ今からやりましょ! すぐに準備するわ!」
彼女はそう言うと、執務室の空いたスペースに大きめの紙を広げた。そこにはすでに、見たことのない魔法陣が描かれている。そしてその中央に首飾りを置くと、彼女は自分の指先を針で刺し、魔法陣に血を一滴垂らした。
「オズウェルド。心の準備はいい?」
「……ああ。頼む」
いざエマにもう一度会えると思うと、心臓がうるさく鳴り始めた。心の中では、緊張と不安と期待が入り混じっている。彼女に会えたら、何から話そうか。
硬い表情でフレイヤを見守っていると、彼女は目を閉じてひとつ息を吐いた後、詠唱を唱えた。
「《亡き者の魂を呼び覚まし、ここに彼の者の意識を顕現せよ》」
詠唱が終わると、魔法陣から突然白い煙がモクモクと湧き上がった。その煙は天井まで届くほど湧き続けた後、次第に薄れていく。
そして煙が完全に晴れた途端、オズウェルドは今にも泣きそうになり顔を大きく歪めた。
「エマ……」
「よう、オズウェルド。久しぶりだな」
声も、仕草も、表情も――全てがあの頃のまま、何も変わらない彼女の姿が、そこにはあった。




