後日譚2ー2.臆病な自分
フレイヤの求婚が始まってから、もう三年ほどが経った。
最初は求婚など幼い時期特有の気の迷いで、そのうち言わなくなるだろうと思っていたのだが、全くそんなことはなかった。
むしろ彼女は、宰相を始めとした城の人間たちを次々と味方にしていったのだ。そのせいで、今や臣下からも毎日のように『なぜフレイヤ様と結婚しないのですか』と責め立てられる日々を送っている。
「オズウェルド。あなたと結婚したいのだけれど」
今日も今日とて、フレイヤはいつものようにオズウェルドの膝の上に横向きに座りながらそう言ってきた。
十五歳になった彼女は、立派なレディに成長していた。もう幼い頃の面影はなく、随分と女性らしい体つきになっている。そのため、目のやり場に困るのが最近の悩みだ。未婚の女性が不用意に男の膝の上になど乗るなと毎回注意するのだが、彼女は全くと言っていいほど聞く耳を持たない。
「フレイヤ。お前、もう十五歳だろう? そろそろ真面目に結婚相手を探せ」
「何言ってるの? だからこうしてあなたに求婚してるんじゃない」
眉根を寄せて抗議するフレイヤに、オズウェルドは盛大な溜息をついた。
「人間の相手を探せと言っている」
「あら、このご時世にそんなことを言うの? 考えが古いわね、オズウェルド」
ローレンやアイリスの尽力もあり、人族と魔族の垣根はここ十数年で随分と無くなった。そして、人と魔族が結ばれる例もチラホラと出てくるようになったのだ。だから、フレイヤの言うことは正しい。
しかし、それとこれとは話が別だ。
今日はどうやって断ろうかと頭を悩ませていると、ふと疑問が生じたのでそのまま口にする。
「お前の両親は何と言っているんだ?」
フレイヤは一応バーネット王国の第一王女だ。大国の王女が十五歳にもなって婚約者を見つけていないほうが珍しい。ローレンとアイリスが彼女の結婚についてどう考えているのか、純粋に気になった。
するとフレイヤは、なんてことないようにこう答える。
「え? 『わかった、応援してる』って」
「あいつら……」
オズウェルドは鈍い頭痛を感じた。本人の意思を尊重していると言えば聞こえがいいが、本当にそれで良いのか、あの二人は。
「お父様に至っては、『俺の可愛い娘がフラれることなど、天がひっくり返ってもありえない』って言ってたわ」
その言葉に、オズウェルドは思わず苦笑を漏らす。
ローレンと出会ったばかりの頃は、まだ人を寄せ付けない刺々しさがあった。アイリスと結ばれてから随分と表情が柔らかくなり、子が産まれてからはさらに丸くなった。今となっては、子煩悩なただの父親だ。
「オズウェルドは、私のこと、嫌いなの……?」
フレイヤが急にしおらしく、さらには上目遣いでそう聞いてきたものだから、オズウェルドは思わずすぐに否定してしまった。
「そういうわけじゃない。ただ――」
「じゃあ好きってこと!? それなら私と結婚しても何も問題ないわよね?!」
一本取られた。いや、揚げ足を取られたと言ったほうがいいかもしれない。この狡猾さはアイリスというよりエマに似ている。
オズウェルドは疲れたように溜息をつくと、じとりとした視線を彼女に向けた。
「どうして俺なんだ。他にもっといるだろう」
「いないわよ。あなたが良いの。あなたが好きなの」
「だから、どうして俺が良いんだ」
オズウェルドが尋ねると、フレイヤは至極真面目な顔でこう言った。
「だって、強いし優しいしかっこいいし。惚れない理由がないわ」
彼女の真っ直ぐな言葉に、オズウェルドは面食らってしまった。しかし、可愛い愛弟子に褒められて悪い気はしない。
すると、彼女は少し顔を曇らせながら言葉を続ける。
「それに……それにね、オズウェルドって、いつも寂しそうな顔してるから……だから、オズウェルドが寂しくないように、ずっとそばにいたいの」
「さみしい……?」
思ってもみないことを言われ、オズウェルドは怪訝な表情を浮かべる。自分では寂しいと思ってるつもりは全く無いのだが、彼女からはいつもそんな風に見えていたのだろうか。
「うん。いつも、どこか寂しい顔してる。大切な人を亡くした人の顔」
彼女から指摘され、オズウェルドはハッとした。自分でも気づいていなかった、寂しいという気持ち。
長いこと生きすぎて、もはや感情が麻痺していたのかもしれない。あの時から心にポッカリと穴が空いていることにも、気づかないくらいに。
そして、いつの間にかポツリとこぼしていた。
「そうか……俺は、エマがいなくなって、寂しかったのか……」
「オズウェルドのお師匠様ね? そして、私のご先祖様」
「ああ」
すると、フレイヤは恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
「好き……だった?」
「いや、そういうのではない。そうだな……憧れ、が、一番近い」
エマは自分の人生を大きく変えてくれた存在だった。強く聡明で、己の進むべき道を示してくれた、偉大な師匠。できることなら、ずっと彼女に師事していたかった。
オズウェルドが遠い目をしてエマのことを偲んでいると、フレイヤが一言だけつぶやいた。
「……そっか」
そうこぼした彼女は、安堵しているようにも、こちらを気遣っているようにも見えた。オズウェルドは、そんな彼女の頭を優しく撫でながら礼を言う。
「フレイヤ、ありがとう。お前のおかげで、自分の感情に気づけたよ」
すると彼女は、とても嬉しそうに笑う。まるでそこだけ花が咲いたようだった。
「えへへ。じゃあ、オズウェルドが寂しくないように、ずっとそばにいていい?」
「それとこれとは話が別だ。俺よりもいい男は山ほどいる。俺なんかを選ぶな」
オズウェルドがそう諭すと、フレイヤは随分と不満げに頬を膨らませる。
「もしかして、お母様が好きだったとか?」
まさかの問いに、オズウェルドは思わず苦笑を漏らした。アイリスは確かに大切な子だが、そういうのとは違う。エマから託された守るべき存在、と言った方が近い。
「アイリスは、一人の弟子としてしか思ってない」
「ほんと?」
「本当だ」
オズウェルドが念押しすると、フレイヤは満足げな顔をしていた。しかしすぐに怪訝そうな表情になり、もうひとつ疑問を投げかけてくる。
「ねえ、オズウェルドはどうして結婚は断っても私を避けないの? 嫌なら本気で私を追い出すこともできるでしょ?」
「…………」
その問いに、オズウェルドは押し黙る。
彼女のことが嫌なわけではない。むしろ、惹かれている自分がいる。
ここまで真っ直ぐな好意を自分に向けてくれる子など、この先きっと現れないだろう。だが、だからこそ、彼女を不幸にするわけにはいかない。
人族と魔族の垣根が無くなってきているとはいえ、魔王と結婚すれば彼女に偏見が向けられるかもしれない。それで彼女が傷つくかもしれない。それは本意ではなかった。
しかし、そこまで考えて思い直す。
(――いや、それは言い訳に過ぎない。結局はただ自分が怖いだけだ。ひとり、この世に取り残されるのが)
親しい者はみな、自分より先に死んでいった。大切な人を失うつらさを、オズウェルドは嫌というほど知っている。だからいつしか、自分が傷つかないように人との距離を保つようになった。誰かと一定以上親しくなるのが、怖くなった。
怖いくせに、フレイヤと共にいるのが心地よくて、突き放せないでいる。
「俺がただ……臆病なだけだ」
表情を暗くしてそう言うと、彼女はその言葉で全てを察したかのようにこう返事をした。
「オズウェルド。あなたが私を好きじゃないという理由で結婚を断ってるなら、きっぱり諦めるわ。でも、人と関わるのが怖いというのが理由なら、私、あなたのことを諦めきれないわ」
燃えるような、力強い緋色の瞳で射抜かれる。心の奥底まで見透かされてしまいそうで、オズウェルドは思わず目を逸らした。
とうとう結婚を断る言葉が見つからなくなって、オズウェルドは絶対に無理な条件を彼女に提示することにした。
「……わかった。じゃあ、俺が知らない魔法をお前が見せてくれたら、前向きに考えよう」
「本当?! 言ったわね! 男に二言はないからね! 絶対よ!!」
フレイヤは目を輝かせながらそう言うと、『こうしちゃいられない』と言ってさっさと転移魔法で帰ってしまった。
その後、五年間も彼女に会えなくなるとは、このときは夢にも思わなかったのだ。




