後日譚2ー1.頭痛の種
「オズウェルド!」
元気な声とともに、黒髪の少女が勢いよく抱きついてきた。受け止めたときの衝撃から、出会った頃よりも随分と体が大きくなったことを実感する。
この可愛らしい少女は、今年で十二歳になる。出会った頃はまだ三歳で、今よりもずっとずっと軽く小さかったのを覚えている。
「オズウェルド! 今日はなんの魔法を教えてくれるの!?」
少女は大きな緋色の瞳をキラキラと輝かせながら、魔法の師匠であるオズウェルドに話しかけてくる。
この少女――フレイヤは、ローレンとアイリスの間に産まれた子だ。
ローレンとアイリスは、四人の子宝に恵まれた。長男グレン、長女フレイヤ、そして双子の兄妹ルイスとレーナだ。そのうち、フレイヤだけが『黒髪緋眼』を受け継いだ。
他の兄妹たちも魔法の才を持っていたが、やはり黒髪緋眼であるフレイヤが群を抜いていた。兄妹の中でひとりだけ特別な力を持っていると、いがみ合いが起こりそうなものだが、兄妹の仲はすこぶる良好だ。それは、両親がみなに等しく愛情を注いだことと、兄妹みなそれぞれ秀でたところがあったからだろう。
オズウェルドは、彼の国であるデモンハイム帝国に建てられたこの城――魔王城にフレイヤが来るたび、彼女に魔法を教えてあげていた。
初めこそ母親に転移魔法で送ってもらっていたが、今ではすっかりそれも使いこなし、ひとりで頻繁に魔王城を訪れるようになっている。
フレイヤはアイリスよりもさらに飲み込みが早く、この頃にはもはや教えられる魔法もなくなっていた。魔法の才能はエマをも上回るかもしれない。
そして彼女は、魔法開発の才にも秀でていた。史上最年少でヴァーリア魔法学校に入学したかと思うと、飛び級でたった一年で卒業。そして自分の研究室に入り浸っては、魔族の魔法を人間にも使えるようアレンジしたものをいくつも編み出しているらしい。
「もうお前に教えられることは全て教えた。俺からも卒業だな」
「ほんと!?」
師匠から免許皆伝を言い渡されたフレイヤは、とても嬉しそうに笑っていた。
彼女はアイリスと同じ艷やかな黒髪と美しく輝く緋色の瞳を持つが、顔立ちはどちらかといえば父親似だ。切れ長の大きな瞳は目尻がやや上がっており、勝ち気でハツラツとした印象を与えている。「可愛らしい」よりも「美しい」が似合う少女だ。
フレイヤの笑顔に、オズウェルドも思わず顔を綻ばせる。弟子が巣立っていくことに喜びを感じる反面、これでもう彼女は頻繁にはここに来なくなるのだと思うと、ほんの少しの寂しさも感じた。
しかしその予想に反して、フレイヤは以前と変わらない頻度で魔王城へとやってきた。特に何をするでもなく、オズウェルドがいる執務室に来てはおしゃべりをして帰っていく。一国の主として多忙を極めるオズウェルドにとって、彼女と話す時間はなんとも心安らぐひとときだった。
それから程なくしてからのことだった。オズウェルドが彼女のことで頭を抱えるようになったのは。
「オズウェルド! 結婚しましょう!!」
彼女から求婚されるようになったのだ。初めて言われたときは、執務室の椅子から危うく転げ落ちそうになるところだった。
フレイヤは、魔王城に来るたび毎度求婚してくるようになった。それを毎回、オズウェルドはどうにかこうにか断っている。とにかく聞き分けがないのだ、彼女は。
この日、フレイヤはオズウェルドの膝に乗って結婚を迫っていた。
「そこをどきなさい。仕事ができない」
「嫌! 結婚を承諾してくれるまでどかないわ!」
そう言う彼女の瞳は頑なだ。燃えるような緋色の瞳で、こちらを睨みつけてくる。
そんな彼女に、オズウェルドは大きな溜息をついた。
「わかった。わかったから、膝の上でじっとしていろ」
「ほんと!? 結婚してくれるの!?」
「そうは言ってない」
「なーんだ……」
フレイヤは不貞腐れたようにそうつぶやくと、オズウェルドと同じ方向を向くように座り直す。
本当に膝の上からどく様子がないので、オズウェルドは諦めてそのまま書類仕事を続けた。
この国の皇帝になって早十数年経つが、やはりローレンの手腕は異常だったのだということが身に染みてわかるようになった。一国を治めながら国をひとつ作ってのけるなど、奴以外にできる者はいないだろう。
「オズウェルド、そこ、間違ってるわ」
膝の上のフレイヤが、書類の一部分を指差す。よくよくその部分を見返すと、確かに数字が間違っていた。
「え、ああ。助かる」
彼女はこうしてオズウェルドの仕事を見ながら間違いを指摘してくれることがある。どうやらローレン譲りのずば抜けた頭脳を持っているようで、事あるごとに何かと助けられているのだ。これで兄の方が優秀だというのだから、本当に末恐ろしい一家である。
すると、執務室の扉を叩く音に続いて、この国の宰相が部屋に入ってきた。
「失礼いたしま――」
宰相はこちらを見た途端ギョッとした様子で固まった。そして、こちらに最大限気を使いながら声をかけてくる。
「オズウェルド様……お邪魔、でしたか……?」
「……何も言うな。こいつは意地でもここからどかないつもりなんだ」
うんざりした顔でそう言うと、宰相は何かを察したようだった。すると、膝の上のフレイヤがにこりと笑って挨拶をする。
「あら、宰相様。お邪魔してますわ」
「こんにちは、フレイヤ様。本日もご機嫌麗しゅう」
宰相もにこやかに挨拶をすると、主君に膨大な量の紙束を手渡してくる。
「オズウェルド様、諸々の書類のご確認をお願いいたします」
分厚い紙束を見て、オズウェルドは心のなかで大きく溜息をつく。このところ書類仕事が一向に溜まって仕方がないのだ。ここ最近、ローレンは一体どうやって国王の仕事をこなしているのだろうかと毎日のように思っている。
「急ぎの書類はあるか?」
「はい、こちらの書類で――」
宰相がオズウェルドに手渡す前に、フレイヤがその書類に手を伸ばした。
「それ、こちらに回して頂戴」
「ええと……?」
ポカンとした顔で宰相が目を丸くしていると、彼女はこう言った。
「膝の上で邪魔をしてるんだもの。少しくらい手伝わせて」
邪魔をしているとわかっているならそこをどいてくれと思うのだが、フレイヤはそうはせず、受け取った書類をパラパラとめくり中に目を通していく。そして、ものの数分で全ての書類を確認し終えたかと思うと、宰相に向かってテキパキと指摘事項を伝え始めた。
「南部海域周辺の都市計画事業の予算だけれど、ここの数字がズレているわ」
「ほんとだ……」
「それと、農作物の輸入量に関しては、早めにお父様と相談したほうが良いと思うの。ここ最近、随分と移住者が増えたでしょう? それに伴って必然的に輸入量を増やす必要があるわ。今年はうちの国が豊作だからそれほど心配してないけど、来年からもそうとは限らないから早めに計画を立てないと」
宰相は自分の見聞きしている光景が信じられないのか、何度も目をぱちくりさせていた。
彼が驚くのも無理はない。
たった十二歳の子供が、一国の宰相にスラスラと指示を言ってのけたのだ。それもかなり的確な。
「フ、フレイヤ様……どうしてそんなに我が国のことにお詳しいのですか……?」
すると宰相の問いに、フレイヤは、何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔でこう言った。
「私はずっとオズウェルドの仕事をそばで見てきたのよ? わからないわけないじゃない」
その言葉に、宰相はまたポカンとした顔で目を見張っていた。
そばで見てきただけで国王の仕事がわかる子供などいてたまるかとも思うが、実際に目の前にいるので仕方がない。事実この子は、オズウェルドよりも遥かに優秀なのだ。
「オズウェルド様……フレイヤ様からの求婚をなぜお受けにならないのですか……?」
宰相があまりにも真面目な顔でそう言うものだから、オズウェルドは思いっきり渋面になった。
一方のフレイヤは、嬉しそうに目を輝かせている。
「そうよね? そう思うわよね?! 宰相様からも、もっと言ってやって!!」
嬉々としてそう言うフレイヤを見て、オズウェルドは敵が増えたと頭を抱えるのだった。




