130.帰る場所
すると程なくして、ピシッという音と共に、聞き覚えのある話し方の人物が姿を現した。
「てめえ、何してくれやがった!」
(来た、エリオット!!)
アイリスの眼の前に現れた緑髪の男は、左目の下には涙模様が、右目の下には星模様が描かれていた。そのどれも、オズウェルドから聞いていた特徴と一致している。彼の本体を見るのは、これが初めてのことだった。
(凄まじい魔力量……)
オズウェルドには遠く及ばないが、他の四大魔族にも引けを取らないほどの魔力量だ。しかし、エリオットの魔力を分析し終わった途端、アイリスは鋭い頭痛に襲われた。思わず頭を抑えたところで、ふと気がつく。
(…………あれ? 私、こんなところで何を……)
自分の足元は荒野になっている一方で、遠くの方を見ると青々とした草原がどこまでも広がっていた。まるで、自分を中心に草花を枯らす毒でも撒き散らしたかのような光景だ。
そして、眼の前には見知らぬ緑髪の男が立っている。
状況が何もわからずアイリスが首を傾げていると、その男が唐突に攻撃魔法を放ってきたので、本能的に防御魔法でそれを防いだ。
すると、緑髪の男は忌々しそうに舌打ちをする。
「チッ。だが、とりあえず魔力を奪われる感覚は止まった。あとはお前を殺すだけだ……!」
男に殺意を向けられ、アイリスはなおさらわけがわからなくなった。
(そもそも、私って、誰……?)
困惑するアイリスの視界の隅に、ふと布の切れ端が目に入った。少し俯いて手首を見ると、そこには布切れが巻かれている。
『眼の前の敵の魔力を吸い尽くせ』
布切れにそう書かれているのが見えた途端、アイリスはバッと眼の前の男に視線を向けた。
――こいつは、敵だ。
(わかった)
アイリスは自分が今なすべきことを理解し、すぐさま男の魔力を吸収し始めた。どんどん、どんどん、男の魔力を吸い尽くしていく。
「くそっ、なんでまた!? さっき記憶消しただろうが!」
緑髪の男は焦ったようにそう言うと、右腕をアイリスの方に突き出す。
「記憶なんか、何度だって消してやる……!」
しかし、男はそこで気がつく。それが不可能なことに。
「な、何なんだよ、この魔力量は!? こんなの……こんなの、オズウェルドより遥かに上じゃねえか!!」
この時点で、男の魔力量はもはやアイリスには遠く及ばなくなっていた。これほど魔力量に差をつけられては、もう男がアイリスの記憶を消すことはできない。精神操作系の魔法は、相手よりも魔力量が勝っていないと効かないからだ。
焦る男に構わず、アイリスはまだまだ男の魔力を吸収していく。集中的に吸われ続け、男の魔力はみるみるうちに減っていった。
「くそっ……転移魔法も、使えねえ……!」
その事実に気づいた男は一気に青ざめた。魔力を吸われ続け、既にこの場から逃げることもできなくなっていたのだ。
「何なんだ、てめえは……! バケモンか……!?」
男は初手で逃げるべきだった。アイリスを殺そうとこの場に出てきた時点で、男の負けは決まっていたのだ。
男はさらに魔力を吸われ続け、まずその場に立っていられなくなった。次に体が動かなくなり、呼吸をすることすらできなくなる。そして、最後には魔力をすべて吸い尽くされ、男はカラカラに萎れてしまった。
(終わった)
アイリスは特に達成感を抱くこともなく、ただ純粋にそう思った。しかし、眼の前で干からびている男がなんだか可哀想に思えてきて、アイリスは男を埋めて墓を立ててやった。
周囲に目を向けると、そこは見渡す限りの荒野になっていた。男からだけ魔力を奪ったつもりだったが、無意識のうちに草花からも吸い取ってしまっていたようだ。すべて自分がやったことなのだと思うと流石に申し訳がなくて、アイリスは荒野を草原に変えることにした。
体は魔力に満ち溢れている。今なら、何でもできる気がした。
「《咲き誇れ》」
アイリスがそう唱えた途端、ブワッと草花が辺り一面に広がった。そこにはもう荒野の面影はなく、ただただ美しい草原がずっと遠くまで続いていた。
その光景に満足したアイリスは、ある人物を探し求めて、ひとまず歩き始めることにした。
アイリスは、ここがどこで、自分が誰であるかもわからない。もちろん、先程倒した敵が誰であったかも。しかし、布切れに書かれたもう一つの指示が、自分を導いてくれると確信していた。
しばらくだだっ広い草原を歩いていると、ピシッという音とともに、突然美しい青年が姿を現した。
(なんて、きれいな人……)
金色に輝く髪、切長の碧い瞳、すっと伸びた鼻筋、形の良い唇――。整いすぎたその容貌は、どこか作り物のようにさえ見えた。こちらを見つめる穏やかな瞳の色がなければ、人形と見紛うほどだ。
そんな青年に、アイリスは近づき尋ねる。
「あなたが、碧い瞳の青年?」
『碧い瞳の青年から受け取れ』
それが布切れに書かれていたもう一つの指示だった。
すると、美しい青年が優しくこちらに微笑みかけてくる。
「ああ。これを届けに来た」
青年はそう言うと、アイリスにある物を手渡してくれた。それは、キラキラと輝く一粒のダイヤがあしらわれたネックレスだった。
「きれい……」
アイリスが手のひらに乗せられたダイヤを見つめていると、唐突にその宝石から光が溢れ出した。そしてその光がアイリスを包み込む。
(あ……そうだ……私……)
光の正体は、アイリスの記憶だった。
アイリスはエリオットと戦う前にこのダイヤに自分の記憶を記録し、ローレンに託しておいたのだ。これが、作戦会議のときにオズウェルドから説明された記憶消去への対策だった。
ローレンからもらった、一粒ダイヤのネックレス。その意味は「一生君を守る」。彼からの贈り物は、文字通りアイリスを守ってくれたのだ。
すべての記憶を取り戻したアイリスは、自分が無事彼の元へ帰れることへの幸福で胸がいっぱいになった。
「おかえり、アイリス」
優しさに満ちたローレンの瞳に見つめられる。アイリスは心の底から幸せが溢れ出して、思わず涙をこぼしながら笑った。
「……ただいま戻りました、陛下」
そして、ローレンに思いっきり抱きついた。すると彼も、ギュッと抱きしめ返してくれる。彼の温もりが、これが夢ではないと教えてくれた。
「帰ろうか、アイリス」
「はい、陛下」
そうして二人は、皆が待つ王城へと帰還した。
***
アイリスが宿敵エリオットを倒したあと、これで危機は去ったと国民は大いに喜び、アイリスやオズウェルドたちの功績を称えた。
また、魔王オズウェルドとの同盟を見事締結してみせた国王は、稀に見る賢王だとして、国民からのローレンへの支持も急上昇していた。それも相まって、反国王派の臣下たちも次第に減っていき、ローレンは今や完全に政権を取り戻す形となった。
そして今、バーネット王国ではエリオット討伐を祝して盛大な祭りが開かれていた。
一週間も続くこの祭りには、ライラやヘルシング、そして今回の討伐に貢献したオズウェルドの国の魔族たちも参加し、毎晩民たちと飲み明かしていた。
お祝いムードも相まってか、国民は街中に魔族がいることに対して忌避感を示さなかった。むしろ、この国を救ってくれた魔族を祭りに呼んで労ってやってくれと嘆願したのは、国民の方だったのだ。
この祭りでわかったことは、ライラとヘルシングは大酒飲みで、オズウェルドは意外にも下戸だということだ。
オズウェルドは民たちから次々に酒を勧められては、ライラやヘルシングに助けを求めていた。そんな魔王の意外な弱点を知った国民たちは、オズウェルドに対して随分と親近感を覚えたようだった。
そんなある日の晩、アイリスとローレンは、夫婦の寝室のバルコニーで夜風に当たりながら語り合っていた。今日もオズウェルドは酒で潰れているんだろうかと思いながら、遠くに見える祭りの夜灯を見つめていると、不意に名を呼ばれた。
「アイリス」
ローレンの方に視線を向けると、彼はこちらを見て微笑んでいた。
「ありがとう」
唐突に礼を言われ、アイリスは何のことかわからず首を傾げる。
「? 何に対してですか?」
「全てに対して」
そして彼は、いつものように優しくアイリスの頭を撫でる。
「俺に何度も力を貸してくれたこと。支えてくれたこと。俺と共にいることを望んでくれたこと。その全てに感謝している」
彼の言葉にアイリスは胸の奥がくすぐったくなりながらも、幸せな気持ちに包まれた。そして、彼に微笑み返す。
「それを言うなら、私だって。陛下には、返しきれないほどのご恩があります。本当に感謝してもしきれません」
アイリスは、ほんの一年ほど前のことを思い返す。
虐げられ、苦しかったあの日々。
あのときは、こんな幸せな時間が訪れるなんて、夢にも思わなかった。ローレンが自分と結婚してくれなければ、こんな日々はあり得なかった。
改めてローレンへの感謝の気持ちを抱いていると、彼は愛おしそうにアイリスの頬に触れた。
「アイリス。俺はお前を一生守る。そして、お前を一生幸せにする」
その言葉にアイリスは驚いて一瞬目を見開くも、すぐにニコッと笑ってこう言った。
「私も、持てる力すべてで陛下をお守りします。そして、一緒に、幸せになりましょう」
彼も彼で驚いたように目を見開くも、すぐに苦笑を漏らした。
「ククッ。王を守ると言う妃など、お前くらいなものだ」
「ふふふっ。ですが、心強いでしょう?」
そうして二人はしばらく笑い合った。
そして、ローレンが愛おしげにアイリスを見つめる。
「愛している、アイリス」
「私も、心から愛しています、ローレン様」
愛の言葉を交わした二人は、どちらからともなくキスをした。そして見つめ合い、微笑み合う。
いまこの時、二人は確かな幸せに包まれていた。
その後、バーネット王国では、魔族への偏見が時間と共に薄れていき、人間と魔族との交流が盛んに行われるようになった。そしてその現象は、次第に大陸中へと広まっていった。
それから二百年と少し経った頃、人族と魔族の垣根は大陸全土で完全になくなることになる。
ローレンは魔族との共存を実現させた王として、歴史に名が刻まれた。
そしてアイリスは、賢王を生涯支えた妃として、彼の隣に名前が並べられている。
偉大な功績を残した二人は、その生涯を閉じるまでひとえに愛し合い、仲睦まじく暮らしたという。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
本編はここで完結となりますが、この後、後日談が数話続きます。
それを含めてひとつの作品となっていますので、ぜひそちらもお楽しみいただければ幸いです。
応援してくださった皆様へのお礼は、最終話にて改めてさせていただこうかと思います。
本日中にすべて投稿し、完結表示にする予定です。
それでは、また最終話のあとがきでお会いできることを願っております。
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「妹に婚約者を取られたので独り身を謳歌していたら、年下の教え子に溺愛されて困っています」
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本日から新作連載の投稿を始めましたので、もしご興味があればお立ち寄りいただけるととても嬉しいです。
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