129.決戦
来る決戦の日。
季節はすっかり春になり、北の大地も雪解けを迎えていた。草花があたり一面に顔をのぞかせている。
「久しぶりだな、グランヴィル」
オズウェルドはこの北の大地で、グランヴィルと対峙していた。二人が戦うのは、随分と久しぶりのことだった。
グランヴィルは相変わらず眉間に深い皺を寄せ、緑の瞳でこちらを鋭く睨みつけている。
「俺の土地に忌まわしい黒髪緋眼が足を踏み入れた。即刻あの娘を殺しに行く。お前の相手をしている暇はない」
「悪いが、アイリスの元に行かせるわけにはいかない」
オズウェルドがそう答えると、グランヴィルは殺気と苛立ちを露わにし、低い声で唸った。
「なぜお前はいつも俺の邪魔ばかりする……!」
オズウェルドはこれまでに何度もこうしてグランヴィルと対峙してきた。グランヴィルがアトラス王国を滅ぼそうとするたびに、彼の凶行を止めてきたのだ。
グランヴィルの思いを否定したいわけじゃない。自分の家族を殺された怒りを誰かにぶつけたい気持ちは痛いほどよく分かる。オズウェルド自身も、アイリスを虐げてきたアトラス王国の奴らには激しい怒りを感じている。
だが、アイリスを守ってくれと言われた。自分の大切な人から、最後にそうお願いされた。
そして、彼女と約束した。人族と魔族との共存を、彼女のその野望を、自分が受け継ぐと。
「……己の使命を果たすために」
オズウェルドが短くそう答えると、それを合図にしたように戦闘が始まった。
しかしその戦いは、いつものように一瞬で決着がついた。グランヴィルとの勝負は、いつもオズウェルドの勝利で終わるのだ。それほどまでに、オズウェルドの力は圧倒的だった。
宝剣エンヴィスの奥義を使う暇もなく、グランヴィルは気づけば地面に横たわっていた。
グランヴィルも、オズウェルドには到底叶わないことはよく理解していた。だが、それでも戦わなければならない理由が彼にはあった。
自分の復讐の邪魔をするオズウェルドと戦わないということは、仇討ちを諦めたことと同義だ。それでは、守れなかった家族に顔向けができない。
自分の家族を殺した黒髪緋眼を根絶やしにするということ以外、もはや己の人生の目的をグランヴィルは持ち合わせていなかった。
「……なぜ、殺さない?」
倒れたグランヴィルは、オズウェルドを見上げながら低くかすれた声で問うた。グランヴィルの顔には、どこか疲れが滲んでいる。
「オズウェルド、お前はいつもそうだ。俺がアトラス王国を滅ぼそうとするたび、お前は俺を止めた。だが、決して殺しはしなかった。理解できない」
「エマの頼みだ」
オズウェルドの答えに、グランヴィルは信じられないというように目を見開く。
「……あの女の?」
「ああ。お前と戦っても、絶対に殺すなと。本当の敵はお前ではないから、と」
オズウェルドは、エマの言葉を思い返しながら、ゆっくりとそう答えた。そして、グランヴィルに真実を打ち明ける。
「お前の家族を殺したのはエマじゃない。エリオットだ。お前にエマを殺させるため、奴がお前の家族を操って仕掛けたことなんだ。奴本人が口を割っている」
「そんな話を信じろと……?」
グランヴィルが嘲笑混じりにそう言うと、オズウェルドは無表情のまま言葉を返した。
「それはお前の好きにしろ。俺が信じろと言っても、その言葉には何の意味もないだろう」
すると、グランヴィルの顔が段々と歪んでいく。オズウェルドの今の言葉と表情で、嘘をついているのではないとわかったのだろう。
オズウェルドは目の前の男を哀れに思いながら、少し表情を曇らせて言った。
「それと、悪いが仇討ちはもうできない。エリオットは今頃すでに死んでいる。アイリスが殺しに行った」
グランヴィルは事実を噛みしめるようにさらに顔を歪めていき、最後には絶望したような表情になった。そしてとうとう、耐えきれずに片腕で目元を覆った。
「それでは、俺は……一体今まで、何のために戦ってきたというんだ……!!」
苦しそうに、心の底から絞り出したような声だった。
家族を失ってから今までの間行ってきたことが、すべてはエリオットという黒幕に踊らされていただけだったと知れば、感情の行き場も見失うだろう。そしてもう、その仇はこの世にいないのだ。
「今まで奪ってきたすべての命のために生きろ。生きて償え。それがこれからのお前にできる、唯一のことだ」
グランヴィルは何も答えず、ただ強く唇を噛み締めている。
一方のオズウェルドは、もう目の前のこの魔族とは戦うこともないのだろうと、そんな予感めいたことを思っていた。
「お前がエマの言葉にほんの少しでも耳を傾けていれば、未来は大きく変わっていたのかもしれないな」
オズウェルドがポツリとそうつぶやくと、グランヴィルはハッと息を呑んだ。そして、何かを思い出したように、唇を震わせながら言葉をこぼす。
「奴を殺したことに……後悔など……後悔など、抱くはずが……! ぐ……くっ……」
グランヴィルはしばらくの間、声を殺して静かに泣いていた。苦しそうに、喉の奥を鳴らして。
その間を、オズウェルドはエマへの追悼の時間に当てた。
空を見上げると、彼女と最後に会った日と同じ、雲一つない晴天が広がっている。
「エマ……終わったよ」
***
一方のアイリスは、オズウェルドとは別の場所で、ひとり北の大地に立っていた。
辺りは見渡す限りの草原で、エリオットが隠れていそうな場所は見当たらない。が、ライラがこの辺りにいると言っていたので間違いはないのだろう。
(地下にでも潜っているのかしら)
そう思いながら、アイリスはライラに指定された地点に立つ。ここを中心として、ありとあらゆる魔力を片っ端から吸収していくのだ。
(さて、始めましょう)
アイリスは目を閉じ、深呼吸を何度か繰り返す。それは、集中力を高めるためにいつも行う儀式のようなものだった。
呼吸を繰り返すごとに集中力が高まっていくと、段々と周囲の魔力をはっきりと感じ取れるようになってくる。十分に集中力が高まってからゆっくりと目を開けると、草花の魔力がキラキラと輝いて視えた。これで準備は完了だ。
そして、すべての魔力が自分に集まってくるイメージを頭に思い浮かべながら、自分の中で決めている魔力吸収の合図を口に出す。
「集え」
その言葉を放った途端、アイリスを中心に凄まじい勢いで草花が枯れていく。生命エネルギーである魔力が吸収された結果だ。その代わりに、この時点でアイリスの魔力量はいつもの倍以上に増えていた。
(まだ……もっと……)
きっとエリオットが姿を現すはずだ。アイリスはそれまで、魔力の吸収をやめなかった。




