122.想いが通じ合った後にする話
アイリスとローレンは気持ちを確かめ合った後、二人で寝台に潜りしばらく語り合っていた。
今日は満月のため、明かりを消した後でもお互いの顔がよく見える。二人とも疲れているはずなのに、今は寝てしまうのがなんだかもったいなくて、どちらともなく会話を続けていた。
「陛下、私を好きになったきっかけって、何だったんですか?」
「きっかけか……。気がついたら惚れていたからな」
「第一印象は、よくなかったですよね?」
その問いに、ローレンはフッと苦笑を漏らす。
「そうだな。出会って間もない頃は、嘘ばかりつくお前にかなりの苦手意識を持っていた」
正直な感想に、アイリスも思わず苦笑する。
(『氷姫』だった頃が懐かしいわね……)
随分と昔のことのように感じるが、あれからまだ一年ほどしか経っていないと思うと不思議だ。
ローレンに自分を偽らなくて良いと言われ、アイリスは心から救われた。彼の言葉がなかったら、今でもきっと『氷姫』のままだっただろう。レオンたちとも今のような関係は築けていなかったと思う。
「だが、お前に離婚を切り出されたあの日、その嘘が自衛のためのものだと知った。そして、嘘をなくしたお前の本当の姿を、もっとたくさん見たいと思った」
そう言うローレンは、優しくアイリスの頭を撫でたあと、苦笑しながら言葉を続けた。
「それからは、お前に驚かされっぱなしだったな。俺の夢に本気で協力しようとする奴なんて、お前くらいなものだった」
「でも私はあまりお役に立てませんでしたね。オズとの同盟があったなら、私の助力など微々たるものだったでしょう」
アイリスがしてきたことといえば、龍王ヘルシングと盟友の証を交わして、恵みのライラと協力関係を築いたくらいだ。魔王オズウェルドとの同盟という強力な切り札に比べると、ローレンの夢に貢献できた部分は少ないだろう。
「いや、断じてそんなことはない。お前のおかげで、魔族への偏見も随分と減ってきている。それは、お前がいなければ成し得なかったことだ」
そう言われ、アイリスは思わず顔をほころばせた。彼の力になれていることが、何よりも嬉しい。
昔は彼から褒められてもどうせお世辞だろうと思い卑屈になることもあったが、今は素直に受け取れる。
するとローレンが、愛おしそうにこちらを見つめてくる。
「そして、俺を支えたいと本気で言ってくれたお前に、次第に惹かれていった。お前は俺がつらいときもそばにいて、孤独を慰めてくれた。お前に惚れない理由がなかった」
彼のその言葉にアイリスは思いっきり照れてしまい、思わず両手で顔を覆った。自分から尋ねておきながら情けない話だが、今はこの顔を彼に見られたくなかった。
そんなアイリスの手に、ローレンが優しく触れる。
「顔を見せてくれ。お前の表情すべてが見たい」
彼にそうお願いされては断れない。惚れた者の弱みだ。
アイリスは、渋々顔を覆っていた手をどけた。
「……変な顔してます、多分」
「おかしいな。俺には可愛い顔にしか見えない」
平気で甘い言葉をささやくローレンに、アイリスはこの先自分の心臓が保つか不安になった。好きな人に好きな声で可愛いなんて言われたら、ドキドキするに決まってる。
「陛下、参りました。話題を変えましょう」
アイリスが白旗を上げると、ローレンはクスクスと笑った。
「いいだろう」
あのまま話を続けていたら、危うく彼に褒め殺されていたところだっただろう。アイリスは一旦話題を切り上げられたことにホッとした。
そしてアイリスは、夕方にオズウェルドから言われたことを思い返す。ひとつ深呼吸をして覚悟を決めると、真剣な表情で彼に告げた。
「陛下。私の正体を国民に明かしましょう」
「…………!」
アイリスの進言に、ローレンは心底驚いたように目を見開いていた。
「オズから聞きました。本当は周囲の理解を得てから同盟を締結し、一気に実権を取り戻す計画だったのだと。それなのに、私の身の安全を優先するため、無理やり同盟を先に推し進めたと」
「あいつ……余計なことを」
ローレンは眉根を寄せながら溜息をついた。
「お前が気に病むことではない」
「ですが、実権を取り戻すには、絶対にこの同盟を成功させる必要があります」
臣下に十分な説明を行わないまま同盟締結を決行したなら、周囲から猛烈な批判を浴びるであろうことは想像に難くない。彼のことだから無策ではないだろうが、もし周囲の説得ができなければ同盟が失敗に終わることもあり得るのだ。せっかく結ばれた人族と魔族の繋がりを、自分のせいで断ち切らせるわけにはいかない。
それに彼には、実権の奪還に協力すると約束したのだ。きっと、今がその約束を果たすときだ。
「同盟を結んだ今、やらなければならないことは臣下の説得と、国民への説明です。仮面の魔法師の人気が最高潮である今、同盟を結んだ相手が仮面の魔法師の――王妃の師匠だと公表すれば、きっと皆の不安も和らぐと思うんです」
アトラス王国の人間に自分が本物の『黒髪緋眼』だとバレているなら、もうバーネット国内で隠し通す必要もない。アイリスはオズウェルドの話を聞いてから、ずっと自分の正体を明かそうと考えていたのだ。
一方のローレンは、真剣な眼差しで話を聞いてくれていた。しかしその表情には、どこか苦々しさが混じっている。
「それに、王妃が本物の『黒髪緋眼』とわかれば、アベル殿下の派閥から流れてくる者たちもいるのではないでしょうか。そうすれば、臣下の説得もいくらかしやすくなるはずです」
闘技大会の後、何人かの宮廷魔法師がローレンの派閥に流れた。アイリスは、正体を明かすことでそれと同じことが起きないかと考えたのだ。
しかしローレンは、穏やかな笑みを浮かべながらもその提案をやんわりと断った。
「その件については心配しなくていい。叔父上からお前の夢に協力すると言ってもらえたんだ」
「え!?」
いつの間にそんな話になっていたのだろうか。いや、それよりも、二人が手を取り合うという事実に、アイリスは言いようもない嬉しさを感じた。二人が支え合う未来を実現したいと、ずっと思っていたからだ。
「それはとても喜ばしいことです、陛下! 私はずっと、お二人が手を取り合えたらなと思っていたので。と言っても、思っていただけで、何もできませんでしたが……」
アイリスが苦笑すると、ローレンは力強い言葉で否定する。
「そんなことはない。お前のその思いが、叔父上を動かした。お前のおかげだ」
「そう……なのですか?」
何かした覚えのないアイリスは、思わず首を傾げる。しかしローレンの強い眼差しが、それが嘘ではないことを証明していた。
「ああ。だから、同盟の件は心配しなくていい。お前が責任を感じることは何もない」
「ですが、国民への説明はどうなさるおつもりですか? それに、アベル殿下の急な方針転換に、皆が付いてくるとは限りません。新たな反対勢力が生まれる前に陛下陣営の力を示し、一気に実権を取り戻した方が良いのでは?」
食い下がるアイリスに、ローレンは困ったように眉を下げる。
「……もう、お前を利用するような真似はしたくないんだ」
ローレンもアイリスが提案した案は考えたのかもしれない。でも、彼の罪悪感がそれを許さなかったのだろう。
アイリスはひとつ息を吐いたあと、力強い視線で彼の瞳を見据えた。
「いいえ、陛下。私は、王妃としての仕事がしたいのです。どうか、ご一考ください」
その言葉に、ローレンは一瞬ハッとしたように目を見開いた後、眉根を寄せて考え込んだ。彼はそうしてしばらく逡巡していたが、その間アイリスは力強い視線で彼を見つめ続けた。
そしてとうとう、ローレンが決心したように口を開く。
「……ありがとう、アイリス。本当に俺は、お前に助けられてばかりだな」
ローレンの返事に、アイリスはパアッと表情を明るくした。彼の役に立てることが、何よりも嬉しいのだ。
そしてアイリスは、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「お安い御用です! それに、言ったでしょう? 共に国取りをしましょう、と!」




