121.誓いのキスのやり直し
「それなのに今日、俺はほんの少しだけ期待してしまった。お前も俺と同じ気持ちでいてくれるんじゃないかと。俺が離婚の話を切り出してお前が『わかった』と言った時、嘘の音がしたからだ」
ローレンのその言葉を聞いて、アイリスは心の中で反省した。
自分としては完璧に取り繕ったつもりだったが、やはり彼には嘘だとバレていたようだ。喋らず頷くだけにしておけばよかったとも思ったが、今の話を聞いた限り、嘘だとバレて結果的には良かったのかもしれない。
そんなことを考えていると、ローレンが俯いたまま頭を振った。
「でもすぐに思い直した。お前を散々利用した俺が、そんなことを望んで良いはずがない。それに、自由を望むお前をこの国に縛り付けたくはなかった。お前をこれ以上危険な目に遭わせたくもなかった。だから離婚するのが一番だと、自らに言い聞かせた」
そして、再びローレンが顔を上げる。彼はとても苦しそうに笑いながら、自らの思いを吐き出した。
「それなのにお前は、俺と一緒にいたいと言ってくれた。嬉しくないわけがない。だが、どうしてもお前への罪悪感が消えない。お前がいくら許すと言ってくれても、俺が俺を許せない」
「陛下……」
彼の歪んだ顔を見て、アイリスも胸が苦しくなり思わず眉根を寄せた。
アイリスが『陛下のために何かしたい』と言うたび、彼は『俺なんかのために何もなくていい』と言っていた。それは、その強い罪悪感からくる言葉だったのだろう。
ローレンにかける言葉をなかなか見つけられないでいると、彼は不意にフッと嘲笑を浮かべた。それはアイリスにではなく、彼自身に向けられたものだった。
「俺はお前を同盟の取引材料にしたんだぞ……? 散々危険な目にも遭わせておいて。こんな俺の……どこが良いんだ」
その問いになら、堂々と答えられる。彼への言葉が見つかったアイリスは、優しく微笑みながら口を開く。
「陛下は私をあの国から救い出してくださいました。あのまま母国にいたら、私の心は治せないほどに壊れきっていたと思います」
「それはお前が恩義を感じることではない。ただ……同盟の条件だったからに過ぎない」
ローレンは頭を横に振りながら、申し訳無さそうにそう言った。その言葉に、アイリスは困ったように返事をする。
「あの閉鎖的な国から『黒髪緋眼』である私を連れ出せたのは、陛下の外交手腕があったからですよ。他国では無理だったと思います」
アイリスの結婚に当たっては、アトラス魔法協会が最後まで『黒髪緋眼』の国外流出に反対していた。最後に彼らが折れたのは、バーネット王国という大国を敵に回したくないという側面もあったのだ。といっても、今回のアイリスの誘拐騒動でそれも無意味になってしまったが。大国と争ってもいいと思えるほど、現国王が落ちぶれているのかもしれない。
そしてアイリスは、微笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「陛下は、私に感情を隠さなくていいと仰ってくださいました。あの言葉にどれだけ私が救われたか、きっと陛下はご存じないでしょう」
アイリスの言葉を、ローレンはただ黙って聞いている。彼の罪悪感を消し去りたくて、アイリスは自分がもらったたくさんのことを彼に伝えた。自分がどれだけ救われたのかを、彼に知ってほしかった。
「まだまだありますよ? 陛下は私の魔法を褒めてくれた初めての人なんです。褒められたことなんて母国では一切なかったですし、オズも私の魔法そのものを褒めることはなかったので、すごく嬉しかったんです」
昔のことを思い出しながら、アイリスは指折り話した。彼がくれた言葉も、優しさも、気遣いも。そのすべてが、自分にとって宝物のような記憶だった。
「あとは、私が寂しい時、つらい時、陛下はいつも私に寄り添ってくださいました。陛下には、何度心を救われたかわかりません」
アイリスはそこまで話すと、ローレンの瞳の奥を覗き込んだ。そして、心からのお願いをする。
「だから、これまで私を救っていただいた分で、その罪悪感を帳消しにしてはもらえませんか? 陛下」
彼はほんの少し目を見開いたが、その瞳には迷いの色が強く浮かんでいる。
その後、しばらくの沈黙が流れた。
彼は眉根を寄せながら、随分と考え込んでいる様子だ。その間、アイリスは早鐘を打つ心臓を抑えながら、ただただ彼の返事を待った。次の言葉ですべてが決まる。そんな気がした。
そして、ローレンがようやく重い口を開く。
「……いいのか? 俺で」
その回答に、アイリスは心の奥底から嬉しさがこみ上げてきて、思わず泣きそうになってしまった。涙がこぼれないように我慢しながら、飛び切りの笑顔を彼に向ける。
「あなたでないとだめなのです。陛下」
すると、ローレンの表情からようやく苦しさが消え、穏やかさが戻った。その瞳は、少し潤んでいるように見える。
そして、彼はアイリスの手を取り、真剣な表情を向ける。
「アイリス。必ず幸せにすると誓う。もう二度と、お前を裏切るような真似はしない。だから……俺の、家族になってくれないか?」
その言葉が、嬉しすぎて。
彼と結ばれることが、幸せすぎて。
アイリスは微笑みながら、遂に涙をこぼしてしまった。
「もちろんです。というか、最初にお願いしたの私ですよ?」
「そうだったな」
そう言うローレンも、微笑を浮かべながら一筋の涙をこぼした。彼の涙を見るのは、これが初めてのことだった。
「アイリス」
彼は愛おしそうに名前を呼び、アイリスの頬に手を添える。
「アイリス、愛している」
そうして彼は、優しくキスをしてくれた。
彼への恋心を自覚してからの初めてのキスは、今までより何倍もドキドキして、今までより何倍も幸せな気持ちになった。
唇が離れてから、アイリスは言葉を返す。
「私もです。愛しています、陛下」
今度はアイリスから、彼にキスをする。彼は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに優しい笑顔を浮かべて、ギュッと抱きしめてくれた。彼の体温が心地よくて、このまま溶けてしまいそうな気分になった。
それから二人は、何度も何度もキスをして、何度も何度も抱きしめ合って、何度も何度も「愛してる」を重ねて、互いの気持ちを確かめ合った。




