118.すべては私のもの
「じゃあ、どうしてお父様は、私を邪険に扱っていたの?」
アイリスの問いに、オズウェルドはしばらく押し黙る。真相を伝えるかどうか、ためらっている様子だった。
そして彼は、苦々しい表情でとうとう口を開く。
「フレッドが冷たく当たっていたのは、お前に母国から逃げたいと思わせるためだ。あの国を心底嫌いになって、何の未練も持たず国外に行けるようにするためだ。不器用なあいつは、それしか方法を知らなかったんだ」
(なに……それ……)
それでは、エマ・アトラスからの手紙がなかったら、自分は父親の愛を一身に受けられていたということになる。自分をあの国から逃がすために冷たくされていたなんて知っても、そんなの全然、これっぽっちも嬉しくない。せっかく愛されていたことがわかったのに、これでは気持ちに整理がつけられない。モヤモヤとした暗い感情にだんだんと支配されていく。
アイリスは胸が苦しくなって思わず俯き、両手をぎゅっと握った。
「私……なんだか、エマ・アトラスのおもちゃみたいね……。何が自分の人生なのか、わからなくなってきた」
「アイリス……」
オズウェルドはアイリスの心境を慮って何とか慰めようとするも、かける言葉が見つからず押し黙ってしまった。
一方のアイリスは、目に滲む涙を堪えるのに必死だった。彼を責めるのはお門違いも甚だしいとわかってはいるものの、感情の矛先が見つからなくてつい言葉をぶつけてしまう。
「今まで自分で選んだと思ってた道も、全部エマ・アトラスによって選ばされてたんだって思えてくる。これから何をするにしても、ずっとそう思ってしまいそうだわ……」
彼女の予言がなければ、今頃アイリスは死んでいただろう。数々の場面で危機から救ってくれたことには感謝している。でも――。
(あまりにも、私の人生を操作しすぎよ……)
言いようもない感情に、自然と握る手に力が入る。瞬きをすると、手の甲に涙がポトリと落ちてしまった。
「アイリス」
声をかけてきたのは、それまでずっと黙って二人の会話を聞いていたローレンだった。彼は徐に立ち上がりアイリスの隣に座ると、優しくその手を握る。
アイリスが驚いて顔を上げると、穏やかな碧の瞳がこちらを見つめていた。そして彼は、いつもの聞き心地の良い優しい声で、アイリスに言葉をかけてくる。
「ルーズヴェルト公爵との面会のとき、お前は俺を支えたいと言ってくれたな」
彼の発言の意図がわからず、アイリスは首を傾げた。その様子に、ローレンは微笑を浮かべて続ける。
「俺の過去を聞いて、お前は俺のために泣いてくれた。ランス親子が俺を蔑んだといって、お前は俺のために本気で怒ってくれたりもしたな」
そしてローレンは、より一層穏やかな眼差しをアイリスに向けた。
「それらはすべて、お前の内から湧き出た言葉や感情のはずだ。違うか?」
そう言われたアイリスは、ハッとしてローレンが挙げた場面のことを思い返した。そして当時の自分の気持ちを思い出し、首を大きく横に振る。
ローレンは満足げに頷くと、アイリスの頭を優しく撫でてくれた。
「その言動は間違いなくお前が自分で選んだものだし、その感情は間違いなく他の誰でもないお前自身のものだ」
ローレンはそこで言葉を切ると、今度は力強い視線でアイリスを射抜く。彼の、王としての瞳だ。
「お前の言動も感情も、お前が今まで培ってきたものすべてで出来ている。だから、己を、己の歩んできた道を信じろ。いくらエマ・アトラスに未来視の力があったとはいえ、そこまで操ることは決して出来ない」
彼の言葉が、すとん、と自分の中に入ってくる。そして、心の中の霧が晴れ、自分の人生に対する疑念も綺麗さっぱり消えてしまった。
「そして、父親がお前を愛していたのも、本物の感情だ。だがその愛を、無理に受け止めなくていい」
その言葉に、アイリスは息を呑んだ。自分の中にあった、ただモヤモヤとしていた感情が、次第に形作られていく。
「父親は既に死んでいるのに、今さら愛されていたなんて言われても困るだろう。その愛も随分と歪だ。エマ・アトラスの手紙がなければその愛も歪まかったのにと、どうしてもそう思ってしまうだろう」
まるで、心の中を見透かされているみたいに、アイリスの気持ちを、考えを、彼はすべて言い当てていく。
「だから、その愛を受け入れるのがつらければ、手放したっていい。お前が今まで傷ついてきたのは、紛れもない事実なんだから」
(愛を……受け入れなくても……いい……)
アイリスは、ローレンの言葉を頭の中で反芻した。そして、自分の気持ちが、ようやく整理できた。
たくさん傷ついてきたのを「愛していた」の一言で無かったことにされたくなかったんだ。
たくさん傷つけられてきたのを「愛していた」の一言で許したくなかったんだ。
彼はいつも、自分の感情の正体に気づかせてくれる。そして、背中を押す言葉をくれる。そのことに、心から感謝する。
(今すぐは無理でも……ゆっくり、お父様の想いに向き合えたらいいな……)
「ありがとう、ございます、陛下。もう、大丈夫です」
アイリスが笑顔でそう言うと、ローレンは微笑みながら指で涙を拭ってくれた。
二人を見守っていたオズウェルドは、アイリスの様子を見てホッと胸を撫で下ろし、そして心苦しそうにこう言った。
「アイリス。これだけは信じてくれ。エマは、お前を苦しめるために策を講じていたのではないと。あいつは決して、そんなことをするような奴ではないんだ」
「うん。信じるわ。オズの大切な人のことだもの」
オズウェルドはこの場の誰よりもエマ・アトラスのことを知っている。彼の発言を疑う理由は無かった。
彼女はきっと、大切な何かを掴み取るために、未来のオズウェルドたちにすべてを託したのだろう。今のアイリスは、清々しい思いで彼女の行いを受け入れることができた。
そして、一連の説明が全て終わると、ローレンが今後のことについて話し始めた。




