117.父の真意
(そうだ、お父様のこと……!)
アイリスは、側近のアーノルドと別れる直前に彼から言われたことを思い出していた。あの場から逃げるのに必死で頭からすっかり抜け落ちてしまっていたが、こればかりは聞いておかなければならない。
「アーノルドが……ええと、私のお父様の側近だった人が言ってたの。エマ・アトラスからの手紙をお父様が持ってて、オズならその内容を知ってるかもしれないって。それって、一体どういうことなの? オズはお父様と知り合いだったの? それともエマ・アトラスの知り合い?」
問い詰められたオズウェルドは驚いたように目を見開いた後、ポツリと言葉をこぼした。
「そうか……とうとうそのことを話す時が来たか……」
その言葉に、アイリスの心臓はドクンと跳ねた。やはり彼は、自分が知らない何かを知っている。
じっとオズウェルドを見つめていると、彼も真っ直ぐにこちらを見据えた。
「順を追って話そう」
そう言うオズウェルドの表情は、いつにも増して真剣だった。そしてすぐに、衝撃の事実を口にする。
「俺には魔法の師匠がいたというのを覚えているか? その師匠というのが、エマなんだ」
「オズのお師匠様が……エマ・アトラス!?」
にわかには信じがたく、アイリスはあんぐりと口を開けながら固まってしまった。
オズウェルドは師匠のことを自分よりも強い人だと言っていた。魔族最強と謳われるオズウェルドにそんなことを言わせる人物は一体何者なのかと思っていたが、まさか人間だなんて、それも自分のご先祖様だなんて露程も思わなかった。
「俺は、エマからお前を託されたんだ。次に生まれる『黒髪緋眼』を守ってやって欲しいと」
剣神グランヴィルに殺されかけたときも、アトラス魔法協会に囚われたときもそうだった。アイリスが危機に陥った時、必ず誰かしらが助けに来てくれて、そして皆、口を揃えて『エマにお願いされていたから』と言うのだ。
アイリスは、自分がエマの意志で生かされている気がしてならなかった。
「だがエマは、お前をどう守ればいいかまでは教えてくれなかった。肝心なことは、いつも言わないんだ、あいつは」
そう言うオズウェルドは、どこか寂しそうな顔をしていた。エマの生前の姿を思い浮かべながら、彼女を偲んでいる様子だった。
そしてアイリスは、ライラも似たような発言をしていたのを思い出す。不用意に何かを話すことで未来が変わってしまうのをエマは恐れていた、とライラは言っていた。
エマ・アトラスは、一体どんな未来を選び取ろうとしていたのだろうか。今のアイリスにはさっぱりわからなかった。
「それからお前が生まれたことを噂で知ったはいいものの、やはりどう守ればいいかわからなかった。何から守ればいいのかすらも。自分のなすべきことがわからず、やきもきしていたそんな時、アトラス王国の森でお前の父親に出会った」
「お父様と……会っていたの……!?」
父からは一度も「オズウェルド」の名を聞いたことはなかった。アイリスは、自分が父親のほんの一部分しか知らないことに、この歳になって今さら気がついたのだ。
自分の知らない父の姿が、いま明らかになろうとしている。そのことに、アイリスはゴクリと唾を飲んだ。
「そこでお前の父親から、アイリスに魔法を教えてやって欲しいと頼まれた。自分はエマから手紙を授かっていて、そこにそう書いていたと。今日この時間にこの森に来れば俺に会えると書かれていたと」
「じゃあ、三歳の頃に森でオズと出会ったのも……偶然じゃなかったってこと……!?」
アイリスが目を丸くして尋ねると、オズウェルドは眉を下げながら答えた。
「ああ。お前が来るのを待ち伏せしていたんだ」
その答えに、アイリスは少なからずショックを受けた。
オズウェルドと出会えたことは、本当に奇跡に近い幸運だと思っていた。周囲の人間から冷遇され居場所がなかったところに、オズウェルドというかけがえのない友人ができ、その存在に大きく支えられたからだ。
しかし、それがすべて事前に仕組まれたことだったとは、何とも複雑な思いがした。自分の人生が自分のものではない気がして、自分の人生のすべてがエマ・アトラスに操られているような気がしてならなかった。
「そしてお前の父親は、『自分は何が何でもアイリスをアトラス王国から逃さねばならないんだ』とも言っていた」
それは、側近のアーノルドも言っていたことだった。彼はその理由を知らなかったが、オズウェルドなら知っているかもしれない。
「私がアトラス王国から逃げなきゃいけない理由は何だったの?」
しかしその問いに、オズウェルドは眉根を寄せながら首を横に振った。
「それは俺にもわからない。エマの手紙には書いてあったようだが、お前の父親も教えてはくれなかった」
予想に反して、この件はオズウェルドも知らなかったようだ。しかし、父に聞きたくても彼はもうこの世にいない。アイリスはなんだかエマ・アトラスに酷く振り回されている気分になってきた。
そして、アーノルドの発言で気になっていたもう一つのことを頭に思い浮かべる。
答えを聞くのがとても怖いけれど、聞いておかなければならない気がした。無駄な期待を、心の中から消し去るために。
「オズ。あのね……アーノルドが言ってたの。お父様は、私を愛していたって。そんなの……嘘、よね……?」
オズウェルドの様子を伺いながら恐る恐る尋ねると、彼はわずかに息を呑んだ。そして、泣きそうな、それでいてとても優しい笑みをこちらに向ける。
「いや、嘘ではないよ、アイリス。お前の父親は……フレッドは、お前を心から愛していた」
その答えに、アイリスは呆然として何も返せなかった。アーノルドとオズウェルドの二人から言われてしまったら、もう信じるしかないではないか。
でも、だとしたら納得がいかない。全然いかない。
愛していたなら、父はどうして生きているうちに愛を伝えてくれなかったのか。愛していたなら、どうしてあんなに冷たくしたのか。
アイリスは声が震えないように、拳を握りしめながらオズウェルドに問いかけた。




