114.はじまり
アイリスがバーネット王国に嫁いでくる、三年前のこと――。
ローレンはこの日、ごく少数の護衛を連れてウィルの墓参りに訪れていた。ウィルは昨年の暗殺未遂事件で自分を庇って亡くなった、魔族の友人だ。
魔王オズウェルドが治める領地との国境沿いの森に、彼の墓はひっそりと建てられていた。亡くなった当時は間に合わせの墓標しか用意できなかったが、後日、ローレンがしっかりとした墓を建てたのだ。
そして、ローレンは墓に花を供え、しばらくの間故人に思いを馳せていた。その後、そろそろ帰ろうかと立ち上がった時、突如として今まで感じたことのない膨大な魔力反応を感知し、ローレンは咄嗟に剣を抜き振り向いた。
その視線の先には、長身の魔族がひとり佇んでいた。
黒みがかった灰色の髪に金色の瞳を持ち、頭には二本のツノが生えている。そして彼の手には、その厳つさに似合わぬきれいな花束が握られていた。
その場にいた護衛たちはなんとか剣を構えているものの、長身の魔族の圧倒的な存在感にみな恐れ慄いている。
一方のローレンは、相手の魔族をよく観察したあと、剣を鞘に収めた。その行動に、護衛たちだけでなく魔族の男も驚いたように目を見開いている。
「全員剣を下ろせ。相手に敵意はない」
護衛たちにそう声をかけてから、ローレンは目の前の魔族に謝罪した。
「突然剣を向けてすまなかった」
「……いや、普通の人間なら、斬りかかってくるか、一目散に逃げるところだ」
魔族の男は少し呆気に取られた様子でそう返した。そして、ローレンの後ろの方を指差し、ひとつ質問を投げかけてくる。
「あの墓を建てたのは、もしかしてお前か?」
「ああ、そうだ」
ローレンの言葉に、その魔族はまたもや驚いたような顔をした。
「そうか……まさか、人の子が建ててくれていたとは……」
そう言って魔族が墓に近づこうと一歩踏み出した時、途端に護衛たちが身構えてしまった。その様子に、魔族は思わず苦笑を漏らす。
「花を供えても?」
「もちろんだ。うちの者が失礼した」
ローレンが視線で護衛たちを制すと、彼らはさっと道を開け左右に控えた。すると魔族は一言『ありがとう』と言ってから墓の前に屈み、花を供えた。
「俺と親しいものは、みな俺より先に逝ってしまうな」
そうポツリとこぼす魔族は、酷く寂しそうな顔をしていた。そして、彼は立ち上がると、ローレンの方に向き直って言葉をかけてくる。
「ここにウィルの墓があると噂で聞いてな。あいつは俺の友人だったんだ。弔ってくれて感謝する」
魔族の言葉にローレンは思わず顔を歪め、わずかに俯いた。ウィルが死んだときのことを思い出し、あの時の苦しみがこみ上げてくる。
「あいつは……ウィルは、俺を庇って死んだんだ。お前の友を死なせてしまって、本当にすまなかった」
ローレンの懺悔の言葉に、魔族は責めるでもなく、ただ穏やかな表情でこう言った。
「そうだったのか。人間を救って死ぬとは、あいつらしいな」
「……責めないのか、俺を」
「あいつがお前を守るという選択をしただけのことだ。俺にお前を責める権利などあるわけがない。そしてお前も、もう自分を責めるな。そんなんじゃウィルの奴が心配するぞ」
その言葉にローレンがハッと顔を上げると、ちょうど魔族と視線がぶつかった。彼はとても優しい瞳をしていた。その優しさに、ほんの少しだけ心が救われた気がする。
するとその魔族は、微笑みを浮かべながら自分の名を名乗った。
「俺はオズウェルド。名を聞いてもいいか? 少年」
「オズウェルド……? 魔王オズウェルドか……!?」
魔族の正体に、ローレンは大いに驚いた。これまで出会ったどの魔族よりも遥かに強いとは感じていたが、まさか魔族最強の男とこんなところで出会うとは思ってもみなかったのだ。
控えていた護衛たちも、みな目を見開いて呆然と立ち尽くしている。
そして、ローレンはしばし考え抜いたあと、この魔族にとある提案を持ちかけることに決めた。この場を逃せば、こんな機会はもう二度と訪れないだろう。
「俺はこの国の王、ローレン・バーネットだ。お前と同盟を結びたい、オズウェルド」
「「「陛下!?!?」」」
国王の発言に、護衛たちは揃って驚きの声を上げた。しかし、自分たちがここで反対の意を唱えるわけにもいかず、彼らはただ成り行きを見守った。
一方のオズウェルドも、信じられないというように目を見開いている。
「バーネットの国王、だと……?」
オズウェルドはそうつぶやくと、ローレンの肩をバッと掴み、差し迫った様子でよくわからないことを尋ねてきた。
「お前、結婚は?」
「結婚?」
「結婚はしてるのか!?」
「していないが……」
オズウェルドのあまりの勢いに、ローレンは気圧されたようにそう答えた。すると今度は、また違う質問が矢継ぎ早に飛んでくる。
「婚約者は?」
「は?」
「いるのか!? いないのか!?」
「いない。一体それがどうしたんだ。少し落ち着いてくれ」
ローレンがそう諭すと、オズウェルドは肩から手を離し、やはり信じられないという風に目を見張っていた。彼のその反応も、先ほどの質問の意図も、ローレンは全く理解できずにいた。
「取り乱してしまってすまない」
そう言ってオズウェルドはその大きな右手を額に当てると、しばらく考え込むように黙ってしまった。その後、彼は意を決したように顔を上げ、真剣な眼差しを向けてくる。
「ローレン。俺と同盟を結びたいと言ったな」
「ああ、言った」
「その申し出、喜んで受けよう」
「!!」
オズウェルドの回答に、ローレンは驚きと喜びで一気に気持ちが高揚した。
自分と友の夢が、大きく一歩前進しようとしているのだ。そしてその夢の実現は、この国に多大なる利益をもたらすと、ローレンはそう確信していた。
しかし喜びも束の間、すぐにオズウェルドから要求が提示される。
「ただし、条件が三つある」
「ああ、聞こう」
「一つ目は、アトラス王国の王女アイリスと結婚すること。二つ目は、結婚したら可能な限りアイリスの願いを叶え、自由にさせてやること。そして三つ目は、アイリスがお前の元にいる限り、何があっても必ず彼女の命を守ること。この三つが守れるなら、どんな同盟の内容でも受け入れよう」
提示された内容に、ローレンは思わず眉を顰めた。まさか他国の王女と結婚しろと言われるとは思わなかったのだ。先ほど質問攻めにあったのは、ローレンが独り身であるかどうか確かめるためのものだったらしい。
半ば冗談とすら思える内容だが、オズウェルドの表情はかなり真剣で、どこか切羽詰まったようにも見える。
ローレンは提示された条件を真剣に吟味した上で、オズウェルドにひとつ質問をした。
「願いを叶える、というのは、本当に可能な限りで良いんだな? 例えばもし仮に、結婚早々離婚してくれなんて言われても、それは流石にすぐ叶えるのは難しいぞ」
「ああ。お前が叶えてやれる範囲で構わない」
その答えを聞いて、ローレンは条件を受け入れる決心をした。己の夢のためにアイリスという少女を利用する形になり申し訳ないという気持ちも多少あるが、王族の結婚とは得てしてそういうものだろう。
何よりもまずは、あの閉鎖的な国と交渉するところから始めなければならない。婚約を取り付けるには骨が折れそうだが、その代わりに大き過ぎる見返りが得られる。この機会を逃す手はない。
「わかった。条件を呑もう。だが、アトラス王国は閉鎖的で有名だ。結婚までに少し時間を要するかもしれないが、それでも構わないか? なるべく早く婚姻を結べるよう努力はする」
「ああ……ありがとう」
そう礼を言うオズウェルドは、まるで涙を堪えるかのように眉根を寄せながら笑っていた。彼にそんな表情をさせるアイリスという人物は一体何者なのか。ローレンは単純に気になって尋ねてみる。
「そのアイリスという娘は、お前の友人か何かか?」
「ああ。俺の命より大切な子なんだ。……これでやっと、あの子をあの国から救ってやれる」
オズウェルドは、なんとも慈愛に満ち溢れた表情でそう言った。
その表情に、そして彼の言葉に、護衛たちはみな驚愕していた。この世で最も恐れられている魔族が、こんなにも人の子を想っているのだ。魔族は異形の怪物だという自分たちの認識が大きく間違っていたことに皆が気づいたようだった。
一方のローレンもオズウェルドの回答には驚いていた。
魔王にここまで想われる娘とは一体どんな人間なのか、純粋に興味が湧いた。今まで結婚には全く興味がなかったが、彼女に会うのが楽しみだとさえ思えてくる。
そんなことを考えていると、今度はオズウェルドがローレンに尋ねてきた。
「お前も、どうして俺なんかと同盟を結びたいんだ? 俺がこの国と敵対しているという噂も広まっているくらいなのに」
「その噂は嘘だろう? 魔王ほどの力があればとっくにこの国を滅ぼせていたはずだが、そうはなっていない。それに、お前が大陸西部を治めて以降、バーネット王国と一度も争いが起きてないのは、お前がこの国と争う意思がない証拠だ」
ローレンが事もなげにそう答えると、オズウェルドは大きく目を見張っていた。いつの間にか広がってしまっていたこの噂の真偽を見抜いた人間は、この幼き王が初めてだったからだ。
「お前、歳はいくつだ?」
「? 十五だ」
突然年齢を聞かれ、ローレンが少し首を傾げながら答えると、オズウェルドはまたもや驚いたような顔をしていた。
もしかしたら王としてまだ幼いことを心配されているのかもしれないと思い、ローレンは同盟に関して補足の説明を入れる。
「同盟の内容はこれから一緒に詰めていきたいと思っている。お前に不利な内容には決してしないから、その点は安心してくれ」
「お前は……一体何者なんだ」
オズウェルドが驚くのも無理はなかった。それほどまでに、ローレンの洞察力や決断力が素晴らしかったのだ。
呆然とした様子で佇むオズウェルドに、ローレンは強い意志のこもった瞳を向ける。
「人族と魔族の共存という夢を抱いた、ただの国王だ」
オズウェルドはローレンの回答に目を見張った。そして、すぐにニヤリと口角を上げる。
「奇遇だな。俺も、同じ使命を背負っている」
その言葉に、今度はローレンが目を見張った。そして、オズウェルドが力強い視線を返してくる。
「ローレン。俺はお前と共に、二種族の共存を実現したい。この同盟が、その足がかりになることを祈るよ」
ローレンはその発言に大いに驚きつつ、同時に胸が高鳴って仕方なかった。こいつとなら、必ず実現できる。そんな、確信めいた予感があった。
「願ってもない言葉だ。必ずそうしてみせる」
二人とも、この場で出会うのがまるで昔から決められていたかのように感じていた。
「これからよろしく、オズウェルド」
「ああ、よろしく。ローレン」
そうして二人は、固い握手を交わしたのだった。




