113.師弟の再会
アイリスが目覚めたのは、もう日が沈み始めた頃だった。
まだ重たい瞼を持ち上げると、最近はあまり見なくなった天蓋がまず目に入る。その情報から、自分が寒空の下ではなく、王城の自室にいることを理解した。
(あったかい……)
冬の森の中を夜通し走っていたアイリスは、たったそれだけのことに酷く安堵した。窓からは夕日が差し込んでおり、部屋の中をオレンジ色に染めている。
「起きたか?」
聞き慣れた声にそう問われ、アイリスはゆっくりとそちらを向いた。起きたばかりでまだ頭がさえない。
視界の中に声の主を捕らえると、ようやく先ほどまでの惨状を思い出しバッと飛び起きた。
「陛下!!」
寝台のそばにある椅子に座っていたローレンに、アイリスは詰め寄った。
「お身体はもう大丈夫なのですか!?」
「ああ。お前のお守りのおかげで、傷ひとつ残っていない」
そう言うローレンは、随分と顔色が良くなっている。その元気そうな様子と彼の言葉に、アイリスは深く安堵し胸を撫で下ろした。
「良かった……」
しかし、アイリスはそこでハッとする。傷ひとつ残っていないということは――。
「もしかして、左肩の傷跡も消えてしまったのでは……?」
四年前の暗殺未遂事件で負った傷。ローレンは、当時のことを忘れずにいられるからと、わざと傷跡を残していたのだ。
不安げに尋ねるアイリスに、ローレンは穏やかな笑みを浮かべる。
「気にするな。もう良いんだ。もう、前に進めるから」
そう言うローレンは、随分と清々しい表情をしていた。
何か心境の変化があったのだろうかとアイリスが首を傾げていると、ローレンが気遣わしげに尋ねてくる。
「それより、気分はどうだ? つらいところはないか?」
「はい。全く問題ありません」
アイリスが倒れたのは、単に一晩中眠らずに逃げ回っていたせいだ。朝から夕方まで十分に睡眠を取ったので、今はすっかり元気になっていた。
そしてアイリスは、ローレンに深々と頭を下げる。
「この度はご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。陛下まで危険な目にさらしてしまって……。やはり私の存在が、陛下のご迷惑に……」
今回の誘拐犯は、恐らくエリオットで間違いないとアイリスは踏んでいた。自分が彼に狙われていることがわかっていながらみすみす攫われてしまったことに、強い申し訳無さを感じていたのだ。
「顔を上げてくれ、アイリス」
ローレンにそう言われ顔を上げると、彼は酷く苦しそうな表情をしていた。
「お前が悪いことなど何一つとしてないんだ。謝るのは俺の方だ。危険な目に遭わせてしまって、本当にすまなかった」
アイリスはその言葉に眉根を寄せた。彼が謝罪する理由など、何もないはずだ。
エリオットがアイリスを狙った理由がこの国を潰すためだとはいえ、彼が責任を感じる必要なんてどこにもない。やはり彼は、自分と結婚したせいで巻き込んでしまったと思っているのだろうか。
だとしたら尚更、彼に言っておかなければならないことがある。
「陛下。もしまた同じようなことがあれば、次は助けになど来ず、私のことは捨て置いてください。もう二度と、あんな無茶はなさらないでください」
王妃になった以上、危険なことに巻き込まれるのは覚悟の上だった。王妃を助けようとして王が死ぬなど、そんなことはあってはならない。自分だけ生き残っても、この国を導くことなど出来ないのだから。
しかし、アイリスの思いとは裏腹に、ローレンは困ったようにわずかに眉を下げながらこちらの願いを却下してくる。
「悪いがそれはできない。何度だって、お前を助けに行く」
彼の瞳には、強い意志が込められていた。この瞳の彼が考えを決して変えないことを、アイリスは今までの経験でよく知っている。
アイリスもアイリスで困り果てた顔になり、どうしたら彼を説得できるかという無理難題に頭を悩ませた。すると、とある疑問がふと脳裏によぎる。
「そもそも、陛下はどうして私の居場所がわかったんですか? それに、王城から国境沿いまではかなりの距離があります。たとえ、陛下が昨朝出立されてから真っ直ぐに国境沿いを目指したとしても、あの時間にあの場所へ辿り着くのは到底無理なはずです。……というか、私たちはここまでどうやって帰って来たんですか?」
アイリスのもっともな質問に、ローレンの形の良い眉がほんの少しだけ動いた。そして彼は、なぜか覚悟を決めたような重々しい空気を纏う。
「……その話の前に、お前に会わせたい奴がいる」
ローレンは一度立ち上がり扉の前まで行くと、ひとつ息を吐いてからゆっくりと扉を開けた。
すると、ひとりの人物が部屋に入ってくる。
黒みがかった灰色の髪、月のように輝く金色の瞳、そして頭には二本のツノ。
ここにいるはずのない人物の登場に、アイリスは自分の目を疑った。
「オ……ズ……?」
「アイリス。久しぶりだな」
昔と何一つ変わらない、低くて聞き心地の良い声だった。
「オズなの……?」
「ああ。お前の師匠で、お前の友人の、オズだ」
そう言う彼は、とても優しく微笑んでいる。見た目はすごく厳ついのに、中身は全然そんなことない、私の師匠、私の友人。
「オズ!!」
アイリスがたまらず寝台から飛び降りオズウェルドに抱きつくと、彼はその大きな身体で受け止めてくれた。これも、昔と同じだ。
「オズ……! 私ね、頑張ったんだよ……! 頑張って……あの国でひとりで耐えたよ……!」
「ああ、よく耐えた。よく耐えたな……! なかなか助けてやれなくて、本当にすまなかった……!」
オズウェルドはアイリスを抱きしめ返し、声を震わせながら謝罪した。彼の言葉に、アイリスは頭を横に振りながら答える。
「ううん、いいの。仕方ないって、わかってたから。会えただけで、すごく嬉しい。夢みたい」
師匠との思ってもみない再会に、アイリスは思わず涙ぐんでいた。話したいことがたくさんあるのに、胸が一杯でなかなか言葉が出てこない。久しぶりに会えたことが、嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。
しかし、何よりもまず、聞かなければならないことがある。事の次第によっては、こんな悠長に再会を喜んでいる場合ではないかもしれない。
アイリスはオズウェルドから少し離れると、大きな彼を見上げながら不安げな表情で尋ねる。
「でも、どうしてオズがここに? この国とオズって、対立関係にあるはずじゃ……?」
アイリスのその問いに答えたのは、オズウェルドではなくローレンだった。
「俺をアイリスがいる国境沿いまで飛ばしてくれたのが、オズウェルドなんだ」
「え!?」
予想外の回答に、アイリスはバッとローレンの方を見た。
そういうことなら、国王一行があんな短時間であの場に来られたのも納得だ。オズウェルドなら、あの人数を飛ばすことくらい余裕だろう。
しかしそれでは、オズウェルドがここにいる理由の答えになっていない。自分の弟子を助けるためにローレンに助力したのだろうか。だが、であれば自分で助けに来たほうが早いはずだ。
アイリスが頭の上にたくさんのハテナを浮かべていると、ローレンが説明を続けてくれた。
「それから、アイリスが攫われたあと、城ではクーデターが起きていた。そして、オズウェルドがそれを阻止してくれたんだ」
「クーデター!? え!?」
アイリスはその説明で、なおさら訳がわからなくなった。こちらの預かり知らぬところで、何かとんでもないことが起きていたようだ。あまりにも情報が多すぎて、頭は停止寸前だ。
「でも、どうしてオズがこの国を助けに……?」
「それは、バーネット王国とオズウェルドが作った国が、この度同盟を結んだからだ」
「国……作った……? 同盟……??」
ローレンの言っている意味が全く理解できず、アイリスの思考は完全に止まってしまった。呆然とした様子であんぐりと口を開けているアイリスに、ローレンは苦笑しながらこう言った。
「まずは、どこから話そうか」
そしてローレンは、『長話になるから』と言ってソファに促した後、オズウェルドと最初に出会った日のことを話してくれた。




