111.魔王の涙
アイリスが気を失った後のこと。
敵の捕縛作業がすべて完了し、ローレンや近衛騎士たちはようやく一息ついていた。
アイリスのお守りのおかげで全回復したローレン以外、皆ボロボロだ。ローレンは緊急性の高い怪我人の治療は行ったが、全員を回復させるには全くと言っていいほど魔力が足りなかった。あまりにも怪我人が多すぎたのだ。
もちろん、敵味方含め息を引き取った者も多くいた。それほどまでに、多くの犠牲を伴う戦いだった。城に戻ったら、自分たちのために散っていった近衛騎士たちの弔いをしなければならない。
ローレンたちがしばし小休止をしていると、程なくしてオズウェルドが迎えに来てくれた。
「すまない。遅くなった」
圧倒的な存在感を誇るオズウェルドの登場に、敵の騎士たちやアトラス魔法協会の魔法師たちは、ただただ驚きと畏怖の視線を彼に向けていた。オズウェルドに既に会っている近衛騎士たちですら、少し緊張した様子を見せている。
ローレンはオズウェルドの登場に安堵しつつ、最も気にしていたことを彼に尋ねる。
「城の方は?」
「問題ない。お前の指示のおかげで、首尾よくいった。犠牲者もゼロだ」
その言葉を聞いて、ローレンはようやく肩の荷が少し下りた気がした。大きく息を吐き、胸をなでおろす。
黒幕との決着をつけられただけでなく、四年前に友から託された夢を大きく前進させる事ができたのだ。「人族と魔族の共存」という、馬鹿でかい夢を。
もちろんオズウェルドと同盟を結べたからといって、これで終わりではない。やるべきことは山積みだ。夢の実現のためにこれからなすべきことを思い返し、ローレンは心のなかで気合を入れ直した。
すると、オズウェルドがローレンの首にかけられている水晶を見て、フッと笑みをこぼす。
「アイリスのお守りはよく効いただろう」
「ああ。流石は魔王の弟子だな。これがなければ死んでいたかもしれん」
ローレンはこの場所に飛ばしてもらう直前に、オズウェルドからお守りの効果について聞かされていた。それもあって、多少無茶をしたところもある。なにより、どれだけ傷を負ったとしても、アイリスの命を守る事があの場では最優先だったのだ。
「アイリスはあっちで眠ってる」
オズウェルドはローレンが指差す方に視線を向ける。そして彼女を見つけた途端ハッと目を見開き、急いでそちらに駆け寄っていった。彼女は木にもたれかかるように眠っており、今はサラがそばについてくれている。
オズウェルドはアイリスの目の前で膝をつくと、まるで壊れ物扱うかのようにそっと彼女の手を握った。オズウェルドにとって、約六年ぶりの再会だった。
「ああ……アイリス……。よく無事でいてくれた……」
オズウェルドはそう言葉をこぼすと、愛おしそうにアイリスの頭を撫でた。昔、幼い彼女に何度もそうしたように。
そして、アイリスに触れ、温かさを感じ、彼女が生きていることを実感したオズウェルドは、人目もはばからず一筋の涙を流した。
彼の予期せぬ反応に、その場にいた皆が一斉に驚く。ローレンの近衛騎士たちは、魔王が流す涙に大きく心を動かされた。敵の騎士たちでさえ、その美しい涙から目が離せなかった。
人間の敵であるはずの魔族が、人間を想って涙を流している。その光景は、その場にいる者たちの心を大きく打った。そして、この逸話は後に国中で広く語り継がれることになるのだが、まさかそんなことになるとは、この時のオズウェルドは知る由もなかった。
すると、ローレンがオズウェルドに歩み寄り、言葉をかける。
「話すのは、アイリスが起きてからだな」
「ああ」
短く返事をしたオズウェルドは立ち上がり、ローレンの方に向き直る。そして、深々と頭を下げた。
その光景に、またしても皆が驚く。魔族最強と謳われる魔王オズウェルドが人間に頭を下げる光景など、誰が想像できただろうか。
「ローレン。心から礼を言う。お前がいなければ、アイリスを救い出すことは出来なかった」
「…………そういう話は、帰ってからにしよう」
オズウェルドからの感謝の言葉に、ローレンはほんの少し表情を暗くする。しかしその表情の理由を知る者は、この場にはオズウェルドしかいなかった。
ローレンは気を取り直したように表情を元に戻すと、オズウェルドにひとつ頼み事を申し出た。
「オズウェルド、生き残っている者全員を回復させることはできるか? 敵含めて。奴らには尋問しなければならないから、死なれては困る」
「そんなことか。お安い御用だ」
オズウェルドはそう言うと、この場にいる生存者に無詠唱で回復魔法をかけた。すると、みるみるうちに皆の怪我が治っていく。桁違いの魔王の力に、騎士たちはもちろん、アトラス魔法協会の魔法師たちも大いに目を見張っていた。
そしてローレンは、もうひとつオズウェルドに頼み事をする。
「あと、城に戻ったら、敵にかけられている魔法を解いてやってくれるか? アイリスが拘束魔法のようなものをかけたんだが」
彼女がかけた魔法が余程強力だったのか、敵の騎士や魔法協会の魔法師たちは、まだ思うように体を動かせないようだった。術をかけた当の本人が眠ってしまっているため、解こうにも解けないのだ。
しかし、アイリスは手錠を外してから一瞬で状況を判断し、見事に敵だけを拘束してみせた。それは、一朝一夕でできる芸当ではない。幼い頃からオズウェルドと訓練を重ねてきた賜物だろう。
「ああ、わかった。解析しておく」
オズウェルドはそう言って苦笑していた。彼もまさか自分の弟子の魔法を解析することになるとは思わなかったのだろう。
この場でやることが済み、ローレンはひとつ息を吐いた。あとは、帰って後始末だ。恐らく城は混乱を極めているだろう。しばらくは寝不足を覚悟したほうが良さそうだ。
だが、これで自分を狙う黒幕との、オースティンとの戦いが終わった。長い長い戦いに、終止符を打つことが出来たのだ。
ローレンはやりきったように清々しい表情を浮かべながら、皆に向かってこう言った。
「さあ、城へ帰るぞ」




