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【完結】愚鈍で無能な氷姫ですが、国取りを開始します 〜さっさと陛下と離婚したいので、隠してた「魔法の力」使いますね?〜  作者: 雨野 雫
最終章

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110.死闘の果てに


「終わった!!」


 アイリスはそう叫ぶと、ずっと閉じていた目をバチッと開けた。手錠の解析が完了したのだ。ガチャリと音がして手錠が腕から外れ、ボトッと地面に落ちる。


(すぐに状況把握……!!)


 ざっと全体を見渡すと、敵の騎士たちだけでなく、アトラス魔法協会の人間もいることに気がつく。そして、目の前にいるローレンに、今にも敵が斬りかかろうとしていた。


 その光景に、アイリスはひゅっと身の縮む思いがした。心臓が掴まれたように痛い。

 危ない、と脳内で警鐘が鳴り響いた時、アイリスは咄嗟に大声で叫んでいた。


「《動くな》!!!」


 その声で、ビタッ、と、敵全員の動きが止まった。


 動きを止められた騎士や魔法師たちは、みな驚いたように目を見張っているが、彼らは指を動かすどころか声ひとつ出せないでいる。味方の近衛騎士たちも、一体何が起きたのかと呆然とした様子で立ち尽くしていた。


 アイリスの正体を知らないバーネット王国の騎士たちは、この少女は一体何者なのかと思わずにはいられなかった。魔法がほとんど使えないはずのアイリスが、敵全員の動きを止めるなどという強力な魔法を使ったからだ。

 一方、アトラス魔法協会の魔法師たちは、黒髪緋眼の強大な力を目の当たりにし大いに驚いていた。


(何とか、なった……?)


 アイリスが荒い呼吸を整えながら、今の状況を再度確認しようとしていると、目の前のローレンが大声で指示を出した。


「総員、確保だ!! 動ける者は対処に当たれ!!」


 呆然としていた近衛騎士たちは、主君の命令でハッと我に返ったようだった。


「「「は!!!」」」


 近衛騎士たちは返事をすると、テキパキと敵の捕縛作業を始めた。よく見ると皆ボロボロで、体中が傷だらけだ。ところどころ、傷が深くて動けずにいる近衛騎士たちの姿も見受けられる。全員に回復魔法をかけたいところだが、あいにく今のアイリスにはもうそれだけの魔力は残されていなかった。


「アイリス……無事で何よりだ」

 

 ローレンが振り返りアイリスの前でかがむと、彼は愛おしそうにこちらの顔を覗き込んできた。そしてそのまま、優しく抱きしめられる。


「へ、陛下……! 陛下……!」


 アイリスは、胸が締め付けられたように苦しくなった。


 攫われて、ずっと一人で怖かった。

 もう一生あなたに会えないかと思うと、心の底から恐ろしかった。

 助けに来てくれて、言い表せないほど嬉しかった。

 でも私なんか置いて、さっさと逃げてほしかった。

 あなたが死ぬかと思って、心臓が止まりそうだった。

 そしてずっと、ずっと、こうしてあなたに会いたかった――。


 そんな思いがないまぜになって、アイリスの心の中はぐちゃぐちゃに掻き乱れていた。


 アイリスはしがみつくようにローレンを抱きしめ返す。そうしないと、彼がまた遠くに行ってしまうような気がしたのだ。


 抱きしめたローレンの温かさに、アイリスの心は安堵の思いで満たされる。


 ――しかし、安心できたのはほんの一瞬だけだった。アイリスの手に、どろりとした生暖かい物が触れたからだ。


 ハッとして自分の手のひらを見ると、そこには真っ赤な血がべっとりと付いていた。ローレンの周りにある雪は、本来は真っ白であるはずなのに、今は真っ赤に染まっている。


 彼が大怪我を負っていることを理解した途端、アイリスは全身から血の気が引いていった。


「へ、陛下……血が……!」


 アイリスが震える声でそう言った時、ローレンは限界を迎えたようにバタリと倒れた。


「陛下……? 陛下……! 陛下……!!」


 アイリスは、ローレンの瞳を覗き込みながら何度もそう叫んだ。焦りと恐怖で、今にも正気を失いそうだ。


 するとローレンは穏やかな表情を浮かべ、優しい声で言葉をかけてきた。


「アイリス……落ち着け」

「喋らないでください。いま傷口をふさぎますから!」

「いいから、聞け」


 ローレンはそう言うと、血の付いた手で愛おしそうにアイリスの頬に触れる。彼の手は、まるで氷のように冷たかった。そして彼は、ゆっくりとした呼吸と共に言葉を紡いでいく。


「アイリス……俺は、死なない。だから……俺が、意識を失っても……決して取り乱すな……」

「何を仰って……」


 アイリスはローレンの言葉の意味が全くわからなかった。この出血量では、いつ事切れてもおかしくない。それなのに、死なない、なんて、信じられるはずがない。


「平静を、保つんだ……できるな?」

 

 ローレンは聞き分けのない子供に言い聞かせるかのように、また優しく言葉をかけてくる。アイリスは堪えられなくなり、とうとう涙を流してしまった。

 

「何を仰っているのかわかりません……!!」


 泣いている場合ではないのに、ボロボロと涙が溢れて止まらない。ローレンの顔をよく見たいのに、眼の前が滲んで仕方なかった。アイリスの流した涙が、頬に触れる彼の手についた血を、ほんの僅かに洗い流していく。


「大丈夫だから、俺を、信じろ」


 ローレンは微笑を浮かべながらそう言うと、とうとう意識を失った。アイリスの手の中に、ポトリと彼の腕が落ちる。


「陛下……? 陛下? 陛下!?」


 アイリスはまた必死にローレンに呼びかける。


「目を開けてください、陛下!!」


 しかし今度は、彼からの反応が返ってこない。アイリスは急いで回復魔法をかけるも、今の魔力量では到底彼の傷を治療しきれないことにすぐ気がついた。それほどまでに、彼は傷だらけだったのだ。


「どうしよう……どうしよう……」


 アイリスは頭を真っ白にしながら、空回りするばかりの思考で何とか今できることを必死に考えようとする。


「誰か……誰か、私に魔力を貸してください……! そうすれば、私が治しますから……このままでは陛下が……!」


 そう言いながら辺りを見回すも、この乱戦の後、敵味方含めて魔力を残している者などただ一人としていなかった。頼みの綱であるアトラス魔法協会の魔法師たちは、そのほとんどが騎士たちによって倒されてしまっている。


 必死に魔力が残っている人間がいないか見回していると、レオンとサラがいることに気がついた。王城にいた彼らがどうやってここに来たかはわからない。今はそんなことを考える余裕もなかった。


 すがる思いでサラを見るが、彼女は悔やむように唇を噛み締めながら下を向いていた。恐らくこの乱戦で、もうとっくに魔力が切れているのだろう。すると、隣にいるレオンと目が合った。しかし、彼は顔を真っ青にして、ただただその場に立ち尽くすだけだった。


 二人の様子を見たアイリスは、いま自分にできることが何もない事を悟り、絶望の叫び声を上げた。


「誰か!!!」


 その時だった。


 ピシッという、ガラスにヒビが入ったような音がしたかと思うと、ローレンの胸元が急に光りだしたのだ。そして、彼の体は瞬く間に黄金の光に包まれ、みるみるうちに傷が治っていく。そして、傷が治るに従って、黄金の光がゆっくりと消えていった。


 その光景に、近衛騎士たちはまるで神の御業を見ているかのように、呆然とした様子で立ち尽くしていた。


 かくいうアイリスも、一体何が起きているのか全く理解できていなかった。すっかり血の気の戻ったローレンの顔をただただ眺めていると、視界の端で何かがキラリと光った気がした。そちらにふと視線を向けると、ローレンの首に銀色の鎖がかかっているのが見えた。


「あ……お守り……」


 そう呟いたアイリスは、いま目の前で起きていることをすべて理解した。

 離婚を切り出したあの日、暗殺者に命を狙われているローレンを思って渡した、お手製のお守り。それが、見事に作動したのだ。

 

 あのお守りは、水晶玉に長年魔力を込め続けることによって完成する、特別なものだった。アイリスは、師匠に出会った三歳の頃からローレンに手渡すあの時まで、毎日欠かさず水晶玉に魔力を込め続けてきたのだ。その効果は、持ち主が瀕死に陥った際に、お守りに込められた魔力量に応じて回復する、というもの。


 最初は護身用にと思い、師匠に教わりながら見様見真似で作ったものだったが、そのおかげで一番救いたかった人を救えたのだ。そのことに、アイリスは心の中で師匠に最大限の感謝をした。


 すると、ローレンがゆっくりと目を開ける。少しぼんやりとした眼差しでアイリスを捉えると、彼はとても優しい笑みをこぼした。


「アイリス。またお前に救われたな」


 彼はそう言って、首元にしまっていた水晶玉を取り出してみせた。彼の手に乗せられた水晶玉には大きくヒビが入っており、水晶の中心に閉じ込められていた金色の光は見る影もなく消えていた。


 そしてローレンは手を伸ばし、愛おしそうにアイリスの頬に触れる。アイリスは、思わずその手に自らの手を重ねた。


「よ……かった……。良かった……! 良かった……!!」


 アイリスは心から安堵した。


 また、彼の声が聞けたことに。

 また、彼の美しい碧の瞳が見られたことに。

 また、彼の優しい手に触れられたことに。


「陛下……! 陛下……! 陛下ぁ!!」


 アイリスは(せき)が切れたようにわんわん泣いた。そんなアイリスを、ローレンは優しく抱きしめる。


「心配をかけてすまなかった。もう大丈夫だ。救ってくれて、そして、生きていてくれてありがとう、アイリス」


 耳元でささやく彼の声に、その吐息に、彼が生きていることを実感して、一層涙が溢れてくる。

 アイリスは(すが)り付くようにローレンを抱きしめながら、しばらく泣き続けた。


 そして、昨夜から一睡もしていなかったアイリスは、安堵と疲労でいつの間にか意識を失っていた。


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