109.乱戦
オズウェルドがクーデターを阻止すべく単身で王城に乗り込んでいた頃、アトラス王国との国境沿いでは――。
突然の王の登場に、アイリスを狙う騎士たちは驚き狼狽えていた。自分たちの主人から、王は今ごろ大陸西部に向かっていると聞かされていたからだ。それとは真反対のこの場所にどうしてこの美しき王がいるのか、みな理解できるはずもなかった。
黒幕側の騎士と、ローレンの近衛騎士との睨み合いが続く中、アイリスは目の前の背中に非難の声を浴びせる。
「陛下……どうしてここに……? なぜ来たのですか……!? 私など捨て置いて、早く逃げてください!!」
アイリスを狙っている騎士たちは、恐らく王位を簒奪しようとする黒幕が遣わした者たちだ。この場に誰か助けに来るとしても、王であるローレンだけは絶対に来てはいけなかった。
そもそも、なぜ彼がこんな僻地にいるのだろうか。昨日の朝に出立して休みなく馬を走らせたとしても、王城から一日で来れる距離ではないはずだ。
しかしローレンは、アイリスの言葉には答えず、こちらを気遣う言葉をかけてくる。
「アイリス、遅くなってすまない。怪我はないな?」
彼は視線だけでアイリスを一瞥すると、目立った外傷がないことに安堵の表情を浮かべていた。こんな状況でも他人を心配するローレンに、アイリスは苛立ちさえ覚える。
「私の心配などしてる場合では……!」
「その手錠、あとどのくらいで外せそうだ?」
ローレンがこちらの非難を無視して突然そう尋ねてきたので、アイリスは少し面食らってしまった。彼の問いに答えるべく、急いで残りの解析時間を計算する。
「ええと……あと一時間くらいでしょうか」
「わかった。それまで時間を稼ぐ」
「へ!?」
彼の予想外の返しに、アイリスは驚いて声が裏返ってしまった。この人は、一時間もここで戦い続けるつもりなのだろうか。そんな時間があるなら、早く逃げて欲しいのに。
アイリスのそんな思いとは裏腹に、ローレンは続けてこう言った。
「この人数差では、倒し切るのは難しいかもしれない。だから、トドメはお前に任せる」
アイリスたちを取り囲んでいる軍勢は、こちらの十倍くらいの数はいそうだった。いくらローレンの近衛騎士が優秀とはいえ、確かにこの人数差をひっくり返すのは厳しいだろう。
しかし、どうやらローレンは本気でこの場を乗り切るつもりらしい。何を言っても王の意思が変わらないことを悟ったアイリスは、覚悟を決めて彼に返事をする。
「承知しました、お任せを!」
「ああ、頼む」
ローレンは、アイリスの答えに満足したように微笑を漏らすと、自らの騎士たちに王命を下した。
「一時間だ。その間、何としてもアイリスを守りきれ! そうすれば、我々の勝利だ!!」
その言葉を皮切りに、アイリスの周りで激しい戦闘が始まった。ローレンの言葉に鼓舞された近衛騎士たちの士気はかなり高まっており、黒幕側の騎士たちを圧倒している。
一方のアイリスは『よし』と自らに気合を入れて、手錠の解析に取り掛かった。
手錠に魔力を吸われているとはいえ、先ほど一人の騎士を無力化した時になぜか魔力が回復したので、この分だと手錠を外した後もいくらか魔法が使えそうだ。
(集中しろ……少しでも早く、この手錠を解くのよ……!)
アイリスが目を閉じて素早く集中状態に入ると、周囲の激しい戦闘音もすぐに聞こえなくなっていった。
***
戦闘は、アイリスを取り囲むようにして行われていた。
アイリスを中心に円を描くように近衛騎士たちが配置され、後ろからローレンや数人の魔法師が援護に当たっている。ローレンは近衛騎士たち全員に強化魔法をかけつつ、時折広範囲の攻撃魔法を放ったり、取り漏らして円の中に入ってきた敵を斬ったりしていた。
近衛騎士たちは始めこそ押していたものの、やはり数の差が大きく、また防戦一方ということもあり、次第に形勢が悪くなってきていた。しかし、アイリスが手錠を外すまで、まだかなりの時間が必要だ。
ローレンがこれほどまで追い込まれた状況は、四年前に暗殺されかけた時以来だった。しかしあの時とは異なり、今はいくつかの策を巡らせている。
そろそろだ、とローレンが思った時、図ったように二人の人物が唐突にその場に現れた。
「うわっ、位置ドンピシャ! あいつすげーな!!」
「王城からここまでかなりの距離があるのに、流石は魔王だね」
思いがけない人物の登場に、敵の騎士たちは強い焦りの色を浮かべた。
現れたのは、あの大魔族「業火のギルバート」さえ打ち倒したという、この国で最強の騎士二人――アイリスの専属護衛である、レオンとサラだった。
二人はアイリスの無事を確認し安堵の表情を浮かべた後、すぐにローレンに言葉をかけてきた。
「陛下! 助太刀に参りました!」
「おまたせ、王様」
「オズウェルドに会ったか。助かる」
実は、ローレンはオズウェルドと別れる前、レオンとサラに会ったらこちらに飛ばすようお願いしていたのだ。広い王城内で二人を見つけ出せるかだけが懸念だったが、どうやら上手くやってくれたらしい。
すると、サラが剣を抜きながら尋ねてくる。
「王様。こいつら、殺していいの? 騎士団の人間なんだよね?」
「やむを得ん。無力化させるだけの余裕があればそうしろ。そこらに割って入って、戦況をかき回してこい」
「「了解!」」
レオンとサラは息ぴったりにそう返事をすると、二人で一斉に走り出していった。そして、押されている箇所に飛び込んでいっては敵を蹴散らしていく。すると、あれよあれよといううちに戦況が持ち直した。
二人の流石の強さに、味方の騎士たちは感嘆の声を、敵の騎士たちは焦燥の声を上げていた。
その後の戦況は、しばらく膠着状態が続いた。レオンとサラが相当数の敵を倒したが、いかんせん数が多過ぎる。倒しても倒してもきりがなく、味方の体力は減るばかりだ。
近衛騎士たちはとうに疲弊しきっており、気合だけで何とか持ちこたえている状況だった。回復役の魔法師も、とっくに魔力切れを迎えている。しかし、アイリスが手錠を外すまで、あともう少しだけ時間を稼ぐ必要があった。
すると、近くにいた近衛騎士が国王に進言する。
「陛下、そろそろ限界が近づいてきています……! 道をこじ開けますので、アイリス様とともにどうかお逃げを……!」
「待て。もうすぐ来るはずだ」
ローレンはわずかに焦りを滲ませながら「彼ら」の到着を待っていた。彼がこの場で持ちうる、最後のカードだ。
しかし、もはやアイリスを守る近衛騎士の壁は崩壊寸前だった。取り漏らした敵が、一人、また一人とローレンとアイリスの方へ向かってくる。
ローレンは次々に襲いかかってくる敵を何とか斬り倒しながら、ひたすらにアイリスを守り続けた。レオンとサラも既に壁の中に入り、それに加勢している。
サラは細く長く戦えるよう魔力を調整しながら戦っていたが、そろそろ限界が近づいてきていた。体力自慢のレオンも、流石にだいぶ息が上がっている。
「もう少しだ! あと少しだけ耐えろ!!」
ローレンがみなに向かってそう鼓舞した時、遠くからわずかに声がしたのをサラは聞き逃さなかった。新たな敵の出現が脳裏によぎったサラは、大声でローレンに報告する。
「王様! 誰か来る!! それなりに数いるよ!!!」
「来たか!!」
ローレンは待ち望んだ「彼ら」の姿を、目の前でぶつかり合う騎士たちの奥に確かに見た。濃紺のローブをまとった集団が、馬に乗ってこちらに向かって来ている。
「こっちだ!!」
「急げ!」
今度はローレンもはっきりと聞き取れるほど、彼らはこちらに近づいてきていた。そしてローレンは、腹の底から大声を出し、彼らに言葉を届ける。
「この騎士たちはアイリスを殺そうとしている!!」
突然大声で叫んだ王に、目の前にいる敵たちは驚いた反応を示したが、それでようやく自分たちの後ろに誰かが近づいてきていることに気づいたようだった。
そして、ローレンの声に「彼ら」が反応する。
「何だとっ!?」
「アイリス様を守れ!!」
「何が何でも我らが王を守るのだ!!」
そう。彼らとは、アトラス魔法協会の魔法師たちだった。
実は、オズウェルドの使い魔である青い小鳥たちは、アイリスの居場所と共に魔法協会の動きについても教えてくれていた。
彼らはアイリスの逃亡に気づいた後、彼女をずっと追って来ていたのだ。どうやらアイリスの手錠には位置を発信するような魔法がかけられていたようで、彼らは見失うことなく彼女を追い続けた。
ローレンはその情報を聞いた時点で、魔法協会を黒幕の騎士たちにぶつけようと考えていたのだ。そのために大声を上げ、魔法協会に自分たちの敵が誰かをわからせた。
そしてこちらの思惑通り、協会の魔法師たちは敵の騎士と一定の距離を保ちながら、一斉に魔法攻撃を仕掛けてきた。その攻撃によって、円の中心から一番遠くにいる敵から順に倒れていく。
挟撃される形になった敵たちは、まさかの乱入者の登場に焦ったような声を上げていた。そして彼らはローレンたちへの攻撃の手を弱めると、まずは魔法師たちの殲滅を優先した。
そこからは、乱戦もいいところだった。
魔法師たちは敵を相当数減らしてくれたが、そもそも魔法師というのは近接戦を得意としない。彼らは騎士たちによって、一人、また一人と倒されていった。アイリスを守る近衛騎士の壁もとうとう瓦解し、敵の騎士たちは国王と王妃を亡き者にしようと血眼になって向かってくる。
そんな状況の中でも、ローレンは決して気持ちを折ることなく、ただひたすらにアイリスを守り、剣を振るい続けた。




