104.魔王オズウェルド
突然の魔王オズウェルドの登場に、その場にいた全員が一言も発せず、そして少しも動けずにいた。
オズウェルドと対峙しているオースティンも、予想外の事態に言葉を失っている。
するとその沈黙を、オズウェルド本人が破った。
「赤髪に紫の瞳。お前がヒュー・オースティンだな?」
オズウェルドがそう言い放った瞬間、彼から凄まじい殺気が放たれた。
息が詰まりそうになるほどの殺気に、騎士たちは震える体を必死に押さえつけている。一歩でも動けば、一瞬で消し炭にされる。オズウェルドの殺気には、そう思わせるほどの圧があった。
するとオズウェルドは、再び目の前にいるオースティンに向かって言葉を放つ。
「俺の弟子が世話になった」
そう言って睨みつけるオズウェルドの殺気は、より一層強烈なものとなった。
目の前でその殺気を一身に受けたオースティンは、生物としての本能か、はたまたこの凄まじい殺気に当てられたのか、咄嗟にオズウェルドに向かって剣を振り下ろす。しかしその剣は、オズウェルドに当たる前にバラバラに砕け散った。
「俺を目の前にしてなお剣を振れる度胸だけは褒めてやろう」
オズウェルドはそう言うと、スッと殺気を収めた。もうこの場には、向かってくる意志のある者はいないと判断したのだろう。
すると、殺気が消えて安堵したのか、騎士たちは次々に手から剣を落とすと、その場にヘナヘナと座り込んでいた。
一方のオースティンは、目の前の出来事が未だに信じられないという様子だ。
「なぜだ……なぜお前がここに……! 今は西の領地にいるはずでは……!」
「国王一行は今、同盟締結のために大陸西部を目指していて、俺はその到着を領地で待っている、と思っていたんだろう? 残念だったな。同盟は既に締結済みだ」
オズウェルドが嘲笑混じりにそう言うと、オースティンは激しく顔を歪ませた。その表情には、悔しさと怒りが入り混じっている。
「偽の情報を掴まされていたということか……!」
「大方、ローレンを『魔族と同盟を結び国を混乱に陥れた国賊』として晒し上げ、クーデターを正当化しようとしていたんだろう?」
オズウェルドが呆れたようにそうこぼすと、意を決したアベルが口を挟んだ。
「お、お待ちを、オズウェルド殿。今、同盟と仰いましたか? そして聞き間違いでなければ、先ほど、デモンハイム帝国初代皇帝、と名乗っておられませんでしたか? まさか……まさか、立国して我が国と同盟を結んだと……?」
騎士たちはみな、この状況でオズウェルドに話しかけられるアベルの度胸に感服し、尊敬の眼差しを向けていた。普通はアベルの発言内容に驚くところだが、それをすぐに理解できるほどの余裕は今の彼らにはないようだ。
するとオズウェルドは、少し表情を緩めてからアベルに視線を向ける。
「お前がアベル・バーネットか。ローレンから聞いていた通り、頭の切れる聡明な男だな。まさに、お前がいま言った通りだ」
ローレンが城を空けた目的は、魔王オズウェルドがこの度作った国と同盟を結ぶためだった。そして同盟を結んだ今、ローレンはオズウェルドにクーデターの阻止を頼んだのだ。
それを理解したアベルは、信じられないというような表情でポツリと声を漏らしていた。
「なんと……」
四大魔族が治める土地は、国ではなく彼らの縄張りのようなものだ。魔族は基本、国を持たない。その強さ故、人間のように群れを作る必要がないからだ。個人主義の彼らにとって、国とはさして必要ないものだった。これまでの歴史においても、魔族の国があったという記録は残されていない。
そうであったのに、この時代に、魔族の国が誕生した。しかも、魔族最強である魔王オズウェルドが皇帝となって。
それだけでも歴史に残る大事だと言うのに、人族の国と魔族の国が同盟を結んだのだ。これが一大事と言わずして何と言うのだろう。しかし、それが偉業か愚行かは、今の時点では誰にもわからない。
そもそもそれ以前に、魔王オズウェルドはこの国と対立関係にあるのではなかったのか。それがなぜ、同盟締結などという話になっているのか。
同盟のことを事前に知っていたオースティン以外、その場にいた全員がただただ呆然とした様子を見せていた。
そんな彼らに、オズウェルドは微笑を浮かべながら言葉を続ける。
「立国できたのは、すべてローレンのおかげだ。あいつが法整備などに、随分と助力してくれたんだ。それにあいつからは、上に立つ者としての心構えなんかも色々と教わった」
そう話すオズウェルドは、先ほど殺気を放っていたときとは打って変わって、非常に優しい雰囲気をまとっていた。随分な変わりように騎士たちは呆気にとられていたが、アベルとルーイは、これが彼の本来の姿なのかもしれないと思っていた。
すると、呆然と立ち尽くしていたオースティンが、理解できないというような表情でオズウェルドを問い詰める。
「だがどういうことだ……! 陛下が出立したのは昨日だぞ!? ここから西の領地に行くまで、どれだけ時間がかかると……!」
「昨日ローレンたちは、王都を抜けしばらく進んだところにある約束地点に赴いた。そこから俺が、転移魔法で全員を西の領地まで飛ばしただけだ」
事もなげにオズウェルドが答えると、オースティンはより一層眉根を寄せ、険しい顔で大声を上げる。
「そんな馬鹿な……たった一人であんな大勢を一度に転移させられるはずがない! 距離だって相当あるというのに……一体どうやって……!?」
「その問いを、魔王である俺にするのか?」
オズウェルドは低い声でそう言うと、眼の前の男を静かに睨みつけた。
オースティンは、そこでようやく理解する。
目の前にいる、この膨大な魔力量を持つ魔族なら、そんなことは余裕でやってのけるだろうということを。そして、自らの計画がすべて失敗に終わったということを。
すべては、この規格外な男の力量を測り損なった、オースティンの失態だった。
悔しさに顔を歪めるオースティンに向かって、オズウェルドは半ば嘲笑まじりにこう告げる。
「残念ながら、ローレンたちは既にアトラス国境沿いに飛ばしてある。アイリスと合流するのも時間の問題だろう。お前がローレンを殺すために西に送った軍は、来もしない王の到着をずっと待っているぞ」
その言葉に、アベルもルーイも安堵の吐息を漏らした。ローレンが助けに向かったなら、アイリスの生存確率も大幅に高まったはずだ。
同盟締結後、一連の騒動に気づいたオズウェルドとローレンは、事件を収束させるために作戦を練った。そして、オズウェルドはクーデターの阻止に王城へ、ローレンはアイリスの救出に国境沿いへと向かったのだ。
「……なぜアイリス殿下の居場所がわかった?」
「ああ、そのことか。俺の使い魔が見つけてくれたんだ」
今回の一連の騒動では、オズウェルドの使い魔――かつてアイリスのそばにいた青い小鳥の仲間たちが随分と活躍してくれた。アイリスの失踪をいち早く教えてくれただけでなく、彼女の居場所を見つけ出し、さらにはオースティンや兵の動きについても教えてくれたのだ。
「魔物を使役している奴と同盟を結ぶなんて、やはり陛下はどうかしている……。あの方が王のままでは国が滅ぶぞ……? だから俺が、王になろうと……」
オズウェルドの言葉を聞いたオースティンは、引きつった笑いを浮かべながらそう嘆いていた。そして、唐突に後ろを振り返り騎士たちの方を見ると、怒ったように声を上げる。
「おい、エリオット! どこかにいるんだろう!? この状況を打開してみせろ!!」
アベルや騎士たちは皆、オースティンの言葉の意味がわからず、困惑した様子を見せている。しかし、ローレンからエリオットの名を聞いていたルーイだけは、その意味を理解していた。
「魔族嫌いなくせに、魔族と手ぇ組んでたのかよ……」
ルーイは思わず眉根を寄せながら、ポツリとそうこぼしていた。
オースティンは、ローレン陣営の中でも特に魔族との共存に反対していた人物だった。そんな奴が、まさか魔族と協力関係にあるとは思わなかったのだ。
すると、オズウェルドも溜息まじりに言葉を漏らす。
「やはりエリオットと繋がっていたか」
オズウェルドは腕を組みながら、騎士たちを注意深く見回した。そして、茶色い髪をした一人の騎士のところで目が留まる。
「お前か」
オズウェルドが念の為この場にいる全員に防御魔法をかけたちょうどその時、その騎士が突然笑い出した。




