番外編3ー4.彼女の幸せ
今から百年ほど前の話。
アトラス国王であるエマ・アトラスは、最後の挨拶回りをしていた。
「よう、ヘルシング。久しぶりだな」
エマはこの日、ドラゴンの里にいる龍王ヘルシングの元を訪れていた。エマの顔を見たヘルシングは、酷く顔を顰めながら返事を寄越してくる。
「んだあ? その湿気た面は」
彼のその返しに、エマは思わず苦笑する。顔には出していないつもりだったが、一見がさつそうなこの男は意外とそういうところに目ざとかった。
「グランヴィルか?」
ヘルシングに短くそう問われ、エマはまた苦笑して頷く。すると彼は、一層顔を顰めてこう言ってきた。
「それでいいのかよ、お前」
「ああ」
「未来が視えてる奴の考えることは、よくわかんねえな」
ヘルシングは大きく溜息をつきながらそう言った。そして、エマをじとりと見遣ってこう続ける。
「俺はそんな自己犠牲、大嫌いだよ」
「ハハッ。私はお前のそういう正直なところ、結構好きだったよ」
エマが笑いながらそう言うと、ヘルシングは不満気に『そうかい』と答えていた。
そんな彼に、エマはひとつの小包を手渡す。
「だいぶ早いが、出産祝いだ」
突然のエマの贈り物に、ヘルシングは怪訝そうに眉根を寄せる。
「出産ってお前……俺はまだ結婚もしてないんだぞ?」
そこまで口にしたところで、ヘルシングはハッと気づいたように目を見開いた。
「……ってまさか、とうとう? 出会うのか!? 運命の女に!!?」
「ああ。逃したら次はないから、大切にしろよ」
「っしゃあ!!」
エマの予言を聞いたヘルシングは、ガッツポーズをしながら喜んでいた。そして、受け取った小包を開けると、彼がまた怪訝そうな顔になる。
「んだ、これ? 布切れ?」
「バカ、上掛けだ。国一番の職人に作らせた上物だから、大事に使えよ?」
苦笑しながらエマがそう答えると、ヘルシングは嬉しそうに笑っていた。
「おお! サンキューな!」
それからしばらく雑談をした後、エマはとうとう彼に最後の別れの挨拶をした。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「なあ、エマ」
ヘルシングに呼び止められ、エマは振り返った。眉を顰めた彼の顔は、少し怒っているようにも見える。
「お前はそれで、幸せなのか?」
***
そしてまた別の日。エマは恵みのライラの元を訪れていた。
「エマ! 久しぶりね!」
こちらに駆け寄りながらそう挨拶してきたライラは、満面の笑みを浮かべていた。彼女の笑顔は、いつも花のように可愛らしい。
しかしそんな彼女から、スッと笑顔が引いていく。エマの表情を見て、なにか察したらしかった。
「ダメ……嫌よ……嫌! グランヴィルでしょう!? あんな奴、私が殺してあげるから!!」
悲痛な表情で訴える彼女を、エマは優しく抱きしめる。
「ライラ、ありがとう。その言葉だけで、十分だ」
エマの意思が変わらないことを悟ったライラは、涙声で問いかけてきた。
「どうして……どうしてあなたが死なないといけないの……?」
「命あるもの、皆いずれ死ぬ。これでいいんだ」
そう言ってライラを離すと、彼女の大きな瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちていた。エマは困ったように彼女の涙を指で拭いながら、ひとつお願いをする。
「グランヴィルのこと、嫌いにならないでやってくれ。悪い奴じゃないんだ」
「……大切な友人の頼みだもの。努力するわ」
とても不満そうな顔でそう返事をするライラに、エマは思わず苦笑する。そしてもう一つ、大切な頼み事を彼女に伝えた。
「今から百年ほど後に、またアトラス王国に『黒髪緋眼』が生まれる。その子がグランヴィルに殺されそうになったら、助けてやって欲しいんだ」
エマの願いに、ライラはパッと顔を上げた。そして彼女は、目を大きく見開きながらエマの手を取る。
「わかったわ! 何があっても絶対守るから! 任せて!」
「ありがとう、ライラ。助かるよ」
エマは大切な友人に感謝を述べると、少し話題を変えた。
「どうだ? フリューゲル王国のやつらとは仲良くやれてるか?」
実は、ライラが南方の国「フリューゲル王国」と共存関係を築いたのは、エマの提案がきっかけだったのだ。二千年以上生きるライラが『もう人生に飽きて退屈だ』と言うので、人間との関わりを持たせ彼女の人生に少しでも刺激を与えようとしてのことだった。
「……ええ。あなたの助言のおかげで、とても上手くやれているわ」
その言葉に反して、ライラの表情は酷く暗い。そんな彼女の頭を撫でながら、エマは優しく言葉をかける。
「私が死んでも、他にも人間はごまんといる。また新しい友人もできる。だから、そんな顔しないでくれ」
「でも、あなたという人間はあなたしかいないじゃない……! せっかく、お友だちになれたのに……人間はすぐ死ぬから、だから嫌なのよ……」
そう言う彼女は、また大粒の涙を流していた。
それからなんとかライラを落ち着かせ、エマはしばらく彼女と昔話に花を咲かせた。
そしてとうとう、別れの時間が来てしまった。
「もう、行くの?」
「ああ。ライラ、どうか笑顔で過ごしてくれ」
酷く悲しそうな表情のライラを、エマは優しく撫でてやる。
「ねえ、エマ」
そう呼ぶ彼女は、今にも泣き出しそうな瞳をこちらに向けていた。
「あなたはそれで、幸せなの?」
***
そして、最期の日。エマは北の大地で、グランヴィルと対峙していた。
彼は酷い殺気をまといながら、こちらをギロリと睨みつけている。もう取り返しがつかないほど関係がこじれてしまった彼に、エマはかけられるだけの言葉をかけた。
「これは、私と国の名誉のために言っておくが、お前の家族を殺したのは私じゃない。が、お前にその言葉が届かないこともわかっている」
エマの言葉に、グランヴィルは一層憎しみのこもった目をこちらに向けた。しかし、エマは懲りずにまた言葉をかける。
「無意味だとわかってるが、一応言わせてくれ。私を殺す代わりに、国への攻撃はしないと約束してくれないか?」
「お前の願いを聞くつもりはない」
「まあ、そう言うよな」
低く唸るように言葉を吐いたグランヴィルに、エマはひとつ溜息をつくと、優しい声音で言葉を紡ぐ。
「最後に、お前にひとつだけ伝えておかなきゃならないことがある」
エマのその言葉に、グランヴィルは訝しげな表情を浮かべた。
「……なんだ?」
「将来、そう遠くない未来で、お前は私を殺したことを後悔することになる」
その言葉を聞いた途端、グランヴィルは酷く顔を顰めた。
「命乞いか?」
険しい声で短く問いただす彼に、エマは思わず苦笑する。
「まあ聞け。その時、お前は後悔なんかしなくて良いんだ。今の選択が、後々たくさんの人を助けることになる」
「……お前を殺して後悔することなど、絶対にあり得ない」
彼が吐き捨てたその言葉に、エマはほんのわずかに悲しげな表情を浮かべた。そして、誰にも聞こえない小さな声でポツリと言葉を漏らす。
「お前の家族を救えなくてすまなかった」
グランヴィルは、左手に鞘を、右手に柄を持ち、自らの胸の前に剣を構えた。もう、終わりがすぐそこまで近づいている。
エマは微笑みながら、目を閉じて、思い出す。今まであった様々な出来事、民たちの顔、そして、大切な友人たち――。
「私はお前たちと出会えて、とても幸せだったよ。皆、ありがとう」
最期にエマは、未来に思いを馳せた。自分が選び取ろうとしている、その未来を。
「どうか皆、幸せにな」
その時、グランヴィルが剣をわずかに抜いた。
「唸れ、エンヴィス」
「ああ。悪くない人生だった」
胸を貫かれたエマは、満足そうな笑みを浮かべて、ゆっくりと倒れていった。




