番外編3ー3.じゃあ、またな
魔王オズウェルドがエマと出会ってから百年ほど経った頃――。
オズウェルドは早々に大陸西部の統一を終え、また少し退屈した日々を送っていた。五十年ほど前に、魔法の師であるエマから『もうお前に教えることはない』と言われてしまい、それ以降彼女と会う頻度が随分と減ってしまったのだ。
西部統一を機に領地内の魔族との交流も増え、今は友として慕ってくれる者もいる。しかし、エマがいないとなんとなく物足りない感じがした。彼女は、それほどまでに刺激を与えてくれる存在だったのだ。
どうやらここ最近、彼女は国王としての仕事が相当忙しいらしい。まあ、国王という立場であるのに、オズウェルドに頻繁に魔法の指導を付けていた方がおかしかったのだが。
そして、彼女が剣神グランヴィルと揉めているという噂も耳にするようになったので、少し心配していた。
そんな、雲ひとつない晴天のとある日。オズウェルドの元に久々にエマが尋ねてきた。
彼女に会うのは約一年ぶりだ。魔族にとっては一年なんてあっという間なのだが、彼女に会えない時間は随分と長く感じた。
「久しぶりだな、エマ。今日はどうした?」
エマはここ百年で流石に老いたが、その美しさは変わらずだった。人間の寿命は魔力量にある程度比例するので、魔族並みの魔力量を持つ彼女は人族の中ではかなりの長命だと言える。
「ああ。今日は、挨拶をしに来たんだ」
そう言って微笑む彼女の表情にほんのわずかな物悲しさを感じ取り、オズウェルドはハッと息を呑んだ。酷く嫌な予感がして、震えそうになる声を抑えながら彼女に問いかける。
「……まさか、死ぬのか?」
「そんな顔をするな、オズウェルド」
彼女は苦笑しながらそう言った。否定はしてくれなかった。
オズウェルドは自分がどんな顔をしているのかわからなかったが、きっとひどい顔に違いない。苦しさのあまり、強く顔を顰めていた。
「グランヴィルか……?」
「ああ。まあ、そんなところだ。アトラスの人間には私がグランヴィルに殺されたとは言わないでくれ。これ以上、無駄な争いは起こしたくない」
表情ひとつ変えず淡々とそう言う彼女に、オズウェルドは詰め寄る。
「俺に何かできることはないのか? お前が生き延びる方法は? グランヴィルなら俺が――」
しかし、最後まで言い切る前にエマがそれを遮る。
「いいんだ、オズウェルド。生きとし生けるもの、みな最後は死ぬ」
そう言う彼女の表情からは、生きることを諦めたようなものは感じ取れない。むしろ、自分が死ぬ未来を積極的に選択しているようだった。
(一体お前には、何が視えているんだ? どんな未来を視ているんだ……?)
強く意思の固まったエマの表情に、オズウェルドはしばらく何も言うことができなかった。そして、悲痛な面持ちで彼女に問う。これだけは、聞いておかなければならなかった。
「……お前は、それで良いのか? それで、幸せなのか?」
「当たり前だ。私は、自分が幸せになる選択しかしない。何千、何万、何億回と視た未来の中で、私はこの選択をするんだよ、オズウェルド」
そう言う彼女は、心からの笑顔を浮かべていた。そんな彼女の選択を止めることはできなかった。そうすればきっと、もっと恐ろしいことが起こる気がしてならなかったのだ。
だが大切な人が死にゆく現実に、オズウェルドの心は酷く締め付けられた。こんな感情は、生まれて初めてかもしれない。苦しさにかすれた声で、エマに尋ねる。
「俺は……お前のために、何かできることはないのか?」
オズウェルドは、大切な人ひとり守れない自分の無力さを恥じた。魔族最強が聞いて呆れる。こんな力があっても、救えなければなんの意味もない。
悲痛な面持ちで俯くオズウェルドに、エマは微笑みかけながら一つ頼み事をする。
「今から百年ほど先の話だが、またアトラス王国に『黒髪緋眼』が生まれる。私より魔法の才能は劣るが、私より圧倒的なギフトを持った子だ。お前には、その子を守ってやって欲しい」
エマにそうお願いされ、オズウェルドは顔を跳ね上げた。彼女を助けられない今、せめて、せめてその願いだけは絶対に叶えなければならないと、強くそう思ったのだ。
「もう少し具体的に教えてくれ。俺はいつどこに行って、何をすれば良いんだ?」
焦って問い詰めるオズウェルドに、エマは優しく言葉をかける。
「大丈夫だ。その時になれば、自ずと分かる」
そう言われても、オズウェルドには不安しかなかった。果たして何の情報もないままで、自分は彼女の願いを叶えられるだろうか。しかしエマは、これ以上聞いても答えてくれそうな顔をしていなかった。
そして彼女は、唐突にこんなことを言い出す。
「お前はいずれ、グランヴィルと戦うことになるだろう。だが、絶対に殺すな」
「……なぜだ?」
彼女の言葉に、オズウェルドは酷く眉を顰めた。自分の大切な師を殺す相手を憎むなと、なぜそんな酷なことを言うのだろうか。
オズウェルドが納得いかないという顔をしていると、エマは真剣な眼差しでこちらを見据えてきた。
「私の仇討ちはしなくていい。本当の敵は、奴じゃない」
「どういうことだ……? 他に黒幕がいるのか? 一体誰が!?」
オズウェルドが差し迫った様子で尋ねると、エマは少し表情を緩めた。
「安心しろ。その黒幕は、次の黒髪緋眼が必ず倒す」
その後もオズウェルドはエマに問い詰めたが、結局彼女は黒幕の正体を明かしてはくれなかった。それを話すと、未来に影響が出るのだろうか。
そして彼女は少し背伸びをして、オズウェルドの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「大丈夫だ。お前の未来は明るい。差し伸べられる手を、拒まなければな」
そう言うエマの表情は慈愛に満ち溢れていた。そんな彼女に、オズウェルドは思わず胸の内が熱くなる。必死に我慢しないと、目から熱いものが溢れそうだった。
「エマ……すまない……俺は、お前に……何の恩も返せていない……」
苦しそうになんとか言葉を紡ぐオズウェルドに、エマは優しく微笑んだ。
「謝るな。私に恩を感じているなら、それは他の誰かに返してやれ」
その言葉に、オズウェルドははたと気づく。自分にもできることが、まだあることに。そして、強く決意する。
「エマ。俺は、お前の野望を受け継ぐ。俺が必ず、人族と魔族の共存を実現してみせる」
オズウェルドが力強くそう言うと、エマは穏やかな微笑を浮かべた。
「……ありがとう、オズウェルド」
その後、しばらく他愛もない話をした後、エマは思い出したようにあるものを渡してきた。
「ああ、そうそう。これをお前にやる」
それは、緋色の宝石がついた首飾りだった。彼女の瞳の色に似て、とても美しい宝石だ。
「私がずっと身につけてたお守り代わりの宝石だ。ちなみに、何のご利益もない」
そんな彼女の言葉に、オズウェルドは思わずフッと苦笑を漏らす。
「何だ、それは」
「だが、無くさずにずっと持ってると、きっと良いことがあるぞ」
「ありがとう、エマ。大切にする」
オズウェルドが微笑みながら礼を言うと、彼女はニヤリといたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「最後に良い未来を教えてやろう。お前はいずれ、私に似た美人と結婚するぞ」
唐突に告げられたまさかの予言に、オズウェルドは呆気に取られポカンと口を開く。すごく間抜けな顔をしているのが自分でもわかった。
しかし、オズウェルドがどういうことだと問いただそうとする前に、彼女はとうとう別れの挨拶を告げた。
「じゃあまたな、オズウェルド」
最後に見た彼女は、清々しいほどの笑顔を浮かべていた。




