98.決心
「そっか……これが……人を好きになるってことなのね……」
アイリスはそうつぶやくと、急に恥ずかしくなってしまった。よくよく考えたら、ただルーイに恋の相談をしていただけということになる。そう思うと顔が熱くなってしまい、アイリスは思わず両手で頬を覆った。
そんなアイリスを見て、ルーイはニコリと笑いながら言葉をかけてくる。
「陛下が帰ってきたら、素直に気持ちを伝えてみなよ。きっと、陛下も喜ぶと思うよ」
ルーイにそう言われ、アイリスはローレンに気持ちを打ち明ける光景を想像した。そしてすぐに恥ずかしくなり、ブンブンと首を横に振る。
「無理……絶対無理……! だって、恥ずかしいし……それに……きっと迷惑だわ」
エリオットがこの国を潰すためにアイリスを利用しようとしている以上、自分がこの国やローレンにとって厄介な存在になっているのは明らかだった。以前ローレンから『迷惑なんてことあるわけがない』と言われたことはあるが、それが本心かはわからない。
アイリスが俯いていると、ルーイはこちらの顔を覗き込みながら真面目な表情でこう言ってきた。
「お嬢さん。相手に思いを伝えるのが怖いって気持ちはわかる。でも、人生っていうのはいつ何があるかわからないからね。だから、相手に伝えられるうちに伝えておいたほうが良いと、俺は思うよ。何かあったときに、後悔しないためにさ」
いつ何があるかわからないというのは、ルーイの言う通りだった。ローレンもアイリスも、命を狙われている身だ。明日にはどちらかが死んでいる、なんてことも十分有り得るのだ。
アイリスはしばらく考え込んだ後、決心したように顔を上げた。
「わかったわ。陛下が戻られたら、正直に自分の気持ちを打ち明ける」
(……そして、気持ちを伝えたら、陛下に言われた通り、この国を去ろう。陛下の迷惑になるようなことは、したくないもの)
そう思うとまた心が苦しくなったが、アイリスは頭を振ってその感情を心の奥底に仕舞い込んだ。そして、相談に乗ってくれた二人に感謝を伝える。
「ありがとう、二人とも。もう、大丈夫」
「どういたしまして。応援してるよ、お嬢さん」
「あのままじゃレオンが心労で倒れそうだったからね。アイリスが元気になってよかったよ」
サラの言葉に、アイリスは思わずフフッと笑みをこぼした。なんだか、久しぶり心から笑えた気がした。
***
そして、その日の夜。ローレンへの思いを自覚したアイリスは、自室の寝台に横たわりながら物思いにふけっていた。
(私は……いつから陛下のことが好きだったんだろう……)
ローレンと過ごしてきた日々を思い出しながら、アイリスはそんなことを考えていた。
彼と出会ってからもう一年ほど経っていたが、初めて会った時の感想は『なんときれいな顔立ちをした人だろう』だった。それから婚姻の儀を執り行い、その二週間後に離婚を切り出して……。
(もしかしたら、離婚を切り出した日――感情を殺さなくていいと陛下に言われた時から、私の心は動いていたのかもしれない)
そう思うとなんだか恥ずかしくなってきて、アイリスは顔を手で覆いしばらくバタバタと身悶えていた。
最初から自分の気持ちを自覚していたら、一緒の部屋で寝るなんて提案は絶対にしなかっただろう。ローレンを好きだと自覚してしまった今、アイリスは彼が帰ってきたあと一緒の寝台で眠れる自信がなかった。
(もう、キスとか恥ずかしくてできないわ……心臓が保たない……)
そんなことを考えてしまったものだから、不意にローレンの柔らかな唇の感触が蘇ってしまい、アイリスは真っ赤になった顔を枕にうずめた。
落ち着くまでしばらくそうしていると、突然扉の外から声が聞こえてきた。
「アイリス殿下。夜分遅くに失礼いたします」
「は、はい!」
急に声をかけられ、アイリスは驚いて寝台から飛び起きた。この声は、扉の外で控えてくれている護衛騎士のものだ。レオンとサラは既に交代して休んでいる時間だった。
「アイリス殿下に急ぎ用があるという者が来ているのですが、いかがいたしましょう。陛下の近衛騎士の者なのですが、陛下からの文を届けに参ったと申しておりまして……」
騎士はやや困った様子の声でアイリスにそう報告した。確かに王妃の部屋を訪れるには非常識な時間帯だ。しかし、急ぎということはローレンに何かあったのかもしれない。そう思うと酷く胸騒ぎがして、アイリスは急ぎ扉まで駆けて行った。
「お待ちください、今開けますので」
そうして扉を開けると、アイリスは自分の目の前に広がる光景に理解が追いつかず固まってしまった。
「……え?」
そこはいつもの王城の廊下ではなく、見たことがない廃教会のような場所だったのだ。そしてすぐに、アイリスは自分が非常にまずい事態に陥っていることを悟った。
(やられた……条件発動の転移魔法……! こんな高度な技を使うなんて、犯人はエリオットしか考えられない……!)
条件発動による魔法とは、魔法の発動にあえて条件を課すことで、その魔法の効果を大きく跳ね上げることができるというものだ。転移魔法であれば、相手を強制的に長距離転移させることができる。エリオットの魔力量を考えると、ここはもしかしたらバーネット王国ですらないかもしれない。
恐らく、アイリスが自ら扉を開けることを条件に転移魔法が発動するよう、自室の扉に仕掛けがなされていたのだろう。遠隔でこんな高度な技を仕掛けるとは、エリオットの実力はかなりのものだ。アイリスに文を届けに来た人物も、エリオットに操られていた可能性が高い。
侵入者対策として自室に結界は張っていたものの、それではこの魔法には対処できなかった。そもそも結界云々の前に、こんな強力な魔法は事前に発見して無効化するくらいしか対処しようがない。
状況を正確に把握しようとアイリスが廃教会を見渡すと、身廊の先の祭壇に複数の男たちが呆然とした様子で立ち尽くしているのが目に入った。そしてアイリスがその男たちに視線を向けた瞬間、彼らは一斉に歓喜に満ちた声を上げたのだ。
「おい……おい! 本当に現れたぞ!!」
「『黒髪緋眼』の再来をどれほど待ち望んだか……!」
「ああ! アイリス様こそが、我が国の真の王であらせられる……!」
彼らの会話に、アイリスの心臓はドクンと跳ねた。酷く嫌な予感がする。
彼らが身にまとっている濃紺のローブをよく見ると、その右胸には見覚えのあるヒイラギの木の紋章が描かれていた。
(アトラス魔法協会――)
彼らの正体に、アイリスは一気に血の気が引いていった。そして、以前ルーイから聞いた報告を思い出す。
『もしお嬢さんが本物の黒髪緋眼ってバレたら、魔法協会側がお嬢さんを王にすげ替えようと動くかもしれない』
(魔法協会がエリオットと結託して私を連れ戻そうとした……?)
エリオットは自らの計画にアイリスが邪魔になり、魔法協会側に話を持ちかけたのかもしれない。魔法協会の人間に再び『国を出たら死ぬ呪い』でもかけられたら、今度こそアイリスはアトラス王国に一生縛られ続けることになるだろう。
(嫌……それだけは絶対に……!)
捕まっては終わりだと思い、アイリスは慌てて転移魔法でこの場から逃げようとした。――が、魔力が分散してしまい、上手く魔法を発動することができない。
(この教会、魔抗石がいたるところに……!)
先ほど辺りを見渡したときには気が付かなかったが、注意深く見ると教会内には巧妙に魔抗石が隠されていた。これではアイリスだけでなく、魔法協会の人間も魔法は使えないはずだ。
――いや、そもそも何の力も持たない非力な女ひとり捕まえるのに、魔法なんて必要ないのだろう。
アイリスはバッと振り返り教会の扉を開けようとするも、鍵が閉められているのかびくともしなかった。
(どう……しよう……)
逃げることができないとわかり、アイリスの頭が真っ白になっていく。動揺と恐怖で体が小刻みに震えてくるのを感じた。
すると、いつの間にか背後に近づいてきていた男二人に、両脇から腕を掴まれてしまった。
「どこに行かれるのですか、王よ」
「さあ、あの偽の王を引きずり下ろしに参りましょう」
「やだっ、離して!」
必死に抵抗するも、非力なアイリスでは男たちの手を振り払うことはできなかった。それでも暴れ続けていると、とうとう口を布で覆われてしまった。強烈な薬品の匂いがしたかと思うと、アイリスの意識が一気に遠のいていく。
(陛下……)
意識を失う前、最後にアイリスの脳裏に浮かんだのは、ローレンの美しい横顔だった。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
楽しんでいただけてましたら幸いです。
さて、第三章はここまでとなります。
この後は、番外編が六話続いたあと、すぐに最終章に突入していきます。
最終話まで駆け抜けますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
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