95.先生の秘密
「……先生は、一体何者なんですか?」
アイリスのストレートな質問にマクラレンは苦笑を漏らすと、頭を掻きながらこう答えた。
「僕はただの教員に過ぎないんですが……実は、アイビーさんが学校にいる間は君を守るようにと、ローレン陛下にお願いされていたんです」
「陛下に!? え!? 一体いつからですか!?」
「君が初めて登校してきた日からです」
マクラレンのまさかの答えに、アイリスは驚いて目を大きく見開いた。
アイリスがこの学校に入学するにあたって、目立たないように護衛を配置しておくとローレンから言われていたが、その護衛がまさかマクラレンとは思いもしなかった。アイリスの護衛ということなら、彼とルーイに繋がりがあるのも納得だ。
「じゃあ、最初から仮面の魔法師の正体をご存知だったんですか?」
「いえ、陛下からは王城関係者としか聞かされていませんでしたよ。まあ、途中からなんとなく察してはいましたが」
「そうですか……でも陛下も、それならそうと教えてくれればいいのに……」
アイリスがそうぼやくと、マクラレンは優しい笑顔を浮かべながら言葉を返す。
「君を気遣ってのことです。護衛が担任だったら、流石に気を使うでしょう? アイビーさんが学校で気兼ねなく過ごせるように正体を明かすな、と陛下から言われていたんです」
「陛下が、そんなことを……」
ローレンの優しさに、アイリスは胸の奥がきゅっと締め付けられる思いがした。言葉で言い表せないほど嬉しくて、でもなんだかちょっぴり胸が苦しいような、不思議な気持ちだった。
そんなアイリスに、マクラレンはニコリと笑いかける。
「陛下はアイビーさんのことを、とても大切にされてるんですね」
「そ、そうでしょうか……」
「ええ。そうだと思いますよ」
マクラレンに真正面からそう言われ、アイリスはなんだかとても恥ずかしくなってしまった。ひとまず話題を変えようと、彼への質問を再開する。
「陛下とは、元々お知り合いだったんですか?」
「ええ。知り合いと言っても、もう十年も前……僕がまだ学生の頃に何度かお話ししたくらいですが。以来、たまに手紙でやり取りするようになって」
十年前ということは、ローレンがまだ即位するかしないかくらいの話だ。その頃はよく城を抜け出していたと言っていたから、もしかしたら城下街で知り合ったのかもしれない。
アイリスはそんなことを思いながら、マクラレンの話を聞いて浮かんできた疑問を投げかける。
「主従関係……とはまた違うんでしょうか? 陛下にお仕えするなら、教師ではなく宮廷魔法師になっていそうなものですものね」
アイリスはこの国に来て様々な魔法師を見てきたが、マクラレンの実力は国内でもトップクラスだと感じていた。彼の実力を持ってすれば、宮廷魔法師になるのは余裕だろう。アイリスは、マクラレンがただの教師で留まっていることを、前々から不思議に思っていたのだ。
するとマクラレンは、少し恥ずかしそうに頭を掻きながらアイリスの疑問に答えてくれた。
「うーん、どういう関係と言われると難しいんですが……。陛下は、僕に道を示してくれた恩人なんです。お恥ずかしながら、学生時代はろくに授業も出ない不真面目な人間だったもので」
マクラレンの言葉に、アイリスは驚いて目を見開いた。
今の話だと、たった八歳かそこらの幼い子どもが、学生であるマクラレンに人生の道を説いたということになる。ローレンは幼い頃から上に立つ人間としての才を持っていたのだと、アイリスは強くそう感じた。
そしてマクラレンは、苦笑しながら続きを話す。
「陛下には宮廷魔法師になるのはどうかと言われたこともあったんですが、僕、権力争いとかが苦手でして……。それで、陛下に恩返しする方法として、魔法師の教育に尽力しようと決めたんです」
「そうだったんですね……」
ローレンの味方が、確かにここにいる。アイリスはそのことが何よりも嬉しくてたまらなかった。たとえどんなに敵が多くとも、彼を支えようとする人間も確かに存在しているのだ。
アイリスが思わず笑みをこぼしていると、マクラレンが穏やかな表情で尋ねてきた。
「他に聞きたいことはありますか?」
マクラレンにそう聞かれたアイリスは、ハッとしたように彼を見上げて食い気味に尋ねた。
「あります!! ランゲルドとの戦いで、先生には一体何が視えていたんですか? そもそも、どうして黒ローブの魔族が『不死身のランゲルド』だとわかったんですか!?」
勢いよく尋ねてきたアイリスに、マクラレンは少し驚いたように目を見開いた後、優しい笑みを浮かべた。それは、彼が授業中によく見せる表情だった。
「前に、僕のギフトの力について説明したことがありましたね。魔法の綻びを視認して、そこに魔力を注ぎ込むとその魔法を無効化できるという力。その説明は嘘ではないんですが、正確ではないんです」
マクラレンはそこで一度言葉を切ると、人差し指で自らの目を指差した。
「僕のギフトは、正確には『魔力視認』というもので、その言葉通りあらゆる魔力を視ることができるんです。体内に巡る魔力でさえ、ね」
「なっ……!」
魔力を視る力なんてものは、魔法師からすれば喉から手が出るほど欲しい能力だろう。魔法というのは、自らに巡る魔力の流れを感じ取り、それをどういう形で出力するかイメージすることで具現化する。そのため、魔力が視えるというのは、魔法を使う上でかなりのアドバンテージになるのだ。
(すごい能力だわ……。以前、マクラレン先生に私が本気を出していないことがバレたのも、私の体内に宿る魔力量を視られていたからなのね)
アイリスが一人で納得していると、マクラレンはわずかに表情を暗くしながら説明を続けた。
「そして、僕が言っている綻びというのは、魔法だけでなく、生物が持つ魔力そのものにも存在します。魔力というのは生命エネルギーのようなものですから、体内を巡る魔力の綻びに攻撃を与え断ち切ると、相手の命を簡単に奪うことができるんです」
彼の説明を聞いたアイリスは、「魔力視認」という力が、何も恩恵ばかりをもたらすものではないとよく理解した。目に映る全ての人間に綻びが視えれば、間違ってそれに触れてしまわないか気が気ではないだろう。日常生活を普通に送るのも難しいはずだ。
マクラレンのこれまでの苦労を想像し、アイリスは思わず眉根を寄せた。彼はそんなアイリスを見て、こちらの考えていることがわかったのか、白衣から徐に眼鏡を取り出し説明を加えてくれた。
「この眼鏡は、僕のギフトの力を制限するためのものなんです。あらゆるものに綻びが見えてしまうせいで、日常生活にも支障が出てしまうので。目もすごく疲れますしね」
そう言うと、マクラレンはそのまま手に持っていた眼鏡をかけ、アイリスの質問の続きに答えた。
「先ほどの魔族には、数え切れないほどの命の綻びがありました。魔力量も相当だったので、大魔族である『不死身のランゲルド』なんだろうな、と思った次第です」
「なるほど……」
その説明で、先ほどマクラレンがランゲルドを見据えながら酷く険しい表情をしていた理由がよく理解できた。何万もの命を持つランゲルドのことは、マクラレンの目にどう映ったのだろうか。あの時の彼の表情からして、きっと恐ろしいものだったに違いない。
アイリスがそんなことを考えていると、マクラレンは苦笑しながら言葉を続けた。
「僕の魔力をすべて使っても、ランゲルドは殺しきれなかったと思います。だから、ハッタリを利かせて逃げてもらいました」
「そうだったんですね……。ありがとうございます、おかげで命拾いしました。私の師匠からも、ランゲルドとは戦わずに逃げろと言われていましたので」
マクラレンがいなければ、アイリスでもあの場をどう収められていたかわからない。そう思うと、アイリスは自分がかなりの危機的状況に立たされていたことに改めて気付いた。
「そろそろ王城に戻った方がいいでしょう。陛下には僕から事情を伝えておきます」
マクラレンにそう言われ、思わず返事に渋る。アイリスが危険にさらされたと知れば、ローレンはまた自分の責任だと重荷を背負い込んでしまうだろう。彼の苦しげな顔は、もう見たくなかった。
だから、絶対に断られると思いながらも、アイリスはお願いせずにはいられなかった。
「……黙っておいていただくわけにはいきませんか?」
「そうですね。陛下からは何かあればすぐに報告するよう言われていますし、それに、ここで隠すのは得策ではないと思います」
アイリスの願いに、マクラレンは困った表情を浮かべながらそう答えた。
彼の言うことはもっともだ。ここで情報を留めておいても、何も良いことはない。これは、身勝手なワガママだと、自分でもよくわかっていた。
そしてアイリスは、諦めたように小さく息を吐くと、素直に王城へと戻るのだった。




