94.命の綻び
「あいつも、なぜこんな小娘相手に慎重になっているのかわからない。ライラに見つかる前に、さっさと殺してしまえば良いものを」
黒ローブの魔族の言葉に、マクラレンの纏う空気が一気に張り詰めた。そして彼は、眉根を寄せながら魔族に問い詰める。
「……君は、彼女を殺しに来たんですか?」
「いや、今日はこの男を殺しに来ただけだ。まあ、ついでにその娘も殺していっても良いんだが」
魔族は嘲りを帯びた声でそう返した。その答えを聞いたマクラレンが、わずかに殺気を纏ったのがわかる。
すると彼は、いつものようににこやかな笑みを作ってから、再び魔族に問いかける。
「多分ですけど、あなたは『不死身のランゲルド』ですね?」
マクラレンのその言葉に、アイリスも魔族も驚いたように目を見開いた。
(不死身のランゲルド……!? 出くわしたらまず逃げろと師匠に聞かされていた大魔族だわ……!!)
不死身のランゲルドはその名の通り、殺しても死なない。
正確に言えば、命を複数所有しており、何千回、何万回と殺さないと死なないのだ。殺し切る前にこちらの魔力切れになってしまうので、師匠からは『不死身のランゲルドに会ったら戦わずに逃げろ』と言われていた。
(でも、先生はどうしてこの魔族が『不死身のランゲルド』ってわかったのかしら……?)
アイリスと同じ疑問をランゲルドも抱いたようで、彼は低い声でマクラレンに問いただした。
「……なぜわかった?」
するとマクラレンは、にこやかな笑みを崩さずに言葉を続ける。
「こんなに命の綻びがたくさんある人は初めて視るもので。あなたは不死身なのではなく、ただ命をたくさん持っているだけなんですね」
「……何者だ、貴様? 何が視えている?」
マクラレンの言葉を聞いたランゲルドは、険しい声で訝しげにそう漏らした。一方のアイリスも、マクラレンの言葉の意味が理解できず、ただただ彼を見上げる。
(命の綻び……? 先生には一体、何が視えているの……?)
当のマクラレンからは既に笑みが消えており、眼鏡をかけていない瞳でただじっとランゲルドを見据えている。彼の瞳は、確実にランゲルドの「何か」を捕らえているようだった。
そして、突然マクラレンから魔力が放たれたかと思うと、次の瞬間、ランゲルドがガクッと膝をついたのだ。アイリスはこの一瞬で一体何が起きたのか全く理解できず、マクラレンとランゲルドを交互に見遣った。
すると、マクラレンが少し表情を緩め、ランゲルドにこう言った。
「今ので十回くらい死にましたか?」
「貴様……一体何をした? 今のは、魔法ですらなかっただろう」
怒気をはらんだランゲルドの声が、マクラレンに向けられた。どうやら、ランゲルドも自分の身に何が起きたのか理解できていないようだ。
そんなランゲルドを見据えながら、マクラレンはニコリと笑う。勝利を確信したような、そんな笑みだった。
「残念ながら、あなたは僕には勝てませんよ。相性が悪すぎる」
「………………」
ランゲルドはしばらく沈黙していたが、『チッ』と舌打ちしたあと、転移魔法であっさりその場から去っていった。
そしてマクラレンは、危機が去ったことに大きく安堵の息を吐くと、こう言ったのだ。
「ふう〜。帰ってくれて助かりました〜。あの人には流石に勝てなさそうだったので」
「ハッタリだったんですか!?」
彼の言葉に、アイリスは驚いた声を上げた。先程の彼の笑顔と言葉は、確実に勝利を確信しているもののように見えた。あれが嘘だったとしたら、彼は相当な役者だ。
するとマクラレンは、いつものようににこやかに笑いながら言葉を返してくる。
「流石にあんな化け物には勝てませんよ〜。内心、めちゃくちゃ怖かったです」
マクラレンはそう言った後、顔からスッと笑みを消した。そして、グレネルの元に歩み寄ると、彼の瞼を手でそっと閉じてやる。グレネルは既に絶命しており、治療の施しようがなかった。
そしてマクラレンは、グレネルを見ながらわずかに眉根を寄せる。
「グレネル教授を救おうとしてた君を止めてしまって、すみませんでした。胸を貫かれた時点で即死だったようなので、君を守ることを優先してしまいました」
申し訳無さそうに言うマクラレンに、アイリスは頭を振って答えた。
「いいえ。むしろ、助けに来てくださって、感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございました」
アイリスがそう言うと、マクラレンは表情を緩めこちらに戻ってきた。そして、穏やかな笑みを浮かべながら口を開く。
「かわいい生徒を守るのは、教師として当然ですから。無事で何よりです」
彼のその言葉に、アイリスも思わず顔をほころばせた。
素顔を見られた今、仮面の魔法師の正体がこの国の王妃であることなど、マクラレンはとっくにわかっているだろう。それにもかかわらず、依然として自分を一人の生徒として扱ってくれることが、アイリスは言いようもなく嬉しかったのだ。
するとマクラレンは、少し困ったような表情を浮かべながらアイリスに尋ねてくる。
「さて……流石にいろいろと説明しないといけませんね。何から話しましょうか……。アイビーさん、何か聞きたいことはありますか?」
アイリスはそう聞かれ、一体何から質問すればよいか迷ってしまった。何しろ、聞きたいことが多すぎる。
アイリスは悩んだ末、一番聞きたかったことを素直に尋ねることにした。




