一命の恩人
ぐっ、身体が焼けるような熱さと痛みに思考することが出来るようになってくる。
「起きたようだな。どうだ、ヴィスカ」
聞き慣れた声に苦痛に呻きながらも、眼を開けると、眼前に包帯を包まれたランブが壁に背を預けて座っていた。
「ああ…そうか」
直前の記憶を思い出す。地下へと降りた先に獣人の二人と遭遇し、戦いの末に意識を失った。
「生きていたんだな」
死ぬと思った攻撃を受けていたはずだが、どうやらトドメは刺されなかったようだ。
それは目の前のランブにも当てはまる。あの時、ランブは血を流しながら蜥蜴の獣人に引きずられていたのだから、かなりの重症を負っていたはずだ。生死に関わるほどの。
「お互いな」
ランブは言葉少なく、その顔も憔悴していた。まだ、体調が治っていないのだろう。
「そうだ。親父とアンはっ!?」
二人の姿を見かけないと思い、勢いよく起き上がると激痛が走る。
「無理するな。まだ、安静にしていないといけないんだ」
仕方なく身体を床に横たえる。そして、ようやく気づくことができた。
地下牢のある無骨な天上ではなく、朽ちかけているも木目の板が見えるここはどこだろう。
視線を周囲に向けると、狭い室内にランブと二人。お互いの身体の下に乾し草が敷いてあった。
「どこだ、ここ」
「王都の外周にある建物の一つらしい。使ってないせいで、かなりボロいと聞いたな」
ランブも詳しくは知らないようだった。それにしても、いったい誰に聞いたのだろうか。
あの時のことを思い出すと、セロはかなり危険な状態であった。自分達よりも早く回復するとは思えない。いや、死んでいる可能性すらあるのだ。
そして、アンリ。猫の獣人に担がれて何処かに連れて行かれるところを目撃した。助けることが叶わず、今は何処にいるのか分からない。
「姐さんは五日も眠っていたんだ。俺も昨日の夜に目を覚ましたらしいが」
ランブが教えてくれる情報に驚く。そんなに時間が経っていたのか。
「親父さんは…大丈夫だ。アンリは、残念だが」
ランブの憔悴にはセロの心配も含まれているのだろう。ずっといた相方のことを心配するのは理解出来る。その発言に、今も危険な状態だとも予測できた。
アンリは、きっと行方が分からないのだろう。嫌な推測が現実となってしまった。
「そうか、親父は無事か。アン…」
あの時、私が獣人二人の前に出て盾になれば、命と引き替えに助けられたかも知れない。だが、すぐにその思いを自分で否定する。獣人一人にも完敗だったのに、二人同時だと瞬殺されたかもしれない。そうしたら、結局アンリは誘拐されただろう。
どうしてアンリだけ誘拐なのかを考え、すぐに原因に思い当たる。アンリの奴隷刻印は『S1』と言う、貴重どころではないランクが付いていた。相手はそれを知っていた可能性がある。
いや、そもそもアンリの記憶が不確かであっても、逃げ出してきたことを容易に想像できたので、連れ戻しに来たとも考えられる。
「おや、起きたんだね」
合図もなく突然開かれた扉を見て、室内に足を踏み入れた人物を確認し身構える。と、同時に恐怖で身体が硬直する。
「て、め」
「ヴィスカ、恩人だ」
「は?」
やって来た人物は獣人だった。あの時の黒い猫獣人とは違い、今部屋に来た獣人は白に黒の斑模様の猫系統だった。そして、あの黒猫はダブルからの特徴である人に近い姿をしていたが、この白黒猫は全身毛だらけの獣人らしさをしっかり残している。
「や、元気そうで何より。治療をした甲斐があったよ」
声からして男性だろうか。目を細めると、より猫らしい表情となった。
「そこのランブからは名前を聞いたけど、儂から名乗ろうかね。種族言語は難しいから、統一言語での名前だけどね。ルピルナと言うのが儂の名前だよ」
警戒しながらも相手に自分の名前も伝える。どうして獣人が私たちを助けたのか。なぜ、こんな場所にいるのか聞きたいことが多い。
「儂の治癒じゃ、大したことはできないからまだ安静にな。それにしてもあんたらの仲間は凄いな。意識がなくても、自己治癒を施している」
「親父は無事なんだな」
ランブからは聞いていたが、こうして改めて聞くと安堵している自分がいる。だけど、まだ警戒は解けない。
「セロは水と癒の因子に愛されておるな。変わりに他の属性は使えないようだが」
ルピルナの説明でセロの大体の状態を聞くことができた。
すでに止血を終えており、外傷などはルピルナが治療したようだ。
ただし、自己治癒のせいで内臓などの治癒は下手に干渉しあうと悪化するとのことで、セロ自身に委ねるしかないようだと言われる。そして、外傷も損傷が激しいと治せないと言われた。それはどういう意味か。
「とりあえず、ありがとう」
自分の状態を見ても、ルピルナが治癒を施してくれたようだ。
捻挫した足は痛みがなく、完治している。腕の骨折箇所も、方向が正常になっている。ただ、腫れや熱はあり鈍痛も走る。
そして、肋骨の罅はまだ手を付けていないらしい。内臓のダメージが酷くて、そちらの止血や治癒に注力したと教えてくれる。
「まだダメージがあるから、あまり動かないようにね。もう少しズレていたら破裂や脊髄損傷で死んでたんだから」
「そっか、ありがとう」
素直に感謝をする。ただ、最低限の警戒は怠らない。それを感じたのかルピルナは笑う。
「警戒するのは正しいよ。あの時の情況をみるとその判断は正しいからね。実際にあそこには獣人がいたようだね。臭いが濃く残っていたし。それならば余計に、儂を警戒するだろう」
ランブの方もリラックスしながらも、最低限の警戒をしているのだろう。私はそこまで器用なことは出来ない。
「すまない。でも、助かった。皆を助けてくれて、ありがとう」
三度目の感謝はより心を込めて。普段こんなに感謝を述べないので恥ずかしく感じる。
「ランブはもう大丈夫なのか?」
「ああ、俺は外傷が酷かったらしいが、ほとんど治ってるな。ただ蜥蜴野郎は疫系の術を使うようだ。内臓機能は低下しているな」
「それもすぐに治まるさね。たぶん昏睡の副作用だろうしね」
疫因子は癒因子の対となる存在だ。治療に対して、怪我や病を誘発させる。行き過ぎた治療が毒になるように、免疫を暴走させる厄介な物だ。ただ、それほど重い効果は与えられない。時間を掛ければ出来るが、あの時のランブはすぐに私たちがやって来た事で、意識を奪う事を優先したようだ。
「大丈夫か?」
「激しい運動しなければな。昨日は酷かったが」
ランブは顔をしかめてルピルナを見やる。
「昏睡は強い刺激を与えれば目覚めるからね」
「思いっきり顔を叩かれてた。目覚めた時に、叩かれてみろ」
それは御愁傷様だ。意識が再び沈み掛けた所を、身体を揺すられてランブは目覚めたようだった。
「別に悪い方法でもないでしょ。昏睡を後回しにしたのは、他の治療が優先せざる終えなかったからね」
傷を塞がずに目覚めれば、それこそ痛みで意識が奪われるだろうから、その選択は間違いではないだろう。叩く以外の方法を変えてくれさえいれば。
それに、セロや私の治療も同時に行っていたらしいので、優先順位を付けて尽力してくれたことが伺えられる。
あまり得意ではないとルピルナはいうが、その精神力には驚かされる。
治癒が得意なセロでさえ、気を張るほどに神経を使うほどに繊細なものなのだ。
それを三人に行い、なおかつ数日間も続けているルピルナには尊敬の念まで抱く。
「儂も考えがあって、お前さんらを治しているんだね。気にするのはまず、自分の身体を完治させることね」
そう言いながら私の状態を見て、お腹を通して治癒を施し始める。じんわりと、温かい。
「どうかね。痛みは和らいでいるかね」
ルピルナの手を介して施される治癒は促進させるだけのようだが、それでも先程よりは痛みが緩和している。
「ああ。さすがにまだ無理は出来そうにないがな」
「もう数日は無理だろうね。まして、セロはまだ目覚めてもいないのだから、一人で突っ走る考えは辞めたほうがいいね」
セロもだが、アンリのことが気が気ではない。
守ると言ったのに、結局連れ去られて行方が分からない。今、どんな目に合っているのか考えるだけで背筋が寒くなる。
「姐さんだけ辛いんじゃない。俺がもっと慎重に行っていれば…」
ランブも自分の行動の軽薄さを悔やんでいた。
いくらセロが心配でも、慎重に行動したならば奇襲を受けずに済んだかもしれないと。もしくはヴィスカ達と行動を共にしていれば。二人だけでも逃げるようにしておけばと後悔の念が次々と溢れてきていた。
ヴィスカとランブの様子を見て、なにも口を挟もうとせずに治癒を続けるルピルナ。
部屋が重い空気に支配され始めた矢先に、勢いよく扉が開かれた。
「ルピー。パン買ってきたよー」
扉を開けたのは男の子だった。だが、その姿は人間ではなかった。ピンと立った耳と揺れている尻尾。ダブルの子孫か人間に近い見た目だが、その男の子は獣人だった。
「っ!」
「大丈夫ですよ。おかえりなさい、アカ」
「ただいまー。あ、お姉ちゃん眼が覚めたんだねっ」
元気一杯という感じに、パンを机に置いてヴィスカに近づいてくる。
「ルピーから僕の事、聞いてるかな?」
「いや」
「じゃ、自己紹介。僕の名前は統一言語でアカシェって言うんだよ。気軽にアカって呼んでね。種族は犬精属の女の子。好きなことは運動。得意な属性は…これは、秘密」
最後に舌を出して笑うと、女の子と言われて納得できる可愛さがあった。
「そだ、お姉ちゃんもパン食べる?僕買ってきたんだ。あんまり美味しいやつじゃないけどね」
見た目はアンリと同じ位の年齢だろうか。だが、獣人の成長は人間と違うと思いながら、ルピルナに助けて貰いながら起き上がり、パンを受けとる。
ランブは勝手にパンを摘まみ、水と交互に摂取し始めていた。
「お水もあるからね」
甲斐甲斐しく木椀に水を注ぎ、手渡してくれる。
一口かじると、パサパサで味もあまりしないパンだった。それを見て、満足そうにアカシェは笑う。
「はやく元気になるといいねっ。ルピー、僕はセロのとこ見てくるね」
言うが早いか、そのまま踵を返して部屋から出ていった。
「元気でしょう。儂もたまに着いていけないことがあるくらいですよ」
ルピルナは扉の方を見て話し掛けてくる。その横顔は可愛い孫を見るように優しさに溢れていることを感じとれる。種族が違うので、実際に孫ではないはず。だけど、二人のやり取りから家族かそれ以上の絆が見てとれた。
いったい、二人はどんな関係なのだろうか。
「さて、儂のことは気にしないでゆっくり食べるといいよ。久しぶりの食事だから、よく噛むようにね。こんなパンだけだけど」
ルピルナは私の身体を支えながら話し掛けてくれる。まだ、座位を保つのは酷しいので助かるが、彼を差し置いて食べるのも気が引ける。
「儂らはすでに食べているからね。もう、お昼を過ぎた時間だからね」
ルピルナの発言ですでに午後なのだと、始めて知る。外からの光で明るいが、それだけで時間までは把握は出来ていなかった。
「さあ、食べたら話をしましょうか。儂らのことや、お互いのこれからについて」
柔和な発言を続けていたルピルナが、やや鋭さを宿した声音になり、食事の手が止まる。
だが、我関せずといった感じでパンを咀嚼しているランブを見て、すでに私が起きたら話す約束でもしていたのだろうと当りを付ける。
そしてパサパサの食べずらいパンを水と共にゆっくりと、胃に流し込む。
あの後のことを何も知らない。彼らはどうして彼処にいて、私たちを助けたのだろうか。その目的は何なのだろうか。
そんな事を考えながら、パンを食べ終わる。さすがに一度に沢山は食べられず、手のひらサイズのパンを一個半で満腹になった。




