影よりの爪
まず始めに動いたのはセロだった。
先日改良した術式を起動させて周囲に霧を生んでいく。すると城門を警備していた四人の兵士が突如発生した霧に戸惑い動く気配と兵士同士がぶつかったのか金属の衝突音が響いた。混乱してお互いの方に駆け付けようとしたのだろう。
範囲一帯を霧で覆ったが、セロは器用に因子を操り門周辺のみ濃霧のように視界を完全に塞いだのだった。
金属音を合図にランブとヴィスカが濃霧に突っ込みすぐさま打撃音が響いてくる。ランブの文字通りの鉄拳とヴィスカの峰打ちによって速攻で制圧を済ませ、ヴィスカが濃霧から出て合図を送ってくる。ランブはそのまま中に入り安全の確認をする手はずになっていた。
この霧を発生している際はセロは動けない。まだ、改良の余地があるものであった。アンリと共にセロが城門に向けて走り出すと、次第に霧が薄れていく。すでに周辺に異変は伝わっただろう。もう止まることは出来なかった。
「こっちだ」
ヴィスカに追い付き、すぐに濃霧を突き破り兵舎側の植え込みからランブの誘導があった。霧が薄れてきてはいるが、遠くから人物の特定は困難。人影を見るに王城側や応接塔側の密度は濃い。
本来ならばそちら側から闇市の会場に行けると思えるが、さすがに薄れゆく霧であっても多勢に無勢。ランブはすぐにそう判断して、人影の薄い兵舎側を選んだ。こちらは昨日、奴隷が連れて行かれた地下牢が存在する。そこに何かないかと思ったのも選んだ理由であった。
そして、騒ぎは兵舎まで怒号として届いた。どれだけ召集したのか、その数は20を超える兵士が兵舎より出て四方に散らばった。
それを兵舎近くの植え込みに間一髪飛び込み四人は眺める。
「かなりの数がいますね」
「国主導で間違いなさそうだな」
「で、どうする?中に入るか?」
今ので兵士が居なくなった保証はないが、地下牢を見に行くには十分なくらい中は手薄だろう。
「ええ、行きましょう。アンリ、貴女の鼻も期待していますからね」
戦闘には不向きだが、今までも何度かアンリの鼻は活躍している。どこに敵がいるか分からない以上、その嗅覚は十分に武器となる。
「うん」
「アン、無茶はするなよ」
完全に霧が晴れる前に四人は兵舎に駆け出した。
開け放れた扉からどれだけ慌てていたかが分かる。簡単に中に侵入して一同は立ち止まる。
「誰もいないか」
「全員出払ったようですね。気配がありません」
セロは水の因子を伝って気配を読むことが出来る。武人などのように闘気を読むことはできないが、人間の、いや生物の殆どは水分を大量に内包しているのでより正確に知ることが出来た。そのセロが、他に気配がないことを悟る。
「アンはどうだ?」
「ん、外に流れてるの多い。中で動く臭いは…ないかな」
つい今程まで20人程いたのだ。残留する臭いに顔をしかめながら鼻を動かすが今なお移動する臭いはない。水分と同様で生物は呼吸する。口から出る臭いは時間が経てば薄まる。だが、継続して吐き出される呼吸はさざ波として辺りに拡がる。例え一ヶ所に留まったとしても、さざ波の元を辿れば生物がいるはずだが、それも今は嗅ぎとれない。扉が開かれているので、近くに潜んでいれば臭いはアンリたちを経由して外に流れるはずなのだから。
「二手に分かれて地下の道を探しましょう」
闇市に通じる道が地下牢にあればいいのだが、すでに始まっただろう闇市にいまから潜入するのは困難。今は出来ることを一つずつするしかない。
気配察知が出来るセロとアンリを分けて、それぞれにランブとヴィスカがいつものようにそれぞれに付く。
「アンリとヴィスカは右側からお願いします。アンリは匂いに注意して、ヴィスカは隠し扉もないか探ってください」
「あいよ」
「わかったよ、ボス」
そしてアンリとヴィスカが右側の扉や通路を探って行くが食料庫や厨房などがあるだけだった。
二人して警戒しながら入り口の待機部屋に向かう途中でランブがやって来た。
「あっちにあったぞ」
そう言い左側を顎で示す。
「そっちが当たりか。親父は?」
「親父さんは一様、地下の入り口を見張ってるよ」
ランブを先頭に一同が待機部屋に入った所でアンリがヴィスカの袖を引っ張った。
「どうした、アン」
「兵士でもやって来たか?」
ランブの憶測にアンリは首を横に振った。
「薄いから間違いかもしれないけど…血の匂い」
アンリが指差したのは左側の通路だった。
そこには今もセロがいるはずの地下牢に通じる方角。
「まさか、潜伏してた!?」
「くそっ!アンリ、人数は分かるか!?」
二人は駆け出し、一歩遅れてアンリも走る。そして、嗅ぎとった情報を二人に伝える。
「たぶん、一人?でも、人間の臭いじゃない」
その発言に混乱しながらも、まずは急ぐ事を優先する。一人なら、なんとかなるかもしれないと。
通路の両側には兵士の休憩所や仮眠室が並んでいた。その部屋が途切れ、右に曲がるとそこで足が止まった。
その先に血が飛び散っていた。量から見て致死量ではないが、明らかに異常があった証拠。
「この先に地下の入り口がある。そんで………親父さんはここで見張ってた」
ここにセロはいない。変わりに血痕が飛び散っている。
その血痕は点々と奥に繋がっていることに気づく。
右側通路の奥に繋がるように延びる先に地下への入り口となる鉄柵付の扉が開いており、血痕の向きも先に向いている。
「親父さん!」
ランブが感情的に地下への階段を駆け降りる。
長年共にいたセロの安否が気になった。後衛が多いセロは負傷率は少ない。軽度の怪我ならすぐに治癒してしまう。
それ以前に姿が無いことが心配だった。単独行動もするセロだが、負傷してまで単独行動するような人物ではないはずだった。
「ランブ!あー、もう。アンいくよっ」
ヴィスカも焦っていた。だが、セロの実力を知っていたし、ランブの状態のお陰ですぐに冷静になれた。
なにより、その場で殺さずに地下に誘導するように血痕が続いたのが不気味でしかなかった。
罠の可能性が非常に大きいが、仲間を放置することが出来る訳ではなかった。
アンリの手を引いて駆け降りる。
この時、アンリを逃がしていれば状況が変わったのかもしれない。どのようにかは不明だが、この後の状況が変わったのは間違いではなかった。幸、不幸問わず。
階段を降る間に臭いは強くなる。それをアンリは嗅ぎとる。
ゾワゾワと胸を締め付ける、記憶の奥底を呼び覚ます臭いを。




