人形と私の違い
暗く湿っている階へと男性は足を踏み入れた。そこはスエた臭いが充満しており、気分を害するには充分すぎた。その臭いに男性は顔をしかめ、後ろに連れてきた女性に指示を出す。
「ミリ、あれらに餌をやり綺麗にしておけ」
「はい」
男性─ロンド卿はそれだけを言い重たい鉄の扉を開けて、そして施錠する音が聞こえた。
ミリはそれを聞き、目の前にある三体の人形へと近付くと、それぞれの口にチューブを押し込み始める。
「餌」
一言だけ呟き、人形の食道まで押し込まれたチューブの端に注射器のようなものを挿し込み薄茶色の液体を注入していく。
人形には反応がない。ただ、強制的に栄養を注入されて辛うじて生きている奴隷であった。
その三体の人形と言われている者たちはそれぞれ身体が欠損していた。右手がない者、眼帯を付けている者、二人より欠損がない者、そのいずれもが逃走できないように両膝から先はなかった。年齢もバラバラで、三体のうち一つは少年だった。
「終わり」
時間をかけて三体の人形に液体を注入し終え、ミリは一緒に持ってきたバケツに布を入れる。冷たい水に手が冷えるが、ミリもまた人形のように表情を変えずに作業を行っていく。
汚い白濁とした液体を身体から拭いさる作業も毎日の日課として何年も行ってきた。始めにここに来たときは泣いたものだ。だが、自分が三体のようにならずに良かったと言う思いだけしか感じなかった。自分は父親だけを相手にすればいいのに対して、ここの三体は家で働く不特定多数の男性奴隷の相手を強制させられる。逆らえば身体が欠けることもある。それに比べれば自分は遥かにマシだと、当時でさえすでに麻痺していた。あれから何体も人形が入れ替わった。もう今となっては何も感じない作業として、道具を扱うだけの感覚でしかない。
すでに心が壊れた三体は何もしない。薬を使い睡眠や排泄すら管理していたので、ミリは次に睡眠薬を口から出ているチューブから注入してから抜く。薬が効き始めるまでに排泄の作業を行う。抜いたばかりのチューブを今度は尿道に挿して排尿をさせ、栄養剤を注入するのに使用した注射器に下剤を容れて肛門からいれ、暫くして弛みきった肛門から排泄物が垂れ流れる。それを部屋の隅に置いてあるバケツで受け止め、部屋に備え付けの側溝に流して処理をする。
そして再び濡れた布で拭き取り綺麗にしていく。作業を終える頃には睡眠薬が効いてきたのか、瞼が閉じていく。
それを確認してから、鉄扉の前まで行き座る。決まった時間が来るまでミリも外には出られない。
ただ黙って待つのも慣れたものだ。昔は反対に取り付けられた扉がいつ開くのか怖かったのに、今はそんな恐怖もない。それは、ミリが大切な父親が事故にならないようにしているからだが、それをミリは知らない。知らないまでも、何年もこうして事故に合わないのだから、安心してしまうのは仕方ない事だ。
反対にある扉の向こうでは、欲望を発散できた奴隷たちが今頃寝ているはずだった。また暫くして働かされるのだから、貴重な睡眠時間にわざわざ起きることもない。満足な環境でもないが、ここの奴隷たちは、1日の終わりにストレスの発散として人形を与えられているので、よく飼い馴らされていた。
ジット扉を眺めていると、解錠の音が響いた。そして、扉が開き父親が姿を現す。
「ご苦労。死んだのはいないか」
「いませんでした」
毎日繰り返す応答をしながら部屋から出る。長くいたくない為か、そうそうに施錠してしまう。
「今日の子どもが手に入れば楽だったのにな。こんど一つ買いに行くしかないな」
いつもはそのまま移動を開始するのに、今日は顎に手を宛てて呟いてきた。
今日のお昼に出会った女性二人。その一人が子どもの奴隷だったが、変な濃霧に邪魔されて逃げられてしまっていたことをまだ気にしているようだった。
「逃がしたのはいい。別のを買えばいいだけなのだから。だが、あの首輪…安物……いや、特別製だったな」
奴隷、とくに愛玩奴隷に付けられている首輪は他の奴隷よりも確りしている。それは寵愛の印でもある為だ。だが店売りの首輪とは別に、素材を集めて各自で製造することがある。そのほとんどは貴族や王族であり、ただの首輪ではない。因術が組み込まれており、簡単には壊れずに、さらに特殊効果も付属している。ミリがしている首輪もその一つだ。特定の人物の声に反応して身体がある程度動いてしまう。ロンド卿が、当時乱暴だった娘に言うことを聞かせる為に組み込んだものだった。
首輪に繋がる鎖などは壊れにくい効果が付与されているだけではあるが、店売りのものは効果付与が施されていないので、特注品か個人依頼などで造る必要がある。その為、細部まで作り込まれ、それにより作製者あるいは所有者が特定できた。
その事実を知るのは一部の店舗か、施工者や所有者、あるいは奴隷商だけだった。そんな特殊な首輪をロマンディウム家は使用しなかった。いや、知らなかったと言うべきか。愛玩奴隷がいなかったせいでもあるが、それ故にセロもその事実を知らなかった。
旅の途中で出会った愛玩奴隷の首輪は店売りの物ばかりであった。
もし知っていれば、アンリのことがもう少し解ったかもしれない。
「あの印章。素材がアリム鋼を主体に使用しているのならゼノンの作品か?たしか、ハルビナ嬢が得意先だったかな。カマでもかけてみるか。ふふ、貸しを作るにはいい機会だ。あの子どもの事も調べないとな」
久しぶりに仮面の笑顔ではない笑顔を見てミリは背筋が寒くなった。良くないことが起きるような気がしてしまったからだが、すぐに自分には関係ないと思い興味が失せた。
「ああ、そうだ。ミリ、いつまで臭いままなんだ。早く洗いなさい。その後は私の部屋に来なさい。今日は激しくいくぞ」
「はい」
ミリが興味を引かれるのは自分のことだけ。まずは身体を洗い、身体に染み付いたあの部屋の臭いを落とすこと。
それからは父親の寵愛を全身に刻まれること。今日は何回するのだろうと思いながら、中庭にある井戸に向けて歩き始める。
「首輪は落ち着く」
*奴隷の種類*
愛玩奴隷
主に子どもや女性がこの部類に入ることが多い。
中には子どもが出来ないなどで、実子のように可愛がることもある。その場合、そのまま養子になることも。中には夫婦になる場合も見られる。
だが、その多くは主の慰めに買われることがほとんどで、女性は遊廓に買われることもある。その為、性奴隷としての認識が一般的でもある。
子どもから成人へと成長した男性は労働奴隷に移行したり、再び市場へと売られることもある。
また、娯楽として奴隷ショーへ出場させる為に買う者もいる。
奴隷の証に寵愛の意味を込めて、特注や高級な首輪を嵌め、鈴と名札が付いている。
「おさわり禁止ー」




