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首輪と××と私と  作者: 犬之 茜
奴隷解放編─王都旅程─
13/40

雷雨旅情

 ………。

 ………………。


「自業自得だ。俺の口に野草やら何やら入れやがって」


 口が苦くて何も言えなかった。

 あれからワンコたちと別れて野営地に戻ると三人がすでに帰ってきていた。ワンコたちの唾液まみれの身体を拭われ、再び布でグルグル巻きにされたが文句以外は言われなかった。

 そのあとは何事もなく朝食となったが、私のご飯は穀類がない純粋な野草のペーストのみ。それを躊躇っているとランブに無理矢理食べさせられて今に至る。


「野草だって探すの大変だってのに」


 私が倒れている横で三人が美味しそうに食べている。なにか最近のランブは私の扱いが荒いように感じる。ヴィスカは相変わらず放任で、セロは酷くならないと仲裁してくれなかった。

 涙がまだ溢れてくるし、口はヒリヒリとした苦みが残っていたが、ようやく与えられた水を飲むのに起き上がる。しかし、舌が麻痺しているのか水を飲んだ感覚はなかった。


「反省したか」

「うー」

「まだ足りないか?」

「……わ、ん」


 ランブとヴィスカの教育方針は失敗や悪いことをしたら直ぐに叱り、反省するまで徹底的に躾ることみたいだ。直食(じかた)べもそうやって矯正された。


「ランブのイビキがうるさいのは認めるよ。アタシもその喉かっ切ろうか迷うしね」

「怖えーこと言うなよっ」

「事実だが?」


 私もウンウンと頷いていると、ヴィスカに残り僅かなペーストを綺麗に(すく)い口に押し込まれた。


「アタシは喉に刃を突き付ける所で押し留められる大人だ。アン、下手したらコイツ窒息してたんだぞ」

「いや、姐さん。それもどうかと。いつも命の危険あったのかよ」


 仲間割れの危機だった。セロは我関せずに優雅に朝食を食べ終わっていた。


「二人ともそのくらいで。ご飯食べたらどうですか」


 口元を手拭(しゅきん)で拭いながら、セロはセロで不穏なオーラを出している。ランブがご飯に対して厳しいように、セロは食事の時間を邪魔されるのが堪らないらしい。普段はランブがその前に嗜めるのでセロのこんな剣呑な雰囲気は初めてだった。


「あ、ああ」

「冷めたら不味いしな」


 二人もセロの雰囲気に呑まれて静かに食事を再開する。


「アンリ」


 セロの呼び掛けにビクッと身体が強張る。


「貴女はしばらく野草のペーストと水のみです。穀類なんて贅沢なものはお預けです」


 昨日よりも冷酷な判決が下された。

 セロは食事の邪魔をした元凶をアンリと見なし、しかし治療もあるので折衷案(せっちゅうあん)を口にしたに過ぎない。本当は反省するまで食事抜きにしたいと思ったが、現状のアンリの身体状況も考慮するだけの精神的余裕は持っていた。


「食べたら動きましょう」


 本来なら昨日には既にこの野営地を発ってどこかの街道にいる筈だった。細かいスケジュールがないとしても追っている人物がいるかもしれないと知ると、早く行きたいと思うのが人の(さが)だろう。

 ただし、今回の不測の事態はアンリのせいとは誰も思っていなかった。野犬を始めとした害獣の警戒はしていたのにも関わらず、あの時は一人にしたことをそれぞれが責任を感じていた。特にヴィスカは責任を重く感じている。レビーの街で常には守れないとは告げていても、気持ちと現状は違う。


「アン、いつまでも寝てないと行くぞ」


 朝食を食べ終わり、それぞれが出立の準備を整えて立ち上がる。

 ヴィスカもアンリの鎖を持って立たせる。


「うー」


 口の周りを緑く染めて、涙を浮かべているアンリにセロが近付き口を拭く。


「アンリ、行く前に貴女のシャツを修繕しておきましたので」


 先程の雰囲気を微塵も感じさせずにシャツを手渡してくる。それは昨日、左袖だけを残して右側が破れてしまった物だった。


「あり、がと?」


 ヒリヒリとする口を動かし感謝を述べるも疑問が残る。破れてしまった部分が直っていることとは別に、草や泥で汚れていたシャツが今は橙色に染まっていた。そこにフリルや小さなリボンがふんだんに装飾されている。微かに私の匂いがするので、あのシャツなのは確かなのだろうけど、まったく違う物に変わっていた。


「相変わらず親父の趣味は」

「えげつな」

「なにか、言いましたか?」


 マントを脱いで包帯の上からシャツを着せながらセロが二人に笑顔を向けて、二人は言いよどんだ。

 裾にもフリルが付いていたが、もとより破れていたので丈が股下10シーメルくらいしかなかった。

 再びマントを羽織らせて貰うと、やはり靴がないことを気にしていた。何かの葉っぱで作った靴を一度作ってくれたが、裸足のほうが好きだったので今も裸足で過ごしていた。


 準備を全員整えたのを確認し、近くの木に繋ぎ留めていたロンバの手綱を引いて出発する。

 ロンバは小型なので長距離の乗馬は出来ない。主に荷馬として用いられるが、私は体重が軽いからロンバに乗せてもらっている。私の歩幅では皆に着いていくのが大変だからというヴィスカの思いやりだろう。短距離ならロンバに大人も乗って移動できるのと、荷物を持たないで良いことで余分な体力を消費しなくてすむので、ロンバがいるのといないのでは移動速度はかなり変わってくる。それ故、皆の足取りも早くなるので、私が歩くとなるとかなり遅れることになるだろう。


「今日は何もなきゃいいんだが」

「油断はするな。アイツラなら臭いで付けてこれるんだし。アンの臭いはもう覚えてるだろうしな」


 私を見ながらそう話す。アイツラとはワンコたちのことだろうか。大丈夫なのにな。

 警戒はしているが、三頭のロンバを引き連れて長閑な街道を移動する。空は曇っており、風が湿っているので雨が降るかもしれないと、言いながら特に害獣などと遭遇せずにお昼前に休憩となった。三時間は歩きっぱなしだったが、皆に疲労は見られない。これまでの旅でもそうだったので、歩き馴れしているのだろう。


「ほら、食え。それともまた食べさせられたいか」


 拷問のような選択。どちらにしても食べるしかなかった。残すことも許されないのだから。


「えうー」


 相変わらずの苦味が咥内に拡がる。皆は木の実や茸を食べているのに、いつまで野草を食べないといけないのだろう。


「残すなよ」


 ランブの監視の下食べきり、水で流し込むがやはり水の味が分からない。


「これは降りそうですね。もう少しだけ歩いて早めに野営する場所をさがしましょうか」


 セロの穏やかな口調で今は機嫌が良いのだと思う。やはり、食事の時間を邪魔されなかったお陰だろうか。

 そんなセロの提案に頷き、食器を片付けて再び歩き始める。

 先程よりやや速足で移動をしていたが、一時間くらい経ったころにとうとうシトシトと降り始めた。


「こりゃ、完全にどしゃ降りになるな」


 小雨の中も歩いていたが、次第に雨足が強くなってきて視界が遮られる。空も暗く遠くで雷鳴が鳴り響いてきた。

 街道は川沿に設けられることが多く、ここもその一つ。滅多な事では氾濫はしないが、安全策として周囲を探し岩陰へと避難する。草原と岩が点在しているので、土砂崩れはないが雨を凌ぐことも出来なく、全身がすぐにずぶ濡れになっていく。


「アタシラは屋根になりそうなもの探してくる。親父、アンを頼む」


 私とセロを残して二人は岩陰から出ていった。屋根代わりといっても葉っぱくらいしかないだろう。脂の塗った毛皮でもあればいいのだが、無いものは仕方がない。


「アンリ、寒くないですか」

「ん、大丈夫」


 二人で身を寄せ合い熱を逃がさないようにする。雨で火が焚けないので、体温が逃げないようにするにはこれが一番。今までの旅で、そういう知識も教えて貰っていたが雨には今まで当たらなかったので少し不安だった。


「傷が悪化しないと良いのですが。いくらシャツの裏地に耐刃の生地を編み込んでも熱までは保てませんし、濡れたままだと薬も流れ落ちますしね」


 私を覆うようにセロが雨から庇ってくれるが、激しくなる雨が容赦なく私たちを濡らしていく。近くで雷が落ちた音までした。

 ヴィスカたちは大丈夫だろうかと思いながら、することなく無抵抗に雨に射たれて二人して体温が下がってくる。


「不味いですね。このまま止まなかったら低体温になりますね」


 しかし、二人が出ていった今はこの場所を動く訳にはいかなかった。それからしばらくしてようやく二人が戻ってきたが、どちらも手ぶらだった。


「あっちに洞がある。すぐに移動するぞ」

「さっき近くに雷が落ちたから、早く」


 ランブ先導の下進んだ先には確かに洞があった。以前にヴィスカたちと会った時と同じか、それよりも狭いくらいで全員が入れる大きさではなかった。


「俺は他で雨宿りする。三人ならなんとか入るだろ」


 ランブが私たちを押し込み、洞から離れた。身動きが取れない程に窮屈となった洞もセロが若干はみ出し身体を濡らす結果になり、セロもランブと一緒に他を探す事になった。


「アンは奥に行け。入口から雨が入ってくるし怪我に悪いだろ」


 岩陰のように横風は防げない為、時折雨が吹き込んでくるのをヴィスカは自分と荷袋を壁にして私を庇ってくれる。

 弱い。いくら怪我していても自分が守られてばかりいる。皆に会ってからずっと。いや、さらに弱くなっている。雑草すら平気で食べれたときより贅沢に、そして心も。

 私は弱くなった。それを改めて実感すると泣きたくなってきた。


「ごめん」


 それは誰に対して、もしくは何に対しての謝罪なんだろうか。


「はあ?なに謝ってるんだ」

「わかんない」

「そっか?まあ、気にするなよ。アタシラはこういうのも馴れてるんだしさ」


 ヴィスカが頭を撫でてくれる。それがすごく温かい。

 皆はどうしてこんな旅をしているのだろうか。こんな雨に濡れるのも馴れるくらいに。今なら話してくれるだろうか。


「ヴィスカ。あの…」

「なんだ?」

「あの……なんでも」


 何故か言えない。今まで話してくれなかったのに、今話してくれるのか不安だった。

 私は弱くなった。そう感じる。


「言いたいことは言え。答えられることは答えるから」


 私の不安を感じてか優しく話し掛けてくれる。だけど、結局言えずに時間が過ぎた。


「だいぶ止んだな」


 雲間から茜空が光を降ろしているのが見えた。まだ小雨が降っているけど直に止むだろう。

 今日もほとんど進まないまま夜になりそうだった。


「アンも脱げ」


 それから数分して完全に雨も上がり、それを確かめるとヴィスカが全裸になり下着まで濡れた衣服を次々に絞っていく。私も包帯まで外され、裸のままヴィスカに衣服を絞って貰うのを眺めていた。


「熱ないか?傷は…アタシが診たくらいじゃ分かんないが、悪くは無さそうだな」


 二人して全裸のまま、濡れた岩に服を干してヴィスカはそのまま私の触診をしてくれる。


「親父みたいに技能があるわけでも、ランブみたいに知識があるわけでもない。アタシは本当に役立たずだな」


 弱音を吐くのを初めて聞いた。いつもの不遜な態度とは違って弱々しく見えた。


「弱いよな。アンに言っても意味ないのに」

「ヴィスカは私の飼い主。それだけで」

「あんがとな」


 儚く悲しい匂いがヴィスカから感じた。それが何故かは私には分からない。ヴィスカのこと、みんなのこと、私は知らない。


「あー、ダメだな。いつもそう思うのに。どうしてもこんな雨を見ると感傷的になってしまう」


 それは過去に関する事か、ただの心理的なものなのか。いつか話してくれるのだろうか。


「いたいた」


 ランブの野太い声が聞こえたと思ったら、ヴィスカの姿が消えていた。


「あん?なんでまた裸なんだよ」


 私が裸でいるのを見てきいてくる。


「どうやら濡れた服を干していたみたいですね。ヴィスカのもありますし」

「姐さんのも?姐さんはいねーが。まさか、姐さんも裸?」

「そうでしょうね、代わりとなる服も濡れてるはずですし」

「そう、だな」

「私たちは席を外しましょう。向こうで私たちもこの服を干すとしましょうか」


 二人の会話は先に進み、私を置いて再び何処かへ行った。それと入れ替わりにヴィスカが姿を現す。


「あぶねー。危うく見られるとこだった」


 裸を見られることが嫌なのだろうか。その感覚がいまいち分からなかった。


「今日もあまり進めなかったな。早く王都に行かなきゃいけないのに」


 二人のことを無かったようにそんなことを言う。

 そっか王都か。やっぱりゾワゾワとする。いったい何があるのだろうか。

「はだかー」



*野草*


薬草とは違いそれほど効能がある訳ではない。雑草として伸びていることも多く、見付けるのは知識さえあれば比較的容易ではある。

季節や地域によって採れる野草も異なり、それぞれに代表的な野草『七草』が存在する。

野草独特の青臭さと苦味があり、そのまま食すことはあまりしない。穀類と混ぜるなどして『粥』として調理するのが一般的。



「風気持ちいいー………がう、苦いの消えない」

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