夢と一夜の仲間
暗い。いや、明かりはある。だけど、暗く感じてしまう。
寒い。与えられた物は薄い麻の服のみ。それ以外は自由を奪うアクセサリー。
悲しい。それは何に対してだろう。ただ、胸の中が空っぽ。
ワン。わんわん。わおーん。クゥーン。うー、うるさい。
周りは犬だらけ。人の形をした犬に混じって私もいる。犬らしくない声で哭いている。
夢。これは夢。だから、現実ではない。だから、暗くも寒くも悲しくもない。なのに、なんでだろう。こんなにも泣きたいのは。大声で叫びたいのは。
たすけて。だれか…。ここから、連れ出して。だれか…。おねがい。もう、きりょくが…いしきが…きおくが…わたしは?わたしはいぬ。あのひとのいぬ。
***
「……ん、ん」
「アン?アン!起きたのか!?」
身体が揺さぶられる。気持ち悪い。そんなに揺すったら。
「うー、うえ」
「げっ、キタなっ」
なんだか嫌なモノを見ていたような気がしたが、激しく揺さぶられたお陰で唾液が口から垂れた。幸いに酸っぱい物は飲み込めたが、それを出しても仕方ないと言うしかないだろう。
「アンリ、大丈夫ですか?」
「うー、気持ち悪い」
「それは姐さんのせいだ。痛いとか、なんかないか?」
なんのことだろうと思い首を傾げる。
「べつに」
ランブがよく分からない顔で私の顔をジット観てくる。惚れた?
「顔色はいいな。熱は…ないな。本当に痛いとかないんだよな」
ランブが真剣な顔で尋ねてきて、それにヴィスカもセロも同じような真剣さで私を観てくるのでようやく思い出した。
私はさっきワンコたちに咬まれたんだった。咬まれた所を見ようとして、よくやく全身に細い布が巻かれていることに気が付いた。寝ている間に治療をしてくれたのだろうか。布を通してキツい臭いがして、涙が出てきた。眼に沁みる。鼻も変になりそうで、摘まみながら気になった事を聞いてみる。
「ワンコは?」
その問に一同が顔を歪ませる。皆は怪我をさせた元凶を心配そうに聞いてくるアンリにどう対応したものか迷い、結局は事実を話した。
「アンリを咬んだ野犬たちは暫くいましたが、アンリの治療が終わるのを見てどこかへ去って行きました」
「ざんねん。一緒に行きたかった」
アンリのその様子に、始めに連れて行くことを断ったヴィスカが悲しそうな顔をした。何故だかアンリの様子に何かを感じたのだろうか。それはヴィスカ自身すら分からない事だった。
「それよりも親父さんの治癒はすごいな」
「いえ、アンリの回復力によるところが大きいですよ。いくら治癒を施していてもここまで顔色が良くなることも、熱が引くことに対しても異常な速さですし」
「そうなのか?」
「はい、促進は行いますがこんな短期間とは行かないでしょう。すでに私たちの元にたどり着いた時には出血もありませんでしたし」
二人は難しい顔になり私について話しているようだったが、内容が分からなかった。ヴィスカは何かボソボソと言っており聞ける雰囲気ではなかった。
「飼い犬が犬を飼ったら、アタシの飼い犬ということか?だが、野犬だし危険だよな。いつ気が変わって襲ってくるか。そしたらまたアンが危ないし。でも、飼いたいんだよな。なんかなついてたし。いや、でも……」
なんだかヴィスカが怖かった。
仕方なく二人のやりとりを眺めていると、お腹がキュルーと鳴った。
「ああ、すみません。アンリはまだご飯食べてなかったですよね。朝は抜きでしたし」
朝のご飯抜きを思い出して悲しくなった。それを首を振り忘れる。ふと、空が視界に入る。オドは中天をやや通りすぎていた。朝に洗濯を洗いに行ってから四時間以上は経っているくらいか。そんなに眠っていたのかと思うと再びお腹が鳴った。
「とりあえずメシ用意するわ。いちおー、消化に良いように擂り潰すぞ」
ランブはまだ火が完全に消えていない事を確認して、そこに枝や枯れ葉を入れて火力を上げた。その火をセロに任せて、擂り鉢に穀類と葉っぱを入れて擂り潰して火鍋に移す。焚き火の上に火鍋を置き、水を足しながら混ぜていき、すぐに完成した。
「ほら、滋養に良い野草を入れたから少しクセがあるが文句言わずに食べれ」
お椀によそい、木匙を付けて渡してくれた。ドロッとした穀類に薬の匂いがした。野草の色か全体的に薄緑をしていた。
「ん!わぶっ。にがい」
「文句言うな」
いつぞやの残飯のハズレを思い出す。舌はピリピリしないが、苦くて食べずらい。
「あー、もうっ」
焦れたのかランブがお椀を奪い、息を吹き掛けたと思ったら無理矢理に口に押し込まれた。
「あが、んぶ、がふっ」
「ランブ、アンリがまだ飲み込めてないですよ。窒息させる気ですか」
セロはランブからお椀を掠め取り、その後に時間をかけて食べさせてくれた。苦くてまた涙が出てきた。
「ようやく食ったか。しばらくはこのメシだからな」
非情な宣告にセロも苦笑していた。
「さて、俺はまた薬草探してくるわ」
ロンバの手綱を引いて戻ってきて、「少し遠くまで探してくるかもしんねー」と言い残して街道の方へ向かって行った。
「では、私も食器を洗うついでに水でも汲んできますか」
セロも立ち上がり、私たちの食器を持って近くの川へ向かって行った。
「あれ、みんなは?」
入れ違いにヴィスカが顔を上げて尋ねてくる。みんなして独り言を無視していた。
「ランブは草原で薬草取り。セロは川で洗濯」
んー、どこかの昔話みたいな言い方だ。昔話なんてしらないけど。
「そうか。いつの間に。……あー、その、な。アン、犬飼いたいのか?」
「べつに。あの子たちはなかま」
「そう、か…?」
なんだか会話が噛み合わない。その事にヴィスカも気が付いたのか項垂れていた。
「ま、そんなことよりも大丈夫なのか?」
「ん、苦くて臭い」
口が苦くて、身体中が薬臭かった。
「は?いや、痛いとかは」
「ヴィスカが気持ち悪くした。もう大丈夫」
「あ?ああ、大丈夫、なのか?」
やはり会話が噛み合わない。
「傷は大丈夫なのか聞いてるんだけど」
「ん」
私も布が気になっていたので、留めていた部分からグルグルと巻き取っていく。内に熱が相当に籠っていたのか、外気に触れると少し寒く感じた。
再びマント一枚の姿になり、自分でも傷を確認する。うん、皆が心配するような程ではない。みんな大袈裟だ。
「もう塞がってる?親父の治療のお陰か?にしても、こんなに塞がるもんか?」
見えた箇所はどれもみみず腫のようになっていた。脇腹だけは、火傷したような酷いみみず腫だったが。咬まれた形跡は見られなかった。
「縫合の跡も分からない。確か暫くは残ってるんだよな。他もあんなに深く傷付いてたのに、薬草でこうなるはずないよな。しかもこんな短時間では」
私の全身の牙と爪痕があったはずの場所をベタベタと触ってきて擽ったかった。そうこうしているとセロも戻ってきて、驚き、同じようなことを口にした。
思ったほど酷い怪我じゃなかったのではないか。みんなは何か勘違い、慌てたせいでそう錯覚したのではないのか。そう私は思う。だって、二人が言うように回復力が高いとは自分では思えなかったのだから。
とりあえず結論は保留となり、再び私をグルグル巻きにして念のために寝かされた。ご飯を食べた事と、温かさですぐに眠ってしまった。
起きるとランブも帰ってきており、収穫がそこそこあったらしく、さっそく薬を作り私の全身に刷り込まれた。新しい薬のせいで、薄くなってきていた臭いが再び強烈になり眼に沁みた。
また五時間くらい寝ていたみたいでランブが調理を開始し、しばらくしてまず苦いご飯が出来た。他の皆は別の献立らしく、美味しそうに食べていたが、私の口は苦みしかなかった。それも、新たな野草を入れたのか痺れるくらいの苦味になっていた。残そうとすると、悪鬼の如く私の口にご飯を詰めてくるランブが怖かった。途中から記憶がなかったくらいに。
***
「うー」
疲労もあるのかもしれないが、苦みと窒息しかけが原因で気絶していたみたいだ。
すでに辺りは暗くなり、すぐ傍ではセロとランブが寝ていた。とりあえずランブのイビキによって大きく開いた口に、それらしい野草を入れておいた。イビキも止まって静かになると、こちらに背を向けて警戒をしているヴィスカがいることに気付き近寄る。
「アンか。目が覚めたか」
「うん」
「野犬がまだ近くにいるかもしれないからな。いつも以上に警戒しないとな」
愛刀を傍らに置いてお酒を呑んでいた。警戒と言っているのに、だ。
「おい、どこに行く」
そんなヴィスカを余所に川岸へ歩いて行こうとすると呼び止められた。
「みずあび」
なんとなく行く必要があるように感じた。頭を自分で洗えないけど、それ以外の言い訳が思い浮かばなかった。
「沁みるぞ。いや、だから野犬がまだいるかもしれないんだぞ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ」
「大丈夫。いかせて」
暗くて顔は見えないけど、それ以上何も言わないことを許可と受けとり歩きだす。
空にはルンナとソドがあり、夜目も利くので歩くのに支障はなかった。
朝に水浴びをした場所から川を下流に向かい歩いて、ヴィスカが水浴びをした場所も通りすぎて、洗濯をした場所にたどり着く。そこは野犬に襲われた場所。だけど、呼ばれたような気がした。
「いる?」
小さな一声。だけども相手に届いたのか岩陰から五匹の野犬が現れた。今回は風上だったからか臭いはしなかった。
「わうーん」
「きゃうん」
いきなり襲うこともなく、ゆっくりと私に近付き臭いを嗅いでいくが、薬草のキツい臭いでそれぞれ呻いた。それでも敵対心は見られない。
私が地面に座ると順番に顔を舐めてくる。すごくお利口さん。
「ばうっ」
「大丈夫。痛くない」
一番大きなリーダー格が話し掛けてくる。そう思うだけだが、私の傷を心配しているように感じそう答えてみた。
「くぅーん」
「謝らなくていい。生きるため必要」
なぜか会話が成立する雰囲気がある。お昼にヴィスカとは会話が噛み合わなかったのに。
「わうっわうっ」
「ごめん、一緒にいけない。ダメって」
「くふーーん」
すごく悲しそうな声で鳴き、耳が垂れ下がる。
なんだかすごく落ち着く。私を見て、リーダー格に促されるようにその躯に頭を置き、眼を閉じる。
リーダー格は大人しく私の枕となってくれている。二番目に権力がある犬が大人しくリーダーの隣でお座りして待機している。それに対して、残りの三匹が私のグルグル巻きの布を咥えて剥ぎ取っていく。再びマントのみとなると、傷口を舐めてくる。どうやら彼らも治そうとしてくれているみたいだった。
そしてサブリーダーが立ち上がり、私の腕輪に噛み付き引き千切ろうとするが、ビクともしない。首輪、足輪にも噛み付いてみるけど結果は同じだった。
「大丈夫。これとかは気にしないで」
首輪に触れるとチリンと音がした。愛玩奴隷の印である鈴が揺れた。鈴も噛み千切れない素材みたいだった。
「心配、ありがと」
「わうーん」
すごく居心地がいい。安らげることに、今日はたくさん寝たのに睡魔がやってくる。三匹はまだ傷を治そうと舐めている。きっと苦いはずなのに、と考えながら眠りに落ちた。
オドが昇る少し前にリーダー格に顔を舐められて眼を覚まし立ち上がる。
五匹は寝てなかったのか、若干気だるそうにその躯を起こし私に向いて吠えた。
「うん、ばいばい。また、あお」
本当に言葉が解るのか、別れを交わしてお互いに背を向けて歩きだす。
私のいる場所はヴィスカたちの所だ。皆と行くことも考えたけど、風に乗って三人の匂いがしていた。でも、彼らといることを邪魔せずに見守ってくれていた。彼らも気付いていたはずだが、三人を無視してくれていた。
なかまの一夜だけの温もり。とても安らげる時間をもらった。だけど、私が着いていくことを許してくれて、そして心配して見守ってくれた三人は大切な存在だ。だから、帰る。
「わおーん」
五つの遠吠えが最後に聞こえた。
「わおーん」
私も遠吠えで応える。お互いのエールを送りあい、皆の元へ。
またいつか。私の大切ななかま。
「ワンコは正義」
*シルキー犬*
知能が高く仲間意識が強い犬種。その為、群れでの連携戦は高度で襲われると逃げようがない。群れは家族を中心に組まれるが、何匹かは群れを離れて新たなコロニーを作る。そして新たな群れとも連携を取ることもあり、大規模な集団になることがある。
他の犬種よりは因素を内包しているも、魔獣とは言われない程度。
王国ではほとんどその姿は確認されていない。
他国ではその能力により、狩猟犬などに重宝されるも、人間にはなかなかなつかない。ただ、一度仲間意識が芽生えれば非常に優秀なパートナーとなる。
「わおーん!」




