治療と癒術
「捨ててきなさい」
それがヴィスカの第一声だった。
私がワンコたちを引き連れて戻った時にはランブも帰ってきており、一同が警戒し構えた。それほど集団戦に卓越している野犬の群れは恐れられていた。
しかし、私が庇ったこと、連れて行きたいと言葉少なに懇願した所、先の一声が返された。
その間、ワンコたちも私の後で牙を剥き威嚇していたので双方共に一触即発状態になっている。
「うー…あと、これ」
お願いを断られたことに不満を言いながら、マントの中で腕に抱えたヴィスカの服を出して手渡した。
「っ!?アン!!」
その服を払い退けて、私の手を取り鋭い視線で身体を観察してくる。
せっかく洗ったのに。
「アン。まさか、ソイツラにヤられたのか」
ヴィスカのより緊迫した気配にセロとランブも私の身体を見て、息を飲んだ。
すでに傷口からは血が止まっていたが、流血の跡と深く穿たれている各所は確かに痛々しい。
「おい、すぐこっちこい」
「野犬は私が抑えておきます」
ランブにもう片方の腕を掴まれ、セロは私とワンコたちの間に身を滑り混ませる。いつ戦闘が始まってもおかしくはない。
「まって」
その様子を見て、二人の手を振りほどこうとする。が、力の差は歴然で振りほどくことは出来なかった。
「みんな、大丈夫。ヴィスカたち悪くない。そこで待ってて」
仕方なく二人に掴まれたままにワンコたちに、私にしては短くない言葉で語り掛ける。私の言葉が分かる訳でもないのに、リーダー格が一声吠えてその場に伏した。セロは警戒を解かなかったが、次々と伏していく光景にセロも私を見てくる。
「アンリ。彼らを従わせたのですか?」
「なかま。同じ犬」
「いや、お前の犬は比喩なんだがな」
ランブがどう答えたらいいのか分からない顔で私と野犬を交互に見てくる。
奴隷に対する犬は従順・征服などの意味合いが高いが、この国に於いての本当の犬に対しては恐怖と災害でしかない。使役や愛玩として飼われずに、野犬の姿が一般的なこの国では意味が違った。他国には使役や愛玩としての風習もあるので、そこから奴隷の俗称となったと思われる。そんなことはアンリの知る由ではないが。
「とりあえず治療が先決ですね」
野犬に警戒をしながらもセロも私に歩みより、距離を取り私を地面に寝かしつけてきた。
「応急処置なので、後で熱が出たりするかもしれません」
右二の腕、右太もも、左脇腹。その三ヶ所は深い孔が空いていた。とくに脇腹は酷く致命傷と言ってもよかった。
「よく血が止まりましたね」
ランブとセロが診断し、その状態に顔をしかめる。よく助かったものだと思いながら、同時に命の危機でもあるとも思った。
どれも深く牙が刺さったことを物語り、脇腹は内臓まで達しているかもしれなかった。しかも、他の箇所よりも傷口が荒れている。それは、咬んだあとに肉を抉り取ろうと首を振った為に、致命となっていた。
牙による傷だけではない。取り押さえた獲物が逃げないように、身体中には爪痕も複数箇所見られた。いずれも止血はしていたが、牙や爪などから病原菌が侵入している確率は高い。そうでなくとも、このままだと傷口が壊死してしまうし、何かしら感染することは避けられなかった。
三人は沈痛な表情でこのままだとアンリの死は免れない事を悟った。しかし、そう簡単には諦めなかった。
「待ってろ、アン。すぐ楽になるからな」
二人が細かく診断している間にも、ヴィスカはありったけの薬草を取りだし、種類を選り分けて調合していく。料理と同じく、調合もランブが最も得意としていたが、ヴィスカは自分の持ちうる知識を総動員して、今現在で可能な調合を行っていく。
「解毒のセリー。鎮痛はラビリ。解熱は…ザルツ。止血も必要か?ケッシ。殺菌のエンビルはない!……他には、えーと」
「バルイの皮とシトス水も混ぜろ」
ヴィスカの調合を見て、ランブが助け船を出す。単体の効能は低いが他の素材の相乗作用を促すバルイの皮。繋ぎとして、聖水の一種でもあるシトス水。こちらは浄化作用と癒術の効果を上げる貴重なものだ。
ヴィスカの回りには選り分けられた草や樹皮、蔓や聖水の小瓶が所畝ましに並べられる。それを調合用の鉢に入れて擦り混ぜていく。離れていてもかなりの臭いがしてくる。
「くそ、感染してるぞ。もう熱が出てきてる」
「抑えます。…御身に宿る精よ。安らぎと浄化司る癒慰の精。内廻る水となりて廻れ」
私自身は熱があるとは思わなかった。痛いけど、我慢出来た。だけど、ランブの焦る顔を見ると熱はあるみたいだった。
隣では手を動かし、癒術を発動させているセロ。レビーの街で言っていたように、専門でもなければ因術は発動できない。それを無理矢理行えば、あの街の男性のように代償が大きなものになる。
セロは無理をしているようには見えなかった。自然に因素に働き掛けて、癒因子を促進させていく。
人間は体内のほとんどが水なので、それに関係しているのか水の因子と一番相性が良かった。それに続く癒の因子とも相性が良いので、他の属性よりも扱い安く行使できる人間は多い。だが、それは他の属性に比べたらと言うもので、実際に行使できるのは専門職になれる資質が高い者だけだ。それがなぜセロも行えるのか分からなかった。
昨夜、因素についても簡単な説明を受けただけの私には分からない。そして、体内を廻る暖かな温もりによって眠くなり、眼を瞑った。
「おい?おいっ!」
相変わらずランブの乱暴で大きな声が聞こえたが、強まる睡魔に私は意識を落とした。
***
私が眠っている間も治療は進んだ。
「アンリ。頑張って下さい」
「アン!!……ちっ」
ヴィスカはアンリの様子に気付き手を止め、元凶の野犬たちを睨んだ。アンリに本当に従っているのかは不明だが、五匹とも大人しく伏せていた。中にはクゥーンと鳴いているのもいる。
その野犬の様子を確認して、今はアンリの治療を優先することに意識を切り替える。油断はしないが。そして、斬れるなら斬ると言う意志を内に燻らせて。
「汚れと血は洗い落とした。姐さん、調合薬くれ」
診断が終わり、セロの癒術に平行していた洗浄も終わらせたランブに調合したばかりの薬を鉢ごと渡す。ヴィスカは二人の補助に回ることが多く、有事の際の力不足を痛感する。ここまでの非常時を経験したことはなかったので、知識も経験値も不足しており、補助に回るしかなかった。現在もランブに薬学を学んでいるが、その薬草の種類と比率が難しくてモノには出来ていなかった。
「少し足りない。姐さん、追加してくれ」
全身の傷口を塗り終わる前に薬が空になった。傷口が深く、爪痕は至る所にあり全身を覆うように塗った結果、十分な量がなかった。
「ふう、はぁ。脇腹は私が診ます」
療術が血流に溶けて全身を巡ったのを確認し、セロは最も酷い脇腹に視線を落とした。
いくら薬草で治癒の促進は出来ても、穿たれ抉れかけて致死に至る傷はどうしようも出来なかった。そこを因術も行えるセロが担当する。
「本当にギリギリですが、内臓には届いてはいないようですね。本職ではないので的確なことはいえませんが、最悪な状態ではないでしょう」
血に染まる事を意に反さずに直診で傷口の状態を確かめながら、ピンポイントでの療術を掛ける。
「それにしても、驚きですね。こんな状態なのにすでに止血しているなんて。暫く気絶していたとしたら、出血死になっていたかもしれないですし。自己治癒能力が高いとしても異常ですね。これがSの理由でしょうか」
「今はそんなことよりも、治療だ。アタシに出来ることは」
「そうですね。では、荷袋から治療針と火種を」
セロの荷袋に取り付き、中から小分けにした袋を取りだし、手渡す。
すでに再調合を終えてランブに渡している。残りは少なく、完全に使いきった物もあるがそれで足りるのかヴィスカは不安だった。中でも、高価な聖水は始めの調合でなくなっており、代用品で流通していた効果が低い精準水を使用するしかなかった。
「火を点けたら針を熱して消毒を」
セロは髪を抜いて、因素に働き掛ける。髪は因素を豊富に含んでいる生体媒介で一番用いられる触媒。その髪の因素に働き掛けて半実体化させ溶けやすくする。エーテル化。それは高位に属する因術。属性のない触媒への変換は専門職でも行使できる者が限られる代物だった。それ単体では意味をもたらさない因術だが、属性付与の触媒には最高の物となる。セロは続いてそれに癒術を付与する。癒因子のエーテル糸がセロがこの脇腹を担当した理由だった。
「はい、熱したよ」
極細の針をセロに渡し、それに完成したエーテル糸を接続させる。エーテル糸は術者の意志よって接続と切断も行える非常に便利なものだ。
「中に薬を薄く塗ってください。濃すぎると逆効果なので」
「あ、ああ」
脇腹用に避けておいた薬を薄く刷り込んでいくと、アンリが苦しそうに呻いた。
「それくらいでいいです。では縫合を開始します」
エーテルの維持は集中が必要なので、セロの表情も普段の柔和な状態が見られない。
中も抉られた影響で、あちこちが傷つき縫合が必要だった。そこを慎重に縫合し、次に傷口となる外気に晒される大きめの傷痕を縫合しにかかる。
ランブもその頃には薬を刷り込み終わり、セロの手術の経過を見ている。野犬たちも大人しく待っていた。何処かに行く気配はなかった。
どれくらい時間が掛かっただろうか。
「はぁー。終りました」
慎重に、だけどなるべく早く行った積もりだ。エーテル糸を固定化させて、集中も途切れてセロはその場で座り込んだ。固定化されたエーテル糸は傷口に癒着し、あとは皮膚同士の結合と一緒に溶けるはずだ。
「外気に晒されて別の菌に感染していなければいいのですが」
時間との勝負だった。集中力もだけど、長く外気に触れていればそれだけ感染しやすく、治癒も遅くなる。この国において、初期の治療が生死に関わる。他の国より医療が遅れているのが原因だが、どれだけ医療技術が進んでいても早めの処置が今後を左右させるのは当然の事実だった。それらを知っており、セロも可能な限りのことを行った。
現在は脇腹の縫合した回りにも最後の薬を塗って、ほぼ全身に細く切った布を包帯として巻いてあった。
「大丈夫かな」
「わかんねー。熱はあるが、顔色は少し良くなったんじゃねーの」
「回復力がすごいんでしょうね、やはり」
三人で寝ているアンリの状態を観察していると、離れた場所で大人しく待っていた野犬たちからリーダー格と思われる大きな野犬が近付いてきた。
「殺るのか?手加減しないぞ」
殺気の籠った視線で曲刀を握ったヴィスカの横を何事もなく素通りして、アンリに近付いて顔を舐めた。
「こ、のっ!」
後ろに二人がいたので、刃を振れずに突いたが見事にバックステップで交わされた。
野犬はそれでアンリから離れて群れに戻って行く。セロは疲れており動けなかったが、ランブの蹴りも交わしており、戦闘慣れしているのが分かった。
そして、人間のことなど気にせずに群れに合流し、一声吠えて群れが離れて行った。
「なんだったんだ」
「アンリに敬意を払っていた感じでしたね。最後のは別れの挨拶でしょう」
「意味分かんないね。アンになんで敬意を払うんだよ」
「解りません。ただ、あのリーダー格ともう一匹はシルキー犬でしょうね。他の犬種よりも知性が高く、仲間意識も高かったはずです。この辺にはいない種類だと思ってましたが。他の三匹もシルキーと何かの雑種でしょう」
「犬としてアンを仲間と認めたのか?」
野犬の行動に疑問が残るが、怪我をさせたのもその野犬たちだった。
「とりあえず、今日の行程は中止ですね。アンリの経過を見る必要もありますし。私も疲れました」
眠っているアンリを見て、セロも大きく息を付いた。
癒術の行使とエーテル化に維持。傷の縫合と集中力を持続させ続けて、もうセロは意識を保つのも困難だった。
仕方なく今日の行程を中止し、アンリを抱えてなんとか野営地に戻り、アンリにならんでセロもすぐに眠りに付いた。
二人も朝から疲れていたが、またいつ野犬がくるか分からなかったので警戒しながら交代で休み、その後にランブは魚の捕獲や、薬草がないか探した。しばらく傷口に薬を塗り続けないといけないが、解毒と鎮痛の薬草が切れていた。殺菌の薬草もなく、少しでも探す必要があった。
「連れていったらダメってケチ」
*エーテル化*
物質を因素体に変化させる高等技術。
媒介となるものの因素の容量が豊富に含んでいないと変化は起こらず、かつ術者も高度な技術がないといけない為に行える者は少ない。
エーテル化は本来、非物質となるが、セロは今回の治療に際して結合手術として半物質に性質を変化させている。
エーテルには属性がなく、それ単体だと効果はない。しかし、どの属性でも付与することが可能であり、そうした場合は非常に有用な物となる。
属性付与を行う術者は任意で指定できる為、自分が扱えない属性を付与してもらい行使できる。ただ、エーテルの維持には常に集中しなくてはならず、集中が切れた時には霧散してしまう。
また、他の物との接続や切断、形状変化なども行える。
「…あったかい。だけど、鼻が痛いくらいに臭い」




