水浴びとワンコたち
レビーの街を経った翌日の朝。私は川で水浴びをさせられていた。
「…うー」
「唸りたいのは俺のほうだよ。何だって朝からお前を洗わなきゃならん」
以前のように右腕に丸めた服を抱いて、裸で川に浸かっている。それを後ろからランブによってゴシゴシと痛いくらいに擦られる。いや、かなり痛くてつい唸ってしまう。痛いだけが唸りの原因ではないのだが。
昨日、王都と聞いてから何故か胸がザワザワと落ち着かなくて、夜もなかなか眠れなかった。だから、気分を落ち着けようと美味しかった山羊乳はなかったので袋に入った水をガブガブ飲んだ。その後に、いつものようにヴィスカに抱き付いて眠ったら、朝方に顔を踏まれて起こされた。どうやら、オネショをしてヴィスカにも被害が出たようで、謝っている間も踏まれていた。それから、ランブが叩き起こされて水浴びに連れて来られた。
今頃は離れた場所でヴィスカも水浴びをしているはずだ。私の水浴び担当に無理矢理押し付けられたランブは予定より早く起こされて機嫌が悪く、手加減なく身体を洗っていく。
「……うー」
「だから、唸りたいのは俺だ。なんで俺が担当しなきゃならん。お前の飼い主はヴィスカだろ」
飼い主様は私に朝食抜きを伝えてさっさと水浴びに行かれました。
そもそも、衣食住においてヴィスカは特に担当をしていない。私の飼い主となっているが、何かをしている訳ではない。一様は躾と添い寝を担当してくれてはいるが。
「あ、わり。つい、身体中赤くなるまで擦ってたわ」
今日は頭から洗ってもらい、髪の毛もグシャグシャな状態。おまけに身体中、前も後ろも上も下も全部赤く染まってヒリヒリとしていた。
「がう゛ー」
「犬みたいに吠えるな。元はお前が悪いんだろ」
結局、文句を言いながらも川から上がってからレビーの街で調達した薬草を全身に刷り込んでくれた。かなり臭くて涙がでるけど。
「おい、アン。その芋こっちによこせ」
私の分だった朝食がヴィスカとランブの胃に収まっていく。それをセロが苦笑混じりに見ていたが、何かを言うわけでも食べ物を分けてくれるでもなく朝食が終了した。水すらお預けだったので、見ていたらお腹が空いた。
「つか、二人分の水を夜に一人で飲みやがって」
尚も反省をさせられて、ずっと小言を言われて頭が痛い。まだ身体中がヒリヒリとするし、朝から災難だ。
「さて、もうその辺で良いでしょう」
「はあ?躾は最初が肝心なんだよ。後で叱っても何に対して叱られてるのか分かんないだろ」
「うーー」
ランブはもう食べ終わって、先ほど文句を残して飲み水の確保に行ってしまった。怒る人は減ったけど、こういう時のヴィスカはなかなか許してくれないらしい。
セロのお陰でそれ以上の小言は貰わなかったが、汚してしまった服をもう一度洗うように言われてしまった。ヴィスカが水浴びの際に一度洗ったらしいが、綺麗に洗ってこいとの事でお叱りの場から解放される。
ちなみに私の服も身体を洗った際にランブによって洗われたが、機嫌が悪いのが影響して力加減なく洗濯された時にとうとう破れてしまって、今の私は元マントだけ身に付けていた。破れた服も干してはあるが、左袖しか通す場所がない完全なボロ布と化していた。それでも、乾けば着るつもりでいるけど。
「あった」
そんな事を考えながら、川沿いに干してある岩にたどり着いた。ここはヴィスカが水浴びをしていた場所なので、食事をした場所からは離れていた。ついでに、私のボロ布改めてシャツ。断じてシャツも並べて干してある。その無惨な姿に悲しくなるが、今はご主人様の命令に従って隣の衣類一式を持ち、川辺に移動する。
流れの緩く、かつによって流されない所を探すのにさらに下方に歩く。これも言われたことだった。もし、流したものなら数日はご飯抜きな上に躾も厳しくなると言われたので、仕方なく条件に合う場所を探すしかなかった。
干していた場所が見えなくなるくらいに下方へ歩いて行くと、良さそうな場所があった。しかも、木も生えていて掛けることも出来た。
「おせんたく」
慣れない手つきで服を洗ってみるけど、黒地の服は汚れているのか分からない。適当にゴシゴシしては木に掛けて、下衣も胸覆いも同じく掛けていく。胸覆いも黒なので…ん、少し私の匂いがした。よく見ればその黒レースが過剰な布はレビーの街に入る時に私の首輪を隠す為に巻かれた物だった。
「……なまけもの?」
失礼な事を、しかも見当違いかもしれない事を思いながら、下帯に手を伸ばす。これだけは白に近い色をしていた。真っ白な布は貴重らしいので、元の素材からくすんだ白色なのだろう。私のシャツもくすんだ白だったと思う。古い汚れは落ちないので、原色が不明だけど。
「………」
手にした下帯をゆっくり降ろす。
なにか、獣のような濃い臭いが複数する。みんなではないだろう。水を汲みに行ったランブでもない。
「……なに」
暫くじっとしていると、草を掻き分けて、木の影から、他の岩影に紛れて、五匹の犬が姿を現した。
「グルルッ」
「ヴゥー」
川を背にして囲まれてしまっていた。薬草の臭いのせいでここまで気付かなかったみたいだ。
唸る口元から涎を滴ながら、威嚇をしながら徐々に包囲を狭めてくる五匹の犬。セロが道中に言っていた集団で襲われたら厄介な野犬たちだろう。
五匹の足が止まった。いつでも飛び掛かれる射程圏内。だけど、曲刀に首を晒した時のように恐怖はなかった。
「ワンコ」
初めて見る野犬に興味が湧き、恐怖が感じなかったのかもしれない。
私がしゃがみ、手を振ってみるとワンコたちが少し怯んだように感じた。
だけど、中心の二匹が再び威嚇で唸り始めると残りの三匹もそれに続き、それに納得したのか二匹が、すぐに三匹が私に飛び掛かってきた。
「グァルル」
「ガルゥ」
「………いたいよ?」
右二の腕、右太もも、左脇腹、左頸、左足首。それが襲われた箇所だった。
幸いというか、左頸と左足首はそれぞれ首輪と足輪によって防がれて「ギャン!?」と吠えて退いた。
だけどそれ以外は牙が刺さり、血が流れ出してきた。口を離すつもりはないようで、脇腹を咬む犬にしては頭を振りさらに血が飛び散る。
拘束具に阻まれた犬も警戒しながら再び距離を詰めてくる。
「いたいよ。それにあついよ」
だけどやはり恐怖はない。ただ、咬まれた所が痛くて熱い。
「……グル…」
「クゥーン」
そんな私の様子を異常に感じたのか、始めに中心にいた二匹が─一匹は頸を狙って、もう一匹は脇腹を狙った─牙を収めて、私から数歩下がり座った。
リーダーとサブリーダーなのか分からないが、二匹の様子を見て、他の三匹も同じように離れて座る。
「いいこ」
五匹並んで座っているのが可愛くて、つい四つん這いで近付き、真ん中の一匹の頭を撫でてしまった。
「クゥーン」
何故か大人しく撫でられるリーダー格。それを仲間が見ていたと思ったら、また私に群がって押し倒された。
「また、かむの」
食べられるのかなと思っていると、三匹が咬んで出来た傷痕を舐め始めてきて、痛みと擽ったさに苦しまされた。その間に、リーダー格の二匹が私の股間に鼻を近付けて匂いを嗅いでいく。元マントのみだったので、直に鼻息が掛かりやはり擽ったい。
「もう、かまない?」
しばらく舐められるままでいたけど、ヴィスカを待たせたらまた怒られるので起き上がる。
「まってて」
私の言葉が通じた訳ではないはずだが、五匹は並んで大人しくお座りをした。うーん、私も見習わなきゃ。
五匹が見守る中、ヴィスカの下帯を洗う奇妙な光景がそこにあった。
全て洗えたので、他の服を木から降ろして腕に抱える。あれほど深く刺さっていた傷痕からは血が止まっていた。
「いっしょに、いく?」
「バウッ」
リーダー格の一声で私の後を五匹が着いてくる。ヴィスカたちは何て言うのだろうか。
「ワンコ可愛い。しんきんかん。なかま?」
*野犬*
この国において犬を飼うという風習はない。他国においては羊飼いなどが飼育はしているが、この国では犬に食べさせる余裕があるなら自分たちに食料を回すことが優先となっている。
その為、犬は野生化しており時に集落に現れたり、家畜を襲ったり、街道の移動中に襲われることがしばしばある。
はぐれた野犬だけならなんとかなることもあるが、集団行動を取る事が多いので遭遇すると逃げるどころか命に関わる、非常に厄介な害獣と言われている。それは例え逃げられても、匂いによって追跡されて再度襲われる危険が高く、助かったとしても咬まれた所から病原菌が感染し死亡することもあるためである。
その集団行動による連係はいかに闘いに慣れた者すら単独だと苦戦を強いられる。
「私は捨て犬。みんなは野犬。だからなかま?」




