81話 幸せの味
「……ヤシロ…………っ、もう、限界……っ」
「こらえろマグダ! もうすぐ……もうすぐだから!」
「わっ、わっ! 凄い力で押されてるです! おち、落ち着くですよっ!」
「ヤシロさんっ、頑張ってください! もう少しです!」
陽だまり亭の厨房は、戦場と化していた。
「す、す、凄く美味しそうですね、ヤシロさん! 精霊神様が微笑んでいらっしゃるような、甘い香りが致します!」
「あぁっ! あたいも、ヤシロに頼まれた、『異次元胃袋シスターが暴走しないように押さえ込んでくれ』って頼みを完遂したいのに…………っ! この甘い香りと、その胸キュンな見栄えは反則だぁ! あたい…………もう、我慢出来ないっ!」
「……くっ! デリアのパワーが上がった!」
「マ、マグダっちょ! あ、足っ! 足が地面にめり込んで…………ぅゎああああっ! 建物が軋み始めたですっ! 物々しいオーラを発してるです、このお二人!?」
ケーキの試作をするため、教会を代表してシスターベルティーナに作業工程の視察と監査を依頼したのだが……甘い物を前にベルティーナが暴走するのは目に見えていた。
だから俺は、デリアにベルティーナを押さえ込むよう頼んだのだが……それが間違いだった。
デリアまでもが、ケーキの甘い香りとトキメキの見栄えに暴走を始めてしまったのだ。
もはや、頼れるのはマグダだけ。
しかし、それもそろそろ限界……このままじゃ、ケーキが完成する前に食い荒らされてしまうっ!
「ヤシロさんっ! 連れてきたッスよ!」
「ウーマロ! 助かった!」
「なんなんだい、こんなところに呼び出して…………なんなんだい、この地獄絵図は……?」
ノーマが咥えていた煙管をぽろっと落とす。
「申し訳ありません、ノーマさん! 早く厨房の中に……っ、マグダさんを助けてあげてくださいっ!」
「……ったく、しょうがないねぇ…………」
落とした煙管を拾い、くるくると回して胸の谷間に差し込む。……熱くないのかな?
「ウーマロ! お前もそいつらを押さえててくれ!」
「ぅぃいえいやあああっ! ムリムリムリムリ! 無理ッスよ! じょ、……女性に触れるなんて……オイラ…………恥ずかしい」
「ええぇぇえい、使えんキツネめ!」
ウーマロは、マグダと妹たち、そして同じキツネ人族のノーマ以外の女性とはろくに口すら利けないのだ。
……アリクイ兄弟がミリィに興味がなくマグダにゾッコンなことといい、ウーマロがこんな色っぽいお姉さんが平気なことといい……こいつらの価値観がいまだによく分からん。
「お兄ちゃん! 早く! まだ終わらないですか!?」
「っと! そうだ! あとは生クリームを絞り袋に入れてデコレーションして、その上にイチゴを載せれば……っ!」
「イチゴっ!? イチゴが載るのですか!? 精霊神様の御心のように純白の生クリームの上に、精霊神様のまごころのような温かい色合いのイチゴが載れば、それはまさしく精霊神様へ捧げるスウィーツ! 私が一番にいただく権利があると思いますよ、ヤシロさん!」
「だから! そんなことしなくても、試食でお前が一番に食うことになるんだから、大人しくしてろっつってんだろ!?」
ベルティーナの目が血走っている。
……聖女のする顔じゃねぇぞ、それ。
「ズルいぞっ! あたい、イチゴ割と好きなんだからな!」
「割とならちょっと我慢してろ! あとでやるから!」
「たった今から大好きに昇格した!」
「待ってろっつの!」
デリアが獣へと変貌していく。
……くそ、こいつを厨房に入れたのは間違いだった。
「……マグダも、そろそろ危ない」
「ちょっ!? 待て待て待て! お前は最終防衛ラインなんだからな!? こらえてくれよ!」
「……むぅ……ヤシロの期待には…………応えたい…………でも」
「なんなんだい、この子たちは!? どこから、こんな力が…………アタシに苦労かけるんじゃないよ、まったく!」
ノーマがいなければ、今頃防衛ラインは決壊していただろう。
急がねばっ!
「ヤシロさんっ! 頑張ってくださいっ!」
「ちっきしょうぉぉおおおおっ! ケーキくらい落ち着いて作らせやがれ!」
俺は急ピッチで生クリームをデコレートし、イチゴを華麗に飾りつけた!
「「「「「おおおおおっ!?」」」」」
なんか、色んなところから歓声が上がった。
見ると、厨房の入り口には無数の人間が詰めかけていた。
ロレッタの弟妹たちや、セロンにウェンディ、ヤップロック一家や、ベッコにアッスント。
四十区からも何名か招待してある。
「ヤシロさんっ! ワタクシ……ッ! ワタクシを中に入れないとは……入れ……ちょっと、お退きなさいな! 見えませんことよっ!」
なので当然、イメルダも来ている。
「ヤシロー! 聞こえるー!?」
エステラの声だ。
厨房に詰めかけた人垣の向こう、食堂から大きな声をこちらに飛ばしてきている。
「おぉー! そっちはどうだ!?」
「準備OKだよ!」
よし。準備は整ったらしい。
「ヤシロさん! ケーキ! ケーキを私に! 監査員である、この、私にっ!」
「いいや、あたいが先だ! ヤシロの頼みをなんだって聞いてやれる、マブダチの、一番信頼のおける、このあたいが先だ!」
「……マグダも、もう、我慢が……」
「じゃ、じゃああたしも食べたいですっ!」
「ちょっ!? 押すんじゃないよっ! 危な…………危ないじゃないかい!?」
猛獣たちが理性を失い、ノーマを押し退けてケーキへと突っ込んでくる。
このままでは、ケーキが台無しに…………っ!?
「いい子に出来ない人に、ケーキはありませんよっ!」
ピタッと、全員の動きが止まった。
俺が何度注意しても聞かなかった連中が、ジネットの大声ひとつで動きを止めた。
真っ赤に染まっていた瞳が……澄んだ空のように清く澄んでいる。……いや、怯えている。
「……ジネットが怒る時は、本気の時です。本気でケーキをくれない可能性があります」
「店長がたまに見せる本気は、おっかないんだよな」
「……なんだかんだ甘いヤシロとは違う」
「ですね。店長さん、シャレとか言わないタイプですし」
こいつら……俺のことは舐めて、ジネットの言うことは聞けるってのか?
今度マジで泣かしてやる。……個別に。
「さぁ、ヤシロさん。ケーキを切り分けましょう」
「あぁ、そうだな」
厨房が静かになり、切り分けがやりやすい環境になった。
つか……最初からこうしておけばよかったのか?
いや、散々暴れた後だからこそ、あいつらはジネットの本気を悟ったんだろうな。心にやましいことがあるからな。ったく。
切り分けて試食。……の前に、ベルティーナにお伺いを立てる。
「まずは、ベルティーナさん。これらの工程の中に、教会が定める『ケーキ』の規定に反するものはありましたか?」
ここで「違反がありました」と言えば、当然このケーキは誰の口に入ることもない。ダッシュボックス行きだ。
「問題ありません。今後、この『ケーキ』の販売を、教会の名において許可いたします」
うむ。当然の結果だ。
そうでなければベルティーナはケーキが食えないのだからな。いいと言うに決まっていたのだよ、最初から。
「では……」
と、俺は出来たてのケーキにナイフを入れるべく、ゆっくりと刃を近付ける…………
「あ、そうだ。ジネット」
「はい?」
そこで動きを止め、俺はジネットに声をかける。
ジネットが不思議そうな顔でこちらを向き、小首を傾げる。
ジネットに何かを言う前に、素早くマグダ、ロレッタ、ベルティーナ、デリア、ウーマロに視線を送る。
ベルティーナのヤツ、ケーキ食いたさに計画を忘れてやしないだろうな?
ロレッタとデリアが素早く厨房を抜け出し、詰めかけていた人垣も食堂の方へと移動していく。
よしよし。
「悪いが、エステラを呼んできてくれないか?」
「エステラさんを、ですか?」
「あぁ。頼んであることがあるんだ」
「はい。分かりました。すぐにお連れしますね」
そう言って、ジネットはなんの疑いもなく食堂へ向かって歩き出す。
――この後、自分の身に起こることなど、知りもしないで。
ジネットが背中を向けた瞬間、俺は素早くベッコに作らせた細いロウソク十六本と、事前に用意しておいた砂糖菓子で作ったプレートをケーキの上に飾りつけた。
厨房にいた、ジネット以外の人間がニヤリと笑う。
知らないのは、ジネットだけだ。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
今朝、パーシーの家に赴いて、その足でネフェリーの家から卵をもらって、陽だまり亭でベルティーナの監査を受けて、たった今合格して……陽だまり亭はケーキを取り扱う許可を得た。
……間に合って、よかった。
「エステラさ~ん。ヤシロさんが…………きゃっ!?」
厨房を出て、食堂に足を踏み入れた途端、ジネットが悲鳴を上げた。
食堂の明かりが突然消えたからだ。
厨房の明かりも同時に消える。
食堂の明かりはエステラが、厨房の明かりはマグダが消した。打ち合わせ通りに。
「えっ!? えっ!? あ、あの! ど、どうしたんですか!? あの、みなさん、ご無事ですか!?」
食堂内が暗闇に包まれ、ジネットの口から最初に出てきたのはみんなを心配する声だった。
実にジネットらしい。
「ジネットちゃん。こっち」
「え? エステラさん? あの、これは……?」
「いいから。ほら」
そんな声が聞こえてくる。
エステラに誘導され、ジネットが食堂へ向かった。
ここでようやく、ケーキに刺したロウソクに火をつける。
淡い光が、厨房を照らす。
この揺らめく光を頼りに、厨房に残っていた俺たちは揃って食堂へと移動した。
真っ暗な食堂。
そこに、無数の人の気配がする。
顔は見えないが、大勢の人間がそこにいることが分かる。
「ジネット」
厨房を出て、食堂に入ると、俺はジネットの名を呼ぶ。
「はい。…………え?」
振り返ったジネットは、ケーキの上で揺らめく炎を見て、目をまんまるく見開いた。
ジネットに見つめられたまま、俺はゆっくりとジネットの前まで歩いていく。
エステラが上手く、ジネットをテーブルの前まで誘導していてくれた。
そのテーブルにケーキを載せて、俺は、ジネットに向かってこう言った。
「ジネット。お誕生日おめでとう」
本日は、ジネットの誕生日だ。
「…………え?」
これまで、誕生日を祝うという習慣がなかったので、実感など湧かないだろうが……ここ数日の出来事は、まるで俺に『ジネットの誕生日を盛大に祝ってやれよ』と言っているようだった。
突然知らされたジネットの誕生日。
花束を贈るという習慣がなかったこの街に、もっと気軽に花を贈れる雰囲気を作った。
ジネットの好きな花を知り、その花が偶然咲き、そしてこの目で見ることが出来た。
砂糖があると聞き、なんだかんだあって、無事に入手することが出来た。
ケーキの販売許可にしたって、たった今取得したところだ。
それらが、この数日で立て続けに俺の前に現れたのだ。
……ったく、神ってヤツはつくづくイヤミなヤツだ。
俺が必死になって駆けずり回っている様を見て笑っていやがったに違いない。
けっ、満足かよ、これで。
けど、間に合った。
マジでギリギリだった。
半ば諦めてすらいた。
だが、事態は動いた。
まるで俺に「全力でやれよ」と言わんばかりに。
死に物狂いになれば、ギリギリ間に合う、期限すれすれのスケジュールで。
ジネットの誕生日を盛大に祝いたい。協力してくれ。
昨日一日、知り合いのもとを回り、今回の計画への協力を要請した。
誕生日を祝う習慣がないこの街の人間を説得し、それがいかに重要で意義のあることかを説いて回った。
そして、改めてジネットの人望の厚さを知らされた。
最初は「意味が分からない」と言っていた連中も、「ジネットちゃんのためなら」と協力を快諾してくれたのだ。
ジネットでなきゃ、ここまで大掛かりなことは出来なかっただろう。
なにせ、今陽だまり亭には本当に多くの人間が集まっているのだから
これまで、陽だまり亭で触れ合った面々。
それ以外の、色んなところで知り合った連中。
四十区からも多数呼びつけてある。
そんじょそこらの領主が家で開く立食パーティーにも劣らない、盛大なパーティーだ。
そのパーティーを盛り上げるバースディケーキの上で、小さな炎が十六個、ゆらゆらと揺れている。
ケーキの真ん中に飾られた砂糖菓子のプレートには、こんな文字が書かれている。
『 ジネット お誕生日おめでとう!! 』
すべてが、この陽だまり亭を守り続けてきた、一人の少女のために用意されたのだ。
この時間も、この空間も、この人々も。
誰でもない、ジネットのためだけに、今ここに集ったのだ。
「…………あ、あの……」
「ジネット、そのロウソクの火を一息で吹き消してみろ」
「え? ……で、でも」
「俺の国ではそうやってお祝いするんだよ。みんなも、火が消えたら拍手な!」
「「「「「「おぉー!」」」」」」
その場にいる大勢の人間が固唾をのんで見守る。
緊迫した雰囲気に包まれる。
戸惑いと躊躇いの表情を見せていたジネットが、やがて大きく息を吸い込んだ。
そして……
「ふぅ~……っ!」
一息で炎は吹き消され、盛大な拍手が湧き起こった。
そして、陽だまり亭に明かりが灯される。
再び明るくなった店内には……
「わぁ……」
エステラ主導のもと、手作り感満載ながらも、温かみのある飾りつけが施されていた。
弟妹たちや教会のガキども、モーマットやヤップロックたちも手伝ってくれた。
ジネットを大切に思う連中が、みんな惜しみなく協力してくれたのだ。
「あ、あの…………」
ただ一人、状況が理解出来ていないジネット。
おろおろと落ち着きなく、右を見て左を見て、自分の頬や髪の毛をペタペタと触っている。
「ジネットちゃん。これは、日頃の感謝のしるしだよ」
エステラがそう言って、一輪の花を差し出す。
「エステラさん……」
そっと、花を受け取るジネット。
その途端、ジネットを取り囲むように無数の花があちらこちらから差し出されてきた。
「……店長。おめでとう」
「いつもありがとうです、店長さん!」
「ご、ごご、ご飯、いつも、美味しいッス!」
「ジネットちゃん、俺の花はな、ウチで作ってるトマトの花なんだぜ!」
それぞれの性格がよく表れている、統一感のない花。
けれど、どいつもこいつも、花を差し出すその顔は……満面の笑みだった。
「み…………みなさん……」
全員の花を、丁寧に一つ一つ受け取り、ジネットの腕の中で花束がどんどん大きくなっていく。
「じねっとさん…………おめでとう」
ミリィが、大きなひまわりをジネットに贈る。
陽だまり亭のイメージなのだそうだ。
「ミリィさん……」
ジネットの声が、涙で震えている。
気が付けば、ジネットの花束は抱えきれないくらいに大きくなっていた。
「あ、あの…………みなさん…………えっと、まだちょっとよく……分かっていないかもしれないのですが…………わたし…………あの………………嬉しい、です」
なんとか、涙は零さずに最後まで言い切ったジネット。
大きな瞳は、今にも決壊しそうな程うるうるしていて……とても幸せそうに揺らめいていた。
「ジネット」
「……ヤシロさん」
俺が声をかけると、人垣がサッと場所をあけてくれた。
まぁ、企画立案者の言葉はパーティーには必須だもんな。
観衆どもよ、そこで静かに聞いていろ。
「驚かせたな」
「……はい。驚きました」
えへへと笑うジネット。
差し向かい、しばらく顔を眺めてみる。
頬を赤く染め、潤んだ瞳で微笑む顔は、なんだかとてもジネットらしい。
いい顔だと、素直に思った。
「俺の国ではな、家族や友人が生まれた日を、こうやってみんなで盛大にお祝いするんだ。いや盛大でなくてもいい。ささやかでもいい、おめでとうって言葉を贈るんだよ」
「……素敵な……、とても素敵な風習ですね……」
「そこで欠かせないのが、このケーキなんだ」
「まさか……それで、ヤシロさんは…………ここ数日ずっと忙しそうに?」
何も答えず、ただ笑みを向けてその答えとする。
苦労を自慢するような、野暮な真似はしない。
「こういうおめでたい時に、ピッタリの、幸せな味がするんだぜ」
「そうなんですか? 楽しみですね」
「だろ? エステラ」
「はいはい」
俺の合図で、エステラがケーキにナイフを入れる。八分の一にカットされたイチゴのショートケーキがお皿に載せられ、ジネットに手渡される。
両手で抱えていた花束は、マグダとロレッタが預かり、脇へと運んでいく。
「今日の主人公はジネットだからな。最初に食う権利をやろう」
「え、でも!?」
先ほど厨房で暴れていたベルティーナとデリアに視線を向けるジネット。
だが、冷静さを取り戻した二人は笑顔でジネットに先を譲る。……よかった、あいつらが大人で。
「あ、あの……いいんでしょうか? わたしなんかが……」
「お前のケーキだ」
「わたしの……」
「名前、書いてあるだろうが」
エステラは、ちゃんと砂糖菓子のプレートを載せておいてくれた。気が利くな、やっぱ。
「…………本当です、ね」
また瞳が潤み始め、震える手でフォークを持つ。
そして、ゆっくりとケーキを一口サイズに切る。
「……柔らかいです」
ふわっとした感触が目で見ただけで分かる。
「…………」
そして、フォークに載せたケーキをそっと……口に運ぶ。
「ぁ………………」
吐息と共に、ジネットの顔が薄桃色に染まり、幸せ満開の笑みが広がっていく。
「……甘いですっ」
口の中に広がるその感動を逃すまいと口を押さえ、全身で味わうようにゆっくり、たっぷりとその余韻に浸る。
「本当に…………幸せの味がしました」
「だろ?」
一口食べただけのケーキをテーブルに置き、ジネットが俺へと向き直る。
手を揃えて、深々と頭を下げる。
「本当に……ありがとうございます」
頭を下げたまま、ずっと顔を上げない。
感謝の気持ちが溢れてきているのかもしれない。
だが……まだ終わりじゃないんだな、これが。
「これは、俺からのプレゼントだ」
こいつも間に合ってよかった。
鮮やかなオレンジ色をした美しく大きな花弁を持つ、ジネットが最も好きな花――ソレイユを模した髪飾りを、ジネットの髪へと留めてやる。
「えっ!?」
咄嗟に顔を上げ、両手で恐る恐る髪留めに触れるジネット。
エステラが鏡を持ってジネットの前にやって来る。
ちょうど顔が見える位置に鏡を構えて、ジネットに向ける。
向けられた鏡を覗き込んで、微かに顔を横向けて、ジネットは髪留めを見つめる。
「…………ソレイユ………………ッ」
そこで、ついにジネットの涙腺が決壊した。
大粒の涙が頬を伝い落ちていく。
「…………わたしの…………一番好きな……花…………ですっ」
「本物は、用意出来なかったけどな」
「そんなことっ! ………………これで…………いいえっ、これが…………」
零れ落ちる涙を両手で拭い、それでも溢れてくる涙を何度も拭い、ジネットがはっきりとした口調で言う。
「この髪飾りは……わたしの、生涯の宝物です」
わっ! と、歓声が上がった。
作戦大成功。ってヤツだ。
ここにいる全員が喜んでいた。
全員が祝っていた。
全員の心が一つになっていた。
きっと、誕生日を祝う習慣は、この街に根付くだろう。
この感動を、みんなが忘れない限り。
そして……
この街の人間が全員、誰かの誕生日を祝うようになるのだ。
そして……そして…………
陽だまり亭でケーキを食って、俺たちは大儲けだっ!
イベント最高!
特別な日、最高!
財布の紐も緩んじまう!
根付け誕生日!
そして売れろ、ショートケーキ!
ぬゎは! ぬはははははははっ!
「ヤシロさん」
俺の腹の内など知らないジネットが、純粋な目で俺を見つめる。
そして…………そしてぇぇぇええええええええええっ!?
「ヤシロさんっ!」
ジネットが、俺に飛びついてきた。
……つまり、ほら、アレだ…………抱きついてきた。
首に腕を回して、ギュッて。
「………………ありがとう、ございます……っ!」
その声は、涙に震え、少し掠れて…………でも、とても幸せそうで、温かな声だった。
ふ……ふは、ふははは…………こ、これも、計算通りだ、ぜ。
ふふん、実は全部、俺の利益になる…………あの、作戦っつうか……り、利用されてるとも知らないで! そ、そうだよ! 人がいいジネットは、街の連中を引き込むのに大いに利用出来る存在で、俺はそこを突いて、今回の計画に巻き込んで…………おか、おかげで、ケーキはバカ売れ、売り上げ爆上げ、押し潰される爆乳ぽい~んなんだぜ!
け、計算通りだ!
見たか、俺の知略知慮ぉお~~~ぉっ!
「…………ヤシロさん…………っ……ぅうえええっ!」
「な、泣くなよ!? な? ケーキ! ケーキ食べて泣き止め、な!?」
こ、これも、もちろん……計算通り……だ、ぜ?
「そうですヤシロさん! 監査員である私にケーキを!」
「あたいにも!」
「あ、ボクもボクも! 今回は随分裏で頑張っただろ!?」
「……マグダは当確」
「あたしも欲しいですってば!」
「だけどさ~ぁ。よくご覧よ。これだけじゃ、どう見たって足りないねぇ」
「ヤシロさん」
「ヤシロ」
「ヤシロ」
「……ヤシロ」
「おにーちゃん!」
「「「「「作って!」」」」」
「この状況見て言えよ、お前らっ!?」
あぁ、そうさ。
こういうところまで計算通りだぜ!
あぁ、もう! 分かったよ! 何ホールでも作ってやるぜ!
出血大サービスだぁ!
なにせ、俺は――
今日は特別、気分がいいからな。
いつもありがとうございます。
ジネットの誕生日祝ってあげたいっ!
…………あ、ち、違うぜ!
俺は、ほら、アレだ!
そう! 俺の利益のためにジネットの誕生日を利用するんだ!
それもこれもみんな俺のためだぁ~!
……と、懸命に言い訳をして誕生日を企画したヤシロ。
なんですが、
連日四十二区を走り回り、四十区まで行き、
深夜に髪留めを作り、
パーシーに命まで狙われたりして……
そんだけやっといて、「俺の利益のためだし!」とか言っちゃうヤシロなのです。
なので、今回くらいはご褒美があってもいいかなぁと思いまして、
ジネットに抱きついてもらいました。
向かい合わせで、ギュッと。
それもジネットからです。
そうなると…………もう、分かりますよね?
おっぱいぽい~ん!
です!
いや、
爆乳ぎゅむぅぅぅぅぅぅうっ!
ですっ!
これ以上のご褒美もないでしょう。
そんなこんなでなんとかケーキ第一号を作りました。
ちなみに、
生クリーム……ご家庭では作れないんですね。
生クリームを作るには相当高度な技術を要するようで、
遠心分離とか、殺菌とか、濃縮とか、エトセトラエトセトラ……
とにかく素人には作れない代物らしいです。
が、四十二区、もしくは四十区の牧場主たちは頑張った。
生クリーム、あるんです!
あったんです!
……と、いうことにしておいてください。
どうしても、
ど~~~~~~~しても、
ジネットにイチゴのショートケーキを食べてほしかったんです。
だって、誕生日と言えば、
イチゴのショートケーキじゃないですか!?
味噌とかブラジャーとかあるんですよ、この世界!
シルクのパンツにスク水も!
生クリームがあったっていいじゃないかー! ないかー! いかー! イカー! ゲソー!
というわけで、生クリームはあります!
あともうちょっとケーキ関連のお話は続きますが…………その前にこんなお話を……
エステラ「はぁ~……感動的だったよね、ジネットちゃんの誕生日」
ロレッタ「店長さん、喜んでましたね」
ネフェリー「演出も素敵だったわよね」
イメルダ「ワタクシでしたら、もっとエレガントで感動的なパーティーになったはずですわ」
マグダ「……店長の人望あってこその計画」
イメルダ「ワタクシでは人が集まらないとおっしゃいますの!?」
マグダ「……店長より、おっぱい小さい」
イメルダ「あの人と比べられれば誰でも小さいですわっ!?」
エステラ「だよね! みんな同列だよね!」
ロレッタ「いや、そこには、あたしも突っ込まざるを得ないですよ!?」
ネフェリー「ねぇ。私たちもやるのかな、誕生日?」
エステラ「え……どう、かな? ボク、ジネットちゃんみたいに人集まってくれるかな?」
イメルダ「ワタクシなら、あの日の十倍は確実ですわ!」
ロレッタ「むぅ……確かに、人が集まってくれないと寂しいことになるですね……」
マグダ「……店長にしか出来ない……爆乳専用イベント……」
ヤシロ「よぉ。なんだ、揃いも揃って暗い顔してよ」
エステラ「いや、なに……ボクたちも誕生日を祝ってほしいけれど、あれほどの人は集まってくれないだろうから、無理だよねって話してたんだ」
ヤシロ「そりゃ、あれは誕生日周知イベントみたいな側面もあったし、初めてのことだから人が集まったんだよ。ジネットだって、来年はもっと小規模になるさ」
ネフェリー「でもね。あんなに素敵なパーティーを見た後だと……侘しいお祝いじゃ、悲しくなっちゃうじゃない?」
ヤシロ「そんなことねぇよ!」
――ヤシロ、テーブルを「バンッ!」
ヤシロ「むしろ、こじんまりとしたお祝いこそが誕生日の本来の姿だと言ってもいいくらいだ!」
エステラ「そ、そうなのかい?」
ヤシロ「あぁ。恋人同士で二人っきり、ささやかに誕生日を祝ったりな」
ネフェリー「恋人同士で、二人っきり…………」
ロレッタ「ぅう……あたし、恋人とかいないです……」
ヤシロ「家族でもいい」
マグダ「……マグダは……」
ヤシロ「職場の人間でも、友達でも、なんでもいいんだよ!」
ネフェリー「……た、例えば…………例えばね! あの……私の誕生日が来たら……ヤシロは、その……お祝い、してくれる?」
ヤシロ「当然だろう」
エステラ「じゃ、じゃあ、ボ、ボクは!?」
ヤシロ「一緒にケーキ食おうぜ!」
イメルダ「ヤシロさん、ワタクシは!?」
ヤシロ「盛大にやろうじゃねぇか!」
ロレッタ「お、お兄ちゃん! あたし……」
ヤシロ「弟妹全部やってやろうぜ!」
マグダ「…………にゃあ」
ヤシロ「何ケーキが食いたいか、今から考えとけ!」
エステラ「で、でもさ……そんな毎日は、さすがにパーティー出来ないじゃないか。他にもやらなきゃいけないことあるし」
ヤシロ「パーティーにこだわる必要はないんだよ。お祝いってのは、気持ちだろ? 俺は、お前らの誕生日を祝ってやりたいぞ」
ネフェリー「ど、どうして?」
ヤシロ「決まってんだろ! お前らが生まれてきてくれて、本当によかったって思ってるからだよ」
エステラ「ヤシロ……」
ネフェリー「ヤシロ……」
イメルダ「ヤシロさん……」
ロレッタ「お兄ちゃん……」
マグダ「……にゃあ」
ヤシロ「大勢じゃなくったっていいんだ。ケーキを食って、大切な人と、大切な日をお祝いする。そういう日なんだよ、誕生日は」
エステラ「ケーキは!」
ネフェリー・イメルダ・ロレッタ「「「幸せの味!」」」
マグダ「……マグダ、フルーツ多めのケーキがいい」
イメルダ「そうですわね! ワタクシもそういうケーキがいいですわ!」
エステラ「ちょっとくらい豪勢にしたっていいよね、誕生日なんだし!」
ロレッタ「そうです! お給料三ヶ月分とかつぎ込むです!」
ネフェリー「ケーキと、祝ってくれる人がいれば、誰でも出来るのね、誕生日!」
女子たち「「「「「お誕生日、楽し~ぃ!」」」」」
ヤシロ「……にやり」
ウーマロ「あ、あの、みなさん! ヤシロさんを見るッス! 今、物凄く『しめしめ、これでケーキの売り上げは確約されたも同然だ、なにせ、街中に広がれば毎日が誰かの誕生日になるからなぁ! ふはっ、ふははっ、ふぶゎっはははははっ!』みたいな顔してるッスよ!? いいように操られてるッス!」
女子たち「「「「「お誕生日、楽し~ぃ!」」」」」
ウーマロ「あぁっ!? みなさんがヤシロさんの術中に!? チョロいッス! この人たち、見かけによらずどこまでもチョロいッスーぅ!」
ヤシロ「……にやり」
と、ここまでやると詐欺師っぽかったかもしれませんがね。
……つか、弟妹たちの誕生日って…………無理でしょ?
今後ともよろしくお願いいたします。
宮地拓海




