170話 意外な接点
突然、陽だまり亭へ駆け込んできたセロンとウェンディは、俺たちに謝罪の言葉を述べると、その後肩で息をしながら呼吸を整えるために一瞬黙る。けれど、そんな一瞬すらももどかしそうに、乱暴に唾を飲み込んでいる。
こいつら、どんだけ急いでここまで来たんだ。
「お話を、伺いました……っ!」
鬼気迫る口調のセロン。
ドーナツの話では、なさそうだ。
「本当に、申し訳ありませんでした!」
「申し訳、ありませんでした」
もう一度、勢いよく頭を下げるセロン。
それに合わせて、頭を下げるウェンディ。
その場にいる者すべてが言葉をなくし、息を飲んで二人に注視している。
「僕たちの結婚式のせいで、英雄様や領主様、四十二区のみなさんに多大なる迷惑をおかけしてしまったようで……っ! 申し訳、ありませんっ」
ようやく合点がいった。
セロンはどこかで聞きつけてきたようだ。
今回、水門を閉じられ、『BU』が俺たちに目をつけた理由が、「セロンとウェンディの結婚式で行った打ち上げ花火」に端を発するということを。
だが、それは結局こじつけでしかなく、遅かれ早かれ、ヤツらは俺たちに難癖をつけてきていたことだろう。
「気にすんなよ。花火のせいだとは言われたが、あんなもん、ただのこじつけだから」
「そうだよ、二人とも。そもそも、花火で雨が降らなくなるなんてこと、あるわけはないんだから。そうだよね、ヤシロ?」
「あぁ」
以前聞いた、この街の貴族たちの階級によれば、外周区の貴族は五等級、『BU』の連中は四等級。格下の四十二区が打ち上げ花火や、ケーキや結婚式と、目立ったことをしたのが気に入らないのだ。
自分たちは格上であるという自尊心が揺らぐなんてことを許容出来ないだけなのだ。
打ち上げ花火はやり玉に挙げられただけに過ぎない。
そんな俺なりの推論を言って聞かせてやる。
エステラもルシアも、特に反論はしてこなかった。こいつらも、同じような考えだということだろう。
「だからまぁ、気にすんな」
「ですが……」
気にしない。それが出来ないタイプの人間は多い。
セロンやウェンディは、まさにそんなタイプの人間だ。
「あの、セロンさん。ウェンディさん。お座りになりませんか?」
「……いえ。今は……」
「お気持ちだけ、ありがたく頂戴します。店長さん」
椅子を勧めるジネットだったが、セロンとウェンディはそれを固辞する。
そうなれば、ジネットもあまり強引に勧めたりはしない。
静かに椅子を引き、空いた食器を持って厨房へと歩いていった。
セロンたちを気遣っての行動かもしれない。
話しにくい話を大勢で聞くのは可哀想、だとでも思ったのかもしれない。
ジネットがいなくなり、今ここにいるのは俺とエステラ。ルシアとギルベルタ。そしてセロンとウェンディだけだ。
エステラが客席にぐるりと一周視線を巡らせて、そこにいた他の客に「気にしないように」と無言のまま訴えかける。
それを察し、客たちは体の向きを元に戻して、各々に会話を始める。
もっとも、意識が完全にこちらに向いてしまって会話に集中なんか出来ないんだろうけどな。
「あの、英雄様……っ」
食堂内に適度な騒音が戻った後、苦しそうな表情でウェンディが口を開く。
強い決意を込めた瞳で、俺をジッと見つめて。
「以前、セロンの腕を気に入り、セロンをお見初めくださった貴族様のことを覚えていらっしゃいますか?」
セロンの表情がほんのわずかに歪む。
ウェンディは一切そちらを見ずに、俺だけを見つめている。
それは、ウェンディとセロンの交際が公になる以前のこと。
セロンの父ボジェクが、レンガ工房の存続のためにセロンとの結婚を進めようとしていた貴族がいた。
セロンの腕に惚れ込んだ貴族が、「ウチの婿に来い」と声をかけてきたと。
セロンにとっては、穿り返されたくない過去の一つだろう。
特に、ウェンディには。
だが、それをウェンディは持ち出した。
セロンにとっては居心地の悪い話だろうが、それでも、今持ち出したのには理由があるはずだ。
そう。今持ち出すということは――
「その貴族が、『BU』に加盟している区に住んでいるのか?」
――この状況を打破するための一手になる。そう思っているということだろう。
「はい」
ウェンディは明確に首肯し、そこで初めてセロンと視線を交わす。
微かに微笑み、自分は気にしていないと、セロンに伝えるように。
そこからは、セロンが言葉を継いだ。
「光栄にも僕の腕を認めてくださったその貴族様は、二十九区にお住まいなのです」
「二十九区に?」
四十二区と隣り合う区。
とはいえ、かなりの高低差があるから交流などは皆無。――だと、思っていたのだが。
どうも、二十九区は四十二区のことをよく知っているようだ。
もしかしたら、隣接する最貧国には負けたくないと、執拗なまでに監視されているのかもしれないな。
明らかな格下のことをいちいち調べて、負けていないことに安堵する。そういう人間は少なからず存在する。
「その方に連絡を取り、面会していただく許可を取り付けました」
「え? 許可って……いつの間に?」
エステラが腰を浮かせ、セロンへ問う。
四十二区が置かれた面倒くさい状況を打破する糸口に、思わず体が動いたのだろう。
「昨日、直接お会いしに行きました。……ウェンディと、一緒に」
かつて、自分を婿にと言っていた貴族に、その縁談を断った身で会いに行くのは相当気が引けただろうに。しかもウェンディを連れて。
向こうもよく会ってくれたもんだな。
あぁ確か、結婚の報告をしたところ「お幸せにね」と素直に祝福してくれたんだっけなぁ。そんな心の広い貴族もいるんだなぁ。
貴族なんて、他人を見下し、嘲笑し、悪しざまに罵ることしか出来ない狭量なヤツばかりだと思っていたのだが。
「お話をしたところ、こちらの都合のいい日にいつでも会ってくださると、そう約束してくださいました」
「まさか、そんなに快く承諾してくださるとは思っていませんでしたので……英雄様や領主様になんのご相談もなく勝手な行動を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
セロンの言葉をウェンディが継ぎ、二人揃って頭を下げる。
こいつら、物事をなんでもかんでも重く考え過ぎなんだよなぁ。
アポ取ってきてくれたならもっと誇ってもいいのに。俺たちにとってプラスになると思って行動してくれたわけだし。
「折角セロンとウェンディが話をつけてくれたんだ。会いに行こうじゃないか、ヤシロ」
「そうだな。……ただ、会いに行くとまた豆を押しつけられるんだろうけどな」
「そうなれば、また陽だまり亭で料理すればいいじゃないか」
ハニーローストピーナッツをカリッと齧り、エステラがウィンクを飛ばしてくる。
食道楽め。
まぁ、関税はエステラが出してくれるし……丸儲けだと思えば幾分心も軽くなるか。
「よし。私も同席してやろう。二十九区の貴族に会うのであれば、その方が有利になることもあるだろう」
疑似触角をぴよんぴよん揺らして、口の端にピーナッツバターをつけたルシアが言う。
……威厳、欠片もねぇぞ。
しかし、ルシアの言う通り、『格上の貴族』に会うのであれば、エステラ一人よりもルシアを連れて行った方がいいだろう。貴族が二人もいれば、『格上』相手にも多少は張り合えるかもしれない。
「……え? まさか……、ル、ルシア様ですか!?」
「これはっ、き、気付きませんで! ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした!」
俺たちに話をするということで頭がいっぱいだったのだろう。
俺たちの奥に座るルシアに、今更気が付いたセロンとウェンディが立ったまま頭を床にぶつけるんじゃないかという勢いで頭を下げる。
「よい。そうかしこまるな。私とウェンたんの仲ではないか」
「二人とも、『他所の領主様』にはしっかり礼を尽くすように」
「えぇい、割って入ってくるなカタクチイワシッ!」
お前とウェンディの間に『仲』なんてもんがあると、いろいろ問題が起きそうなんでな。ぶち壊させてもらう。
「え……ルシア様って……」
「まさか、三十五区の……!?」
「えっ!? ルシア様がいるの!?」
セロンたちの言葉を聞いて、食堂内がにわかに騒がしくなる。
……っていうか、本気で気付いてなかったんだな、こいつら。
触角つけてるだけなのに。ギルベルタもついているのに。……のんきな領民どもだよ、まったく。
「うわぁ! 領主様の前で、俺たちはなんて自由な振る舞いを!?」
「領主様の前なのに、こんな小汚い格好しちまって……恥ずかしい!」
「領主様がいるのに、騒がしくしていたなんて……恐れ多い!」
「あ~……、うん。君たち。ボクも一応領主なんだけどね」
「領主の前で」と騒ぐ領民に、さすがのエステラもちょっと物申したくなったらしい。
黙っとけよ。お前が望んで選んだ道なんだから。
お前は領主じゃなくて、街のナインちゃんとしての知名度の方が高いんだから。
「よっ! 四十二区のミスぺったん娘!」
「顔にピーナツバターを塗りたくるよ!?」
なんだよ、その脅し?
そのあとぺろぺろ舐めとってくれるなら大歓迎だが?
「よい。皆の者よ、普段通りに振る舞ってくれ。その方が私も嬉しい」
「だってよ」
「な~んだ、普段通りでいいのか」
「恐縮して損したなぁ」
「マグダた~ん! オイラにドーナツのおかわりをお願いするッス~!」
「ここの領民はちょっと素直過ぎるんじゃないか、カタクチイワシッ!」
「いや、俺に怒るなよ……」
それも、お前が望んだことだろうが。
普段通り接してほしいけれど、どこかでちょっと敬われていたいとか、面倒くさい連中だよ、まったく。
残念ながら、四十二区の連中にそんな微妙な匙加減とか、無理だからな?
フレンドリーなら、とことんフレンドリーになる連中なのだ。領主の教育の賜物だな。
「心の広い、領主様やー!」
「さすが、大物の風格やー!」
「はうっ! ハム摩呂たんの弟たんたちに褒められたっ!? これは、結婚秒読みか!?」
「おい、ハム摩呂。いたら、すぐ逃げろー!」
絶対ルシアにはくれてやるものか。
青少年の健全な育成のためにも!
「はむまろ?」
「ぬはぁぁあ! ハム摩呂たん、キタァーーーー!」
くっそ! ハム摩呂いたのか!?
そしてギルベルタ! お前んとこの領主の変質性がおびただしく溢れ出してるぞ! 止めろ止めろ!
「心の広い、領主様やー!」
「ごふっ! …………し、死ぬ…………愛おし過ぎて……死ぬ」
「では介錯する、私は」
「まてまて! ここでやるな、他所でやれ!」
「他所でもやっちゃダメなんだよ、ヤシロ!?」
エステラの見当違いなツッコミが入る。
食堂さえ汚れなければ、問題などないだろうに。
「さすが、隠れぺったん娘やー!」
「褒められたぁー!」
「褒めてねぇだろ、どう考えても」
そしてハム摩呂……隠れてねぇから、ルシアのぺったん娘。
「あ、あの……英雄様……」
話の腰を見事に粉砕されたセロンが、ルシアの『素』に戸惑い……いや、ドン引きしている。
「あぁ、すまん。話を戻してくれ」
「は、はい」
ルシアの素性がバレたが、陽だまり亭内はいつも通りの和やかな雰囲気のままだった。
ならばよしとする。
……ルシアの『素』の『性癖』という意味での『素性』がバレた点は…………ま、俺の知ったこっちゃないな。
「それでですね、先方様は、いつでもいいとおっしゃっていますので、英雄様たちの都合のいい日に出向いていただければと。ご足労おかけすることになって申し訳ないのですが」
「いや、アポイントを取ってくれただけで助かったよ」
「そう……ですか」
幾分か、セロンとウェンディの表情が和らぐ。
こじつけだとしても、自分たちの結婚式に端を発したトラブルだということで、解決に向けて微力ながらも力になりたい――そんなことを考えていたのだろう。
「会いに行くよ。この後、すぐにでも。大丈夫だよな、エステラ?」
「もちろんだよ」
幾分、力の戻った瞳でエステラが拳を握る。
こいつも、糸口を見出しているのだろう、その貴族とやらに。
「二十九区に住む貴族なら、『BU』のことに詳しいかもしれない。ボクたちがまだ知らないことを教えてもらえるチャンスだね」
余るほど大量に生産される豆のことや、あの奇妙過ぎる多数決の採り方。
『BU』という組織は謎が多過ぎる。それについて話を聞けるかもしれない。
わざわざ会ってくれるということは、少なからず敵対心はないと見ていいだろう。友好的かどうかは、まだ分からんけどな。
「ルシアも、問題ないか?」
「すまん。この後ハム摩呂たんとの逢瀬があるので、すぐには無理だ」
「いいから来いよ」
出禁にするぞ、コノヤロウ。
あと、ハム摩呂は絶対貸し出さねぇから。
「それで、セロンさん」
と、セロンの後ろからナタリアが現れる。
ナタリアは『今日の午後頃にやって来るであろう』ルシアたちの出迎えのための準備をしていたらしいのだが……残念。ルシアたち、早朝からここにいるんだ。
「ならさっさと呼びにこいや、テメェそれでも私の主かよ」みたいな鋭い視線を一瞬だけエステラに向け、ナタリアはセロンに向き直る。
……エステラ。お前、「あ、そういえばナタリアに言うの忘れてた」みたいな顔してんぞ。言いに行ってやれよ。夢中でドーナツ食ってないでさぁ。
「その貴族という方に関して、質問があるのですが……その前にドーナツをいただきたいですね、私『も』!」
「マグダー! 大至急ナタリアにドーナツを持ってきてあげて!」
エステラが本気フォローに入った。
相当怒ってるらしいなナタリアは。
そりゃ、準備してたことが全部無駄になったばかりか、その準備をしている間にエステラだけ美味いもん食ってたんだもんな。……今日はせいぜいご機嫌をとっておけよ、エステラ。
「お代は、エステラ様個人のお小遣いから出していただきますので!」
「えっ!? 経費で落ちないの!?」
「落ちません!」
経費とかあんの……それとも、これも俺に分かりやすいように『強制翻訳魔法』が翻訳してくれてるのか?
「……へい、お待ち」
寿司屋の大将もかくやという言葉と共に、ふっくらと美味そうなドーナツを運んでくるマグダ。
一致してねぇぞ、言葉と商品が。
運ばれてきたドーナッツを一口齧り、ナタリアの口角がキュッと持ち上がる。
「美味しいですね。好きな味です」
素直な感想を述べる。
ナタリアは、何気にこういう女の子受けする食べ物が好きだったりするのだ。
味もさることながら、そういうオシャレなスイーツを食べているという雰囲気を気に入っているように感じる。
「ピーナッツバターを塗ると、さらに美味しくなるよ」
ナタリアを放置していたことを反省してか、エステラがナタリアの前にピーナッツバターを差し出す。
主従が逆転してんぞ、お前ら。
「エステラ様……」
「あぁ、いいよ。礼なんて。一応反省してるから、お詫びの印に、ね?」
「ドーナツはプレーンで食べてこそ、その味を堪能出来るのです。このほのかに甘いドーナツにあからさまに甘いものを塗って食べるなど邪道です。ドーナツの神髄を理解していないと言わざるを得ない愚行ですよ」
何を我が物顔で語ってんだよ、ドーナツ初心者。お前、今初めて食ったところだろう。まだ一口じゃねぇか。
「とはいえ、試さずに拒否するのもまた愚かなこと……使用させていただきましょう」
バターナイフを器用に使い、ドーナツにたっぷりとピーナッツバターを塗りつけるナタリア。
生地に練り込んだりコーティングしたりというのは、何度か試行錯誤をしなければいけないため、今日はプレーンなドーナツに各自で塗ってもらうスタイルを採用している。
ゆくゆくは、表面にチョコやピーナッツバター、ハチミツなんかをコーティングして提供するつもりだがな。
「どうだい、ナタリア?」
黙々とドーナツを咀嚼するナタリア。
エステラの問いに、すぐには答えず、視線を向けてしばし無言で見つめる。
そして、ゆっくりと飲み込み、口の中に残った後味を十分に堪能した後で、ようやく口を開く。
「ピーナッツバターこそが、ドーナツの本懐」
言ってることが丸っきり変わってんじゃねぇか!
まぁ、美味いってことだと解釈しておこう。
ドーナツ一つをあっという間に平らげ、指についた油分をぺろりと舐めとるナタリア。
……くっ、そんな仕草が妙に色っぽいとか…………ナタリアのくせにっ!
「ナタリア。指を舐めるのははしたないよ」
「そうですか? ……では、ヤシロ様。『あ~ん』」
「はしたなさがグレードアップしたよ!?」
エステラが自分のハンカチでナタリアの指を強引に拭く。
だから、主従が逆転してるって、お前ら。
「それで、その、貴族という方なのですが」
ドーナツを食べて満足したのか、ナタリアが改めてセロンへと向き直る。
律儀に待っててくれたセロンに感謝しろよ、お前ら。俺なら途中で帰ってるからな。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「はい」
一度、ウェンディと視線を交わし、そしてセロンはゆっくりとその名を口にする。
「その方のお名前は、マーゥル・エーリン様です」
マーゥル・エーリン?
…………はて、どこかで聞いたことがあるような、ないような……
いや、エステラたち以外に貴族の知り合いなんかいないはずだし…………気のせいか?
「エーリン様。で、間違いありませんね?」
「は、はい」
ナタリアの鋭い声に、セロンは一瞬言葉を詰まらせる。
「エーリン……って、もしかして」
俺の隣で、エステラが声を漏らす。
こいつも聞き覚えがあるのか、そのエーリンってのに。
「はい。おそらく間違いありません」
「それはまた……なんというか…………凄いね」
凄い?
そんな大物貴族なのだろうか。
……いや、どうもそういう意味ではなさそうだ。エステラのあの表情は……
「『BU』絡みの人間なのか?」
エステラの表情から察するに、『凄い』偶然だと、言いたいのだろう。
俺たちが、今会うべき人物。それがきっと、マーゥル・エーリンという貴族なのだ。
「そうだね。『BU』絡みというより、もっと直接的に関係のある人だよ」
「ゲラーシー・エーリン様のお姉様のお名前が、確かマーゥル様であったと記憶しています」
「ほぅ……ゲラーシーの」
「そう記憶している、私も。間違いない思う」
エステラの言葉を補足するように発せられたナタリアの言葉。
それに反応を示したのはルシアとギルベルタだった。
分かってないのは俺だけだ。
といっても、大方の予想はつくけどな。こいつらの顔を見れば……だが、確証が欲しい。はっきりと言葉にしてもらおうじゃないか。
「ゲラーシーってのは、どこのどいつだ?」
おそらく、面識のある相手であろうそいつのことを、少しの悪意を込めて尋ねる。
そんな俺の考えを察したのか、エステラが軽く肩を揺すった。
「ふふ……お察しの通りの人物だよ。でも、そうだね。あえて言葉にするのも悪くないだろう」
などと、不必要に長ったらしい前置きをした後、エステラははっきりと言った。
「ゲラーシー・エーリンは、二十九区の領主の名だよ」
ホント。凄い偶然だ。
敵の大将の身内に会えるなんてな。
「それじゃ、折角セロンたちが作ってくれた機会だ。会いに行くか」
「そうだね。この機会を活用させてもらおう」
俺とエステラは揃って立ち上がる。
さて、出かける準備を始めるか。
「僕たちも、ご一緒させていただけますか?」
セロンとウェンディが神妙な面持ちで申し出る。
こいつらを連れて行った方が話はスムーズに進むかもしれない。
「大歓迎だぞ、ウェンたん!」
……セロンだけにしよっかなぁ…………
はしゃぐルシアを見て、一気に気分が重くなる。
と、そこへ。
「出かけられるのでしたら、これを持って行ってください」
ジネットが戻ってきて、小さな包みを渡してきた。
「馬車の中で召し上がってください。セロンさんとウェンディさんも」
それの袋にはドーナツが入っていた。俺たちは昼を食べちまったが、きっとセロンたちは駆けずり回っていて食っていないだろう。そんな気遣いからの手土産なのだろう。
ドーナツも、二人が食べる分とプラスアルファくらいの、適度な量だった。
「悪いな」
「とんでもないです」
にっこりと微笑むジネット。
そそっと身を寄せ、俺にだけ聞こえるような声で呟く。
「早く、帰ってきてくださいね」
そうして、体を離すと今度は全員に向かって朗らかな声で言った。
「みなさん、お気を付けて」
俺にだけ「早く帰れ」とか……なんだよそれ。ちょっとドキドキしちゃうだろうが。新婚のサラリーマンじゃあるまいし……ったく。
「行くのやめよっかなぁ」
「いや、行くよ!? ほら、早く!」
エステラに腕を引っ張られて外へと連行される。
ちらりとジネットを窺うと、俺たちのやりとりを見てくすくすと笑っていた。
そんな笑顔にホッとする。
こうして、思いがけず強力なコネを手にした俺たちは再び二十九区へと向かうことになった。
ご来訪ありがとうございます。
人の顔と名前がまったく覚えられません。
取引先の社員さん「ご無沙汰しております、宮地さん」
私「あぁ~、ご無沙汰してます…………(たぶん)池田さん!」
取引先の社員さん「梅林ケ原です」
私「わぁ、惜しいっ!」
こんな感じで、久しぶりの人に会う時はいつもひやひやしています。
私「前に一度お会いしましたよね~」
梅林ケ原さん「いえ、半年研修でお世話になりました」
私(←研修の講師)「あぁ……この年齢になると、半年も一日も大差ないんですよねぇ……」
私、大友黒主と同じ歳ですので。えぇ、六歌仙の。家が近所でよく遊んだものです。
そういえば黒っちゃん(←大友黒主)、こまT(←小野小町)のこと「やっべ、ちょ~まぶいんですけどぉ~」って言ってたっけなぁ。付き合っちゃえばよかったのに。
平安時代、とても素晴らしい六人の歌人を『六歌仙』と呼んだんですよね。
時代は流れ、『御三家』『新御三家』『モノマネ四天王』と呼び名を変えつつ、現代までその系譜は連綿と受け継がれてきております。
六歌仙は有名ですので、ご存知の方は多いかと思います。
黒っちゃんとこまTと、え~っと、ほら、あのツルッパの……う~ん……(←名前覚えるの苦手)
顔もぼや~っとしか覚えてないですねぇ。
きっと今、渋谷とかで六歌仙に会っても気付かずスルーするかもしれないですね。
六歌仙が渋谷をうろついていないことを祈るばかりです。
――ぽぃ~ん、ぽぃ~ん、ぽぃ~ん……
私「――はっ!? この揺れる音は……っ、こまT!?」
こまT「やっはろ~!」
うん、こまTは分かる気がする。
こまT「ちょ、こん前さぁ、新い歌詠んだからぁ、とりま聞いてくんない?」
私「りょ」
こまT「『マジヤバい これパなくない? マジウケる 既読スルーを マジボッコボコ』」
私「エモいわぁ、心グッとくるわぁ」
こまT「あざましー」
覚えたての言葉を使ってみましたっ!
六歌仙で思い出したのですが、
古典を上回るのはもしかしたら不可能なのかなと、ふと思ったんですね。
小倉百人一首をも超える新しい和歌とか、
昔話を超える新しい最近話とか。
「この間、この間。駅前にコンビニが出来たそうじゃ~」
みたいな。
「お爺さんは丸の内のオフィスへ、お婆さんは近所のスーパーでレジを打っておったそうな~」
みたいな。
今から新しい昔話を作るのって難しいんでしょうね。
結局、「どっかで聞いた話だなぁ~」「あれ~、この話知ってるなぁ~」みたいなことになるんでしょうね。
やはり古典は強いです。
というか、最近の若いママさんたちも、子供に桃太郎とかかぐや姫とか浦島太郎とか話して聞かせるんですかね?
教訓を教えるためには、昔話はもってこいですからね。
ちなみに、各お話の教訓をまとめると――
『桃太郎』=だいたい食い物で釣れる
『かぐや姫』=美人は勝ち組
『浦島太郎』=美女に囲まれてると時間忘れて「やっべ、時間超経ってる!?」ってなる
――といったところでしょう。
ついでに
『金太郎』=露出出来るのは幼少期まで
金太郎の教訓が一番役に立ちましたかね。
おかげで、今のところ捕まってはおりません。
もっとこの『金太郎』の教訓が広まれば……幼女もお尻丸出しで外に……っ!?
『金太郎』いい話っす、マジオススメっす。
女子人気高いんっすよ、マジで。ふぅ~う、女子力上がりそう~!
……いや、待てよ。
マサカリを担いで、クマに跨っている女子か………………でもお尻丸出しならありっ!
『金太郎』、オススメです!
ヤシロ「『野ざらし』という話があってな。まぁ、簡単に説明すると、野ざらしになってたガイコツにお酒をかけて供養してやると、そのガイコツが生前の『生唾ごっくん超ボイン美女』の姿でお礼を言いに来るって話なんだが……」
エステラ「絶対そんな話じゃないよね? もっと違うところにテーマがあるお話だよね?」
ヤシロ「墓場で酒をまき散らしたら、そん中に一人くらいは巨乳美女がいて夜中に会いに来てくれんじゃないかと思うんだが」
エステラ「関係のない老若男女の亡霊が一緒になって押し寄せてくるだろうけどね」
ヤシロ「んじゃあ、やっぱり『ツルの恩返し』にするか」
エステラ「ツルが恩返しに来るのかい?」
ヤシロ「おう。罠にかかってたツルを助けるとだな、すっげぇ巨乳美女の姿で恩返しに来てくれるんだ」
エステラ「なんで恩返しに来る人はいつも巨乳なんだい!?」
ヤシロ「その方が楽しいだろうが!」
エステラ「健全な恩返しなんだろうね!?」
ヤシロ「おう。自分の羽をむしって美しい旗を織ってくれるんだ」
エステラ「へぇ、それは素敵な贈り物だね」
ヤシロ「あぁ。デミリーには出来ない恩返しだよな」
デミリー「なんで急に私の名前が出てくるんだい、オオバ君!?」
ヤシロ「お、なんだ、いたのか」
デミリー「いたことに気が付いていたからこそ、私の名前を出したんだろう? 意地の悪い人だね、君は」
ヤシロ「何をこそこそ隠れてたんだよ。そこの物ハゲに」
デミリー「物『カゲ』だよ!? 物陰! ほら言ってみて、『も・の・か・げ』!」
ヤシロ「ちょっと言い間違えただけだよ。お前の頭皮が太陽光を反射して影がなくなったから」
デミリー「なくなってないよね!?」
エステラ「オジ様、『反射して』の部分を真っ先に否定してくださいっ」
ヤシロ「で、何しに来たんだよ?」
デミリー「何しに来たとは酷いなぁ。四十区からわざわざ、君に感謝の気持ちを伝えるためにやって来たというのに」
ヤシロ「感謝?」
デミリー「君に受けた恩は数々ある。そのすべてに感謝の意を述べていたら、一日ではとても足りないくらいだ。だが、とりあえずは……四十、四十一、四十二の三区を取りまとめてくれた功労を称えたい」
ヤシロ「やめろ、ガラじゃねぇよ(鳥肌『ぞわぞわ』)」
デミリー「そう言わずに、ちょっとした恩返しをさせておくれよ」
ヤシロ「あぁ、これが……『ツルッパの恩返し』か」
デミリー「『ツルの恩返し』だったよね!? 聞いてたよ、さっきの話!」
エステラ「ヤシロ。いい加減黙ろうか?」
デミリー「まぁ、いいさ。恩返しついでに水に流そう」
ヤシロ「さすが四十区の領主だ。度量と頭皮の露出面が大きい」
デミリー「水で流そうとしてるのに詰まっちゃいそうだよ!?」
ヤシロ「で、なにする気だよ、恩返しって……どうせなら何かしてもらうより物をもらった方が嬉しいぞ」
エステラ「大丈夫。君のことはボクらも熟知しているからね。みんなで贈り物を持ってきたんだ」
ヤシロ「みんなでって……エステラ、お前もかよ?」
エステラ「ボクだって、恩返ししたいんだよ」
ヤシロ「……『ツルペタの恩返し』」
エステラ「『ツルの恩返し』だったよね!?」
リカルド「ったく、相変わらずだな、オオバヤシロ」
ヤシロ「…………誰だ?」
リカルド「四十一区領主のリカルド・シーゲンターラーだ!」
ヤシロ「あぁ。大食い大会の後、『みんなぞこまで俺のごど思っでぐれでだんだなぁ~びぇ~ん!』って泣いてたヤツか」
リカルド「なっ、泣いてねぇわ、アホー!」
デミリー「泣いてたよねぇ?」
エステラ「えぇ、泣いてましたね」
リカルド「うっせぇぞ、お前ら!」
エステラ「とにかく、三区の領主がそれぞれ『これはいい!』と思った物を用意したんだ、受け取ってくれるだろ、ヤシロ?」
ヤシロ「気持ちは嬉しいんだが……遠慮しておくよ」
エステラ「なんでだい?」
デミリー「遠慮なんて、オオバ君らしくないじゃないか」
ヤシロ「デミリー、エステラ。俺は、カツラも豊胸パッドも使わねぇんだ」
デミリー「それはチョイスしてないよ!?」
エステラ「ボクらがいいと思う物を勝手に決めつけないでくれるかな!?」
ヤシロ「リカルドは、『私が主役!』って書かれたたすきか? パーティーグッズの」
リカルド「俺は別に目立ちたい願望なんかねぇ! つか、地味じゃねぇ!」
ヤシロ「んじゃあ、お前の『ツルッパ(予定)の恩返し』はなんなんだよ?」
リカルド「俺はデミリーみたいになる予定はねぇ! ふさふさだからなっ!」
デミリー「ん~、三区同盟もここまでかなぁ」(暗黒オーラ「ずどどど……」)
エステラ「オジ様、落ち着いて! ヤシロ! もういいから、黙って贈り物を受け取って!」
ヤシロ「んだよ……分かったよ。で、何を持ってきたんだよ、お前ら」
デミリー「ふっふっふっ……私はこう見えて流行には敏感でね、素晴らしいものを持ってきたんだよ」
エステラ「ボクはナイフを見極めるこの慧眼で最高のものを選んできたよ」
リカルド「俺のような一流の男になれば、本当の価値ってもんが分かるようになる。期待しておけ」
ヤシロ「いや、だから。何を持ってきたんだよ?」
エステラ・デミリー・リカルド「「「ドーナツ!」」」
ヤシロ「お前らバカだろう?」
――陽だまり亭発の新しいスイーツはすぐ話題になるのです。
さすが領主、情報通ですね! ……エステラは何を思ってドーナツにしたんでしょうね。
あ、ちなみに、
私なら……
ツルペタの恩返し、大歓迎です!
ウェルカム、幼女!
居てくれるだけでいいから!
そんな感じで、
可愛い幼女を想像しながら三巻頑張ります!
次回もよろしくお願いいたします。
宮地拓海




